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戦国時代と調略の歴史 ~天才秀吉の無双~  作者: 泰 然
第十一章 上杉謙信──調略を拒む者
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謙信は本当に調略をしなかったのか

 史実を精査すれば、上杉陣営も当然、調略を行っている。


 関東出兵のたびに北条方国人の帰属工作を行い、川中島の前哨戦では北信濃国人の切り崩し合戦を武田と演じ、晩年の越中・能登経略では畠山家中の親上杉派と結んで七尾城(ななおじょう)内の政変を誘発している(七尾城は疫病と内応で落ちた)。


「調略をしない大名」は戦国に存在しないのだ。


 正確に言うべきはこうだ。謙信は、調略の使用域を限定した。婚姻政略をほぼ用いず(生涯不犯とされ、実子を持たなかった)、主家簒奪の類を行わず、誓紙の反故を──少なくとも表立っては──しなかった。そして自身の旗印に反する謀略は、勝てる局面でも自制した形跡がある。


 この「制限付き調略」は、軍事的には非効率を生んだ。


 関東に十数回出兵しながら、雪解けの帰国のたびに北条方の再調略で国人が離反し、版図は定着しなかった。小田原城を包囲しながら力攻めも長期包囲もできず撤退したのは、遠征軍の構造的限界と同時に、北条の民心支配(第五章)を崩す調略の不在でもあった。


 十万で囲んだ城を落とせず、帰れば味方が半分敵に戻っている──謙信の関東経営は、賽の河原の石積みに似た消耗戦であった。


 だが謙信の「義」は、獲得の道具としては鈍かった代わりに、保全の道具としては最強だった。謙信の生涯、越後の家中は、外部勢力の調略で決定的に割られたことがない(死後の御館の乱は相続戦争であり、別の問題である)。


 裏切らない主君は、裏切られにくい──この相関は、戦国の実例が繰り返し示すところである。


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