02 土下座をしましょう。
太陽が西へ傾き、空の色がじわりと沈んでいく頃だった。
勇者と共に、帝都の外れ――森の奥にぽつりと建つ魔術士の住まうという屋敷へと足を運んでいた。
間口は広く、窓も多い。ざっと数えて20室はくだらないだろう。
まさに大貴族の別邸とでも呼ぶべき壮観さである。
敷地も一宅地とは思えぬ広大さ。隣家まで500メートル以上の距離が空き、まるで領主の私有林といった塩梅なのだ。
帝都の中だというのに、なぜこれほど静まり返っているのか。
草が割れ道に侵食し、虫の声だけが細く響く。風が草を擦り、ひゅうと寂しげな音を残す。
こんな場所で“のどかな田舎暮らし”でも楽しんでいるつもりなのだろうか。
……私がここまで来た目的はただひとつ。
――勇者に土下座をさせるため!
それなのに、留守番を任されていた美人賢者曰く、肝心の魔術士は猫耳剣士を連れてクエスト中で不在とのことらしい。
肩透かしも甚だしい。まさかの空振り、である。
仕方ない、出直してくるか――そう思って踵を返そうとした、その瞬間。
勇者が、美人賢者へとぎこちなく声をかけてしまったのだった。
「なんだか俺達、美人賢者達が抜けてから……どうにも噛み合わなくてさ。それで……その、もう一度、一緒に冒険できないかと思って。パーティ復帰について、前向きに考えて……くれないか」
……おいおい、何をしれっと改竄しているのだろうか。
調子が悪いのは“俺達”ではなく
“ポンコツ勇者ひとり”
だろうが!!
そもそも賢者が抜けた理由は追放された魔術士を追ったから。
戻ってきて欲しいならまず、魔術士へ土下座して謝罪するのが筋ってもんだ。
仁義の字を辞書で引き直して来いと言いたい。
心の中で土下座コールを絶叫している中、美人賢者は予想外の言葉を返してきた。
「私と魔術士にパーティへ戻って来て欲しいってこと?
魔術士が戻ってきたら……きちんと話し合ってからお返事するわ」
……は?
何その、まさかの前向きニュアンス。
即答で勇者を一刀両断し、精神崩壊させてくれるかと思ったのに。
期待外れもいいところだ。
勇者の土下座も拝めず、成果ゼロどころか精神的損害を受けてしまった、そんな気分だった。
勇者がなにか言い足りなさそうに口を開きかけているものの――
私は先に門へ向かって歩き出していた。
しかしそこで。
運命はドアの向こうから歩いてきた。
冒険帰りの魔術士と、真正面から鉢合わせになったのだ。
「三華月じゃないか。それに勇者までいるとはな。……こんな所まで来て、何の用だ!」
魔術士の背後で、噂の猫耳剣士が控えている。
ふわりと動く猫耳。
ゆったりとした服の上からでも目立つ、とんでもない爆乳。
腰には剣。しなやかな太腿。
……これは、JOB名“爆乳剣士”とでも呼ぶべきなのだろうか。
美人賢者もダイナマイトバディ。
つまり魔術士は――
完全なるおっぱい星人
ということだ。なるほど理解した。
勇者までもが、その爆乳の暴力に固まっている。
微乳の鬼ほど可愛い聖女を放置しておいて、この節操のなさは呆れるばかり。
そして――それは唐突に発動した。
スキル『真眼』。
表示されたのは、魔術士が猫耳剣士と“やっている”という事実。
おい魔術士。
美人賢者に加えて爆乳剣士とも……なのか。
よくもまあ、やれやれ、猿の王にでもなるつもりか。
私が爆乳剣士を値踏みするように眺めていると――
魔術士が距離を詰め、睨みつけてきた。
ドクン、と空気が一拍だけ重くなる。
「三華月。俺に何の用がある……!」
何をそんなにいきり立っているのかしら。
少し鑑賞しただけではないか。見られて減るものでもあるまい。
とはいうものの、睨みつけてくる視線にはやけに棘がある。
しかし問題はそこではない。
魔術士が戻ってきたということは――
勇者を土下座させるチャンスが、降臨したということ!!!
私は軽く愛想笑いを浮かべ、口火を切った。
「魔術士さん。最近のご活躍は耳にしています。B級迷宮の攻略、お見事だったとか?」
「お前には関係のない話だ」
魔術士が、こちらを鬱陶しそうに睨みつけてきたため、わざとらしく視線を逸らしたのだが…、何ですかね、その尊大な態度は……。
胸の奥が、じわりと熱くなる。ムカつく。いや、重ねてムカついている。
心の狭い私は、ここに宣言してしまおう。
――怒ったぞ、と。
そして腹いせだ。あの美人賢者の前で、この魔術士が腹黒である事実を、いまここで暴露して差し上げようではないか。
「ゾロアさん。さすがS級スキル『アビスカーズ』の使い手ですね。B級迷宮の攻略なんて、楽勝だったのではありませんか!」
「三華月……なぜ俺が『アビスカーズ』を獲得していると知っているのだ? まさかお前……『鑑定眼』の持ち主だったのか!」
……おっと、簡単に白状しやがるとは…。どうもありがとう。
やはりこの魔術士、最強のデバフスキル『アビスカーズ』をすでに習得していたのか。
背後へ目を向けると、静かに会話を聞いていた美人賢者――だが、その瞳には驚愕などひと欠片も浮かんでいない。冷静そのものだ。
酒場での追放劇の時、彼女が「魔術士は必要不可欠だ」と必死に訴えていた姿が脳裏に蘇る。
なるほど。彼女は知っていたのだ。ゾロアがS級スキルを操る者だと。
とはいうものの、口止めされたのか、表情ひとつ崩さず、ただ観察者を決め込んでいる。
――いい。流れは来ている。
ここで勇者を土下座に追い込み、魔術士の“クソっぷり”を世へと曝す絶好の機会がやってきている!
「先日は……魔術士さんには大変失礼なことをしてしまいました。後ろにいる勇者も深く反省しているようです。ですので、パーティーへ戻ってきてもらえないでしょうか?」
「断る!」
ドヤァ、と顔に書いてある。
そう、それだ。その顔を見たくて、私はここまで来たようなものだ。
多分、魔術士本人も同じ気持ちであろう。勇者が土下座に屈する瞬間を――心の底で、ねっとりと期待しているのだ。
ならばやろう。
勇者よ、土下座を披露する時だ。
「勇者、魔術士に土下座をして下さい。ほら、早く!」
「断る!」
……おい、こら。
勇者が断るなんて何事だ。
美人賢者を取り戻すには、まず魔術士へ謝罪が先。何度も教えたはずだ。
本当に、役に立たぬにもほどがあるのだろうか。
とはいうものの――現実問題として。
爆乳剣士を性奴隷にし、美人賢者まで手中に収めた魔術士からすれば、勇者パーティーへ戻る理由なんてゼロ。
それどころか、優越感すら漂わせているのが腹立たしい。
どう手を打つか。頭を巡らせていた矢先――
「土下座もできないなら、帰れ!」
ビリ、と空気が震えたように感じた。
魔術士の怒声が、屋敷内へ重く響く。
「それはつまり、勇者が土下座をしたら、パーティーへ復帰してもらえる、という事なのでしょうか」
「「断る!」」
勇者と魔術士の声がハモった。
屋敷中に響き渡り、互いの意思が正面衝突する。
私はというと……魔術士が戻っても戻らなくても、どちらでも構わない。
ただひとつ――土下座の瞬間だけを、じっくり堪能したいだけなのだ。
その時だ。
屋敷奥から軽やかな足音が響き――
タッ、タタッ!
「お兄ちゃん……お帰りなさい!」
『人狼の少女』が、弾むように駆け出してきて、魔術士へぎゅっと飛びついたのだった。
――その瞬間であった。
再び、スキル『真眼』が鋭く私の視界を貫いた。
—————魔術士、人狼少女とも““やっている”“のかよ!!
その少女、どう見ても幼い。
そんな関係って……常識的に考えて許されるはずがない。
美人賢者、猫族剣士、人狼少女――3人を従え、何をしているのかしら。
目の前に立つ魔術士ゾロア――その名が示す存在。胃袋の奥を掴まれたような嫌悪がぞわぞわと押し寄せてくる。
もはや気持ち悪いという言葉すら甘すぎる。
いっそ、地面に転がる汚泥にでも例えるべきだろうか。
そんな私の胸に、突き刺さるように落ちてきたのだ。
アルテミス神の『神託』が。
――――――女の敵、魔術士を討ち滅ぼせ。
背筋を、冷たい指がなぞったような感覚が走り抜けてくる。
YES MY GOD。
血液が沸騰するように力が漲ってきた。
この醜悪なる魔術士。
ここで処断させてもらいます。
神託に背く理由は一切ない。
だがその前に――美人賢者アメリアだ。
彼女がゾロアの本性を理解しなければ、救うこともできないだろう。
放っておけば、心も命も濁りに蝕まれる。
森に規則正しく並ぶ屋敷群のひとつ。
その玄関前で、人狼族の少女がゾロアへ抱きつき、嬉しげに尻尾を揺らし、頭を撫でられている。
隣では、豊満な猫耳剣士が、警戒心むき出しに私へ半歩前へ出てきていた。
勇者はというと? 空気のような存在なので一旦置いておこう。無視だ。
アメリアには、これより私の“告発”を正面から聞いてもらう必要がある。
私は息を深く吸い込み、声を放った。
「魔術士――あなたへ、一つ質問があります」
「何だ!」
「賢者、猫族の剣士、人狼族の少女。3人の女性と、同じ屋根の下で暮らしているとか。あなたは……3人と““やっている””ということで間違いないでしょうか?」
ゾロアの表情が、石像のように硬直した。
猫耳剣士の耳が真っ赤に跳ね、アメリアは苦しげに俯く。
勇者だけが空気も読めぬ声で叫んだ。
「マジかよ!」
その響きに、羨望が滲んでいるのがまた反吐が出る。
ゾロアは、自身がどれほど歪んだ関係を築いているのか、欠片も理解していないらしい。
アメリアの眉間に影が落ちていく。
――これが、普通の反応だろう。
私の怒りは燃え盛り、さらに熱を帯びていく。
「魔術士は――どうしようもない変態です」
「三華月! お前に何の関係がある!」
「大ありですとも。あなたは3人を曖昧な立場に置き、特別扱いしている。
そのうち一人は明らかに幼い少女……。
あなたの振る舞い、それ自体が吐き気のする異常性を孕んでいるのです!
美人賢者、この男をどうお思いです?」
アメリアは唇を震わせていて、何も言えなかった。
勇者が気味悪いほど優しい声で「おまえは悪くない」と囁き続けるのが余計に寒気を誘う。
ゾロアが荒く叫んできた。
「俺が何をしようと勝手だろうが!」
――勝手?
笑わせるな。
嫌でも見せつけられたのだ。
あの胸糞悪い馴れ合いを。
このまま放置する道理など、どこにも存在しない。
私は指を突き出し、言い放つ。
「これより――ロリコン変態野郎の処刑を執行します!」
「やめろ三華月! 俺には戦う気など無い!」
戦意が無しですか?
なら話は早い。
抵抗なく沈むなら、手間いらずというものだ。
その瞬間だった。
さきほどまで甘えていた人狼族の少女の瞳が
鋭利な牙のような光を帯び、こちらを睨みつけてきた。
そして――
ゾロアの背後で、猫耳剣士が静かに刀を抜いてくる。
鋼が擦れる音が、森の空気を裂く。
「ゾロア様……お下がり下さい」
その足取りには、迷いなど微塵もない“戦意”が宿っていた。
まさしく、戦うためだけに形づくられたような歩みである。
見上げれば、群青の天蓋。星々が瞬き、氷の欠片みたいな光を散らしているというのに――そこに在るべき月影だけが欠落していた。ぽっかりと穴の空いた夜空。
本日は新月。
地上世界においてこの夜だけは『月の加護』が完全に失われるという絶対法則がある……とはいうものの、私には何の痛手にもならない。
なぜなら――私は人類史上最強なのだから。
仮にS級冒険者が何十人束になろうとも、私が敗北する道理など息をするより難しいであろう。
魔術士の前に立ちはだかる爆乳剣士。その肩幅は堂々と広く、鍛えた脚を深く割り、ぐっと地を噛む。刀身が夜風を滑り、月の無い闇に銀線を描く。
彼女の周囲の空気は圧に押されるように、ぐに、と歪んだ。
その緊張が最大限まで張り詰めた刹那、美人賢者が慌てた気配を伴い、私と爆乳剣士の間に身を滑り込ませてきた。
「三華月様! 私のことは大丈夫です、ですから、どうか戦闘だけは……!」
「大丈夫? 何が、ですか」
私は眉をひそめ、ぴしゃりと言い放つ
「美人賢者はただ都合よく扱われ、やるだけの女にされることが“大丈夫”とでも言うのですか!」
「そ、それは……」
口が滑った――というより、内側に溜まっていた本音が、勝手に表面へ浮かび出たのか。
少々強く言いすぎた気もしなくはないが、今さら言い直したところで状況が変わるわけでもない。
――うむ、すべて魔術士が悪い。
この世のあらゆる面倒事は、あいつのせいにしておけば丸く収まるというもの。
私は堂々と魔術士へ指を突きつけた。
「アルテミス神が告げています。魔術士は『うんこの中のうんこ』だと!」
「よせ。俺には戦う意志はない」
「魔術士は自分がS級スキルの使い手であることを、なぜ勇者や強斥候に隠していたのですか。それは、美人賢者を手に入れるためなのでしょう!」
魔術士は沈黙した。
「その美人賢者を手に入れた後で、やるだけの女扱いする魔術士なんて、ただのうんこ野郎ですよ!」
「……誤解だ」
「美人賢者はそんな扱いをされて幸せだとでも思っているのですか。そんなうんこが私を巻き込み、成り上がるなんて――断じて許すわけにはいきません!」
勇者が気配を隠したまま、小さくぼそりと呟いた。
「結局は私怨かよ」
だから何だというのだろうか。
私の気が晴れるなら、それだけで世は平和となるのだ。
このロリコン変態勇者は、いずれキッチリ“チョッキン”しておかねばなるまい。
――運命の弓を、連射モードで召喚する。
白銀の巨弓が、空間を裂いて出現した。全長は優に3メートルを超え、ただそこに在るだけで周囲の空気が震撼するほどの威圧感を放つ。
魔術士が焦りを滲ませながら、爆乳剣士へ命じる。
「爆乳剣士! あの聖女を――無力化しろ!」
号令が空気を震わせ、バンッと地面が爆ぜた。
砂利が濛々と跳ね上がり、その中心から爆乳剣士が疾風のごとく突進してくる。
押し潰されるような圧。鋼の唸り。一直線、迷いなく私の心臓へ向かってくる刃だった。
――彼女はきっと誤解している。
私のことを、清純で、おとなしくて、可愛いだけの聖女だと。
だが現実は違うのだ。
私は、超武闘系スキルを幾つも修めた――
清純で可愛い《戦闘特化聖女》であった。
軽くいなせば終わる。
そう思った、まさにその瞬間。
未来視が耳をつんざく勢いで警鐘を叩き鳴らしてきた。
斬撃の角度。速度。着弾時間。
膨大な情報が脳を埋め尽くす――が、
(……速すぎ!? いや違う!)
私の身体の反応が――置いていかれている。
いつもの身体速度に、まったく届いていなかったのだ。
ギィンッ!!
私は反射だけで《運命の弓》を盾のように掲げた。
弓と刃が噛み合い、火花が弾け飛ぶ。
衝撃が肩から背骨へ突き抜け、足が地面を削りズズッと後退させられてしまった。
重い。ただただ重い。
全身が、どろりと鉛を流し込まれたかのように鈍い。
――なるほど。これが。
『アビスカーズ』による《ステータスダウン》、の効果だというわけか。
感覚的には能力値の8割がごっそり奪われている……そんな感じ。
『自己再生』を少し過信していたのだろう。
あれは傷や異常状態には絶大でも、基礎能力低下は守ってくれない――
今さらながらに理解をしました。
いまの私は、推定B級相当か。
対する爆乳剣士はC級程度。
能力が落ちても、私のスキル群は健在だ。
状況の把握さえできれば――問題はない。
敗北など、“未来視”のどこにも存在していない。
(まずは……魔術士と爆乳剣士。その間合いを切り離しましょう)
私は砂粒を蹴り上げる勢いで跳躍した。
ヒュッと風を切り、舞い上がる砂塵が私の残像を描く。
空中で身を翻し、着地と同時に重心を沈めた。
案の定、爆乳剣士は獣のように間合いを詰めてくる。
衣擦れの音が鋭い風音となり、地面がミシッと震えた。
臨戦態勢の気配が肌を鋭く刺す。
「待て、爆乳剣士! 深追いするな!」
魔術士の制止は、もう彼女の耳に届いていない。
美人賢者でさえ音速の矢は止められない。
ならば爆乳剣士に、この刹那へ割り込む余地など――ない。
この一瞬、魔術士を守る盾は完全な空白となっている。
————私はスキル『ロックオン』を発動する。
空中に魔法陣が浮かび上がると、魔術士の体へと焼き付いていく。
狙撃線上、邪魔者ゼロ。
弓を構え、静かに息を整えた。
筋繊維が震え、魔力が弓を通って臨界点へ達していく。
――狙い撃たせて、いただきます。
SHOOT。
閃光のごとく矢が放たれた。
音速を置き去りにし、空間を裂く。
残るのは細く白い軌跡のみ。
追える者など――いない。
ただ、一人を除いて。
魔術士に抱きつき、必死に庇う小柄な影。
人狼の少女だ!
「――ッ!」
煌めく爪が、矢と正面から激突した。
カァンッ!と金属を叩く鋭い衝撃音。
運命の矢は弾かれ、宙へと逸れていく。
「お兄ちゃんは、私が守ってあげるよ!」
ただの“ヤるだけの少女”などではなかったのか。
訓練された戦士としての、牙と経験を隠し持っていたのだ。
侮り――禁物、なのだろう。
とはいうものの、焦りは無用。
このまま力任せに突破すれば、それこそ愚策だろう。
(……そうですね。では今日のところは――)
私はゆっくりと弓を下ろす。
引いて差し上げましょう。




