57 世界の◯◯親父達への謝罪
その礼拝堂は、足を踏み入れた瞬間、思わず息を呑んでしまうほど天井が高かった。
ぐっと肺の奥まで空気を吸い込むと、ひんやりと澄み切った感触が喉を撫でていく。まるで空気そのものが濾過され、祈りのためだけに用意されたかのような清浄さである。
広大な空間には、約80脚の椅子が一糸乱れぬ配置で並んでいた。
規律と静寂、それらを無理やり混ぜ合わせ、形にしたならば、きっとこうなるのだろう。そんな光景が、礼拝堂全体を支配している。
奥――祭壇の背後。
真っ白な壁には、清らかさと厳かさを極限まで研ぎ澄ましたような十字架が、大きく掲げられていた。磨き抜かれた白壁は柔らかな光を反射し、その輝きは帝都の大教会にも引けを取らないほど荘厳である……とはいうものの、この場を満たす静けさは、どこか異質で、不自然でもあったのかもしれない。
両側の壁には色鮮やかなステンドグラスがはめ込まれ、差し込む光が床へと淡い模様を落としている。ゆらり、ゆらりと揺れる光の中で、直径10cmほどの黒い球体――謎めいた使い魔達が、コロコロ、サササッと忙しなく動き回り、礼拝堂の掃除に勤しんでいた。
彼らはクロノス神が、あのイケメン親父のために呼び寄せ、この世界へと遣わした存在。一般人には存在すら認識できない、不可思議な生命体である。
……というものの、私が一歩近づいた瞬間、ピョン、と弾けるように彼らは一斉に逃げ散っていく。
鬼可愛く、神格も高めな聖女を前にして逃げるとは。
本当に失礼な連中だ。
礼拝堂の中央。
透き通る空気の中で、イケメン神父が片膝をつき、深々と頭を下げていた。その両手を、四十九と月姫が左右からしっかりと握りしめている。2人とも頬を赤く染め、必死に視線を合わせようとしている様子だ。
どう見ても、“嫁に立候補”している態度である。
これはもう、謎とかそういうレベルではない。現象だ。自然災害に近い。
本来の目的は、眼鏡女子に魔神の加護を付与してもらうことだった。
まさか、その本人が傭兵神官を辞めているとは。……いや本当に、私の行動は無駄のひと言に尽きるのだろうか。
3年前。
高い志を掲げ、魔界の神官として命を賭して私に挑んできた、あの姿。
――あれを全部、忘れてしまったのかよ。
少女2人に挟まれ、明らかに困り果てているイケメン親父を眺めているうち、私はふと、なぜ彼が魔神の神官になったのかを確かめてみたくなった。
「一つお聞きしてもよろしいでしょうか司祭は、どうして魔神の神官になろうと思われたのですか」
軽い気持ちで投げた質問だった、はず。
だがイケメン神父は、なぜか照れたように肩をすくめる。
……親父のくせに、なんでそんなに恥ずかしがっているのかしら。
普通にしてくれないと、逆にこっちが落ち着かないんだけど。
その様子を見て、隣にいた四十九が、ぽつりと呟いてきた。
「愛くるしい」
……マジか。
40過ぎの親父が、愛くるしいだと。
価値観の差とはいえ、さすがに驚かざるを得ない。
そもそも普通なら、親父が少女に手を出した時点で即アウトだ。
だが今は、少女達が親父に積極的に迫っている逆転状態である。
なんだろう。世界って、こんなにも理不尽だったのか。
月姫は恥ずかしそうに、イケメン神父の袖をクイクイと引っぱった。
「司祭様が、どうして邪神の傭兵神官になったのか、私も知りたいです」
「アタシも。旦那の過去、ちゃんと知っておきたいの。魔神の傭兵神官になった理由、教えてほしい」
気付けば四十九まで反対側の袖を引き、じっと親父を見上げている。
また“旦那”と言っているが……これはもう、本気なのだろうか。
少女2人に挟まれ、終始照れ続けるイケメン親父を見ていると、30年以上彼女のいない男達のためにも、こいつを処刑してやるべきでは、という邪念すら浮かんでくる。
とはいうものの、残念ながら神託が降りてくる気配がない。
世界の童貞親父達よ……本当にすまん。今は野放しにするしかなさそうだ。
観念したのか、イケメン親父はついに、重い口を開いてきた。
「僕が魔神の神に仕えようと思ったのは、世界最強になりたかったからなのです。今思うと、本当に恥ずかしい話ですが」
ポリポリと頭を掻き、照れ隠しの声が礼拝堂に響く。
……なんだ。ただの中二病だったのか。
世界最強。ハーレム。
そこに憧れて魔神の神官になった……いや、志が高いどころか、地面すれすれでは?
それでも、四十九と月姫はなぜか全力で肯定してきた。
「アタシ達、世界最強を応援する」
「はい。四十九と一緒に司祭様をお支えします」
「いやいや、応援は嬉しいけど……僕は世界最強になることは諦めたというか、無理だとよく分かったんだ。昔、“世界最強の傭兵神官”なんて呼ばれて調子に乗っていたけど……3年前に三華月様から一方的に攻撃を受けて、力の差を思い知らされたんだ……全く抵抗できなかった」
――あの夜だ。
満月が強く輝き、私が10km圏外からこの建物を砲撃した時。
月の加護を受ける私は、S級冒険者など蚊ほどの脅威にもならない、あの時。
命を奪わなかったのは慈悲ではない。
また悪さをしてくれれば、信仰心の餌にするつもりだっただけ。
……それが改心してしまったとは。まったく、期待外れとしか言いようがない。
それでも2人は、イケメン神父の過去も現在も、丸ごと肯定している。
「三華月様。移動都市グラングラン、海に沈めました。要注意な反逆者、邪神官、三華月様の餌です」
「数時間前、三華月様は黒龍を討伐しました。世界最強を諦めたのは、賢明な判断だったと思います」
「移動都市を沈め、黒龍を討伐したって……、三華月様は本当に無敵ですね。知っている魔神の神官全員を説得して辞めさせたのですが……本当によかったです」
……今、何と言ったのだ。
イケメン親父が、魔神の神官を全員改心させただと。
それってつまり――私が信仰心を稼ぐ機会が消え、世界が平和になった、ということではないのか。
いやいやいや、ちょっと待て。
何やっちゃってるんですか、あなた!
精神的ダメージが、ズブリ、と胸の奥へ突き刺さってくる。
視線を落とすと、地下礼拝堂の中央で、ひっそりと輝くクリスタルが鎮座していた。
礼拝堂といえばこれ。適正JOBを判定するクリスタルである。
せっかくだ。
自暴自棄気味ではあるものの、四十九と月姫の適正JOBでも見てもらうことにしよう。
イケメン神父の指示を受け、四十九がそっと手をかざと、――ぽう、と淡い光が広がり、浮かび上がった文字は。
『女忍者』
……やっぱり。
スキル『影使い』への高い適性、暗器を平然と扱えそうな性格。どれを取っても納得の結果であった。
そして最後は、眼鏡女子の月姫。
個人的な予想は『学級委員長』だったのだが……さて、どうなるか。
イケメン親父に促され、月姫は静かに一歩進み、クリスタルへと手を伸ばしていくと、光が、ふわりと揺れた――。




