25 非常識だよな
中央の両開きの玄関扉は、ためらいもなく大きく開放されている。昼のあいだ、地表や石造りの壁にたっぷりと蓄え込まれた熱が、夜の訪れとともにじわじわと解き放たれ、ひんやりとした夜気へ溶け込んでいく。その温度差が、ごく緩やかな風を生み、屋外から屋内へと静かに流れ込んできていた。
吹き抜け構造の玄関ホールは、邸宅と呼ぶにふさわしい荘厳さを湛えている。高く伸びた柱、磨き抜かれた床、そして頭上いっぱいに広がる大窓。そこから差し込むのは、白銀に輝く満月の光だった。重く、しかしどこか神聖な輝きが、ホール全体をゆっくりと満たしていく。
自然と視線が上がり、開け放たれた玄関扉の向こうへと向かう。
そこで、空気が一段階、いや二段階ほど重くなるのを感じた。
そこに立っていたのは、明らかに異質な存在だった。
黒鉄色の巨躯。身の丈は5mを優に超え、重機と怪物を無理やり融合させたかのような、歪で圧倒的なシルエット。装甲は鈍く光り、その一つ一つが暴力そのものを主張しているかのようだ。
その胸部奥深くから、絞り出されるような怒声が放たれてきた。
≪おい聖女! 鋼を踏み付けているその足を、今すぐどけろ!≫
咆哮は、単なる音ではなかった。
空気の膜を歪ませ、夜の静寂を物理的に叩き潰すほどの怒気を孕んでいる。その圧力に耐えきれず、周囲に控えていた同型機たちは、ギギ……と金属音を立てながら一斉に後退していく。
怒りとは、ここまで露骨に力となるものだったのか。
そんな錯覚すら覚えるほどの威圧感だった。
まあ、仕方がない。
今の私の足元には、小型の鋼色の機械兵が転がっている。片腕はすでに運命の弓によって粉砕され、胴体には無数の亀裂が走り、内部機構が覗いている。どう見ても、満身創痍だ。
この小さな機体――“子供”機をここまで破壊した存在が、黒鉄色の逆鱗に触れたのだろう。色合い、構造、そして何よりも、今の反応。どう考えても、この黒鉄色は“母親”なのだと推測できた。
本来の予定では、神託が正式に降りてから、機械兵の掃討を開始するはずだった。
とはいうものの、亜里亜へ仕えていた使用人5名を帝国へ帰還させよ、という神託がすでに下った以上、この場での戦闘は避けられない。守るべき命がここにある以上、決着はここでつけるしかない。
足元の小型機が、ギシ……ギシ……と軋む音を立てながら、無理やり体をよじる。壊れた玩具のようにぎこちない動きで、断続的な電子音を吐き出した。
≪お母さん、助けてぇぇ!!≫
……やはり、親子だったか。
黒鉄色の怒りの理由が、腑に落ちた瞬間だった。
次の瞬間――
黒鉄色の巨体が、ドン、と轟音を立てて地面を蹴った。
————こちらへ突進を開始したのだ!
夜気そのものが押しのけられ、衝撃波のような風が玄関へと押し寄せてくる。5m級の質量を持つ機体が、全力で突進してくれば、この建物など一瞬で瓦礫と化すだろう。
屋内には、帝都へ帰還させねばならない5名の使用人がいる。
この突進だけは、何としてでも止めなければならない。
そのときだった。
藍倫が、死霊王とともに転移してきた位置から駆け寄り、私の聖衣の裾をクイクイと引っ張ってくる。
「三華月様! 黒鉄色が突進してきます! このままじゃ建物が危ないですよ!」
「藍倫、落ち着きなさい。私には策があります」
「本当ですか!? さすが三華月様……鬼可愛くて最強で、最高すぎます!」
必死に持ち上げようとしているのは伝わってくる。
だが、鬼可愛くて最強で最高なのは、紛れもない事実である。藍倫の瞳は期待に輝き、胸の奥から熱気が溢れているのが分かる。私は軽く親指を立て、GOODサインを返した。
それだけで、藍倫は勢いよく片手を天に突き上げる。
まるで自分のテンションが制御不能になったかのようだ。――こういうところは、嫌いじゃない。
藍倫は外にいる黒鉄色を指差し、声を張り上げた。
「三華月様! あの黒鉄色、やっちゃってください!」
「承知しました。私の『未来視』が、子供機械兵を母親機械兵に蹴り飛ばせと告げています」
「えっ、子供機械兵と母親機械兵って……その二機は、親子だったんですか!?」
……今さらそこなのか。
会話を聞いていれば分かるはずだが、まあいい。黒鉄色の突進を止めるためなら、使えるものは何でも使うまでだ。
私は足元の鋼色の幼い機体を、つま先で軽く前へ押し出す。
同時に、床を一歩、強く蹴った。
シュッ――と、体が滑るように前へ出る。鋼色の横へ踏み込み、軸足に全重心を集約。反対の脚を、しなやかさ、速度、そして破壊力。その3要素を寸分違わず両立させた軌道で振り抜いていく。
——――SHOOT。
ドン、という鈍い衝撃。
足の甲に、金属が潰れる確かな手応えが伝わってくる。
鋼色の小型機は、サッカーボールのように美しい放物線を描き、玄関扉の縁をかすめ、月光を裂いて飛翔した。その軌道の先には、全力で突進してくる黒鉄色――“母親”がいる。
そして――激突。
ガガァン、という衝撃音とともに、子供機械兵の両脚が粉砕された。
黒鉄色は我が子を守ろうと、必死に急停止を試みるものの、親子関係ゆえなのか、『絶対回避』は発動しない。未来視で視た通りの展開となった。
我ながら、完璧な作業だ!
背後で、藍倫が目を見開き、言葉を詰まらせながら私を見つめている。
「三華月様……もしかして、親子だって知りながら、親に子供をタックルさせるように蹴り飛ばしたんですか!?」
「はい。親子の絆を利用させてもらいました。思惑どおり黒鉄色は突進をやめ、屋敷は無事です。何か問題でも?」
藍倫は目を伏せ、両手で口元を覆いながら、小さく呟いた。
「人類の敵とはいえ……親に子供を傷つけさせる三華月様って……最低なんだなって思っただけですよ……逆の意味で……すごいです……」
――まただ。
勇者たちにも、かつて同じような目を向けられた覚えがある。
私は信仰心さえ揺るがなければ、必要とあらば非情にもなれる聖女だ。そこに迷いはなく、後悔もない。
外では、黒鉄色の怒号が続いている。夜気さえ震わせ、まるで大地そのものが憤怒を吐き出しているかのようだった。私への憎悪は、すでに限界値をとうに突破している。
もはや、戦闘は避けられない段階に至っていた。
私は静かに、しかし足取りには確固たる意志を込めて、玄関ホールを抜け、外へと向かう。
「藍倫。これより、黒鉄色の機体を処刑します」
私の言葉は淡々としていたが、その内側には一切の迷いがなかった。
「三華月様。本当に『絶対回避』が付与されているアダマンタイトを攻略できるんですか?」
わずかに不安を滲ませた藍倫の問いに、私は視線を逸らさぬまま頷く。
「問題ありません。ここでは少々狭いですね。建物の外へ行きましょう」
「うぃ」
その返事を最後に、扉を開いた瞬間――夜の世界が、私達を飲み込んだ。
天空には満月。雲一つない夜空に、完全な円を描く月が堂々と鎮座している。
その光を浴びた瞬間、私の内側で何かが“噛み合った”感覚があった。まるで能力そのものが神話の天蓋へ指先を伸ばし、月と直接呼応しているかのようだ。
胸の奥は不思議なほど静かだった。
鼓動は穏やかで、視界は異様なほど澄み切り、肌を撫でる夜気の流れすら手に取るように分かる。空気の温度差、風の癖、微細な振動――すべてが情報として流れ込んでくる。
……とはいうものの、油断は禁物だ。
だが、それでもなお、勝てるという確信はすでに深く、揺るぎなく根を張っていた。
玄関を踏み越えた瞬間、ひやりとした夜気が頬を撫でる。
月光に照らされた庭園は、すでに戦場だった。
無数の機械兵たちが影となり、地面を覆い尽くしている。
カチャ……ギ……ギィ……と、金属が擦れ合う微音が、まるで無数の虫が羽を震わせているかのように響き渡る。風に乗って漂うのは、鉄と油の匂い。その重たい臭気が、夜の静寂そのものを戦場の呼気へと変えていた。
その中心。
黒鉄色の巨体が、孤高の影として佇んでいた。
母機――そう呼ぶほかない存在だ。
その腕の中で、壊れ物を抱くように守られているのは、喋ることを失った鋼色の子供機。
微動だにしないその小さな機体を、黒鉄色の母機は不器用な動作で庇い続けている。その姿は、あまりにも“守る者”のそれで――機械であるがゆえに、かえって歪で、不気味な母性を滲ませていた。
隣では藍倫が、妙に真剣な声音で死霊王へ問いかけている。
「黒マント。三華月様は『絶対回避』を攻略できると言うが、お前はどう思う?」
「はい。普通に考えて『絶対回避』の攻略は不可能ではないでしょうか?」
「なんだと。どういうことだ!」
「その名のとおり、絶対ですから!」
……まあ、普通はそう思うのだろう。
私の最優先事項は、最初から決まっている。
亜里亜に仕えていた5人を、無傷のまま帝国へ返すこと。
逃走など、初めから選択肢にすら存在しない。
ギリ……と、金属が軋む音が響く。
黒鉄色の母機がこちらを睨みつけ、次の瞬間、抑えきれぬ怒声を叩きつけてきた。
≪ぶっ殺してやる!≫
「やれやれです」
私はため息交じりに言葉を返す。
「そもそも黒鉄色は藍倫を人質にしていたではありませんか。これは正当防衛であり、自業自得ではありませんか」
その言葉が、確かに刺さった。
黒鉄色の母機は怒号をかき鳴らし、放射状に圧を撒き散らす。
ドン、と大気が震え、空気の層が波打つように歪む。戦場の温度が、一段階跳ね上がった。
神託でも降りてくれれば話は早いものの、こういう時に限って天は黙して語らない。
そんな緊張の只中で、私の背中に隠れていた藍倫が、ぽそりと疑問を漏らした。
「三華月様。先ほどから不思議に思っていたのですが、もしかしてですが、機械兵と会話をしているのですか?」
「もちろんです」
即答すると、藍倫は目を丸くする。
「相手は人ではありませんよ。それなのに会話をしているのですか?」
「あら。藍倫は機械兵達の言葉が分からないのですか?」
藍倫は完全に言葉を失い、ぎこちなく死霊王へ振り向いた。
「黒マント。お前、機械兵の言葉って理解できたりするのか?」
「出来ません。そもそも人が機械兵の言葉を理解出来るはずがありません。三華月様は非常識な存在ですから、何でも有りなのではないでしょうか」
「非常識だよな?」
「はい、非常識です!」
——————そうか。
機械人形達の言葉が、理解出来ないのか。
つまり、はたから見れば。
私は宇宙と交信している鬼可愛い不思議ちゃんに見えている、ということなのだろうか……。
視線を黒鉄色の母機へ戻すと、子供機を揺らさぬよう慎重に、とはいうものの、殺意だけは一切隠さず、一歩、また一歩とこちらへ迫ってくる。至近距離で叩き潰すつもりなのだろう。
『絶対回避』の加護に守られ、こちらの攻撃は決して届かない――そう確信しきった顔つきだ。
藍倫が私の聖衣をつまみ、焦った声を上げる。
「三華月様、黒鉄色がもう目の前です!」
距離、約20m。
十分だ。これ以上、引きつける必要はない。
ここから先は――処刑の時間となる。
私はそっと息を整え、運命の矢をリロードした。
月光の粒子が弓へと吸い込まれ、表面から白銀の燐光が溢れ出す。私が神域に近づくほど、弓は明確に、確かに応えてくれる。
その異様な輝きを見て、藍倫が跳ねるように叫んだ。
「三華月様、それって…METEO_STRIKERSじゃないですか!? 早く、あの伝説の流星砲を落として下さい!」
METEO_STRIKERS。
17話で機械兵100体を流星ごと焼き尽くした『隕石堕とし』。
藍倫から中二病だの喪女だのと散々言われ、黒歴史として封印した技である。
「ああ、METEO_STRIKERSですか……でもあれは、もう封印済みです。藍倫、記憶の奥底に押しやってください」
「えええ!? 何を訳の分からないこと言ってるんですか! さっさと『流星群』をあいつに落として下さいよ! 防御はうちの『セイグリットウォール』にお任せ下さい!」
「私は中二病患者でも喪女でもありませんし……あれを使うのは、少し恥ずかしくて」
「はいはい、分かってますよ! 三華月様は中二病でも喪女でもないですってば! 理屈はいいから、さっさと撃って下さい!」
……うん、無視しよう。
今は、普通の矢で充分だ。
私はゆっくりと弓を構え、黒鉄色の母機へ照準を合わせる。
背筋は自然と伸び、弦はギチ……と悲鳴を上げるほど張り詰める。身体の奥に沈んでいた信仰心が熱へと姿を変え、月の加護と交じり合い、全身を満たしていく。
黄金色に瞳が輝き、『真眼』と『未来視』が重なる。
世界が、ゆっくりになる。
空気の粒が光を帯び、時間そのものが引き延ばされたかのようだった。
勝ちの形が、明確に視界へ浮かぶ。
「それでは――狙い撃たせてもらいます!」
限界まで引き絞った弦を、指先から解き放った。
――――――USUALLY_SHOOT
ヒュォォォッ、と矢は空気を裂き、黒鉄色の母機の脇をすり抜け、夜空へと突き抜けていく。
引き連れた光が、天空のキャンバスを切り裂き、箒星のような長い光跡を刻んだ。
完璧な射撃――
そう、思われた。ものの。
「ギャァァ! な、何をしているんですか! 『絶対回避』の効果で矢が外れているじゃないですか!」
藍倫の絶叫が、凍てつく夜に鋭く響き渡った。




