捻くれ者たちのハッピーエンド
「カガミソウ……カガミソウノオトシゴ……オトシゴ……落とし子……」
私は自分で発した言葉、違和感があった部分を口の中で反芻する。
仮に、あの遠くの山に群生しているのが、本物の『カガミソウ』だとしよう。
そしてさらに、錬金術の教科書に書いてあった『カガミソウノオトシゴ』はこのキナノ山の山頂にあるというのも、間違いではないと仮定しよう。
そうすると、そこから導き出される答えは、どうなる?
確か、教科書に書いてあった文言は──
「『カガミソウの移身育てしもの、もってこれをオトシゴす』……だったっけ」
確かそんな感じだった。
だとしたら──
えっと、『カガミソウの移身』っていうのは何だ……?
いや、それはだいたい分かる。
この私の目の前にある、カガミソウが映し出した、幻の花のことだろう。
じゃあそれの『育てしもの』って……?
「ひょっとして──」
私は一つの可能性にたどり着く。
確信はない。
でも、ほかに思い当たるものもない。
消去法で考えるなら、これしかない。
私はさらにニ、三分ほどを使って、ほかの可能性も考えた。
でも、それよりマシな考えは、思いつかなかった。
賭けになるけど、しょうがない。
私はそれを持てる限り採取して、崖の下のウィルのところまで戻った。
そして服を着て、霊薬の効果が切れるのを待ってから、ウィルの前に出ていった。
「お、リッカ、おかえり。……どうだった?」
「多分大丈夫、としか言えないわね……。これで帰って調合してみるしかないわ」
「リッカにしては控えめな言い方だな。胸の大きさと比べて態度が大きいのが、リッカの持ち味なのに」
「ほほぉう……あんたが私のことをどう見ていたのか、今よーく分かったわ」
……まあ、確かに?
四つ年下のファムちゃんと比べても、私の胸のサイズはほんのり爽やかサイズかもしれないよ?
でもあれはファムちゃんが歳のわりに立派すぎるだけで、私のはそこそこ標準だと主張したい。
あるいはサリィも混ぜて村の美少女トップスリーで比較しても私は最小かもしれないけど、それは比較対象が悪いだけだそうに違いない。
「ま、分かった。それじゃとりあえず帰ろうぜ。ファムが待ってる」
「うん。それに異存はないけど、その前に訂正と謝罪をしてくれてもいいのよ」
「……ん? 何を?」
「うん、分かった、もういい」
こいつにはどうやら、根っこからの調教が必要なようだ。
私は今後の計画を練りつつ、幼馴染と一緒に、いそいそと山を下った。
***
村に帰り着く頃には、もう夕方近い時間になっていた。
赤らみ始めた空の下でウィルと別れると、私は工房に直行する。
そして、そこでさっそく、緑化病の治療薬の調合に取り掛かった。
まずは、およそあらゆる調合のベースとなる錬魔水を調合用の窯に注ぎ、火にかける。
そこにペースト状にしたアカイロオオトカゲの舌と、砕いた赤銅鉱石を適量投入。
それが沸騰するのを待ってから、かき混ぜ棒を使って、ぐつぐつと煮込んでゆく。
そして、数時間を煮込んで、その液体が半分ぐらいの量になってとろみが出てきたところで、私はキナノ山の山頂で採取してきた、赤色の土を適量投入した。
この土は、カガミソウと思しきものが作り出した幻像の、その下にあった土だ。
周囲の土と露骨に色が違ったし、手で掘り起こしてみたら異様に柔らかく、ちょっとほかに例のないぐらいのきめ細やかさと粘性を兼ね備えていた。
正直これ以外に、『カガミソウノオトシゴ』の正体として、思い当たるものはなかった。
となれば、あとは野となれ山となれ。
これでダメならまた別の手段を考えるしかないが、はっきり言ってそんなものは思い浮かばない。
私は祈りを込めながら、かき混ぜ棒を使って窯の中身を混ぜてゆく。
途中、ウィルが届けてくれた夕食をつまみつつ、調合を続ける。
窯からは、まったく目が離せないわけじゃないけど、重要な変化のタイミングを見逃すと中身が全部台無しになってしまうから、そうそう気は抜けない。
「どうだ、リッカ。……うまくいきそうか?」
ウィルが窯の中を覗き込みながら、かき混ぜ棒で混ぜる私に聞いてくる。
「そう祈るしかないでしょ。これの調合には半日かかるわ。作り始めたのが夕方だから、出来上がるのは明日の明け方近くになるわよ」
「そんなにかかるのか……。じゃあ、リッカはそれまで寝れないってことか?」
「そうよ。普通、調合は朝方からやるの。夕方から始めたら、当然こうなるわ」
「何か俺に手伝えることないか? 混ぜるの代わるとか」
「無理、いらない、邪魔。体が空いてるなら、ファムちゃんのそばにいてあげなさいよ」
「……そうだな。すまん、恩に着る」
そう言って工房から立ち去ろうとするウィル。
そのとき私はふと思い出して、彼を呼び止めた。
「あ、ちょっと待って。……その、あんた、忘れてないでしょうね?」
「えっ……何を?」
「ほら、言ったでしょ。崖の前であんた、私の望むことなら何でもするって」
「ああ、それはもちろん覚えてる。俺にできることなら、何でも言ってくれ」
「ん、オッケー、元気出た。これで朝まで頑張れるわ」
「……な、何か怖いな」
「ふっふーん、約束は約束だからね」
私は笑顔で、ウィルを見送った。
よぅし、頑張るぞ。
***
そうして、細かい材料をつぎ足しながら、窯の中身を煮込むことおよそ半日。
深夜をとうに回り、ランプの明かりだけの薄暗かった室内。
そこに、換気のために開け放ったままの木窓から早朝の朝日が注ぎ込んでくる頃に、ようやくそれは出来上がった。
「ふぁぁあっ……やっと出来た……」
窯の中のどろっとした煮詰まった液体を見て、私は眠気のあまりにあくびをしながらも、感無量の想いを得る。
調合中の反応はすべて、教科書に書いてある通りに進んだ。
材料を間違えていたりすれば、どこかで反応が変わってくるはずだ。
っていうことはつまり、これで間違いなく完成っていうことだ。
私は窯の中の少量の液体を、柄杓ですくって、専用の瓶に入れる。
出来上がった朱色のどろっとした液体は、到底飲みたいようなものじゃないけど、そこはファムちゃんに我慢してもらうよりほかにない。
私はその瓶を手に、眠くてしょぼしょぼする目をこすりながら、ウィルの家へと向かう。
徹夜明けの朝っていうのは、早朝の爽やかさと、早く寝たいっていう気持ちとが入り混じって、なんか不思議な感じだ。
ウィルの家に着いてノックをする。
こんな朝早くから非常識っていう意識はない。
すぐにウィルが出てきて、扉を開けてくれた。
彼の目の下には、若干隈らしいものができていた。
こいつも寝てないんだろう。
まあ、さもありなんだ。
私は彼にあとについて、ファムちゃんの寝室に向かう。
ベッドの上のファムちゃんは、昨日よりもさらに苦しげな様子で、荒く息をついていた。
でも私が来たことを知ると、儚げな笑顔を見せてくる。
「リッカさん……お兄ちゃんが、寝てくれないんです。私は大丈夫だって言ってるのに……」
「それはしょうがないんじゃない? 傍目に大丈夫そうに見えないし。ていうか私が徹夜でこれ作ってたのにこいつが寝てたら、私が蹴り起こすし」
「あはは……リッカさんらしいですね……」
「ってわけで、深窓の令嬢ごっこはもうお終いよ。ほら、これをお飲み」
私はウィルとともに、お人形さんのような金髪の少女をベッドから起こすと、彼女をベッドの上に座らせる。
そして、瓶に入った液体を、ファムちゃんに手渡した。
ファムちゃんは、瓶の栓を抜いて中のにおいを嗅ぐと、すぐにうっと言って顔を背けた。
「これ……むしろ飲んだら死ねそうなんですけど……」
「うるさい。四の五の言わずに飲みなさい。飲まなかったら罰としてそれを飲ませるわよ」
「うぅ……ですよね……」
そうしてファムちゃんは、散々ためらった後、目をつぶって、瓶の中身を一気に口の中に流し込んだ。
それからこくこくとのどを動かして、どうにかそれを飲み干していった。
「……んぐっ、んぐっ、ごくん。……はぁ……はぁ……もうダメですリッカさん私死にます。──って、あれ?」
緑化病の治療薬の効果は、即座に働く。
ファムちゃんの手足の指先から手首、足首まで緑色に染まっていたものが、すーっと彼女本来の肌の色へと変化してゆく。
「うそ……えっ、あれ? 全然苦しくなくなった」
「そりゃそうでしょ。そのための薬なんだから。……ふぁあああっ……私もう、帰っていいかな。眠い、寝たい」
ファムちゃんのベッド横の椅子に座っていた私は、そう言って立ち上がり、ファムちゃんの部屋から出て行こうとした。
でも──
「くるくるくる──どーんっ!」
一気に元気になったファムちゃんが、ぴょんと立ち上がったかと思うと、くるくる回転しながら私の先回りをし、それから両手で私を突き飛ばしてきた。
「ふぇっ……?」
眠気で完全に油断していた私は、そのファムちゃんの奇行に対応できなかった。
おっとっと、とたたらを踏んで、突き飛ばされた先は、ファムちゃんがさっきまで寝ていたベッドの上。
そしてさらに──
「お兄ちゃんもどーん!」
「うぉわっ!?」
ファムちゃんはさらに、ウィルまでをもベッドに突き飛ばした。
ベッドに倒れた私のすぐ横に、ウィルが同じように倒れ込んでくる。
「それじゃ、元気になった私は、外で元気にはしゃいできまーす♪ 徹夜のリッカさんとお兄ちゃんは、そこで一緒におやすみなさいってことで。それじゃ、ばっははーい!」
──バタン!
ファムちゃんは部屋の扉を閉めて、外に出ていった。
あとに残されたのは、ベッドで一緒に横になった、私とウィルの二人。
しかも悪いことに、ちょうど顔と顔とが向かい合う形で──つまり、私の目の前には、ウィルの顔がある。
こっちの吐息がウィルにかかり、その逆もまた然りというような距離だ。
そして──そこで私は、ちょっと普段見ないものを見た。
ウィルが目をまん丸くして、頬を赤く染めていたのだ。
……おやぁ?
「……ったく、ファムのやつ、何考えてんだ」
ウィルが私からすぐ視線を外して、起き上がろうとした。
でも私は、この好機を逃すまいと、ウィルの後ろ手をつかんで引き留める。
「……り、リッカ?」
「折角だから、たまには一緒に寝ましょうよ。子どもの頃は、よくやってたでしょ」
「……な、何年前の話してんだよ」
「ほーら、早く。私の望むことなら何でもするって言ったでしょ。私もう眠いの。待たせないで」
本当は、「キスして」とか言って反応を楽しもうとか思ってたんだけど、もういいや。
ファムちゃんの仕掛けたこのお節介に便乗しよう。
「ま、マジで言ってんのかお前……?」
「マジもマジ、大マジよ。あんたが鈍すぎんのよ、バーカ。私はずっと前から、あんたのことが好きなの。……ほら、さっさと寝た寝た」
あーあ、言っちゃった。
これでいくら鈍感なこいつでも気付くだろうけど、無理やり私の横に寝かせた後に、さらなる追い打ち。
「……ウィルは私のこと、嫌い?」
ベッドの上で顔と顔を突き合わせて、そう問いかける。
胸のうちは、どっきんばくばくどっきんばくばく。
「い、いきなりすぎて分かんねぇけど……今のリッカは、すげぇ可愛いって思う」
顔を真っ赤にして、私から視線を外してそう言うウィルだった。
ほっとした。
こいつらしいや。
「正直すぎるのよ、バカ」
私はウィルの唇に、自分の唇を重ねた。
ちなみにこのあと、二人で大人の階段を上ったりせずに、眠気に負けて二人で抱き合って寝ただけだったということを、一応付け加えておく。
私たちは、まだまだ子どもなのであった。