28 虎の威を借りる狐
藍倫の奮戦によって、私の描いていた企みは完全に阻まれた。というものの、結果として亜里亜は救済されたわけで、そこへ異議を挟む気も湧かない。私の緻密な謀略よりも、彼女の徳と情が勝ったのだろう。そう考えると、なんとも皮肉で、むしろ当然の帰結だったのかもしれない。
庭園一面に並び立つ無数の機械兵達は、なおも沈黙の中にあった。黒鉄の外殻は夜の気配を吸い込んだまま冷たく、整然とした隊列のまま影の軍勢のように一糸乱れぬ静止を保っている。逃げ出す素振りが皆無なのは、新たな“マスター”となった鋼色の小型機体を置き去りにできないからだろうか。
その小型機体は、私の足元で無惨な姿をさらして転がっている。片手と両脚を欠損し、残った胴部には深い亀裂が走り、金属光沢はほとんど失われていた。魂を吸われた人形にも似て、微動だにしない。いつ機能が途絶えてもおかしくない……いや、既に途絶えているのかもしれない。
「もう使い道がないのですし、致し方ありません。お返しして差し上げましょう」
私はつま先で軽く蹴り上げた。
壊れた玩具のように鋼色の機体は宙へと浮かび、ゆっくり回転しながら落下軌道へ移っていく。
あらら。この高さから落ちたら、さすがに粉々になるのではないかしら——。
その刹那。
機械兵達の整然とした隊列に、ビリ、と電撃めいた波紋が走った。驚愕の信号が群体意識へ一斉に走り抜けたのだろう。ギギギ……と金属が擦れる音が連鎖し、数百の関節が同時に駆動を開始する。最も至近にいた個体が衝撃音とともに飛び出し、土煙を巻き上げながら地を蹴り、一直線に跳躍——。
ギリギリの距離で、落下していた鋼色の機体をダイビングキャッチした。
……チッ。うまく受け止めてしまいましたか。
というものの、これで“彼らがどれほど執着しているか”は十分理解した。予定通りとは言い難いが、最低限の警告はしておくべきだろう。
私は機械兵達すべてに響くよう、澄んだ声で宣告する。
「あなた達は地上世界の生体系を侵さないという条件で、ここへの受け入れが許されたはずです。その約定を破った今回の件は……今だけは見逃します。ただし次はありません。己が回路の隅々まで刻みつけておきなさい」
私の言葉が夜明けの冷気を震わせた瞬間、庭園に並ぶ膨大な数の赤い光点が一斉に瞬いた。沈黙の中で理解が共有され、波が引くように彼らは庭園から散開していく。その足跡が湿った土を抉り、薄い朝霧を押しのけながら進む光景には、戦場の残り香がまだ消えずに漂っていた。
ふと藍倫の方へ目を向ければ、彼女はなお亜里亜に人として歩む道を説き続けている。そしてその後には、帝都へ戻るための段取りを手際よく整え、使用人5人の安全まで気遣っていた。
——さすが藍倫だ。
あとのことは彼女に任せても問題ないだろう。亜里亜は今後、藍倫を目標に聖女を目指すという。あの子なら、それも可能だろう。私は死霊王に、教会の要となるであろう藍倫の警護を命じておいた。
————
――そんな折のことだった。
藍倫が、旅立ちの挨拶と称して私のもとへ姿を現したのは。
彼女はいつもと変わらぬ朗らかな笑みを浮かべているものの、その足取りや視線の運びには、どこか探るような気配が滲んでいた。柔らかな空気の裏に、わずかな棘を忍ばせた――そんな雰囲気である。
「うちと黒マントが機械兵に捕縛され、三華月様が鋼色の機体を踏み潰して片手を粉砕した時は……正直、見捨てられたのかと思いましたよ」
低く、しかし冗談めかした口調。その言葉の端々には、当時の緊迫した光景がありありと蘇る。
ギシギシと鳴る金属の軋み。拘束具に絡め取られた2人の身。鋼鉄の兵が迫る、あの瞬間。
「あの時のことですか」
私は淡々と返した。感情を挟まず、事実のみを語るように。
「私が藍倫を見捨てるはずないではないですか。それに、同族殺しに繋がるような行為で信仰心を損なう真似を、私がするわけがありません」
探るように細められていた藍倫の瞳が、その言葉を聞いて、ふっと緩む。
緊張が解けたような、あるいは確認が取れた安堵なのか。
今となっては、あの一件も笑い話にできる思い出の1つなのだろう。
とはいうものの、もう少し巧みに立ち回っていれば、信仰心をさらに集めることもできたはずだ。だが終わったことを悔やむ暇など、今の私にはなかった。
そこへ――。
「ひょいっと失礼しますよ」
そんな軽い前置きとともに、黒マントに全身を包んだ死霊王が、まるで隙間風のように会話へ割り込んできた。フードの奥は闇に沈み、表情は読めない。だが、その声音だけは妙に生き生きしている。
「捕まった私達の姿を見た三華月様が、『南無阿弥陀仏』と呟いた時……正直、少々ヤバいかもしれないなと、身震いしました」
……それは、ただの冗談だ。
冗談、のはずだった。
しかし。
私の口の動きを、正確に読まれていたという事実には、わずかな驚きを禁じ得ない。そういえばこの死霊王、スキル『千里眼』の使い手だったか。視覚というより、もはや洞察の領域に近い。
その一言が引き金となった。
藍倫の瞳が、ギラリと鋭い光を宿す。
聖女らしからぬ、獲物を見つけた捕食者の眼差しだ。
「おい黒マント。それはどういうことじゃ? 詳しく説明せぇ」
「はい。藍倫様と私が機械兵に人質に——」
「お前はアホか! そんな事は聞いとらん!」
バシッ、バシッ、と乾いた音が響く。
藍倫の拳が、死霊王の頭蓋を容赦なく叩いていた。
「うちはその言葉の“意味”を聞いとるんじゃ!」
「中途半端で申し訳ありません」
「謝らんでええ! 早う答えろと言うておろうが!」
……藍倫。
あなたが今、遠慮なく叩いているその頭蓋骨は、超S級の骸骨なのですよ。
とはいえ、反撃の気配は一切ない。死霊王はされるがまま、実に素直である。放置しても問題なさそうだ。
やがて、痛覚など存在しないはずの死霊王が、頭をさすりながら――カタカタと骨を鳴らしつつ、妙に真面目な声音で語り出した。
「状況から推察するに……三華月様は藍倫様を見捨てようとされたと、私は推測します」
「おおお、そうか! やはりそうだったのか!」
藍倫が私を見上げた、その顔。
それはもはや聖女のそれではなく、悪代官すら土下座して逃げ出すほどの極悪非道面だった。
彼女は丸みのある体をぐいと押し付け、私の肩に軽く拳を落としてくる。
トン、という軽い衝撃。だが、その内側に込められた圧は、決して軽くない。
笑みを浮かべてはいる。
しかし目だけは違う。獲物を逃がさぬ、肉食獣の光を宿していた。
……嫌な予感しかしない。
逃げたところで無駄だということは、これまでの経験が嫌というほど教えてくれている。
「うちは三華月様に文句など言える立場じゃありませんが……深く傷つきました。うちに誠意を見せて下さい」
――精神的に、一番タチの悪いタイプの肩パンチだった。
「承知しました」
私は静かに頷く。
「それで、どうすればよろしいのですか」
「そうですね」
藍倫は指を顎に当て、わざとらしく思案する仕草を見せた後、にやりと笑った。
「ではここに、三華月様の“加護”を刻んで下さい。うちは現在、帝都第5位の聖女ですが……もっと偉くなって、楽をしたいのです」
その本音の直球ぶりに、思わず感心すら覚える。
「大司教や教祖より上の存在、つまり三華月様の後ろ盾が欲しいのです。虎の威を借りる狐の“狐”になりたいのですよ」
「はぁ……虎の威を借りる狐、ですか?」
思わず聞き返した、その瞬間だった。
ズリズリ、と不気味な音を立て、死霊王が身を乗り出してくる。
フードの奥、見えぬはずの瞳が、確かにギラリと光った。
「三華月様。中途半端な私ですが、『虎の威を借りる狐』の意味をご説明いたしましょう」
……その程度のことわざ、私が知らないわけがない。
とはいうものの。
藍倫は悪代官めいた笑みを浮かべ、死霊王は語りたい欲求を隠しもせず――なんという面倒な聖女と骸骨だろうか。
しかし。
藍倫なら、きっと偉くなってもやっていけるだろう。
いや、むしろ、そういう高みに立たなければ気が済まないタイプなのだ。
とはいうものの、教会上層ほど“楽どころか激務”になるという事実には、まだ気付いていないようだったが……まぁ、それも彼女なら乗り越えるのだろう。
こうして、藍倫の章は静かに幕を閉じた。
去り際に残された、あの騒がしささえ――実に彼女らしい余韻となって、場に漂っていたのだった。




