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終末の聖書~バイブル~  作者: 森戸玲有
第2章 セレスティンの変人たち
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1

 後列の車の人命は無事だったようだが、車は破損して使いものにならなくなったらしい。

 テオの言うとおり、セレスティン行きは延期にして、もう一度態勢を整えるべきなのかもしれない。出戻った時のギュンターの苦い顔は想像つくが、車が使い物にならなくなったと、報告したら、許してくれる可能性はある。

 現に後列の車に乗っていた兵士と神父は、アッシュバルムに帰ることになった。

 彼らと一緒に帰国して、責任を分散させるのが最良の手ではないだろうか?

 だけど……。

 レイティアだけは、何がなんでも行く気だった。


 ……そんなに、観光がしたいのだろうか?


 レイティアが属しているのは、ウェラー教の総本山、ローレアンの教皇庁だ。

 だから、アッシュバルム軍の命令に従う規則はない。

 セレスティンに到着した後、ユリアーナがアッシュバルムと連絡を取るのを黙認し、連絡をとりやすい環境を整える程度のことしか協力する謂れはないはずだ。


(だから、気楽なのかしら? ローレアンに護られているから?)


 ――でも。それにしたって。


「こんな大きな車にまで乗せてもらっちゃって、感涙だよ。僕。有難う。師匠!」


 こうも、あからさまに物見遊山だと、呆れを通り越して、泣きたくなってくる。


「まあ、仕方ねえな。車を壊したのは俺たちなんだし、今回は帰国する坊さんたちに車を貸してやるよ。それで、あんた達には、特別に俺の愛車に乗せてやる。感謝しろよ」


 テオの車には、屋根がなかった。

 ふきっさらしの風に吹かれながら、片手で運転しているテオは、めちゃくちゃな理屈を楽しそうに答えた。

 一体、何回このやりとりを繰り返しているのだろう。

 ユリアーナは、がくりとうなだれた。


(……愛車って、国の支給品じゃないの。これ?)


 テオの操っている車は大きく、四人乗りであるが、座席にゆとりが十分あった。

 タイヤが大きいので揺れは少なく、乗り心地は良い。今は懐かしい石油燃料のようだが、速度は安定していた。車高があるので、先程の車と見渡せる景色も違っている。

 アッシュバルムでは首都以外の道路は、軍事目的のためか狭く作られていて、大型車自体が珍しいのだが、セレスティンでは結構、流通しているようだ。

 だが、まさかテオの運転で、セレスティンに入国するとは思ってもいなかった。

 助手席にはハンス。後部座席にレイティアとユリアーナが同乗している。

 テオの仲間は、もう一台他の車で荷台に乗っているとのことだった。

 昨晩荒れ地で野宿をし、早朝から車を飛ばしてきた。

 休憩を挟んで、ようやく荒れ地を過ぎると、視界に映る色彩は一気に鮮やかになった。

 緑の深い森に車が突っ込んだと思ったら、そこはもうセレスティンだった。

「セレスティン」と書かれた大きな看板を仰ぎ、左右に背の高い木々を見ながら、荒れ地よりマシな車道を直進する。


「近道使ってやったから、都はだいぶ近いぞ。元々国も小せえしな」


 逆光防止に、大きなサングラスを装着したテオが言った。

 実際、その言葉通りで、都はユリアーナが思っていた以上に近かった。

 緑の滑らかな丘陵に、色とりどりの木組みの家が並んでいる。

 人で賑わう活気ある市場の色とりどりのテントを抜けていく頃には、セレスティンの車道も徐々に狭くなっていて、テオの車は窮屈そうに走行した。

 遠くに聳える巨大な真っ白な塔を指差したテオは、いまいましげに鼻を鳴らした。


「あれだよ。レマエラ大聖堂。大司教の職場さ」


 いよいよ、偽りの生活の場が見えてきた……ということらしい。

 この大聖堂に到着したら、レイティアは司祭でも、司教でもない。大司教になってしまうのだ。 ユリアーナは、急にそわそわしてきた。


「多分、今日あたり着くことは陛下もご存じだから、早速式典でもやるんじゃないか?」

「…………式典?」


 ごくりと息を呑んだユリアーナに、テオは首を傾げた。


「普通やるだろ? 大司教が来たっていうお披露目会だ。陛下が大司教に祝福をもらって、陛下と大司教、それぞれ偉そうに説教するんだろ。あんた達、そういうの好きじゃないか?」

「どっ、…………どうするんですか?」


 ユリアーナは、レイティアの襟首をおもいっきり掴んで耳元で囁いた。


「どうするって?」


 あまりに声が大きいので、ユリアーナはレイティアの口を手でふさいだ。


「祝福に大司教の説教ですよ。祝福の時も説教の時も、普通は聖書を引用します」


 ―――そ……うなの?

 レイティアの口はもごもごしているだけだが、ユリアーナは勘で彼の言葉を受けとめた。


「貴方は、本当の本当に聖書が読めないんですか。字が……、読めないんですか?」


 ――うん。


 こくりとレイティアは子供のように素直に首肯する。


「どうするんです? 国民の前で話すんですよ。まさか、観光情報について語るわけにもいかないじゃないですか?」


 ――……そうかな?


 レイティアが普通に首を捻ったので、ユリアーナは本気で首を絞めてやろうかと思った。


(話す気でいたのか? 七面鳥美味いとか、温泉行きたいとか話すつもりでいたのか?)


「どうした?」


 テオは、車の鏡<ルームミラー>越しに異常を感じとっていたようだった。

 ハンスも振り返っている。


「……な、何でもないです。さて、聖書でも読もうかなあ」


 ユリアーナは機械じみた動きで、鞄の中から聖書をとり出した。

 とりあえず、ユリアーナが聖書を読んで、それをレイティアに覚えさせる目的だった。


(……て言ったって、何処読めばいいのよ?)


 説教でネタになる場面などユリアーナは考えたこともなかったので、聖書を広げても戸惑うばかりだった。途方に暮れながら、聖書を捲っていると不意にテオがぽつりと言った。


「良い勝負かもしれないな……」

「はっ?」

「いや、こっちの話だ。どういう目論見でローレアンがあんた達を派遣したのか、皆目見当もつかねえけど、……こっちにとっちゃ、存外良い結果になるかもしれん」

「はあ?」


 ユリアーナには理解できない独り言を乱発しないで欲しかった。テオには聞き返したくても深く踏み込めない威圧感がある。しかし、その点ハンスは優れていた。


「……確か、セレスティンの国王陛下エズワルド=ハイネルシュミーゼ様は、御年十九歳。お若く即位されましたね。まだ政務には慣れていらっしゃらないのではないですか?」

「そう……なんですか?」


 知らなかった。前国王の急逝で即位したのは聞いていたが、まさか、そんなに若いとは。ユリアーナと同い年ではないか。


「あんた……何か知っているのか?」


 テオがハンスに鋭い眼光を向けた。慌てたハンスが両手を挙げる。

 深読みする材料もないユリアーナは、目を瞬かせるだけだった。


「いえ。私は何も知りません。そういえば……と思っただけです」


 ……ユリアーナには、まったく意味が分からない。


(あとで、ハンスさんにこっそり聞こう)


 その後、二人は無言になり、ユリアーナがようやく一般的な聖書の文句を発見したところで、大聖堂に着いた。


(間に合わなかったわ……)


 レイティアに聖書を暗記させることが出来なかった。

 テオが大聖堂の神父たちに伝えて来ると言い渡し、車を降りていく。

 ユリアーナは顔面蒼白でよろけながら、表に出た。しかし、レイティアは降りて来ない。

 聖書を読むのに必死で、ユリアーナは彼の顔を見ていなかったが、レイティアはとっくに寝ていたのだ。これでは、何のためにユリアーナが懸命になったのか分かりもしない。


「レイティア司教!!」


 怒りのままに、レイティアの耳を引っ張って怒鳴った。


「はいっ! すいません。ユリアーナさん」


 すっかり、ユリアーナを恐怖の対象とみなしているのか、目をぱっと見開いたレイティアは、背筋を伸ばして、自らの頬を叩いた。……その時だった。


「随分、気の荒いシスターですね?」

「…………あ」


 ユリアーナの背後に誰かが立っているようだった。


(見られた……)


 こんな場面を目撃された羞恥心と共に、ユリアーナはゆっくりと顔を後ろに向ける。

 大聖堂の入り口を背景に立つ長身の男。

 漆黒の軍服はセレスティンのものだった。

 詰襟には、百合をあしらった国章が入っている。

 灰色の肩までの髪を緩く一つに結んだ男は、全身黒の装いだった。

 漂ってくる無彩色の暗い印象は、アッシュバルムの軍隊を彷彿とさせたが、男の目だけは透き通った青い色をしている。


(見るからに軍人だけど、誰?)


 しかし、ユリアーナが質問するよりも早く、男の方が矢継ぎ早に疑問を投げかけてきた。


「その御方のその格好。赤の祭服は一介の司祭や司教では身に着けることは出来ません。見たところ大変お若いようですが、その御方こそ大司教様ではないのですか? そんな尊い御方に対して一介のシスターが接して良い態度ではなかったようですが?」

「あ……はい」


 ―――でも、この人……司教じゃないし、聖書も読めなければ、戒律破って肉食してるし、聖地なんて吹っ飛べばいいなんて、不謹慎なことを口にするんですよ。

 ――と付け足したいところを、ユリアーナはぐっと堪えた。


「……カイ=ザッファフェルト騎兵隊長とお見受けいたしますが?」


 ハンスが助手席から降りてきて、頭を下げた。


「そうだが?」

「私は大司教付きの司祭。ハンスと申します。お目にかかれて、光栄です」


 ……さすが生粋の軍人は違う。

 ユリアーナは、そんな名前聞いたこともなければ、調べようともしなかった。

 聖書を読むより、セレスティンの貴族と軍人の名前を頭に叩き込んだ方が有益だったようだ。


(私なんかより、ハンスさんが行った方が絶対いいのよ。……どうして、私なの?)


 ユリアーナがとてつもない自己嫌悪に陥っていると、レイティア自ら車を降りてきた。

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