神鳥の出奔
天界。
ここは鳳凰族の地。立派な屋敷の庭園から穏やかではない空気が漂っていた。
「…は?縁談??」
真紅の目を見開き、自分に話しかける相手を見下ろすように彼は身を乗り出した。
高所に、例えるならば赤子のおしゃぶりのような奇妙な花が咲く青みがかった幹を持つ大樹の上。不機嫌を隠すつもりなど微塵もない声の主は器用に背を預けて休んでいた最中、どうやら縁談の話を持ちかけられたらしい。
風に揺れる真紅の髪の長身の青年。簡素で動きやすそうな赤と白の衣、金の刺繍が入った黒の腰帯、黒の長靴を身につけている。見た目は二十歳前後くらいといったところか。
「はああああアアアアア??!冗談じゃねえって!!何勝手に決めてくれてんだあのクソバカ親父っ!!」
ようやく実感を得たように震える拳を握りしめ怒りに燃える髪と同じ真紅の瞳。整った綺麗な顔だちが台無しなほど不機嫌に歪んでいる。
その姿をにこにこしながら見つめる同じ深い紅色の髪を綺麗に纏めた品の良い綺麗な女性。歳の頃は三十代くらいに見える。
「ええ、だからね鳳ちゃん。ちょっと家出でもしてらっしゃいな。あなたの頑固な父上が諦めて頭が冷えるまで」
“鳳ちゃん”と呼ばれた瞬間、青年は顔を赤くしてつい抗議しようと体勢を崩し木の下に落下しそうになった。慌てて両手で幹に縋り付く。
「ちょ…!”ちゃん”はもうやめて母上?!」
母上と呼ばれた女性は幹に縋り付く息子に向けてキュッと眉間を寄せて小首を傾げ、良心に訴えかけるような寂しげな視線を送ってみせた。勿論わざとである。
息子は母のしたたかさをよく知っている為そう簡単には引っかからない。が、何処となくチクッと心が痛みつつも敢えて突き放した。
「そ…そんな顔してもダメッ!!」
しかし母も負けじと相変わらず口をとんがらせて拗ねて見せる。なんだか小動物みたいで可愛い。
これには息子はあきれたような表情になり軽く額に手を当てため息を吐いた。
「…あと呼び方な?俺もう子供じゃないから”ちゃん”付けは本気でやめてくれ。誰かに聞かれたらどうしてくれる。自由気ままで知的で風流な俺の印象がぶち壊しだろ」
その割にはみっともない格好で幹に必死に掴みかかりながらズルズルと下に降りて来る鳳は自分の母上に向かって一気に捲し立てた。
「…イヤイヤ。そもそもの論点はそこじゃない」
顔をパチンと挟んで首をブンブン振ると、衣を軽くはたいて母上に向き直った。息を整える。ゆっくり深呼吸すること三回。改めて尋ねる。
「えーと、今何て?”家出?”…もしそうだったとして親ってフツー止めないっけ?」
母は笑顔で首を振り振り。小動物みたいで動作が可愛い。母を真面目な顔で見つめながら妙に納得したように鳳は呟く。
「そうだ。フツーじゃなかった。俺の親だもんな、ウチでまともなのは弟くらいだったわ」
目を閉じてふう…っと息を吐く。ピクッと耳が遠くに何やらかすかに聞き覚えのある音を感じる。
「…仕方ない。状況的に時間がないみたいだな。あンのクソバカ親父…改め、”父上”に見つかる前に」
そう言うと大樹に立てかけていた太刀を掴んで母に背を向ける。屋敷の門に向かって風のように走りながら振り返った。父上にバレないように口パクで「ありがとう」と言い母に手を振った。次の瞬間、彼の姿が鮮やかな紅い羽根を纏った神鳥•鳳凰に姿を変えて飛び去った。
「いってらっしゃい、気をつけて。折角の家出なんだし楽しんで来てね」
笑顔で手を振り返し、小さくなっていく姿を見送りながら母上は呟く。
遠くで母の声を聞いた鳳はその発言に突っ込もうとしてやめた。代わりに一秒でも早く鳳凰族の地から、そして天界から脱出を試みた。
完全に息子の姿が見えなくなって母はふっと肩の力を抜いた。
「助かるわ。あなたの父上は頑固ですぐ鳳ちゃんと揉めるから、母は心中穏やかじゃないのよ。弟の迅ちゃんは無茶しないから上手くやってるけど…」
後ろからバタバタと足音が近づいてくる。母上は軽くため息をついて困ったよう微笑むと、踵を返して足音の方に向かって歩を進めた。
「よかった。”嵐”が来る前に逃がせたわ」
品よくクスッと笑って母上は息子を探し回る夫を宥めに向かったのだった。




