21 ハガネちゃんと亜里亜
吹き抜けの大窓から、白銀の月光がひそやかに差し込み、玄関ホール全体を静かに満たしていた。
磨き抜かれたガラスを透過した光は、湖面のように澄み切り、底冷えするほど冷たい。白壁に落ちる魔導灯の淡い揺らぎが、長く伸びた廊下の影を深く、彫り込むように描き出している。
光と影の境界はやけに鋭く、静謐そのものなのに、なぜか張りつめた緊張が空気に滲んでいたのだろうか。
広壮なホールの中央には、タキシードに身を包んだ初老の紳士と、メイド服の若い女が膝をつき、深々と頭を垂れている。
森の澄んだ空気が屋敷内部へ忍び込み、夜気は昼間の蒸し暑さをごっそりと削ぎ落としていたものの、その涼しさは奇妙な息苦しさをも伴っている。
空間そのものが、“次に来る何か”を察知して、微かに震えているようにも見えていた。
――コツ、コツ。
静けさの膜を裂くように、玄関扉が控えめな音を立てた。
外にいるのは、機械兵だけのはず。
その一点の事実だけで、軽やかなノック音は逆説的に、重圧となって胸を押し潰してくる。
氷柱のように細く冷たい感覚が、胸腔をひと筋にすり抜けていった。
「……」
武野里と名乗った紳士は、顔色を硬くしながら立ち上がり、喉の奥で何かを押し殺すように震える声を絞り出して、告げたのだった。
「華月様。機械兵達が来ました。屋敷に招き入れます……どうか、お姿をお隠しください」
隣に控える女忍者のメイドからも、肌を刺すような緊張がほのかに滲んでいる。
状況が読めない以上、従う以外の選択肢はないものの、二人の微妙に固められた覚悟が、ただ事ではない空気をさらに濃くしていく。
私は『隠密』と『壁歩』を起動し、吹き抜けの壁を駆け上がり、天井に逆さまに張り付くと、蝙蝠のように体勢を低く保ち、玄関ホール全体を俯瞰した。
床に落ちる光と影がゆらめき、空間全体が息を潜めているかのように静かだ。
その静寂は世界ごと沈黙しているかのようで、不気味なほど純粋であった。
やがて、玄関扉がゆっくりと押し開かれる。
その隙間から現れたのは――ほかの機体とは質感が明らかに異なる、《鋼色》の小型機械兵であった。
庭園中央に鎮座していた、アダマンタイト装甲の五メートル級巨躯――あのレア機体と同系統の“特別製”であることは疑いようがない。
量産型とは明確に異なる、異質な静寂をまとっているものの、さらに厄介なのはその存在感の薄さだった。
鋼色の小型機体は武野里に敵意を示すどころか、認識すらしていないかのように、まるで自分の私邸を歩くかのような自然さで屋敷の奥へ進んでいく。
続いて、二メートル級の機械兵が姿を現した。
その両腕には、優に1㎥はありそうな巨大な《金塊》が抱えられている。
……状況がまったく掴めない。
少なくとも、この屋敷の人間と機械兵達が敵対している様子はない。
むしろ、妙に均衡した“共存”のような空気がそこにあるのだ。
微妙に保たれた距離感が、逆に底知れぬ不気味さを醸し出していた。
金塊の用途も不明だ。
奥には亜里亜の部屋がある――まさか、そこへ運ぶつもりなのかしら?
亜里亜を守るために来たはずなのに、想定していた危機の匂いは意外なほど薄い。
代わりに、胸の奥にぬるりと絡みつく違和感が積もっていく。
説明のつかない“異常さ”が、静かに喉元へ迫ってくる感覚。
武野里と女忍者は、機械兵達を苦々しい表情で見つめていた。
歓迎しているわけではない、かといって抵抗もせず、ただ耐えているように見える。
というものの、抵抗しない理由は、できないからなのかもしれない。
胸に、かすかな矛盾がひっかかる。
(……一体、何が起こっているのだろうか?)
答えを求めるように、天井に張り付いたまま鋼色の小型機体を追うこととした。
『隠密』は完璧に機能しており、センサーに感知される気配は欠片もない。
帝国侵攻を目指す機械兵に――金塊を献上させている?
そんな馬鹿げた収奪構図があるはずもない。
しかし、この屋敷に漂う異様な空気は、単純な支配関係ではない“何か”を示していた。
鋼色の小型機体は迷いなく廊下を進み、とある扉の前で止まり、軽くノックをすると……
――バンッ!
勢いよく扉が開き、飛び出してきたのは、私と同年代に見える少女であった。
三条家から保護依頼を受けた――葭ヶ谷亜里亜である。間違いない。
「ハガネちゃん、待っていたよ!」
明るく澄んだ声。
頬には健康的な血色があり、事前に『真眼』で確認した通り、衰弱の影は一切見えない。
普通なら、機械兵に屋敷を占拠されれば精神も摩耗しているはずなのに。
それなのに、亜里亜は幸せそうに、全身で笑っている。
何かが狂っている――いや、“すべて”が狂っていると言うべきなのだろうか。
亜里亜は鋼色の小型機体を、子猫を抱き上げるように優しく抱きしめ、頬を擦り寄せていく。
共存どころではない。溺愛とも依存とも呼べる、線の細い関係性が透けて見えるのだった。
二メートル級の機械兵が金塊を床へ降ろすと、亜里亜はさらりと日常の続きを語るように言った。
「いつものように、その金塊を『アダマンタイト』へ『錬金』したらいいのね!」
――――――――――アダマンタイトに、錬金……だと!
胸の奥の古い記憶が、湿った風のようにざわりと蠢いた。
幼い頃に聞いた、葭ヶ谷家に“それ”を操れた者の噂。
時代は流れ、忘れ去られたはずの希少スキル――『錬金』。
亜里亜が、まさにその“失われた技”を行使しているというのか。
理屈上は先祖返りであり得るのかもしれないものの、現実に目の前で起きている光景は、常識の枠外にある。
懐から取り出された鋼色の小型機械兵は、ぬいぐるみを下ろすように柔らかく床へ降ろされていく。
金属の関節が小さく軋み、冷たい銀色の影が畳の上を揺れる。
亜里亜は渡された巨大な金塊に、まるで祈りを捧げるかのように両手をかざした。
その仕草は儀式そのもので、指先から放たれる緊張が部屋の空気を切り裂く。
——————『錬金』、発動。
低く鈍い金属の擦れる響きが空間に降り注ぎ、瞬間、金塊が内側から脈打つように光を放った――輪郭が波打ち、形がぐにゃりと、まるで生き物のように変化し始めていく。
1㎥はあろうかという巨大な塊が、見る見るうちに圧縮されていく。質量がぎゅうっと一点に押し込まれ、光が内部へ吸い込まれるように収束し、音の輪郭までもが吸い込まれていく。やがて、掌にすっぽりと収まるほどの大きさに凝縮された塊は、恐ろしいほど整った美を宿していた。
その存在感は――黒鉄色に鈍く輝く、地上には存在しないはずの金属、『アダマンタイト』。
表面は漆黒ではなく、深い黒の層をまとい、光を吸い込む重さを持つ。
その力は唯一つ――『絶対回避』。
致命の一撃さえ、あらゆる攻撃が“当たり得ない”という、完膚なきまでの特性である。もしこれを纏った5m級の機械兵が現れたなら、その戦力は異次元に達するだろう。想像するだけで、背筋に氷の筋が走っていく。
強固な機械兵が、さらなる次元の力を手にする可能性――人類滅亡の確率が一桁上がるといっても過言ではあるまい。もっとも、亜里亜の行動動機は不明である。それでも、この瞬間、彼女の行為は私にとって間違いなく『GOOD_JOB』なのであった。
これで機械兵討伐の『神託』は確実に降りてくるだろう。さらに、地上世界へ“招き入れた”私自身にも旨味が回るはずだ。調子に乗って天空スキル『隕石落とし』を豪快に使い、信仰心が下がる危機に陥ったものの――ここにきて想定外の臨時ボーナスが転がり込んできた。心の中で私は、思わず『ィヤッホー!』と叫びたい衝動に駆られてしまう。
目の前では、手のひらサイズに凝縮されたアダマンタイトを受け取った鋼色の小さな機械兵が、礼儀正しくぴょこんとお辞儀をしていた。仕草は確かに愛らしいものの、その背中の向こうには冷厳な殺意が渦巻いている。彼は2m級の機械兵を従え、来た道をカタカタと金属音を響かせながら戻っていった。亜里亜はその背中に向かって満面の笑みで手を振っている。
しかし、問題はまだ解決していない。『神託』は降りていない。どこか針がずれているというか、必要な一片が欠けている気配――。
亜里亜が機械兵たちに力を貸す理由、その“動機”。それを知らなければ、神託の扉は開かれないのだろう。推測で済ませられるほど単純ではない。最も確実なのは、直接尋ねることに他ならない。
私はスキル『隠密』を解除し、亜里亜の目の前に姿を現すこととした。影がすっと晴れ、空気の層がひとつ手前に引かれるような感覚。亜里亜は驚愕の色を浮かべ、目を大きく見開いた。
「三華月様が何故ここに!」
私のことを知っているようだ。鬼可愛い私は若い男性には不人気だが、若い女性には絶大な支持を得ているらしい。しかし理由を深堀りするのは今は野暮というもの。重要なのは目的を果たすこと。
礼儀として両手を腹前で重ね、背筋を伸ばして丁寧に一礼した。
「突然の訪問を失礼します。聖女の三華月です。三条家より、亜里亜様の保護を依頼され、参りました」
亜里亜は一瞬固まり、慌てて深く頭を下げてきた。ここが潮目だ。機械兵との繋がり、その本質を問う瞬間である。
私は静かに頭を戻し、スキル『真眼』の黄金に輝く瞳を彼女に向けていく。真眼は嘘を暴く。表層の言葉と奥に潜む動機の差異を赤裸々に映し出すが、その光景を受け止める覚悟は私にもある。
「先ほど亜里亜様が鋼色の機械兵へ渡していた金属は『アダマンタイト』。地上に存在しない物質で、その力は『絶対回避』。機械兵たちはそれを以て人類を滅ぼすつもりでしょう。つまり――亜里亜様の行為は“人類と敵対する者を助ける”ことになりますが、その認識はお持ちなのでしょうか?」
亜里亜の表情が、一瞬で恐縮から真顔に変わった。演じていた面が剥がれ落ち、素の表情が現れる。小さく息を吐き、不自然な笑みを作りながら声を張った。
「はい。ご指摘のとおり、私は錬金しました。ハガネちゃんに喜んでもらえました。ハガネちゃん達は、大嫌いな帝国貴族から私を守ってくれています。私も、大好きなハガネちゃんに力を貸しているだけです」
言葉の端々には本音と偽りが混じる。なぜわざわざ嘘を重ねるのか。それは保身か、あるいは誰かへの想いか――判断は難しい。
とりあえず、保護を申し出た側として意思確認を行わなければならないだろう。
「先ほど申しましたが、私は亜里亜様を保護するために参りました」
「私は機械兵達に護られております。三華月様に保護していただく必要はありません」
その返答からは明確な拒絶と敵意がにじむ。聖女である私を快く思っていないのだろうが、今はそれが主要な問題ではない。重要なのは――なぜ神託が降りないのか、である。
手詰まりだ。ならば一旦退き、状況を整理する必要があるということか。
「亜里亜様がここに残ること、承知しました。私は失礼します」
「三華月様。屋敷の外には機械兵達が溢れていますが、ここから無事に出て行けますか?」
「お気遣いありがとうございます。機械兵達はまだ私の存在に気づいておりません。大丈夫だと思います」
「残念ながら、もう機械兵達は三華月様の存在を把握していることでしょう」
その瞬間、私は亜里亜の衣服の下から立ち上る別の気配を察知した――超小型の隠密タイプの機械兵。彼女は自分の服に巧妙に忍ばせていたのだ。先ほど鋼色の小さな機械兵が自室へ来訪したことを把握していた様子からも、何らかの通信で指示を出していたと考えるのが自然である。
亜里亜はこれまでの作り笑いとは異なり、心底からの満面の笑みを浮かべていた。




