第十八章 画面の下
頑張ります。
「レイン、私が食い止める。お前は先に逃げろ」
「一人で行かせるわけないだろ!」
ズィルガードが振り返りざまに、追いすがってきた黒外套の男の一人を蹴り飛ばした。人化しているとはいえ、竜としての膂力は伊達ではない。
「厄介な連中だ。動きに無駄がない」
「訓練された集団ってことか」
「ああ。ただの人間ではなさそうだ。魔力の質からして、何らかの強化を施されている」
俺は剣を抜き、魔力を纏わせながら、迫りくる敵に対峙した。相手の数は五人。決して楽な状況ではない。
「はあっ!」
一人の斬撃を受け止め、力任せに押し返す。ズィルガードも人化を解かず、素手のまま器用に敵をあしらっていた。
「――ほう。噂の第九王子か」
その時、倉庫の入り口から、新たな人影が姿を現した。他の者たちより一回り豪奢な外套を纏い、その声には、他の者たちとは違う、独特の余裕が滲んでいた。
「あなたが、この組織の……」
「名乗るつもりはない。だが、お前の顔は、しかと見せてもらった」
男はフードの奥から、静かにこちらを見つめていた。表情までは窺えないが、その視線には、確かな知性と、底知れない冷たさが宿っているのが感じられた。
「二百年前の『黒衣の同盟』の生き残り……いや、その後継者、というところか」
俺の言葉に、男は僅かに肩を揺らした。
「よく調べているな、王女殿たちの手腕か。……なるほど、侮れんな」
「あんたたちの目的は何だ。何のために、こんな回りくどいことを」
「回りくどい、か。二百年かけて積み上げてきた計画に、そのような形容は失礼だな」
男は静かに、けれど威圧感を伴う声で続けた。
「我らの目的は単純だ。人と魔族、双方が持つ力の均衡を、根底から覆すこと。そのために、然るべき駒と、然るべき混乱が必要なだけのこと」
「そのために、無関係な村を犠牲にしたのか。ノエルの故郷を……!」
俺は思わず声を荒げた。男は僅かに首を傾げる。
「小さな村の一つや二つ、大きな計画の前では些末なことだ。……お前には、まだ理解できまい」
その冷徹な物言いに、俺の中で怒りが燃え上がった。
「理解なんて、してたまるか」
剣を構え直す俺の前に、ズィルガードが手を伸ばして制した。
「レイン、抑えろ。今の状況で、この男を追い詰めるのは危険だ」
「だが……!」
「今夜の目的は、証拠を掴むことだった。それは達成した。ここで無理に決着をつけようとすれば、逆にこちらが不利になる」
ズィルガードの冷静な言葉に、俺は歯を食いしばりながらも、剣を下ろした。感情に任せて突っ走れば、大切なものを見誤る――先日、ズィルガード自身が言っていた言葉が、今になって重くのしかかってくる。
「賢明な判断だ、竜よ」
男は静かに嘲るように言うと、フードの下からわずかに笑ったような気配を見せた。
「今日のところは、退くとしよう。だが、覚えておくがいい――第九王子よ。お前がこれ以上深入りするというのなら、次の機会に容赦はしない」
「……名前くらい、教えてくれてもいいだろう」
「名乗るほどの者ではない。強いて言うなら――」
男は一瞬、言葉を切った。
「『影の宰相』とでも呼んでもらおうか」
その言葉を最後に、男と黒外套の一団は、まるで闇に溶けるように姿を消していった。後には、静まり返った廃倉庫街と、動揺したまま立ち尽くすガストンだけが残されていた。
「ガストン殿」
俺は静かに、震える彼に近づいた。
「殿下……ご覧になっていたのですね」
「ああ。あんたが、あいつらに脅されて協力させられていたことも」
「言い訳のしようもございません。私は、ヴィレム殿下を裏切り――ひいては、王国を裏切りました」
ガストンは膝から崩れ落ち、深く頭を垂れた。
「私は、どうなっても構いません。ですが、ヴィレム殿下だけは、どうか……」
「ヴィレム兄上は、あんたが庇わなくても無関係だと分かってる。俺はそれを確認しに来ただけだ」
「殿下……」
「あんたがどんな罰を受けることになるかは、俺が決めることじゃない。でも、これ以上のことを話してくれるなら、少しは情状の余地があるはずだ」
ガストンはしばらく黙り込んだ後、静かに頷いた。
「……分かりました。知っていることは、すべてお話しします」
こうして、夜の廃倉庫街での対峙は、一つの決定的な証拠と、そして「影の宰相」と名乗る謎の敵の存在を、俺の中に刻みつけて幕を閉じた。
王都へ戻る道すがら、ズィルガードが静かに口を開いた。
「思ったよりも、大きな敵と対峙することになったな」
「ああ……。でも、これでヴィレム兄上の潔白は証明できる。それに、ガストンの証言があれば、組織の一端に近づく手がかりも得られるはずだ」
「うむ。だが、覚えておけ。あの『影の宰相』と名乗った男――あれは、ただの小物ではない。もっと大きな存在の一端に過ぎない可能性がある」
夜空に浮かぶ月を見上げながら、俺は静かに拳を握りしめた。
のんびりとしたスローライフを夢見ていたはずの俺の人生は、いつしか、この国の運命を左右しかねない、大きな戦いの渦中へと巻き込まれ始めていた。
それでも――と、俺は思う。
アリシア、ズィルガード、ノエル、そしてフィオナ姉上やレティシア姉上のような、支えてくれる存在がいる限り、この戦いから逃げるつもりはなかった。
よろしくお願いします




