56 反逆者、超反逆者
青い空はどこまでも澄み切り、頭上には巨大な白い雲が、ゆるやかに、しかし確かな質量を伴って流れていく。太陽の光を受けた雲の輪郭は淡く輝き、その影が、するり、するりと草原の上を滑っていた。まるで世界そのものが、穏やかな呼吸を繰り返しているかのようだ。
草原を撫でる風がひと吹き通り過ぎるたび、ざわ……ざわ……と草の海が波打つ。
その草原を割くように、機械人形が引く馬車が進んでいる。
すれ違う旅人はひとりもいない。人影どころか、足跡すら残っていない。
手綱を握りながら眺める景色は、3年前に訪れた時よりも、さらに自然の勢いが増していた。草原は街道を呑み込もうとするかのように迫り、道と草の境界線は曖昧になりつつある。
あの頃――地上世界を混乱の渦へ叩き落とそうとした邪神官を追い、各地を転戦していた時、私は確かにこの道を駆け抜けた。
やがて、地平線の向こうに、ぽつりと影が浮かび上がる。
廃墟だ。草原の海から、まるで孤島のように突き出した高台。その頂に、崩れた石塊が寄り集まり、身を縮めるように横たわっている。
幻影通りから同行している眼鏡女子――月姫が、寝起きのままの顔で客室からひょこりと姿を見せてきた。少し乱れた髪を指で押さえ、目をこすりながらこちらを見上げてくる。
「三華月様。私達だけが寝てしまっていたようで、申し訳ありませんでした」
「私は寝る必要がありませんので、気にしなくて結構ですよ」
淡々と返すと、月姫はぱちりと目を見開き、少し間を置いてから感心したように声を上げてきた。
「え。寝る必要がないのですか。三華月様は、クラゲみたいでとても凄いのですね」
……クラゲ。
これは、褒められているのだろうか。とはいうものの、その声音に悪意は一切ない。四十九のように、意図的にディスってくるわけでもなさそうだ。
そんな私の内心など露知らず、月姫はすぐに前方の廃墟へと視線を向け、興味を隠さず問いかけてきた。
「三華月様。四十九ちゃんから聞いたのですが、この馬車は、トレジャーハンターが世界中から集まる城塞都市に向かっているのでしょうか」
「はい。その予定ではありますが……その前に、あそこに見える高台の廃墟へ、少し寄り道をしようと思います」
草原の果てにぽつんと盛り上がった高台。その頂で、砕け散った石塊が寄り集まっている。
3年前、邪神官との戦闘で、私が超長距離砲撃を叩き込んだ教会――その残骸だ。
復旧される気配は、まったくない。砕け散った石材は今もそのまま、太陽の光を浴びて静かに横たわっている。
その瞬間、両手首に黒鉄色の手錠をつけた四十九が、客室からぴょんと飛び出し、私の隣に軽やかに腰を下ろしてきた。
「ワクワク。探検、探検」
弾むような声と同時に、月姫が四十九へと抱きつき、頬ずりを始めている。
……百合的というか、あまりにも自然な密着具合で、もはやツッコミを入れる気力すら削がれていく。
とはいうものの、今回ここへ来た理由は、探検などではない。
魔神の信者――邪神官の生き残りを探すためだ。場合によっては、戦闘になるかもしれない。
草原の静けさの奥底に、ひそやかな緊張が張り付いている。その気配を感じ取っているのは、私だけではない……はずなのだが。
というものの、この2人に限っては、緊張感という概念そのものが存在しないらしい。
「三華月様。私も探検は大好きです。足手まといにならないように頑張ります」
「探検に行くのではありません。あそこの廃墟へは、世界の反逆者である邪神官の生き残りを探しに行くのです」
“反逆者”という単語が落ちた瞬間、月姫の動きがぴたりと止まった。空気が、わずかに張り詰めていく。
対して四十九は、というものの、いつも通りの無表情だ。
私の目的はひとつ。
もし残党が生きていれば、月姫に“魔神の加護”を刻むこと。
月姫が、あの魔界の少女と共に魔界へ渡るためには、これは避けて通れない道となる。
しかし、その間も、2人の会話はなぜか妙な方向へと転がっていく。
「世界の反逆者ですか。それって、危ない人の事ですよね。何故、そんな人を探しに行くのですか?」
「月姫、心配ない。邪神官、ただの人。こちら、本物の反逆者、いる。超反逆者」
「三華月様って、本物の反逆者だったのですか?」
……また、四十九が余計なことを。
軽く流すつもりだったのだが、月姫が思いのほか、しっかり食いついてきた。
四十九は、してやったりと言わんばかりに、口元に細い笑みを浮かべている。あれは完全に、悪代官の笑みだ。
「肯定。反逆者は、国家と、支配者に逆らう者。三華月様。無敵、反逆者」
国家も支配者も、信仰のためなら容赦なく滅ぼす――そう言われれば、否定はできない。
だが、私の意図と異なる動きをするのなら、むしろ彼らの方こそ反逆ではないのか。
まぁ、その程度の議論は、そこらの雑草よりも価値がない。
そんなやり取りをしているうちに、馬車は高台へと辿り着いていた。
近づいて、初めて分かるが、教会は、ほぼ原型を失っていた。壁は崩れ、天井は落ち、床石はひび割れ、その隙間から雑草がぐいぐいと顔を出している。
残った石壁には蔦が好き放題に絡みつき、廃墟特有の、ひんやりとした空気が肌を刺すように冷たい。
3年前の戦闘の残滓が、今なお空気に溶け込み、目に見えない形で漂っている――そんな感覚すらあった。
馬車から降り立った四十九と月姫が、廃墟の惨状を前に、それぞれ声を漏らしてきた。
「隕石群、落下。悲劇」
「隕石群といえば、伝説的な究極魔道『METEO_STRIKERS』がありますが……まさか、本当に撃ち込まれたとでもいうのでしょうか」
二人の声が、ひゅう、と吹き抜ける静かな風に乗って、瓦礫の間を漂っていた。
私はその余韻を背中で受け止めながら、ゆっくりと視線と意識を目の前の光景へ戻していく。
――崩壊。
砕け散った石壁。
根元からぐにゃりとねじ曲がり、無残に倒れ伏す大理石の柱。
足元一面に広がるのは、踏み場もないほどの瓦礫、瓦礫、瓦礫の海だった。
わずかに残った彫刻や装飾の断片から、ここが大聖堂であったことは分かる。
とはいうものの、今となってはその名残を探すことすら難しい。
視界に映るのは、ただの廃墟。いや、廃墟と呼ぶにも痛々しい残骸だ。
この惨状。
すべては、3年前の夜――。
私が“運命の弓”を用い、10km圏外からピンポイントで叩き込んだ、その結果だった。
狙いは正確。威力は過剰。
もしあの時、気まぐれで『隕石落とし』を選択していたなら、この高台そのものが抉り取られ、地形ごと世界地図から消えていたはずだ。
というものの、そうしなかった。
そのおかげで、こうして「遺跡」と呼べる程度には、辛うじて形が残っている。
皮肉な話だが、私なりの“手加減”だったのかもしれない。
――その時。
廃墟の奥から、ふっと、人の気配が揺れていた。
崩れた天井の隙間。
そこから斜めに差し込む陽光が、埃を孕んだ空気を切り裂き、影を浮かび上がらせる。
ゆらり、と影が動くと、次の瞬間、かつて大聖堂の正面入口だった場所――天井を失った巨大なアーチの向こうから、長身の男が、ゆっくりと姿を現してきた。
その姿が視界に入った瞬間。
脳裏に、焼き付いた記憶が一気に蘇ってくる。
――こやつだ。
3年前の戦闘で、傭兵神官として前線に立っていた、あの親父。
生き残りなどいまいと、半ば決めつけていた。
だが、どうやら思いのほかしぶとかったらしい。
拾い物をした、というべきか。
その刹那。
隣にいた四十九が、まるで雷に打たれたかのように、ぴくりと肩を跳ねさせ、息を呑んだ。
「イケメン神父。緊張」
……なにを緊張しているのだ、こいつは。
ちらりと横目で見ると、白い肌が、ぽっと、りんごのように赤く染まっていく。
さらに月姫に至っては、というものの、私の背中の後ろへすっと身を隠し、もぞもぞと髪を整え、服の裾を引っ張り始めた。
いや、確かに。
親父にしては珍しく整った顔立ちではある。
だがどう見ても40は過ぎた男だろう。
その“イケメン神父”は、こちらを正面から認めると、すっと背筋を伸ばし、深々と頭を下げてきた。
「三華月様。先日は命を助けて頂き、誠に有難うございました」
3年前。
私は“また何か面白いことを起こしそうだ”という、極めて気まぐれな理由で、この男を生かしておいた。
邪神の神殿でも再建して、地上を混乱に陥れてくれれば儲けもの。
そんな期待すら、正直あった。
だというのに。
今の彼からは、かつて漂っていた殺気も、獣のような攻撃性も、一切感じられない。
穏やかすぎるほど、穏やかだ。
この変化――不気味と感じるべきなのか、それとも。
そこで、四十九が私の背をぽん、と軽く叩き、信じられない質問を小声で投げてきた。
「三華月様。イケメン神父、恋人。肯定?」
……なぜ、そうなる。
どういう思考回路を辿れば、その結論に到達するのか。
月姫も息を殺し、じっとこちらを見つめている。
二人の視線が、妙に痛い。
これ以上、誤解が深まる前に、釘を刺しておくべきだろう。
「では、2人には一つ、教訓を教えて差し上げましょう」
私は静かに言葉を選ぶ。
「イケメンとは“自分なら何でもうまくいく”と勘違いしている輩が、一定数存在するという都市伝説があります。つまり、イケメンの男に、ろくな者はいない――これが現実です」
間髪入れず、冷水のような反撃が飛んできた。
「三華月様。自分がそうだからといって、他人までそうとは限らない」
「だよねー。三華月様って“人生なんてEasy_Modeだぜ”とか思ってそうだし」
……ぐさり。
四十九。今、私のことを“ろくな者じゃない”と言わなかったか。
月姫まで、なぜそこに便乗する。
こちらは諭すつもりで言っただけなのに、なぜ全方位から刺されているのか。
しかも2人は、ずいっと距離を詰め、完全に私のパーソナルエリアへ踏み込んできた。
無言の圧。
“さぁ言え”とでも言いたげだ。
……仕方あるまい。
「恋人ではありませんし、その気もありません」
「安堵」
即答だった。
「私の名、四十九。独身。彼氏無し。イケメン神父の嫁に、立候補する」
「私は月姫です。四十九と同じく、末永くよろしくお願いします」
……待て。
なぜ、そうなる。
だが2人の少女は、きらきらと目を輝かせたまま、“イケメン神父”へ向かって堂々と自己紹介を始めてしまった。
神父はというものの、2人の言葉には深く触れず、爽やかな照れ笑いを浮かべたまま、私たちを案内し始める、新しく建てているという、地下礼拝堂へと進んでいく。
中庭に出ると、そこには小さな畑が広がっていた。
整然と並ぶ畝。
丁寧に育てられた野菜や果物が、陽光を浴びて艶やかに実っている。
……私への再戦に備え、まずは内政から整えているのだろうか。
というものの、反逆に内政は重要。
これは否定できない事実である。
神父が果樹から採れたばかりの実を、左右から2人へ差し出してきた。
その瞬間、四十九と月姫は、頬を真っ赤にして固まっていく。
……早い。
既に両者、完全に調略されているではないか。
廃墟と化した礼拝堂の奥。
そこから地下へと続く階段を降りていくと、空気が変わった。
地下には、見事に整えられた、新しい礼拝堂が広がっていた。
漂う神気は、従来の邪神殿とは、明らかに異なる。
その中央で、イケメン神父は片膝をつき、深く頭を垂れてきた。
「三華月様に助けて頂いた命です。僕は仕える神を変え、新しい人生を歩み始めました」
「時と農業を司る――クロノス神の気配がする」
「はい。邪神に仕えていた僕を受け入れてくれる教会はありませんでしたが……その時、クロノス神より神託を頂いたのです」
ほう。
とはいえ。
私があなたを生かした理由は、“改心”などではない。
地上に恐怖を撒き散らし、混乱と信仰を盛り上げてもらうための駒。
その程度の期待だった。
この展開は、完全に想定外である。
感謝など、求めていない。
むしろ、もっと暴れてほしいくらいなのだが。
――その思考を、強引に遮るように。
突然、四十九と月姫が、神父の手を左右からがっちりと掴んだ。
「旦那の苦境、助ける。妻の務め」
「私も支えます。一緒に苦難を乗り越えましょうね」
……いや。
だから。
なぜ、そうなる。
話は完全に、予測不能な方向へ転がり落ちていっているのだった。




