65 空間を歪める無敵のパッシブスキル
城塞都市を動かす三つのギルド――白翼は商業、紅翼は工業、紺翼は農業を担う。
規定によれば、この三者が均等に協議し、重要政策は必ず合意のうえで決定される……本来はそんな均衡で都市運営が成り立つはずだった。
というものの、近年の情勢はその建前を大きく揺るがしていた。
白翼が推し進めた重商政策があまりに成功し、都市へは金と物資が流れ込み続けた結果、民衆の支持は当然のように白翼へ傾き、雪崩のように集中していった。
その結果、紺翼の発言力はみるみる萎み、今や政治の場から名前だけが残っているような状態になっていたのだ。
酒場で聞いた話によると、農家生まれの飛燕が、わずか18才で紺翼ギルドマスターに就任したという。
若いだけではなく、就任直後の協議の席で――白翼のギルドマスターと主要メンバー全員を殺害したらしい。
そのまま逃走し、地下迷宮へ潜伏。
そして今、私達の目の前に立っているこの男こそが、その飛燕だというのだから、運命とは妙なものだ。
地下迷宮は天井が40mほどもあり、まるで地中に隠れた巨大な世界のようだった。
中心には静かな湖が広がり、周囲には丈の低い草原が帯のように広がっている。
天井の岩肌から滲む白い光が、昼間のような明るさの中に不思議な陰影を作り、視界の奥まで淡く照らしていた。
ひんやりとした風が足元を横切り、草を揺らしていく。その冷たさが、場に満ちた緊張を余計に際立たせているのかもしれない。
私の背中にぴたりと張りつくように隠れながら、口先だけはやたらと強気な勇者と強斥候。
物陰に身を寄せる小動物のような姿勢のくせに、言葉だけは一丁前に勇ましいのだから、見ていて少しだけ腹立たしく、そしてやはり――残念な連中だな、と思ってしまう。
今さら気づいたが、“俺達”と“僕達”を場面ごとに使い分けているのも妙に引っかかる。
とはいうものの、深く突っ込む価値があるかと問われれば、答えは否だ。どうでもいい。
飛燕の扱いについては、すでに結論は出ている。
神託が反応しない以上、今この場で手を下すべき相手ではない。
四十九と月姫の捜索、そして十戒の殲滅――優先すべきは本来の目的のはずだ。ここは放置し、速やかに次へ向かう。それが最善解である。
……本来ならば。
しかし、私の内心など露ほども知らぬとでも言わんばかりに、飛燕は静かに刀へと手を添え、そのまま一歩、踏み出してきた。
ぴたり、と空気が張り詰めていく。戦闘前特有の、肌を刺すような気配が一気に濃くなる。
「無敵である俺と戦う事を選ぶとは……何て愚かな聖女なんだ。だが、俺に従属すると誓うならば、助けてやってもいいぞ!」
低く、湿り気を帯びた声。
地の底を這うような響きでありながら、どこか愉悦すら混じっている。
抜き放たれた刀の刃は、迷いなく、一直線に――私へと向けられていた。
それなのに。
それでも――神託は、来ない。
飛燕討伐を告げるはずの、あの澄み切った気配。胸の奥に直接語りかけてくるはずの導きが、完全に沈黙している。
どういうことなのか。理解が追いつかず、胸の奥にざわざわとした違和感が広がっていく。
とはいうものの、立ち止まって考え込んでいる暇はない。
私は一瞬だけ思考を切り替え、ふと――ひとつの“妙案”をひらめいてしまった。
今まで空気のように存在感が薄かった勇者。
彼を、有効活用する絶好の機会なのではないか、と。
背後を振り返ると、勇者は震える手で大剣を引き抜き、がくがくと音がしそうなほど不安定な構えを取っていた。体格も筋力も十分なはずなのに、覚悟だけが決定的に足りていない。その頼りなさが、全身から滲み出ている。
私は無言のまま、勇者の襟元へ手を伸ばし――
次の瞬間、グイッ、と一息で引き寄せていく。
「な、何だっ。俺に何をする気だ?」
裏返った声。
瞳は完全に“捕食者を前にした草食動物”のそれで、恐怖で思考が停止しているのが手に取るように分かる。全身が硬直し、呼吸すら忘れている様子だ。
――あなたには飛燕の謎を暴く手助けをしてもらうのだよ。
そう言葉にするよりも早く、勇者は本能的に生命の危機を察し、必死にもがき始めた。
だが、遅い。
信仰によって強化された私の腕力から逃れられる道理があるはずもなく。
問答無用。
私はそのまま、勇者を――ヒョイ、と軽々しく放り投げた。
「三華月! 俺を放り投げるんじゃない!」
……いや、それは投げられる前に言うべきではないのか。
そして恐怖のあまり、大事な大剣を取り落としているのも、さすがにどうなのだろう。
武器を落としては駄目だろ。
丸腰の勇者は、見事な放物線を描きながら、
ひゅうう――と空気を切り裂く音を立てて、飛燕へ向かって落下していく。
飛燕の秘密を探る。
そんな役目を任せたつもりであったのだが……
武器を落としては、無抵抗のまま、殺されてしまう可能性がある。この空中で、私の期待はすでに粉々に砕け散っている気がした。
役に立たない勇者など、この世界に本当に必要なのだろうか。とはいうものの、完全に見捨ててしまうのも、後味が悪い。
私は深く息を吸い込み、指先へと魔力を集中させる。
空気が、きん……と鳴った。
――運命の弓、召喚。
きらめく光が収束し、弓の形を描き出す。続けて、運命の矢を静かに番えた。
照準は、飛燕の右手。狙いは明確だ。刀さえ抜かせなければいい。
勇者の即死は、それで避けられるはず。
――そう、信じて。
「……ロックオン」
淡々と告げると、視界に鮮紅のマーカーが重なった。
飛燕は落下してくる勇者に意識を奪われ、こちらの動きには気づいていない。威力は最小で充分だ。
――外すなど、有り得ない。
刹那、世界が静止する。
心臓の鼓動だけが、どくん、どくんと異様に大きく響いた。
――SHOOT。
ばしゅっ――。
次の瞬間、右手に走る、鋭く、焼けるような痛み。
「っ……!?」
理解が追いつかない。
視線を落とすと、そこには――矢に貫かれた、私自身の右手があった。
しかもそれは。
今、私が放ったばかりの――運命の矢。
弾道は完璧だった。
ロックオンも正常に作動していた。
それなのに、なぜ矢は――私自身へと返ってきたのか。
ぎり、と歯を噛みしめ、視線を飛燕へ向けると、勇者が地面に叩きつけられる衝撃音にも動じることなく、彼はただ、そちらへ意識を向けている。
そして。
矢が命中したはずの右手は――指一本、血の気すら引いていなかった。
この理不尽。
この、完全な“反射”。
私は、記録の中で見た――ある伝説級スキルを思い出されてくる。
胸の奥から、確信めいた言葉がせり上がってきた。
「飛燕……空間を歪めるスキル『ミラー』の使い手、でしかたか…」
その一言で、飛燕の表情がびくりと揺れていく。今まで貼りついていたとぼけた無害さが霧散し、頬が引きつり、瞳に焦りが走り始めている。
――なるほど。図星、というわけだ。
すぐ背後で、強斥候がごくりと唾を飲み、恐る恐る問いかけてくる。
「三華月様……その『ミラー』って、どんなヤバい効果なんすか?」
「空間を歪め、攻撃を“まったく同じ形で相手に反射して返す”伝説級のスキルです。」
「つ、つまり……僕が飛燕を斬りに行ったら……僕自身を真っ二つにしちゃうってことなんすか!」
「そういうことになりますね。こちらが放った攻撃は、そのまま自分に返ってきます。」
強斥候は口をぱくぱくと開閉し、理解が追いついていない様子だった。
一方で――勇者は。
地面に落下した衝撃で軽い脳震盪を起こしながらも、生き延びるためだけに、必死にこちらへとほふく前進してきていた。
ずり……ずり……と、あまりにも必死すぎる動き。
哀れ。
というより、ここまでくると、逆に応援したくなってくる。
……本当に、どうしようもない勇者である。




