84 俺様TUEEE
次元列車の車内。
そこには、息を呑むほどに濃密な“黒”が存在していた。
闇が形を得たかのようなそれは、空気そのものをぎゅう、と押し潰すように、どっしりと鎮座している。外見だけを見れば小柄な黒猫にすぎない。とはいうものの、その本質は断じて愛玩動物などではなかった。
逆立った毛並みは針の束のように殺気を放ち、黄金色の双眸は細く鋭く絞られ、こちらの魂の奥まで射抜こうとする。獣の威圧が、粘つく霧のように、じわり、じわりと車内に滲み広がっていた。
──ぐるるるる……。
腹の底から響く低い唸り声が、ゴウン、と床板を震わせる。振動は足元から忍び寄り、脊椎を這い上がるように恐怖へと姿を変えていく。
今にも飛びかかってきそうな緊張感。空気が張り詰め、ピリリと肌を刺した。
こいつは、かつてF美という者が異世界から召喚された際、勝手についてきた黒猫――通称、黒ちゃんである。
帝国において気の向くまま殺戮を繰り返し、その結果、私は一度きっちりと“惨殺”した。そして、ついさっき復活させたばかり……だったはずなのだが。
……というものの。
蘇生して間もないにもかかわらず、この尊大さである。
その心臓には、淡い青光を放つ《隷属の鎖》が幾重にも巻き付き、私への反逆は物理的にも魔術的にも不可能なはずだ。
もっとも、逆らえないことと、態度がデカいことは別問題なのかもしれない。
この魔獣は、常時フルスロットルで“俺様TUEEE”をかましてくるタイプだ。
行動、言動、存在感のすべてが上から目線で塗り固められている。本人はさぞ気分爽快だろうが、周囲からすれば迷惑極まりない。
学校のカースト上位にいる陽キャ風味の連中の中にも、こういう手合いは一定数存在する。
世界が違えど、厄介者の系譜は変わらないものなのだな、と妙なところで感心してしまう。
黒猫は、尻尾をゆったりと、しかし妙に勝ち誇ったリズムで、ぱたん、ぱたんと振り続けていた。その口元には、満足げで小馬鹿にしたような笑みが浮かんでいる。
私はその悪態を一旦聞き流し、静かに息を整え、口を開いた。
「黒ちゃんさんには、お願いが2つあります」
≪おい聖女。お願いをするなら跪いて懇願するのが常識だろうが。我を舐めるのも大概にしろ≫
「1つ目のお願いは――立体ホログラム映像に映っている黒マントを、殺してきてください」
≪あの映像の黒マントか。……ふん。それくらいなら、まぁいいだろう≫
あっさり受けてくれたのはありがたい。ありがたいのだが……。
というものの、あの黒マントの正体は“聖属性でなければ傷ひとつ与えられない死霊王”である。世界を滅ぼす力すら秘めた、災厄そのものだ。
あなたでは、どう足掻いても勝てない。
だが──魔獣が死霊王に触れた、その瞬間。
《ロックオン》と《転移》の魔法陣が相手へ移るよう、すでに仕掛けは整えてある。
絶対に勝てない相手に、“触れさせる”。
その一点のためだけに、私はあえて黒ちゃんを蘇らせたのだ。
「黒ちゃんさん。もう1つ、大事なお願いがあります」
≪なんだ。まだあるのか。いいだろう。聞いてやるので言ってみろ≫
「はい。あなたには、人をむやみに殺すことを禁止します」
≪なんだと。我に下等生物の人間を殺すなと言うのか≫
「あなたはF美の元で、1000人以上の女性と子供を殺しておりますが、それは卑劣な行為であり、決して許されるものではありません」
≪ふん。人間達も、馬車を襲う盗賊が現れれば、我と同じく情け容赦なく弱者をいたぶり殺しているではないか≫
「盗賊だからといって、むやみに殺せば『理由なき同族殺し』に該当し、大罪となります」
≪そもそも弱き人間など、強き者の気分次第でいつでも殺して構わん存在だろ≫
己が弱者であるという発想は、最初から存在しないのだろう。
F美は、自分が可愛がっていたもふもふの黒猫が、ここまで残虐な殺戮者だったとは知らないに違いない。従っていた理由も単純だ。“召喚獣として生かされていただけ”。
この会話は、次元列車のホログラムを通じて、帝国にいるF美にも届いているはずだ。
元の世界へ帰す前に、黒ちゃんの本性を知っておく必要がある。私はそう判断している。
とはいうものの──
黒ちゃんの俺様TUEEE理論を延々浴び続けるのは、そろそろ精神的に限界だった。
「黒ちゃんさん。そろそろS王国に潜む黒マントを、倒しに行っていただけませんか?」
≪我が黒マントを討ち果たした暁には――我が心臓を締め付け続けている《隷属の鎖》を、必ず解除してもらうぞ!≫
「承知しました。必ず約束いたします」
≪さらに。我を解放した後は、F美の元へ帰すこと。それも約束しろ≫
「もちろん、その件もお約束します」
≪よかろう……では、聖女の頼みとあらば聞いてやろう!≫
黒猫は、次元列車の窓枠に爪先だけを、カチリと軽く掛けた。
――次の瞬間。
バリィンッ!
雷鳴じみた衝撃音とともに、黒い影が夜空へと弾け飛ぶ。
ビュッ……!
車内の空気が一瞬だけ吸い込まれ、圧力が反転する。視界の端を、黒い稲妻が裂いていく。
その影は、すでに遥か彼方。
小さな点へと変わり、やがて闇に溶けて見えなくなった。
推定速度――時速200kmほどか。
あの加速なら、S王国までは最短で10時間。
最後に黒猫の尻尾が一閃し、完全に闇へと消えていった。
……とはいうものの。
私には私で、別の仕事がある。
帝国にいるF美の元へ、向かわなければならない。いまだ羊の群れと格闘中の次元列車へ、行き先変更を告げることとした。
「次元列車さん。目的地を変更してください」
「えっ……いきなり何ですか」
「S王国へ行く前に、帝国へ寄道をして下さい」
「構いませんが……どうして帝国に行かなければならないのでしょうか」
「こちらの世界へ召喚されてきたF美という者を、元の世界へ帰してあげようかと思いまして」
「まぁ……そういうことであれば。三華月様を帝国までお送りしましょう」
「他人事のように聞こえますが? 異世界へ送り届けるのは――あなたの役目ですよ」
「……どういうことですか。僕が異世界人を元の世界へ? 本気で言ってます」
「んんん。それが、あなたが生まれてきた使命なのではないですか」
「使命は使命ですが……実は僕、まだ一度も異世界へ行ったことがないんです」
「知っています。それがどうしたのでしょうか」
「いえ。だからですね? いきなり言われても心の準備というか、その……僕はやるなんて一言も言っていません!」
この次元列車。
“何でも先送りする回避癖”があることを、ここで思い出してしまった。
一度「あとで」と言えば、永遠に「あとで」になるタイプ。
自分で決断できない性分なのだろうか。
ならば――よし。
私が尻を叩いてやるしかない。
本当に、面倒な奴である。




