08 私の鬼可愛最強がそんな話しだと?
天井から降り注ぐ淡金色の光は、昼間のそれと見紛うほどに鮮やかで、迷宮の内部を柔らかく照らしていた。その光は、つい先ほどまでこの空間を支配していた“迷宮主の禍々しい気配”を、跡形もなく洗い流してしまったかのようである。まるで世界そのものが、緊張と恐怖の重圧から解き放たれたかのように、空気がゆっくりと解けていくのを感じるのだった。
微かに風が吹き抜ける。地上の森で感じる自然の風とは異なる、人工的な澄んだ流れなのに、不思議と心地よく、肌に触れるたびに心が緩む。迷宮そのものが長く張り詰めていた緊張の糸を解き、安堵の息をついたようだ。
そんな静けさの中、アメリア──美貌と知性を兼ね備えた賢者──は床に横たわる石像を見つめていた。いや、正確には石化した聖戦士ジェットである。彼女の手のひらから零れ落ちる柔らかな光が、まるで水が岩を浸すかのように、ゆっくりと石の表面に広がっていく。光が触れた部分から、固まっていた時間が解けるかのように、微細な振動が走るのが見て取れるのだった。
その近くでは、勇者と強斥候が討伐の余韻に浸りながら、大声で騒いでいる。コカトリスの討伐で手に入れた、異様に巨大な魔石に二人は大はしゃぎだ。迷宮の広い空間に響き渡る、品のないが楽しげな笑い声が、光の粒子に混じるかのように空気を揺らしている。
「おいおいおい、こんなでかい魔石、見たことねぇぞ!」
「マジでヤバいっす。なんすかこのサイズ……」
「いや、これ……S級よりデカくないか?」
「間違いなく、S級よりデカいっすね!」
「S級の上なんて……あるのかよ」
「あるとしたら、もうドラゴン級っすよ」
「は、いやいや。さすがにドラゴン級ってわけ──は、ない……よな?」
「でもこれ、帝国史上で一番デカい魔石じゃないっすか」
「……だよな」
──確かに、うるさい。とはいうものの、悪い気はしない。迷宮主討伐の成功と、予想を超えた大戦果に心が浮かれるのも無理はない。
今回の迷宮攻略には二つの明確な目的があった。一つは、A級冒険者決定戦“オリオン”への出場に向け、B級五位の美人賢者アメリアの順位を押し上げること。コカトリス討伐は、その条件を十二分に満たしたことになる。もう一つの目的は、石化した聖戦士ジェットの救出である。
アメリアが浄化の儀式を始めてから十分以上の時間が経過し、ついに──石化していた心臓が、かすかながらも脈打つ気配を取り戻してきた。
彼女が視線でそっと合図を送り、私は小さく頷き、ゆっくりと聖戦士の名を呼んだ。
「聖戦士。私の声が聞こえていますか?」
仰向けの体を軽く揺らしながら呼びかけるが、反応はない。石化が解けても、意識の回復が遅れるのは珍しいことではない。浮かれていた勇者と強斥候も、次第に表情を引き締め、場には重みのある緊張が漂い始める。
(……なぜ、目を覚まさないのだろうか)
とはいうものの、私の経験上、こういう時は“ショック療法”が最も手っ取り早い方法だ。美人賢者たちが息を呑み見守る中、私は膝を床につき、ゆっくりと拳を握り締めた。
そして──
『ボコッ』
鈍く、しかしどこか澄んだ音が空気を震わせ、迷宮にこだまする。重く堅い物を叩いたかのような振動が、周囲の静けさを切り裂く。
アメリアは目を丸く見開き、勇者と強斥候は慌てて手をぶんぶん振り、必死に私を止めようと声を上げてきた。
「三華月! お前、いきなり何してんだよ!」
「今の音。絶対おかしいっすよ!」
「頭蓋骨が砕けた音だったぞ! ショック療法ってつもりか!? お前。原始人かよ!」
「聖女がショック療法なんて、あり得ないっすからね!」
死なない程度の力加減くらい、もちろんできる。まったく……私を何だと思っているのだ。猛獣か何かか。
だが拳越しに伝わる感触は妙だった。──“硬い”。まるで、石を叩いたかのような抵抗。完全に浄化されたはずなのに。
その瞬間、聖戦士の体がピクリと震え、低いうめき声を漏らしてきた。
「……だから……何度も俺を殴るな……」
ようやく意識が戻ったらしい。はい、これでショック療法が有効であることが証明されたわけだ。
とはいうものの、内心は少し冷や汗が流れました。
力加減が、ギリギリだったかもしれない……
それはさておき、今しがた聖戦士が口にした言葉に、私は小さな違和感を覚える。五話で彼を殴った時と同じようなセリフだったからだ。
(……忍者に敗北した時から、この男の時間が止まっているのかしら)
意識を取り戻した彼に、私はやや声を張りながら呼びかけた。
「聖戦士。私は三華月です。状況は理解できますか?」
「お前は……確か……傭兵の聖女だったか……」
声はまだおぼつかないが、目はゆっくりと開き、焦点こそ合っていないものの、会話は成立している。私の顔も認識しているようだ。ひとまず大丈夫だろう。やがて意識は完全に戻るはずである。
とはいうものの──“傭兵聖女”という呼称は、歴史上もっとも清らかであるべき聖女に対して、あまりにも味気ない。もう一発殴ってもよいくらいだが、記憶確認の方が優先である。運の良い男だ。
「聖戦士。あなたは最下層でコカトリスに遭遇し、石化されたことを覚えていますか」
「ああ……覚えている。馬鹿みたいにデカいコカトリスと相対して……『石化光線』を食らったんだ……」
「安心してください。そのコカトリスは、私たちが討伐しました」
「……お前たちが……あれを倒したのか……」
「はい。石化状態だった聖戦士は、美人賢者が浄化してくれました」
「そうか……助かった……礼を言う」
記憶の方もどうやら正常に戻っているらしい。
少なくとも、返答には微塵のぶれもなく、思考の滑らかさも以前よりさらに精度を増していた。
これなら──“忍者”を討ち倒すための駒として、充分どころか、こちらの期待を軽々と超えてくれそうだ。
とはいうものの、身体状態の確認を繰り返すたびに、胸の奥でざらつくような“妙な違和感”が消えずに残っている。
その正体は一体、何なのだろうか。
外見は以前と寸分違わぬはずなのに、聖戦士の“重さ”だけが異常に増している気がしてならない。
まるで質量そのものが内側に沈み込むように重い、とでも表現すべきか。
仰向けに倒れた聖戦士を、私とアメリアの二人で挟むようにして覗き込む。
すると、向かいの美人賢者アメリアも同じ違和感を察したらしく、長い睫毛を小さく震わせながら眉を寄せてくるのが見えた。
「聖戦士。体に、違和感はありませんか?」
「……ある。俺の『石化』は……まだどこか体内に残っているような、そんな感覚がする!」
……まだ解けていない?
どういうことなのだろうか。
視線をアメリアに向けると、彼女は小さく首を横に振り、“そんなはずがない”と全身で主張してくる。
確かに、石化は完全に解除されている。それは私でさえも分かる。
だが、当の本人の口ぶりからは、まるで石そのものの感触を内側に抱えているかのような違和感が滲み出ていた。
腑に落ちない、と考えたその刹那──
――――――――聖戦士は、S級スキル『石化状態』を獲得していた。
……は?
“石化状態”?
そんなスキル、聞いたこともないのだが。
説明によれば──石化した際の特性を、丸ごと保持したまま通常行動が可能になるという、あまりにもアンバランスで、常識の枠を軽々と超えたスキルらしい。
「聖戦士。試しに剣を振ってみてください」
すでに立ち上がっていた聖戦士は、迷いなく鞘から剣を抜き放つ。
空気を断ち切るように振り下ろすその動きは、驚くほど滑らかで、重さも鈍さもまるで感じられない。
どう見ても“石”の身体ではないのに、“石の強度”だけは確実に残っている──そんな、言葉にできぬ奇妙な存在感があった。
いくつかの動作を試した結論は明確である。
•身体強度が異常値
•物理攻撃の通りが絶望的に悪い
•あらゆる“異常状態”を完全に無効化
……これは、とんでもないのではないか。
石化したまま動けるなど、もはや反則の領域を軽く超え、バグの世界に足を踏み入れているとしか思えない。
「聖戦士は……最強です」
「俺が……最強、だと?」
「スキル『石化状態』を得た聖戦士なら、忍者に勝てるかもしれません」
「俺が……忍者こうたを倒せるのか……」
虚ろだった瞳に、ふと光の粒が差し込むように輝きが戻る。
希望か、怒りか、あるいは純粋な生存本能か──そのいずれであれ、戦う意志を取り戻したのは確かであるのだろう。
何よりも素晴らしいのは、『異常状態無効』である。
加えて、物理攻撃すらほとんど通らない。
忍者特有のいやらしい状態異常攻めは、その全てが無力化されるのだ。
もはや、S級冒険者と互角──いや、条件次第ではそれ以上の力を発揮する可能性すらある。
これほど心強い駒は、そうそう存在しない。
「私も万全にサポートします。聖戦士が忍者に敗れる未来は……まずあり得ません」
そう囁きながら、私は胸の内でひとつの“美しいシナリオ”を描いていた。
———以下、美しい妄想———
オリオンで聖戦士が忍者を叩き伏せる。
その勝利を機に、聖戦士がファミリーのボスとして復帰する。
ハーレム王として舞い戻った聖戦士に、再び“討伐の神託”が下される。
そして私は、その“ありがたいハーレム王”を討伐し、下がった信仰心の値を一気に取り戻す。
———終了———
完璧である。美しいほどに穴がない。
なんと素晴らしいプランなのだろうか……うむ、自画自賛だな。
私の信仰心を下げた“あの忍者”にもしっかり復讐できる。
多少の逆恨みだろうと構わない。
これが……私の平常運転なのだ。
さあ、忍者へ逆襲を仕掛ける時がやって来た。
――――――
帝都で“行方不明”扱いとなっていた聖戦士は、冒険者登録から正式に抹消された――。
その告知とほぼ重なるように、帝国冒険者ギルドは大規模競技会『オリオン』の開催を宣言した。
開催まで、残り3日。
B級冒険者の上位四位がパーティーを組み、ギルドが指定するA級迷宮をひとつだけ攻略する――それだけだ。
しかし、その“たったひとつ”へ辿り着くためには、無数の死地と対峙しなければならないのは言うまでもない。
最初に攻略完了したパーティーが勝者となり、その栄冠を手にする者はA級冒険者へと昇格する。
帝都の商店街モール。その中央には、巨大な影を落とすように冒険者ギルド〈麒麟〉の建物が鎮座していた。
重厚なレンガ造りの外壁は古の砦を思わせるものの、内部に足を踏み入れれば空気は一変する。
100人を超える冒険者の声が、10m以上ある高天井の奥で反響し、ざわざわとした熱風のように押し寄せてくる。
鉄と汗と革油の匂いが混ざり合い、戦場の前室のような息苦しさすら漂っていた。
そんな大気の中、私はフードを深く被り、さらに鉄仮面まで装着した聖戦士──怪しさを強調したいのか隠したいのか、本人すら判然としない格好──を連れて、冒険者登録のためにやって来ていた。
帝都の冒険者は比較的理性的で、新人に絡むような無法者は少ない。少ないのだが……今の聖戦士の姿は“怪しさの満点”であり、むしろ周囲の視線を吸い寄せ、離さないほどだった。
やっと名前が呼ばれ、カウンター席へ着くと、受付嬢が柔らかな“職業用スマイル”を浮かべ、声をかけてきた。
「冒険者登録の申請でよろしいでしょうか」
「私は三華月で、JOBは聖女です」
「はい。F級冒険者として登録いたします」
……おいおいおい。
この私が、よりにもよって初級スタートなのか。
規則ならば致し方ない。致し方ないのだが――私は武神の血を濃く継ぎ、人類史上最強の聖女である。受付嬢が私を知らない可能性も、ゼロではない。ならば念のため確認しておくべきだろう。
「受付のお嬢さん。私は聖女の三華月です。ご存知ありませんか?」
「もちろん知っていますとも! 鬼可愛い三華月様を知らない女子など、この帝都には存在しませんよ!」
「鬼可愛は最強と聞きましたけど?」
「はいっ! 三華月様は鬼かわ超最強です!」
受付嬢の瞳が宝石のように煌めいた。
うむ……これは偽りのない光。媚びですらない。揺るぎない確信と信仰の色だ。やはり鬼可愛いは最強にして、超最強――なるほど、分かっているではないか受付嬢。これはもう、お茶でも奢らねばならない義務感すら芽生えてきた。
私達が上機嫌で談笑していると――背後から鉄仮面の低い声が割り込んできた。
「おい受付。そんな話より、俺の冒険者登録を早く済ませてほしいのだが」
……貴様……!
今、私の“鬼可愛最強”談義を“そんな話”と切り捨てたのか!!
「失礼しました。お名前はJさん、JOBは戦士ですね。では登録いたします」
「急いでくれると有難い」
鉄仮面を殴り飛ばしたい衝動が胸中で荒れ狂ったが、私は理性で押しとどめた。
よく耐えた、私。
視線をそらして壁際を見れば、冒険者ランキングの大きな掲示がある。
美人賢者アメリアはB級2位。
そしてB級1位――忍者・光太。
これで、私は晴れて“オリオン”という名の正式競技の場で忍者への復讐を果たす土俵に立てる……というわけだ。
とはいうものの、聖戦士ですら対応が難しい忍者のスキル『影使い』を突破しなければ意味がない。つまり――私自身が『SKILL_VIRUS』を直に撃ち込まなければならない。
忍者へ近接して『隠密』から奇襲をかけるなんて論外。危険度は天井知らずだ。
やはり、月の加護が最も強く降りてくる深夜、長距離狙撃が最適解だろうか。
————
場所を移し、とあるレストランの個室。
古い壁紙に包まれた八人掛けの丸テーブルを囲み、私は美人賢者、勇者、強斥候、聖戦士の四人で“オリオン三日後”の戦略会議を進めていた。
昼下がりの柔らかい陽光がテーブル中央に落ち、室内の空気は温かい。というものの――緊張感はほぼゼロに近かった。
「『オリオン』の勝利条件は、A級ダンジョンの攻略だと正式に発表された」
「結局のところ、三華月がいれば楽勝だろ」
「僕達の勝利、確実っすね」
……空気がゆるい。完全に緩みきっている。
私ひとりなら問題ないが、勇者と強斥候は明確に足手まといである自負を持ちながら、それを逆に楽しんでいる節がある。なぜだ、どういう神経なのか。
そこへ、聖戦士と美人賢者が鋭く言葉を挟む。
「気を引き締めろ。俺達にとってA級迷宮攻略は“楽勝”なんて次元じゃない」
「そうです。聖戦士様のおっしゃる通り。もっと緊張感を持ちましょう」
「迷宮主がS級の可能性もある。忘れるな」
「いやいや、鬼聖女がいればS級モンスターでも問題ないだろ」
「実際、超大型コカトリスを瞬殺した鬼聖女様っすもんね」
「「ガハハハッ」」
……うんこ二人に何を言っても無駄だな。
とはいうものの、私とて“月の加護が働かないダンジョン”でS級級の魔物と戦うのはリスクがある。
たとえばステータスダウン効果『アビスカーズ』。あるいは究極SKILLを撃たれた場合、反応が一瞬遅れた瞬間に敗北が確定する可能性すらあった。
だから――私は指揮を執る。
「迷宮主がS級相当だった場合、私と聖戦士が前へ出ます。3人は後退し、安全圏から動かないようにして下さい」
「よし、任せたぜ」
「安心してください。最初からそのつもりっすよ」
「ちょっと待て。俺を当てにしているのか!」
勇者と強斥候は即OK。
聖戦士は少し驚いている。あなたが持つ“石化特性”がどれほど頼りになるのか、本人が一番分かっていないというのが面白いところだ。
常識的な美人賢者が頭を下げてきた。
「三華月様、聖戦士様……頼ってばかりで申し訳ありません」
「美人賢者は聖戦士のサポートを。強斥候は周囲の索敵に集中してください」
「お、おい。勇者のことを忘れてないか!」
勇者か。
B級ダンジョンですら前衛が務まらなかった男だ。何を期待できるというのか。荷物運びも怪しいし、すぐ逃げる。彼に可能なのは――“邪魔しないこと”だけだろう。
「勇者は、その辺で適当にしていれば問題ありません」
「なるほど。俺は臨機応変に動くジョーカーってことだな!」
……なんてポジティブなのだ、この男。
その時――
コンコン、と個室の扉がノックされた。
聖戦士の正体が外に漏れると厄介なので、私は彼に背を向けさせ、そっと扉を開ける。
そこに立っていたのは、酒場で勇者の帰還を聞き号泣していたロリ巨乳神官メルンだった。
「忍者が、美人賢者様と直接話し合いたいとの申し出があり……お伝えに参りました」
「承知しました。そちらの屋敷まで伺いましょう」
美人賢者は即答。
勇者は即反対、強斥候は即賛成。私はもちろん賛成だ。“影使い”へSKILL_VIRUSを撃ち込む絶好の機会となるからだ。
――が。
その瞬間、メルンの表情が凍りついた。
聖戦士は背を向けている。顔は見えないはず。
それでも、気づいてしまったらしい。
ロリ巨乳神官メルンが震える声で叫んだ。
「もしかし……あなた、ジェット様なのではありませんか!」、と。




