64 悪党に屈した気分
正面いっぱいに、静けさを湛えた湖が広がっていた。水面には、遥か上方──およそ40mほどの高さに位置する岩天井から降りそそぐ光がきらりと反射している。天井に埋まった鉱石が柔らかな白光を吐き出しているらしく、ここが迷宮の内部だということを忘れそうなほど明るい。というものの、空気には洞窟特有のひんやりした湿気が残り、肌にじわりとまとわりついてきた。
湖畔には膝下ほどの草が帯のように広がり、風に揺れるたびさわさわと小さな音を立てる。新鮮な空気が流れ込んでくるのは、迷宮の奥に天然の通気路でも開いているのだろうか。どこか森に似た爽やかさすら感じられる。
そして──その湖の中央近くに、脳震盪を起こした勇者と強斥候が、ぷかりと無様に浮いていた。
40m以上から落下した水面は、ほぼコンクリートの硬さに達するとも聞く。受け身すら取れず真っ逆さまに落とされたのに、どうしてこうも元気に生き残っていられるのだろうか。ゴキブリ並み、いや、もしかしたらそれ以上の生命力なのかもしれない。
とはいえ、このまま沈んで溺れられても困る。一応は同族だし、死体を増やすと信仰心に妙な影響が出る可能性もある。聖女としては助けないわけにもいかない……というものの、正直めんどくさい。
私はスキル『壁歩』を発動し、すっと水面を滑るように移動して2人の襟をつかみ、ずるずると岸へ引き上げた。やがて2人はうっすら意識を取り戻し、ぼんやりと目を瞬かせる。放心していたのは一瞬だけ。状況を思い出した途端──案の定、遊郭から突き落とした件について文句をまくし立ててきた。
「おいおいおい……どういうつもりなんだよ、聖女さんよ。俺らみたいな一般人に、いきなり何してくれちゃってるんだ?」
バシャッ、と濡れたローブが揺れ、男は怒りを隠しきれない声音で吐き出す。
「そうっすよ! 下が湖じゃなかったら、僕達、とっくに死んでたっすからね!? マジで危なかったっす!」
2人の男はガタガタ震えながら、文句を言い募る。
とはいうものの……こちらとしては助けてあげた側のつもりであった。
「まず落ち着いて、冷静になってください。湖に浮いて気を失っていたあなた達を、わざわざ岸まで引き上げた私に――まずは感謝の言葉があって然るべきではありませんか?」
ピシャリと言い切ると、男達は更に顔をしかめた。
「はぁ? マジで言ってるのかよ。俺達、40m以上の高さから突き落とされたんだぞ? 礼なんか言うわけねぇだろ!」
「三華月様がわざわざ助けたのって……ただ“同族殺し”の罪を背負いたくなかっただけっすよね。僕達、そう思ってるんすけど?」
チクリと刺さる物言い。
痛いところを、これでもかと突いてくる。まったく、面倒臭い男達だ。
過ぎたことを悔やんでも仕方ないのだ。とはいうものの――アーカイブには確かに “鬼可愛い聖女がやることはだいたい許される” と書かれていた……はずなのである。だが現実はどうだ。どうやら努力が必要らしいということなのかもしれない。
ならば、とりあえず――男の扱いなど簡単なものだ。
私は一歩近づき、にっこりと笑みを浮かべる。
「えへっ」
頬を軽く染めるように、少しあざとく。これで落ちるだろう、と信じて。
……しかし。
「……何だよ、その顔。俺に気があるのか? 悪いけどさ、俺、女は中身も大事だと考えているんだわ。見た目だけじゃ、無理。諦めてくれ!」
「分かるっす。百歩譲って……愛人契約ならアリっすけどね」
「確かに。愛人ならアリだな。見た目だけは無駄にいいし。中身がアレでも、ね」
「そうそう。三華月様って、“無駄美人”ってやつっすよね!」
無駄、美人……?
耳を疑った。
上から目線がすぎるのだ。
この者達、まともなのか、それとも筋金入りのクズなのか。判断に迷う。
愛想笑いで押し切れないと判明した以上、別のカードを切るべき時。今度はこちらが相手の急所を突いてあげようではないか。
私はゆっくりと視線を細くし、言葉を選んだ。
「勇者達、迷宮に入る準備をしてくる……と、確か美人賢者に言っていたはず…」
ピタリ、と。
空気が止まる。
「なのに、どうして遊郭に行っていたのでしょうか?」
「っ……な、なんだよいきなりっ……!?」
「三華月様には関係ないことっすよ!」
狼狽える様子が実に分かりやすい。
だが私は止まらない。更に追撃を。
「そもそもですが――美人賢者は、あなた達が遊郭に行ったことをご存じなのでしょうか?」
「なんでそこでアメリアの名前が出てくるんだよっ!」
「アメリアは、関係ないでしょっ……!」
「関係あるかどうかは、あなた達が決めることではありません」
ぴしりと告げると、2人同時に青ざめた。
「……もしかして、三華月。お前、俺たちを、脅している、のか……?」
「ま、まさか……美人賢者に言うつもりじゃ……ないっすよね?」
「少しだけご機嫌が斜めになってしまったので、その気持ちを収めていただこうと思いまして。ほんの……少しだけ、脅してみました」
「やっぱり脅しじゃねぇかぁ!! なんて卑怯な聖女だよ!」
「悪質過ぎっす! マジで悪質聖女っすよ!」
怒鳴りつつも、声の端には焦りと諦めが見える。
私はサラッと手を払って結論を告げた。
「それでは――この件は解決した、ということでよろしいですか?」
2人は視線を合わせ、苦渋の表情で口を開く。
「……アメリアには、遊郭のこと……絶対に言うなよ」
「クッ……悪党に屈した気分っす……」
勇者と強斥候は、もう悔しさを隠す気もないようだ。
顔は真っ赤、足をばたつかせる姿はまるで子どもそのものだった。
卑怯だの悪質だの、好き放題に責めてくる──というものの、うんこの2人に言われても胸に刺さる気は微塵もない。
それよりも。
視界の端で“ぽこん”と何かが跳ねた。その動きがあまりに不自然で、私はそちらへ指を伸ばす。
「あそこを見て下さい。エンカウント率激低の魔物『強欲の壺』が……ほら、ぴょんぴょん跳ねてますよ」
「なんだと?」
わずか1語で、2人の気配が瞬時に切り替わった。
首が勢いよく跳ね、視線が跳んだ影へ走る。
酒場で賢者たちと会ったとき、彼らがこの城塞都市へ来た理由は“強欲の壺の討伐”だと聞いていた。
その激レア魔物が、今まさに──目の前で軽やかに弾んでいる。
「奴がいるなら先に言えっての!」
「怒りで探索系スキル、完全に止まってたっす!」
一瞬で周囲の空気は“狩る側のそれ”に変貌した。
地面の振動やほこりの落ち方まで、戦場特有の静かな緊張に染まっていく。
⸻
『強欲の壺』はAクラス相当。
城塞都市の地下ダンジョン、その中でも限られた層にしか出現しない極めて希少な魔物だ。
耐久は異様なほど高く、どんな攻撃でもほぼ無反応。
しかも時折放つカウンターは冒険者泣かせの威力で、討伐にも運と技量が必須とされている。
……というものの、倒せば莫大な金貨や希少アイテムが流れ出す“宝壺”でもある。
世界中から冒険者が殺到するのも無理はない。
だが──今の勇者と強斥候の攻撃力では、どう考えても歯が立たない。
案の定、戦闘開始から5分も経たないうちに情けない声が飛んできた。
「三華月、見てないで手ぇ貸してくれよ!」
「僕達の攻撃、どう見ても通ってないんですよ!」
強斥候は必死に壺の注意を引きつけ、勇者は大剣を何度も叩きつけている。
だが私の『真眼』が表示するステータスは──
――――――壺HP:995/1000
ほぼ無傷だった。
「大丈夫です。ダメージは通ってますよ」
一応フォローはしたものの、5分で5ダメージでは話にならない。
倒し切る時間を計算すると、あと16時間35分。
その前に2人のスタミナが切れるだろうし、飛んでくるカウンターを避け切れるとは思えない。
…仕方ない。ここは、私が出るしかないのだろう。
どれほど硬い相手でも『制裁鉄拳』なら問題ない。殴れば粉砕できる。
とはいうものの、あの壺にずんずん近づくのは面倒である。
黒龍を粉々にした物干し竿を持ち出すまでもない相手なのだし。
私はため息交じりに、運命の弓をスナイパーモードで喚び出した。
腕に光が走り、リロード済みの運命の矢が空間に形成される。
そこへスキル『必殺』を重ねがけし、さらに『ロックオン』。
矢先が淡く震え、獲物を逃す気ゼロの殺意を纏っていく。
みしり、みしり、と強化された筋肉が軋む。
全長3m超えの巨大弓がゆっくりと引き絞られるたび、周囲の空気が絞殺されていくようだった。
ぴん、と乾いた音が耳を刺す。湿度すら変化したかのように空気が重くなる。
静寂──それは、獲物が死ぬ前の静けさであった。
「それでは──仕留めさせてもらいます」
――――――shoot!
矢は空間を抉りながら高速ジャイロ回転、一直線に飛ぶ。
刹那、破砕音が弾丸のようにダンジョン全体へ響き渡った。
グシャァァンッ!
強欲の壺は、悲鳴も出さぬまま粉砕され、光の粒となって霧散していく。
ただ硬いだけの器など、私からすればF級魔物も同然なのかもしれない。
さて、気になるドロップは……
――――――ドロップ金貨、ドロップアイテム、共になし。
「……あら?」
火力が高すぎたのかしら。
OVER_KILL。
中に詰まっていたはずのドロップごと、完膚なきまでに消し飛ばしてしまったのか。
なんでもほどほどに、とはいうものの……今回は少し調整を誤ってしまったのかも、だ。
勇者と強斥候の2人はがっくり、四つん這いになって地面へめり込まんばかりに項垂れていた。
「あれだけ頑張ったのに……三華月が壺ごと消し飛ばしやがった。もう無理だ……俺。心が折れたわ」
「三華月様が戦力にならないなんて……そんな……」
いや、私が参戦しなければ負け確定だったはず。
これは、いささか理不尽すぎるのではないだろうか。
強斥候がずる、と崩れ落ち、視線が暗い奥の通路へ向く。
直後、彼のスキル『索敵』が鋭く反応した。
薄闇の奥に、若い男がひっそりと立っている。
風を止めたような静寂と共に、その姿だけが際立っていた。
――――――白翼ギルドマスター殺害の容疑者。
迷宮へ潜伏中と噂される『飛燕』の名が脳裏をよぎる。
「俺の気配に気付くとは……なかなかやるじゃないか」
刀を腰に差した着物姿──侍のような男。
体つきは華奢で、スキル『隠密』のランクも低そうに見える。
だが、妙に自信と余裕を湛えているのだった。
ぱっと見ではC級相当。
とはいうものの、A級冒険者を惨殺したという噂も確かにある。
特殊なスキル持ち……か。あるいは、ただのハッタリ野郎なのか。
勇者と強斥候は即座に武器を抜き、空気は瞬時に緊迫した。
「お前は紺翼のギルドマスター、飛燕だな?」
「何で白翼のギルドマスターを殺したんすか?」
「俺達に会ったのが運の尽きだ!」
「ここで討伐させてもらうっす!」
珍しく強気な声色。
……だったのだが。
私は違和感を覚える。
2人が後退しているのだ。じり、じり……と私の背後へ。
武器は構えたまま、しかし逃げ腰。
そして──何かを期待するようなアイコンタクト。
心当たりはない。
ないが……面白いので、親指を立て『任せろ』と返しておいた。
「三華月、あとは頼んだぜ」
「三華月様なら余裕っすよ」
……なるほど。
最初から飛燕討伐は、私に丸投げするつもりだったわけか。
――戦闘の気配が、濃密に満ちていく。
湿った石壁も、遠い滴りの音も、すべてが無声の緊張を孕んでいた。




