23 罠に嵌めなければ
片側の壁に等間隔で嵌め込まれた窓ガラスから、白銀の月光が、音もなく、けれど確かな重みを伴って流れ込んでいた。
反対側の壁には、同じ間隔で並べられた扉が、どこまでも、どこまでも続いていた。終わりを拒むかのように、規則正しく、無言で。
自室へと入った亜里亜が、扉を閉じる。
きい……と微かな音を立て、最後に、かちり、と錠が噛み合う。
その一連の動作を見届けた私は、月光を背に受けたまま、ゆっくりと踵を返した。
同時に理解する。
亜里亜が配置していた隠密型の機械兵。その働きによって、私の存在は、すでに屋敷の外に控える機械兵達へと完全に露見している。
屋敷の外には、推定500個体。
無言。無機質。整然。
逃げ場を塞ぐように、包囲網を完成させ、今この瞬間も待ち構えているはず。
とはいうものの、数そのものは致命的な脅威ではない。
問題は、質だ。
真に警戒すべきは、アダマンタイトで武装し、“絶対回避”の特性を備えた、黒鉄色の機械兵。
あの異質な存在――常識という枠を踏み外し、理を拒絶するようなあの個体との戦いこそが、最大の懸念となる。
いずれ戦闘する運命からは逃れられないのだろう。だが、本音を言えば、神託が降りてから臨みたい。とはいうものの、時間は決して私の味方ではない。
じわり、じわりと、胸の底に沈殿する不吉な予感が、そう告げているのだった。
私が機械兵達を地上世界に受け入れる条件として課した約束は、あまりにも明確。
そして、地上の生態系を破壊しないこと。
それを呑み、この地へ迎え入れたはずの機械兵達は――約束を破った。
裏切り。
その事実に対する神託が、降りてくる気配は確かにある。
だが……まだ、足りない。
何かが、決定的に欠けている。
その“何か”が分からないまま、重りのように胸の中心へ沈み込み、思考の流れを鈍らせていた。
玄関へ向かって歩みを進めていくと、靴底が床を踏むたび、こつ、こつ、と乾いた音が廊下に鳴り響く。
月光と魔導灯が交差する薄明の空間。その先に、タキシード姿の紳士と、私と同年代に見えるメイド姿の少女が立っていた。
さらに、その背後には、屋敷の使用人と思しき3名が控えている。
合計5人。
全員が強張った表情のまま、視線を真っ直ぐこちらへ向けている。
焦燥。恐怖。
その眼差しに宿る感情が、痛いほど、肌に突き刺さってくる。
代表するように、年配の侍が一歩、前へ出ててくると、ごくり、と喉を鳴らし、必死に声を絞り出してきた。
「三華月様。もし……これから帝都へお戻りになられるのであれば……私達も、一緒に連れていっていただけないでしょうか……」
声はか細く、震えていた。
とはいうものの、その奥には、どうしても掴み取りたい生への執着が滲んでいる。
彼らは、亜里亜の世話係として、帝都から共にやって来た者達だ。
機械兵側の人間ではない。
屋敷を取り囲む無機質な圧迫感の中で日々、精神を削られ続けてきたのだろう。
この状況で助けを求めるのは、むしろ当然だったのかもしれない。
聖女として、助けを求める者達を見捨てるわけにはいかない。
いや、それ以上に――ここで5人を見捨て、万が一の事態が起これば、それは“見殺し”と見なされかねない。
結果として、私への信仰心が下がる危険性すら孕んでいる。
ただでさえ、隕石落としによって辺境都市の一部を破壊した件で、信仰心は揺らぎつつある。ここでさらに悪手を重ねるわけにはいかない。
しかし、屋敷の外には、機械兵の包囲網がある。
更に追記すると、神託なしの掃討は、できる限り避けたい。
時間だけが、無慈悲に、砂のように零れ落ちていく。
そのたびに、状況は雪崩のように悪化していく予感しかしなかった。
――まずい。
――まずすぎる。
八方塞がりの袋小路へ追い詰められているのではないだろうか。
胸がざわりと波立ち、思考の輪郭が、ぐらりと揺れてくる。
――どうする、私。
最良の選択肢は、ひとつしかない。
機械兵達との全面戦闘を避けつつ、5人の使用人を連れて包囲網を突破する。
そのためには、強力な陽動が不可欠になってくるだろう。
――藍倫には、囮になってもらいましょう。
藍倫が派手に動き、機械兵達の意識を一身に引きつける。
その一瞬の隙を突き、5人を安全なルートから脱出させる。
護衛としてアンデット王を付けておけば、藍倫の命が即座に危機へ晒されることは、まず無いはず。
とはいうものの、藍倫に「囮になって」と率直に頼み、素直に承諾してもらえるとは到底思えない。
むしろ、眉をひそめ、面倒そうにため息をつく姿が目に浮かぶ。
さて……どうしたものか。
私は月光を浴びながら、静かに思案する。
藍倫を“自然な流れ”で動かし、結果として機械兵達の注意を引きつける策を、ひとつ、またひとつと組み立てていく。
その裏で、夜の静寂が、じわり、じわりと濃度を増していく。
まるで嵐の前触れのような、張り詰めた空気を、肌が確かに感じ取っていた。




