神殺しについて
帝国旗艦ポラリス──
海面からおよそ10mの高さに設えられた広大な甲板。その縁へ一歩、そっと身を乗り出すようにして眼下を覗き込むと、そこには直径50mほどの浮島が広がっていた。
まるでガラクタを力任せに寄せ集め、無理矢理つなぎ合わせたかのような島だ。鉄屑、破材、歪んだ鋼板が層を成し、ところどころの継ぎ目からは、シュウゥ……と不自然な蒸気が漏れ出している。構造物としての合理性は感じられず、粗雑で、不気味で、どこか生理的な嫌悪感すら呼び起こす造形。
とはいうものの、この高さから俯瞰すると、その雑然さが逆に圧迫感のある“塊”となり、異様な迫力を放っているのだから始末に悪い。
空気が重い。湿った雨粒と混ざり合った鉄の匂いが、肺の奥にじっとりとまとわりつく。
その浮島の上には、300人を超える漂流者たちが無造作に倒れ伏していた。
誰一人として動かない。
イムセティが放った殺気に晒され、意識を根こそぎ刈り取られたまま、全員が静止している。倒れ方も、手足の位置も、あまりにも無秩序で、それがかえって“生きていない”という印象を強めていた。
そして、その中心部。
ペンギンが“三流神”と呼んだイムセティ本人が、無様な姿で転がっている。
ポラリスの機関砲が吐き出した弾丸の嵐。その洗礼を正面から浴び、身体中には大小無数の穴が穿たれていた。そこからとろり、とろりと流れ出すのは黒い液体。血なのか、神性の残滓なのか──判別はつかない。
それでも、かすかに上下する胸の動きだけは残っており、完全には死んでいないことを示していた。
足元では、同じように浮島を見下ろしていたペンギンが、ふん、と胸を張り、こちらへドヤ顔を向けてくる。
どうにも自信満々なその表情のまま、この世界の事情を語り始めてきた。
「三華月様。ラグナロク領域は、ご存知の通り“神々が戦った世界”であり、元々は大綿津見神の眷属──クラーケン達が支配していたようです。帝国旗艦ポラリスがこの世界に侵入した際、彼らが襲い掛かってきた理由ですが……彼らの視点から見れば、三華月様は凶悪で野蛮な外来種のような存在だったため、駆逐対象と判断されたものと推測されます」
「いま、妙に聞き捨てならない言葉が聞こえた気がしますけど。可愛らしい容姿をした聖女が“野蛮な外来種”扱い、ですって?」
「三華月様。違いますよ。《《凶悪で》》野蛮な外来種だと言いました」
「……強調しなくていいところを、わざわざ強調しましたね。まぁそれはさておき、大綿津見神って、私たちの信仰と敵対はしていないはずでしょう?」
「はい。最初は三華月様を正しく認識できていなかったのでしょうが、現状では敵視する理由はないものと思われます」
「つまり、鬼可愛い聖女はどこの世界でも受け入れられる……そういう流れですか?」
「違います」
「え、違うのですか?」
「はい。“鬼可愛いから”受け入れられたわけではない、という意味です」
「そこ、かなり重要なところが間違っているのではありませんか?」
「いえ。全く重要ではありませんし、むしろ心の底からどうでもいい話です。わけの分からないことを言うのはこの辺にして頂けませんか。いい加減にしておかないと、カスハラとモラハラで訴えますよ!」
言い終える頃には、ペンギンの額にはっきりと青筋が浮かび上がっていた。
怒りと呆れが混ざり合った、湿り気を帯びた空気が、その場にじわりと広がる。雨の湿度とは別種の、精神的に重たい圧迫感だった。
……そこは後で、じっくり問い質すとして。
問題は、イムセティの処遇である。
たぶん、あの者はまだ死んでいない。
穴だらけの身体。浅く、か細い呼吸。今にも消え入りそうではあるものの──とはいうものの、あの瞳に宿っていた異質な気配は、まだ完全には消えていないように感じられた。
このまま放置すれば、必ず面倒な事態を引き起こす。
そんな予感が、胸の奥で警鐘のように鳴り響く。
雨に混ざる鉄臭さが、まだ戦闘の名残を色濃く残していた。
すると、ペンギンがタイミングを見計らったかのように、口を開いてきた。
「三華月様。三流神イムセティの目的について、説明させて頂きます」
静かな声が、甲板に落ちる雨音の合間を縫って届く。
「たしか、主神ホルスを復活させるとか言っていたと記憶しておりますが…」
「はい。神々の戦いに敗北し、天空神ホルスは現在、この地に封印されていると考えられています」
「復活には天空からの加護が必要……とはいうものの」
私は空を仰いだ。
分厚く、重く、永遠に居座るかのような雲。
光は完全に遮断され、昼夜の区別すら曖昧な、陰鬱な天蓋だ。
「この世界、あの通り分厚い雲だらけ。加護どころか、光すら通らない!」
「その通りです。このラグナロク領域そのものが、天空神の力を封じる構造を有しています」
「だからイムセティは、天空神を“別世界”へ持ち出そうとした。緋色のスキル『フロート』を利用して……そういう推測ですか」
「はい。その認識で相違ありません」
「まったく興味のない話を、丁寧に説明してくださり、ありがとうございます」
一拍。
空気がわずかに固まる。
「……興味がありませんでしたか」
「はい。それこそ無限大にどうでもいいことです」
私は即答した。
「重要なのは、私の信仰心に影響するかどうか。それだけです」
「三華月様らしいお言葉でございます」
「では」
私は視線を下げ、淡々と言い放つ。
「イムセティを処刑しましょう」
「YES_MINE_MASTER」
機械的な応答とともに、再び、海面からおよそ10mの高さにある甲板の縁へと歩み寄ると、手すりへそっと体重を預け、身を乗り出していく。
接岸したばかりの浮島が、薄い雨幕の向こうに広がっている。
雨粒は細かく滲み、景色の輪郭を溶かすように視界を曖昧にしていた。
──にもかかわらず。
その中央で蠢く“異様な存在”だけが、異様なほど鮮明に映ってしまう。
翼をもぎ取られ、全身を蜂の巣のように穿たれたイムセティ。
その姿はもはや神の名残すらなく、ぐにゃり、ぐにゃりと、巨大な芋虫めいた不快な動きで地面を這っていた。
ずる、ずる。
肉と金属が擦れ合うような、湿った音。
その進行方向には、気を失ったまま倒れている緋色の姿。
最後の力を振り絞り、緋色を取り込もうとしているのか。
それとも、意味のない本能的な悪あがきなのか。
いや――とはいうものの。
あれほど損壊した三流神に、そんな力が残っているとは考えにくい。
だが、“分からない”という状況そのものが、どうしようもなく気味が悪い。
背筋の奥で、ざわり、と嫌な波が立っていく。
私は足元にいたペンギンをひょいと抱え上げ、胸元の高さまで持ち上げる。
「ペンギンさん。イムセティが……まだ良からぬことを企んでいるようです」
「三華月様。この様子を見る限り、あの三流神は出来るだけ早急に処分すべきだと愚直します」
「やはりそう見えましたか、ペンギンさん。それでは、よろしくお願いします」
「……え」
ペンギンの目が瞬いた。
「よろしくお願いします、とは。どういう意味なのですか?」
「サクッと、あいつを処刑してください」
「三華月様は……この私めに、あの三流神を処分しろと、仰っているのでしょうか」
「はい。よろしくお願いします」
その瞬間。
ペンギンの顔が、ぴしり、と固まっていく。
羽は小刻みに震え、露骨な動揺が伝わってくる。
処分すべきだと進言したのは本人なのに、なぜここまで嫌がるのかしら。
私の腕からぴょこんと降りたペンギンは、くるりと振り返り、つり上がった目で私を見上げてきた。
「申し訳ありませんが、あの三流神のトドメは……三華月様の手でお願いします」
「どういうことですか? トドメを刺したくない事情でもあるのでしょうか?」
「もしもの話ですがね」
ペンギンは一拍置き、声を潜めていく。
「将来、天空神ホルスが復活してしまったとしたら……
『イムセティを殺した者を見つけ出し、我が眷属と同じ苦痛を味あわせてやる!』などと、言い出すかもしれないではありませんか」
「つまり、仕返しが怖いと」
「その時、四天王である私を、三華月様は助けてくださるのでしょうか。そもそも、嫌な仕事を配下へ押し付ける行為……パワハラに該当するのではありませんか」
……ペンギンは私を“マインマスター”と呼んでいるものの、その忠誠心は薄氷のように頼りない。
とはいえ、私自身も本音を言えば、神殺しなどしたくはないのだ。
とはいうものの――
緋色へ這い寄ろうとするイムセティを、放置するわけにもいかない。
まずは、動けないよう縫い止めておくべきだろう。
私は手すりの下段へ片足を掛け、雨を切るように身を沈めながら、運命の弓を構えた。
小雨が風に流され、弦へ細かく当たって、ぱちぱち、と弾けていく。
矢をリロード。
肩越しに、イムセティをじっと見据える。
スキル『ロックオン』――発動。
弦を引くほどに、弓がかすかに震え、蓄積されたエネルギーが臨界点で唸りを上げていく。
雨音がわずかに遠のき、周囲の空気が張り詰めた。
呼吸を整え、意識を一点へ。
それでは――
狙い撃たせてもらいます。
――――――――――SHOOT。
放たれた運命の矢は、空気を切り裂く甲高い音を伴って飛翔した。
雨粒を弾き飛ばしながら高速回転し、白い水しぶきの軌跡を引いて一直線に走っていく。
そして。
イムセティの変形しきった胴体へ――ずぶり、と深々突き刺さり、床へと縫い止めた。
まさに、“張り付け”。
イムセティは、ぐぐ、と身をよじるものの、もはや微動だにできない。
その光景に、ペンギンは羽を口元へ当て、小刻みに震えていた。
「生かさず殺さず……ですか。それにしても、これほど酷いことを平然と……さすがは三華月様です」
生かさず殺さず、とは。
もう少し穏当な言い方はないのかしら。
私だって神殺しになる気はない。
とはいえ、緋色を取り込まれるわけにもいかず、その妥協点がこれだっただけだ。
ふと、太ももをペシペシと叩かれる感触。
「三華月様。あのままでは、復活して我々に何かしてくる可能性があります。ここは外海の底へ沈め、クラーケン達に処分してもらいましょう」
なるほど。
神殺しをクラーケンに“代行”させる、というわけか。
とはいうものの、そちらの方がよほど残虐な気もするが……最終的には合理的、なのだろう。
雨脚はさらに強まり、空気全体が冷たく引き締まっている。
私はペンギンを抱えたまま、甲板から約10m下の浮島へ飛び降りた。
風と雨を裂き、膝を柔らかく曲げて衝撃を吸収。
片手で地を押さえ、静かに着地した。
イムセティから放たれていた殺気は、すでに完全に途絶えていた。
そろそろ漂流者たちも、意識を取り戻す頃合いだろう。
イムセティへ歩み寄る、その途中で――
ふらり。
緋色が立ち上がってきた。
こちらへ……いや、イムセティの方へ、吸い寄せられるように歩いていく。
三流神に、緋色を取り込む力が残っているとは思えない。
それでも、胸の奥のざわつきが消えない。
緋色はイムセティの前に立ち、床へ張り付けられた残骸を見下ろし、かすかに低い声で言った。
「俺と、取引がしたいのか?」
その声音を聞いた瞬間。
私は反射的に弓を構え、矢を装填し、引き絞っていた。
まともな取引であるはずがない。
本能が叫ぶ――今、絶滅させるべきだ、と。
――――――SHOOT。
矢は迷いなく、イムセティの脳天へ突き刺さった。
緋色が触れるより早く、確実に仕留めた……はずだった。
だが。
――もう、遅かったのだろうか。
緋色の雰囲気が、まるで別人のように変わっていく。
失われていた覇気が戻り、内側から溢れる力を抑えきれないかのような表情。
そして。
空へ向かい、全身から噴き上がるような勢いで吠えた。
「うぉぉぉぉぉぉぉ!」
その咆哮に、雨粒が押し返され、空気そのものが震えたように感じられた。




