川を流れてきた城
永禄年間のある夜、木曽川。
美濃側の見張りが目にしたのは、川面を埋めて流れ下ってくる、おびただしい木材の群れだった。筏に組まれた柱、桁、板、逆茂木。上流の尾張側で伐り出され、組まれ、流されてきた資材の川である。
洲俣(墨俣)の中洲では、待ち構えた数千の人足が資材を引き上げ、夜を徹して組み上げていく。
柵が立つ。
櫓が上がる。
夜が明けるたび、昨日はなかったものが、そこにある。慌てふためいた斎藤方が兵を出して妨害する。撃退される。しかしまた一夜、砦は育つ。そして幾日目かの朝、ついに、美濃勢の眼前に、堀と柵と櫓を備えた一個の城砦が、完成した姿で立っていた──。
墨俣一夜城。指揮したのは織田家の新参、木下藤吉郎。
動かしたのは、木曽川筋の水運土豪・蜂須賀小六正勝ら「川並衆」──。この物語が江戸期の伝記類に初出し、『信長公記』には見えないこと、史実性が低いとされることは、第十六章で述べた。
だが本章の主題は、調略であり、伝説の芯にある実質である。すなわち、秀吉の出世の二本柱──「調略と築城」──が、この美濃戦役で初めて交差したという実質なのだ。
調略とは、敵方の人間を動かすこと。
築城とは、味方の人足と資材を動かすこと。
どちらも本質は、組織化と兵站とインセンティブ設計である。夜のうちに数千の人足を集め、資材を段取りし、飯と銭を切らさず、工期で競わせる才覚は、そのまま、敵の国人の欲するものを見抜き、条件を刻み、決断を急がせる才覚に通じる。
墨俣伝説は、この二本柱の交差を「一夜で建つ城」という視覚的奇跡に翻訳した記憶なののである。




