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使者と取次──調略の実務家たち
道具を運ぶのは人である。
戦国の調略には、専門の実務家の層が存在した。
第一に、外交僧。禅僧は漢文の教養と寺院ネットワークを持ち、諸国を移動しても怪しまれない。今川家の太原雪斎、毛利家の安国寺恵瓊、家康の金地院崇伝と、外交僧の系譜は戦国政治の背骨をなす。
第二に、連歌師・茶人・商人。宗祇や里村紹巴のような連歌師は大名の座敷に招かれて諸国の情報を運び、堺の茶人と商人は経済と外交の結節点にいた。
第三に、「取次」である。大名間の交渉は、両家の間を取り持つ特定の家臣──取次──を通すのが作法で、取次は相手方の内情に通じた窓口であると同時に、調略の入口にもなった。近年の研究(丸島和洋先生らの戦国外交論)は、この取次の制度こそ戦国「外交」の背骨だったことを明らかにしている。
取次は相手国への保証人であり、交渉の記憶装置であり、そして敵から見れば、抱き込めば交渉経路そのものを操作できる急所だった。関ヶ原前夜、家康が諸大名との取次網を通じて張り巡らせた工作は、取次制度の戦略的価値を示す最大の実例である。
そして忍び──甲賀・伊賀の者たち──がこの実務家層の最下層にして最前線を担ったが、その実像は伝説と大きく異なる。彼らについては別の章で話したい。




