美濃戦 小括──「下からの調略」の完成
美濃戦役期の秀吉に見出せるものを整理する。
第一に、身分外の集団(川並衆)の丸ごと動員という、既存武士団にない裾野。
第二に、築城・兵站の実務を通じた、人を組織する技術の錬成。
第三に、美濃人脈の受け皿となることによる、参謀(半兵衛)と将来の軍団の獲得。
信長の調略が「上からの」権威と恩賞で駆動したのに対し、秀吉のそれは、社会の底流を流れる人と物と情報の水路を握る「下からの調略」だった。
そしてこの男は、江北三年(浅井戦線)で敵家臣団の解体を学び、長浜で一国一城の経営を学んだ後、織田政権最大の難事業に投じられる。
中国攻め──毛利元就が築いた調略の名門帝国との、知恵比べである。
墨俣一夜城の話を一気に有名にした史料があります。『武功夜話』です。
これ、尾張の前野家に代々伝わっていた覚書だとされるのですが、その登場の仕方からして、すでにドラマ的なんですよね。昭和三十四年の伊勢湾台風で土蔵の壁が壊れ、「なんだこれは」と中を調べたら、戦国時代の秘録が出てきた──というお話です。
しかも中身がまた面白い。川並衆の動きから墨俣築城の工程、若き秀吉の活躍まで、まるで現場を見てきたように生き生きと書かれている。そりゃあ小説家もドラマ制作者も飛びつきます。墨俣一夜城伝説にとっては、これ以上ない援軍でした。
ところが、歴史研究の世界はそう簡単にいかないのは前述のとおりです。研究者の先生方が文章を細かく調べていくと、「この時代に、その地名はまだないでしょ」とか、「戦国時代の人がそんな言い回しをするの?」といった問題が次々に出てきました。さらには明治以降と思われる表現まで混じってたりして、こうなると、もはや「秀吉の時代からそのまま伝わった記録です」とは言えなくなります。
とおいうわけで、現在では、江戸後期から近代にかけて編纂や加筆が行われた可能性が高いと見られてしまい、戦国時代の一次史料として積極的に使う研究者はほとんどいません。
そこで本書では、墨俣一夜城そのものはあくまで「伝説」として扱い、その背景にあった川並衆という水運・土木・軍事に通じた人々の存在を拾い上げることにしました。お城が本当に一晩で建ったかどうかより、「なぜそんな話が生まれたのか」のほうが、歴史としては面白かったりしますからね。
それにしても、台風で壊れた蔵から突然現れた秘録が、天下人・秀吉の英雄伝説を見事に裏づけるなんて、ちょっと出来すぎ(笑)。
けれど、そこがまた歴史の厄介で面白いところです。人は魅力的な物語を見ると、それを裏づける証拠まで信じたくなります。やがて伝説が証拠を呼び、証拠がまた伝説を強くしていく。史料批判というのは、要するにこの強烈な「物語の引力」に負けず、「いや、ちょっと待て」と言い続けるお仕事なんでしょうね。
- 『信長公記』──美濃戦役における洲俣周辺の攻防
- 『絵本太閤記』ほか太閤記系伝記──墨俣一夜城譚の流布元(江戸期読本)
- 『武功夜話』──真贋論争を含む史料(本文コラム参照。一次史料としては扱わない)
- 藤本正行・勝村公ほか『武功夜話』批判の諸研究
- 谷口克広『秀吉戦記』ほか──美濃戦役期の秀吉の職掌の実証的整理
- 徳島県立博物館ほか蜂須賀家関係資料──川並衆から阿波大名への軌跡




