鶴岡八幡宮の儀式
永禄四年(一五六一)閏三月、鎌倉鶴岡八幡宮。
社殿の前に、一人の越後の武将が進み出た。長尾景虎、三十二歳。関東の武士たちが見守る中、景虎は山内上杉憲政から上杉の名跡と関東管領職を譲り受けた。
以後、上杉政虎、のちに輝虎、入道して謙信と名乗る男である。
この儀式の意味を考えてみたい。関東管領とは、室町幕府が置いた関東統治の要職である。だがこの時点で、幕府の関東統治など、とうの昔に実体を失っている。憲政自身、北条氏に領国を追われ、越後に亡命して景虎の庇護を受けていた身だ。つまり景虎が受け取ったのは、軍勢も領地も伴わない、権威の抜け殻である。実力の時代に、抜け殻に何の価値があるのか──。
いや、あった。大ありだった。
この儀式の前後、景虎の関東出兵には、関東の反北条勢力が雪崩を打って参集し、その軍は十万と号する空前の規模に膨れ上がって小田原城を囲んだのである。
武力で集めたのではない。「上杉の名跡と管領の職をもって、関東の秩序を回復する」という物語が、それだけの兵を集めた。第三章で見た「権威の換金」の、東国における最大の実演である。
ただし、この物語には維持費がかかった。
景虎=謙信は以後、生涯にわたって「秩序の回復者」「頼まれて戦う者」の役を演じ続けなければならなくなる。本章の主題は、この役を演じ切った男の損益計算書である。




