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終末の聖書~バイブル~  作者: 森戸玲有
第2章 セレスティンの変人たち
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3

 実際のところ、男だらけの旅路だ。

 ユリアーナは野宿をすること自体初めてで、こういう繊細な問題に配慮してくれるのは、ハンスくらいなものだったから、予期しない喧嘩のためとはいえ、手洗いに行く時間が出来たことは感謝していた。

大聖堂には、老若男女が祈りに来る。当然、男女共に手洗いの数は充実していた。

随分と奥にあって、意外に歩いたが、洗面台で顔を洗うことも出来たユリアーナは、爽快感と共に、少しだけ気分を浮上させることができた。

そのまま、来た道を戻らずに、大聖堂の中央を横切って隣の細い回廊を歩いて行く。所々に並べられている彫像を鑑賞するためだった。

得てして、こういう大きな教会では、美術的価値の高いものが無造作に置かれている場合が多い。宗教は苦手だがユリアーナは幼い頃から教会の美術品を眺めるのは好きだった。


(……どうせ、まだ喧嘩でもやっているんでしょう。何が理由かも知らないけど?)


 急いで帰る必要はない。

 喧嘩に気を取られているせいか、ユリアーナ以外通路には誰もいない。 

 等間隔で台座の上に飾られている象牙の彫像は、ウェラー教に登場する聖人たちで、どれも躍動感溢れる見事なもので、ユリアーナは釘つけになつた。

 ――そして。

 明らかにそれらの彫刻と一線を画すほど大きな彫像は、通路の行き止まりに、無数の灯りに照らされて、展示されていた。


(聖ウェラーの彫像……)


 ユリアーナは、口髭を蓄え両手を組んで瞑目している貫頭衣の男性に、十字を切って、跪いた。


――この男性こそ、ウェラー教の絶対神であり、信仰の対象でもある聖ウェラー。

 

数々の奇跡を起こした聖人とのことだが、ユリアーナが生まれた頃にはウェラーの奇跡の御業などどうでも良くて、ただ当たり前に彼だけが神様だった。

ユリアーナは、本当に困っている時にウェラーが助けてくれないことはよく知っている。

だけど、この聖人を敬虔に信仰する環境で育ったのだ。当然、罪悪感は抱いていた。


(ごめんなさい。貴方を欺くことを私はしています。聖ウェラー)


ユリアーナは心の中で、激しく聖人に詫びた。……が。


「申し訳ないっ!」


 見事に、ユリアーナの心の声とその声は被った。


「はっ?」


  まさか、ユリアーナが思っていたことが無意識に口から漏れ出てしまったのだろうか?

  いや、そんなはずない。声は男のものだった。

  ――そして、念押しのように、もう一度、声が響いた。


「すまない! 聖ウェラー!」


  (うわっ)


 一体、誰なのかと、ユリアーナは、発作的に拳銃を求めて鞄に手を向けたが、しかし、どうやら不審者ではないようだ。

 ここには、ユリアーナが気づいていないだけで、最初から先客がいたのだ。

 ユリアーナが一歩前に進むと、銀髪の男が一心不乱に、ウェラーの彫像に頭を下げている様が視認できる。男は、水中で息継ぎするように、頭を上げては下げていた。

 ウェラーの正面ではなく、側面で土下座をしていた男の姿をユリアーナが分からなかったのは、仕方ないことかもしれないが……。


(また変なものと遭遇しちゃったよ)


 昔、激しく髪の毛を振り乱して懺悔している聖地巡礼者なら、見かけたことがあった。

 男はその聖地巡礼者のように、長髪を振り乱し、頭の上下運動を繰り返してはいるが。


(…………だけど)


 ――巡礼者ではない。 

 遠目ではあったが、男の衣装が聖職者と違うことは、ユリアーナにもすぐに分かった。

 純白のガウンに、金糸で花の刺繍をあしらっている。こんな派手な装いを、さすがに巡礼者はしない。 聖職者であっても、よほど位が高くなければ許されない格好だった。


(……何処かの貴族の子息が、うっかり壊れてしまったのかしら?)


 放置して、その場を去ろうと思ったが、男のすぐ脇に彼の装飾品らしい耳飾りが落ちていたので、ユリアーナは困ってしまった。

 金色の三日月形の耳飾りは、金剛石のようなきらきら輝く宝石がちりばめられていて、いかにも高そうな代物だった。このまま、見過ごして男が気づかなかったら、大変そうだ。


「……あの?」


 一回呼んでも気づかないので、ユリアーナは渋々男に近づいて、その肩を軽く叩いた。


「落ちていましたよ。これ」

「…………きっ、君はっ!?」


 ユリアーナが耳飾りを渡した途端、そんな物などどうでも良いといった風情で、男は握手を求めてきた。今まで聖ウェラーに向かっていた謝罪対象が、全力で自分に向かって変化したような気がして、ユリアーナはとてつもない寒気を覚えた。


「君はシスターじゃないか。こんな所で、シスターに会えるなんて思ってなかったぞ!」

「……そんなことないでしょう? 修道女なんて珍しくありませんし」


 明らか過ぎる危険な予感に、ユリアーナが手を握るのをためらっていると、男はにっこり笑って、乱れた髪を掻きわけた。今まで長い髪が目にかかってしまっていて、顔が分からなかったが、細面の顔に高い鼻梁。形の良い唇。この男、随分な美丈夫のようだった。


(顔に美しさが集中してしまって、性格が残念なことになっちゃってるのかしら?)


 身近なところで、レイティアという痛い青年がいる。


「いやいや。我が国は修道女が少ないのだよ。察するに、君は外国人かな? 遠い昔オーネリアが我が領土を支配していた時、弾圧にあったと私は聞いたことがある」

「そう……なんですか」


 そういえば、オーネリアは男尊女卑の国と聞いたことがある。聖職者は男性限定だとも。

 ぼんやりしていると、男は灰青色の瞳の中に、きらきらと星を輝かせていた。

 この表情は、経験上直視してはいけないことが分かっている。……腹が立つからだ。


「……こうして、出会えたのも何かの縁。私はウェラーにずっと懺悔をしていたのだよ」

「聞こえていました」

「何だって!? それはさすがシスター。私の心の声を聞きに来てくれたなんて?」

「いや、あの……。心の声というか、ダダ漏れだったというか……」 


 ゆっくりと男に気取られないように、ユリアーナは後退っているが、しかし駄目だった。

 男は、がっしりユリアーナの手を両手で握りしめていた。


「シスター。後生だ。どうか私の懺悔を聞いてくれないか!?」

「ひいいっ! い……や……」


 ――放して! ……と悲鳴をあげそうになって、だけど犬のような目で縋られてしまったユリアーナは、観念して仕方なく答えを撤回せざるを得なかった。


「……すっ、少しの時間なら」

「有難う。天に坐します神に感謝いたします」


 男が急にまた土下座の態勢に入ったので、ユリアーナは痺れを切らして言い放った。


「あの………………急いで頂いていいですか?」


 この男の反応はレイティアにとてもよく似ている。ユリアーナは、つい対応が邪険になってしまうのだ。しかし、次の瞬間、男は目に涙をためて、叫んだ。


「申し訳ない。シスター! 私はそういう男なのだ。いつもみんなを苛々させてしまう。天性の馬鹿なんだよ。シスターだって、私を見て苛々しているのだろう? もう嫌なんだ。こんな生活。いっそウェラーの名において、この世から葬ってくれれば楽になれるのに!」

「しーっ。ちょっと、待って下さいよ」


 ユリアーナは何もそこまで言っていないし、それにこれではまるでユリアーナが彼を苛めているようではないか?

 この自虐的思考は、さすがにレイティアのものではなかった。

 あの青年であれば、どこまでも自分のせいではないと言い張るだろう。


「……その、そういう性格が嫌で、聖ウェラーに祈ってらっしゃったんですか?」

「ああ。そうだよ。もう嫌で嫌で仕方なくて。今日もちゃんとカイが台本を用意しておいてくれたのに、やっぱり人前に出るのが怖くて……無理だった」

「はっ?」 


 ――カイ? それは、とても聞き覚えのある名前だった。


「私は妻とカイがいないと、駄目なんだ。でも、その妻も今は病に倒れてしまった。私が不甲斐ない男だから、心労がたまったんだ。カイは妻が倒れてから、更に厳しくなった。私はカイが怖くて。こういう場合、どうしたら良い? シスター。教えてくれ!?」

「…………あの。何かとんでもないことを聞いてしまったような気がしまして、ちなみに貴方の奥様のお名前は、フローラ様なんてことは……?」

「おおっ。よく分かったな。さすがシスター。主よ。彼女との出会いに感謝いたします」

「あああっ」


 ユリアーナは、絶望した。 

 神様が本当にいるのであれば、意地悪すぎる。


(何だって、毎回こんなことに……)


「――陛下っ!!」


 まるで、図ったかのようにユリアーナの背後から二人の男の叫声が轟いた。

 競い合うように、カイとテオがこちらに駆けて来る。

 ――やっぱり、この男。



 ―――エズワルド=ハイネルシュミーゼ。セレスティンの若き国王だった……のだ。


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