04 男はみんなクソだな
眼下に酒場の丸い屋根を頂くシンボルタワーの頂から、遠方へと視線を投げやると、帝都の巨大な街並みが、夜の帳にすっかり沈み込み、静謐な闇に包まれたまま横たわっているのが見えた。
ここに暮らす者は軽く1000万人を超える。その存在感は、まるで夜明け前の凪いだ海のように静まり返り、街路を区切る無数の建物の影が折り重なり、ひとつの巨大な迷宮を形作っている。石と影と闇が何層にも重なり合い、下手な侵入者を拒むかのように、息をひそめているようだ。
港の向こう、水平線のあたりでは、深い紺色の夜空に、じわりと朱色が滲み始めていた。夜と朝の境界が、ゆっくりと溶け合い、まだ眠りに沈む街に柔らかな色を落としていく。あと1時間もすれば、帝都全体が朝日を浴び、屋根という屋根が金色に染まり、そこかしこで生活の息吹が戻ってくるのだろう。
とはいうものの、いまのところ道路のそこかしこには、酒に潰れ眠りこけた酔っ払いが無造作に転がっている。ここからでは、どれも豆粒ほどの大きさにしか見えず、顔立ちなど判別できるはずもない。呼吸の荒さや酒臭さ、体温の熱気さえも、この距離では掴めるわけがない。それでも――静寂の奥から、あの気配は確実に立ち上っていた。
私が予測していた“魔術士たちの強撃”の気配が、かすかに、しかし紛れもなく、夜気の中に混ざり込んでいく。待ち伏せを開始して、すでに8時間。緩みかけていた意識の糸が、ぴんと張り詰める。視界の端を、閉店間際の酒場へと駆け込む影が、するり、と滑ったように横切った。
女だ。顔までは識別できないものの――
美人賢者で、間違いないだろう。
閉店直前の酒場の内部を確認させ、そこで魔術士が不意打ちを仕掛ける手筈という算段か。状況から逆算すれば、その意図はほぼ確実である。とはいえ、肝心の魔術士本人の姿は、依然として見えない。こちらの狙撃ポイントを読み、周到な対策を練ってきたらしい。なかなかに用心深い性格だ。
もっとも――それも想定内、であった。
本来なら、ここから遠距離狙撃を行うため、スキル『ロックオン』を発動するはずだった。しかし姿を晒さない以上、条件は満たせない。ならば、代案へ切り替えるのみ。勇者と強斥候に魔術士を誘い出させ、至近距離で始末する。手順が少し増えるだけで、結果は変わらない。
なにしろ私は、生粋の暗殺者が持つ『隠密』『暗視』『壁歩』をすでに体得している。魔術士程度が、私を視認できるはずもない。視認を発動条件とする『アビスカーズ』など、そもそも使わせてやらない。つまり――この戦いの結末は、すでに決まっている。私はただ、神託を遂行するのみ。
眼下で強斥候がスキル『索敵』を発動し、ついに魔術士を発見したらしい。潜んでいた爆乳剣士が、その巨躯を隠すのをやめ、姿を現してきた。勇者や強斥候が彼女に勝てる見込みは、限りなく低い。つまり、『アビスカーズ』によるステータス低下が発生する前に、私が戦力を削っておく必要がある。
「ふむ……ここ、なのだろうか」
風を切る音さえ置き去りにして、私はシンボルタワーの最頂から静かに降り立っていく。影が落ちるように、音もなく。歓楽街の石畳に触れる足先まで、まるで闇そのものが延びたかのように。ひんやりとした夜気が頬を撫で、石畳の冷たさが靴越しにじわりと染み込む。その冷感が逆に感覚を研ぎ澄まし、意識を戦闘へと引き戻すのだった。
次の跳躍に備え、呼吸を整えていく。
ふわり――。
屋根が幾重にも折り重なる帝都の夜空へ、私の身体は吸い込まれるように舞い上がった。黒い影は星々の隙間に溶け込み、視界は一気に開ける。夜風が耳元をかすめ、街灯が石畳に落とす光と影が、微細に揺れているのが、手に取るように分かる。
さらに、もう一段。
建造物の谷間、その真下――目的の女の動きが捕捉できる。爆乳剣士。勇者たちと衝突する直前、張り詰めた距離の中で、空気がきしみ、戦闘の予兆が肌を刺す。
――邪魔となる者は、瞬時に“排除”させて頂きます。
それはこちらとしても、ごく自然な判断であり、当然の選択である。
迷いも、躊躇もない。ただ、そうあるべきだからそうする。それだけの話だった。
宙に舞う感覚の中で――
私は“運命の弓”をスナイパーモードで召喚する。
白銀に輝く神弓が、裂け始めた新月の闇を割るように、静かに、しかし確かな存在感をもって空に降臨してきた。
空気が変わる。夜の冷たさが、わずかに研ぎ澄まされていく。
――スキル『ロックオン』と『ブラインド』を同期。
複合射撃術式『ブラインドアロー』をリロード。
宙に浮かび上がった魔法陣が、カチリ、カチリと噛み合うように幾重にも重なり、淡い光を放ちながら回転を始める。
その中心で、術式が完成へと収束していく。
――シンクロ完了。
【ブラインドアロー】ロード。
漆黒の矢が、音もなくその手に形を成す。
視線の先、眼前には爆乳の剣士。腰に手をかけ、剣を抜こうとするその動きは、まだ警戒というよりも準備段階といった程度だ。
とはいうものの――
自分が、すでに照準の中心に据えられているなど、微塵も知る由もないのだろう。
私は降下体勢へと移行しながら、ゆっくりと弓を引き絞っていく。
ギリ……ギリギリ……と、弦が悲鳴を上げる寸前の、極限の張力。
その微細な振動を、まるで愉しむかのように指先で受け止める。
鋼鉄の糸が肌に食い込むような感触。
息を整え、夜風の流れを読み、街路に溜まる空気の層を頭の中で分解していく。
――――狙い撃たせてもらいます!
空気が、わずかに震えた。
弦の張力が指先から腕、肩、背中へと伝わり、世界のすべてが矢先一点へと収束していく。
石畳に落ちる影。
街灯に反射する月光。
夜風に揺れる髪の先、その一本一本まで――すべてが、異様なほど鮮明だった。
――まるで、世界そのものがスローモーションに引き延ばされたかのようだ。
指が弦を離す、その寸前――
チリッ。
かすかな弦鳴りが、張り詰めた静寂を切り裂く。
矢は一瞬、微細に震え――
――SHOOOOTッ。
漆黒の矢は、煌めく夜空の裂け目をなぞるように滑空し、空気を弾く低い衝撃音が遅れて耳に届く。
視界の端で影が揺れ、刺さった瞬間、その存在は煙のように掻き消えた。
痛みは、針先ほど。
だが――その効果は、致命的である。
彼女は反射的に手を伸ばした。
皮膚の表面を這う、不快な違和感。
ぞわり、と背筋を冷たいものが駆け上がる。
触れた瞬間、理解してしまう。
ああ、これは――罠だ、と。
だが、理解した時には、すでに遅かった。
視界が、ふっと消える。
光が遮断されたわけではない。
「見る」という感覚そのものが、唐突に切断されたかのように、唐突に失われたのだ。
同時に、音も、気配も、距離感も奪われる。
世界は一瞬で、無音の闇へと沈み込んだ。
――効果は“盲目”。
一時的とはいえ、戦力は完全に封じられたと言って差し支えない。
戦場において視覚を奪われるというのは、ほぼ死を宣告されるに等しい。
その刹那。
闇の向こう側で、何かが動いた。
強斥候が、魔術士へと接触する影。
そして――
……幼い人狼少女を、盾のように引き寄せる光景。
胸の奥で、ひやりと冷たい怒りと、底知れぬ呆れが渦を巻いた。
魔術士――どこまで畜生なのかしら。
倫理も矜持もかなぐり捨て、勝つためなら何でも使う。その姿勢が、どうしようもなく反吐が出る。
私は屋根へと着地する。
カッ、という軽い音とともに、足裏に伝わる瓦の感触。
着地と同時に、意識はすでに次の行動へと移行していた。
間髪入れず、第二射。
――SHOOOOTッ。
鋭く、乾いた音が夜気を切り裂き、
耳元をかすめる衝撃と同時に、放たれたブラインドアローが一直線に闇を貫いていく。
矢は正確無比に人狼少女の視界を奪い、爆乳剣士に続き、完全に無力化に成功した。
闇の中、魔術士が狼狽える気配が、手に取るように伝わってきた。
「くそ……どこだ……!」
必死に私の姿を探しているのだろう。
だが――私は『隠密』を発動中である。
視認を前提とするS級スキル『アビスカーズ』など、使えるはずもない。
とはいうものの、追い詰められた獣ほど、醜く、そして危険になるものだ。
魔術士の声が、闇の中でかすかに震えた。
「姿を見せろ、卑怯だぞ! 俺と一対一の勝負をしろ!」
声は必死で震え、喉の奥から擦り切れるように飛び出していたが、その言葉に重みはない。男の頭上、私は約3mの高さから、その愚かで滑稽な姿を静かに見下ろしていた。
壁の上に立つ私から見下ろす視線は、まるで空間そのものを支配しているかのように冷たく鋭い。荒い息遣いが空気を震わせ、虚空を彷徨う瞳は焦燥と恐怖で濁っている。指先は微かに震え、緊張で滲む血管がわずかに浮かんでいた。
世界のすべてが、この戦場という舞台に濃縮されたかのようだ。雑音はすべて削ぎ落とされ、周囲の音はかすかに遠ざかる。鼓動が耳の奥で反響し、心を澄ませるほどに集中が深まっていくのを感じる。
「……S級スキル『アビスカーズ』は、容赦なく破壊させてもらいます」
吐息とともに意識を深層へ沈める。神経の一本一本が、鋼の弦のように張り詰める。
『SKILL VIRUS』を、運命の矢へと極限まで同期させる。神託によって示された最適解のルートに従い、私は『BREAK_ARROW』を装填した。
———女を踏み台にし、幼い存在さえも利用する卑劣な変態ロリコン野郎、その存在を、この手で排除させてもらいます。
私の全ての意思、全ての行動が一点に収束する。全身の神経が矢先に集中し、心は静かに凪いでいく。
弓を引き絞り――その瞬間、世界は音もなく張り詰めた緊張に満たされ、時間が緩やかに伸びる。
―――――――BREAK_SHOOT。
矢はまるで生き物のように、空間の深層を滑り抜けていく。光を切り裂き、空気を振動させ、目に映らぬコードを削りながら魔術士の内奥へ――心核へと吸い込まれる。
背骨を伝う微かな振動。ぶるり、と。手応えが確かに返ってきた。
――貫いた。
『BREAK_SHOOT』が、魔術士の心核を射抜いた証である。同時に、『アビスカーズ』にウイルスが浸透し、闇が内側から音を立てて崩れていく。
ぱき、ぱき、と。砕け散る闇の音が、空間に透明な余韻を残す。やがて、澄んだ光が舞い降り、全てを包み込む。
――アルテミス神から、与えられた神託を終える知らせが降りてきた。
胸の奥に、荘厳な声が響き渡る。信仰心が僅かに上がる感覚が、手に取るように分かった。神の手が頬を撫でたかのような温かさ――この世界において、私ほど神格が高く、神と直結したスキルを扱える者はいないのだろう。
だからこそ、崩壊を始めた『アビスカーズ』を止められる者など存在しない。7日もすれば、そのスキルは跡形もなく消滅する。
「……私を踏み台にしようとしたこと、存分に後悔してほしいものです!」
ハーレムで女の人権を踏みにじるなど、私が許すはずもないだろ!
◆翌日
太陽が天頂へ届く少し前、酒場の扉がぎい、と軋む音を立てて開いた。入ってきたのは、絵画から抜け出したかのように美しい賢者――アメリア。迷いのない足取りで近づき、勇者パーティーへ戻りたいと深く頭を下げる。
断る理由など、どこにもない。
客がまばらな酒場で、勇者と強斥候が同席する中、女性同士で言葉を交わす。アメリアの口から、自然と魔術士への愚痴が零れ落ちた。
「魔術士さんは、パーティーを抜ける一週間前に、奴隷の女の子を買っていたそうです」
「つまり、計画通りに抜けた、と。美人賢者がいながら、その子達に手を出すなんて……本物のクソですね」
「優しい面もある人なんですが……どうやら、なし崩し的に関係を持ったみたいで」
「ハーレムを作るだけでも最低ですが……何より、人狼少女の年齢を考えたら。幼女に手を出すなんて、人間失格です」
「はい。ゾロアさんは、ロリコンの最低野郎です」
真顔で断言するアメリア。それを聞き、勇者と強斥候が妙に嬉しそうに頷くのが、どうにも気に入らなかった。
……これは、反撃の好機なのだろうか。
私はにやりと笑い、告げ口を始めた。
「美人賢者に、報告があります」
「私に、ですか?」
「はい。勇者と強斥候も、魔術士のハーレムに羨望の眼差しを向けていました」
「嘘だ! 言ってない! 絶対に言ってないはずです!」
「そうっす! 言ってないっす! 誤解っす!」
……男という生き物は、総じてうんこなのだろう。
◆数日後
魔術士はついに、S級スキル『アビスカーズ』を完全消滅させられ、正真正銘のD級冒険者へと逆戻りした。あれは自身の力で得たものではなかったのだろう。勘違いして英雄になろうとでもしたのか。
勇者を見下し、美人賢者を実質ゴミ扱いし、私を都合よく踏み台にしようとした――そのツケを払う時が来ただけだ。
「底辺を這いずり回り、誰にも聞こえないところで文句だけ言っていればいい」
それが、あいつに似合うだろう。
猫耳剣士と人狼少女は、これから魔術士を養うらしい。アルテミス神の怒りはすでに解けている。私を巻き込み、女を食い物にしようとした野望はすべて潰したのだから、もうどうでもよかった。
勇者ガリアンのパーティーも同時に抜けたが……何故か、ほとんど引き止められなかった。
「俺たち、ボチボチやっていくわ」
「C級クエストなら、3人でも十分クリアできると思います!」
「そのうち、三華月様に追いつくっす!」
「アルテミス神から大量の加護を受けている私に追いつくだなんて……うんこ達が1億年間修行しても不可能なのでは?」
「ものの例えだよ!」
「あははは!」
「本気で思ってないっすよ!」
彼らの能天気な笑顔を見て、私は肩をすくめた。……まあ、せいぜい頑張るがいい。




