22 (閑話)亜里亜の過去について
私の名前は亜里亜。
帝国貴族――葭ヶ谷家に生まれた長女であり、そしてただの“女”である。
貴族に生まれた女というものは、生まれ落ちた瞬間から、運命という名の鋼鉄の檻に閉じ込められる。
誰と婚姻するか、どんな未来を歩むか――そんなもの、当人の意向が入り込む余地など最初から存在しない。
家の繁栄のために結婚し、家のためだけに子を残し、家のために生かされる。
ただそれだけの装置として扱われる。それが、貴族の女の“役割”というものなのだ。
もちろん、私もその例外にはなり得なかった。
15歳の年、家の決定により、私は格下の貴族――ただし商才だけは異様に突出している一族の三男と婚約させられたのだった。
そう、三男である。家の主筋からすれば、まるで価値のない端役――存在しなくても誰も困らない、ただの添え物に過ぎないのだろう。
なぜ私がそこへ押し込まれたのか――そんなこと、聞かされずとも理解していた。
私の容姿が、冴えなかったからだ。
もうひとつどころか、そのさらに下――最底辺と評されるに足る醜さ。そう判断されたからに決まっている。
ある晩、酒に酔った婚約者が、理性の糸を完全に切り捨て、私を前に取り繕いすら忘れ、言葉の刃を振りかざした。
「……お前って、不細工だよな」、と。
その瞬間、胸の奥底で長らく静かに沈んでいた薄暗い感情の層が、ぱきりと音を立ててひび割れた気がした。
――不細工な女に、幸せなどない。
その一言は、心臓に刃を直接押し込まれたかのような鋭さで私を切り裂き、未来の光をすべて奪い去り、目の前の世界を真っ黒に塗り潰してしまったのだった。
私は人づきあいが得意ではない。いや、得意どころか、誰かの視線を受けただけで全身が硬直し、心も体も凍りつくほどに弱い。
何より、自分の姿を誰かに見られることが、どうしても恐ろしくて仕方がなかった。
理屈では「被害妄想だ」と理解しているものの、背後に視線を感じるたび、どうしても――「また悪口を言われているのだろうか」と思わずにはいられない。
綺麗な女が憎い。可愛い女が憎い。
ただ生まれただけで、何もかもを与えられる存在――そんなものが、許されるはずがないのだと信じていた。
そんな折、帝国四大貴族筆頭・三条家の手配により、私は辺境の森奥にある屋敷へと身を移すこととなった。
父からは「一年以内に帝都へ戻れ」と命じられていたものの、そんな気など微塵も起きなかった。
あの視線の渦に、再び身を投じるなど、正気の選択とは到底思えなかったからだ。
こうして、深い静寂に包まれた森での生活が始まり、気づけば三年が過ぎ、
人影の少ない土地で、私はただ静かに――空気のように存在しながら、日々をやり過ごしていた。
――そして、そのある日のことだった。
邸宅内に、傷ついた小さな鋼色の機械兵が、ふらりと迷い込んできたのだ。
夕暮れの薄明かりが庭園を染め、その光を受けて鋼の身体が淡く銀色に輝く。
歩くたびに、金属の関節がぎしりと軋み、裂けた装甲の隙間から火花がちらりと散る。
見た目は子供のようでありながら、存在そのものが危険を孕むことを否応なく伝えていた。
機械兵は記録上、人類に害を与えないとされている。しかし――目の前の個体はどう見ても――“子供”にしか見えない。
怯えた瞳でこちらを見上げ、か細くも必死に足を運ぶその姿は、まるで助けを求めているようで、胸の奥をぎゅっと掴まれるような感覚があった。
ほんの一瞬遅れて、護衛兼執事の武野里が影のような速さで私の前に飛び出してきた。
金属が擦れるような鋭い音を立て、抜刀して私を背に庇う。
「亜里亜様。その機械兵から離れて下さい!」
その声には、冷静さよりも焦燥と緊張が入り混じっていた。
「武野里。この子はまだ子供ではありませんか? 怪我をした子供を……攻撃するつもりなのですか」
思わず口をついて出たその言葉に、私自身が驚いた。
声が震えていたのは恐怖ではない――怒りだった。
何の才能もなく、容姿にも恵まれず、平凡以下とされた私であっても――傷ついた小さな存在を助けたいと願う心まで否定される理由など、どこにあるというのだろうか。
その瞬間だった。
胸の奥に長年溜まり続けていた怒りが、出口を求めて爆ぜる寸前――
身体の中心で、熱がほとばしるように噴き上がり、視界の端が淡くきらめき、世界の輪郭そのものが揺らいだように感じられていく。
私の内に眠っていた力――失われたスキル、『錬金』が、目を覚ました瞬間であった。
何百年も閉ざされていた古びた扉が、軋む音とともに重々しく開くような感覚。
空気の振動さえ手のひらに触れるようで、世界そのものが指先に呼応するような錯覚に襲われたのだった。
理解した――これが、私の切実な願いに応える力。
傷ついた子供の機械兵を救いたい――その願いに、遠い祖の血が静かに、しかし確かに呼応したのだろう。
その日を境に、子供機械兵――ハガネちゃんは私になつき始めた。
怯えも、見下しも、一切なかった。
その自然すぎるほどの態度が、逆に私の胸を締め付け、そして温かく満たしてくれたのだった。
けれど、私は理解していた。
この行為が、人類から見れば“反逆”とみなされかねないことを。
だが――
人に受け入れられず、存在そのものを拒まれてきた私と、人に危害を加えないにも関わらず排除される機械兵。
立場は、結局同じなのではないだろうか。
だから私は決めた――
子供機械兵――ハガネちゃんの願いは全て叶える、と。
アダマンタイトを錬金することも、そのひとつだったのだ。
そして、ある日。
私の前に――三華月様が現れた。
三華月様を知らぬ者など、私の世代には存在しない。
帝都で最も美しく、最も輝く最高位の聖女――その名は、伝説そのものだった。
私が15歳の時、聖女として帝都に凱旋する彼女を遠目に見たことがある。
その圧倒的な美しさは、光景ごと記憶に焼き付き、今なお鮮明に蘇る。
「可愛い」や「綺麗」といった凡庸な言葉では追いつけず、ただ“神々しい”――その語しか、彼女を描ききれない気がしたのだった。
すべてが私とは正反対――その象徴のような存在。
私は、この女が憎かった。
生まれた瞬間から愛を受け、常に光の中心に立ち、容姿ひとつで何もかもを手に入れてきたに違いない女。
努力の影すら必要とされぬほど、ただ生まれながらに恵まれた女――それが三華月様だった。
私は――この女が、嫌いだった。
ずっと、ずっと。
理由はいくつもあるのだろうが、結局は一言に集約される――
――私は、あのようにはなれなかったのだ。




