臨済寺の少年──場面の再現
天文年間の末、駿府の臨済寺。
夕暮れの学問所に、一人の少年が座っている。歳は十ばかり。三河の生まれで、名を竹千代という。
六歳で人質に出され、護送の途中で敵方に売られ、二年を尾張で過ごし、人質交換でこの駿府へ来た。物心ついてから、自分の運命を自分で決めたことが一度もない少年である。
その前に、一人の老僧が座る。
この寺の住持にして、今川家の軍師、外交の総責任者、そして駿河・遠江・三河にまたがる大国の事実上の宰相──太原崇孚雪斎。
少年は知らない。目の前の僧衣の老人が、桶狭間の八年前に死ぬことも、自分がやがて江戸に幕府を開くことも。
老僧もまた知らない。だが、聡い人質の少年に何を教えるべきかは、知っていたはずである。書を読むこと。人を観ること。そして、力なき身がいかにして生き延びるか。
この師弟関係の細部は、史料では確かめきれない。竹千代が臨済寺で養育されたこと、雪斎がその寺の中心にいたことまでが、確実に言える範囲である。
だが、後年の徳川家康が見せる外交感覚──同盟の管理、和睦の呼吸、寺社の統制、待つ力──の基層に、今川で過ごした十二年の観察があったことを疑う者は少なかろう。
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戦国最高の外交僧の遺産は、皮肉にも、仕えた今川家ではなく、預かった人質の中に生き残った。本章は、この老僧の仕事を検分する。




