第五話 白紙の宣告と冬の林檎
第五話 白紙の宣告と冬の林檎
冷水で顔を洗われたかのような冷気が背筋を駆け抜け、マリー・アントワネットは手にしたレースのハンカチを固く握り潰した。十一月の鉛色の空からは湿った粉雪が舞い散り、大トリアノン宮殿の庭の枯れ枝に残った最後の一輪のカンギクが、寒風に震えながら花びらを散らしていたが、私室の空気は火の消えかけた暖炉の灰と、冷めたカモミール茶の苦い匂いで満ちていた。鏡台の脇の小机には、メルシー伯爵が秘密裏に持ち込んできた教会法学者の意見書の控えが置かれ、そこには「婚姻後五年を経ても交わりなき婚姻は未完成であり、教皇庁への申し立てにより解消されるべき正当な事由となる」という恐ろしい文言が墨黒々と記されていた。ヴェルサイユの回廊で貴族たちが交わすひそひそ話の正体が、自分を荷物のように馬車へ押し込み、ドナウ川の向こうへ叩き返す計画なのだと知り、彼女は震える膝を押さえつけるようにして、黒い外套を着たメルシー伯爵を睨み据えた。
「伯爵、宮廷の者たちは本気で私をウィーンへ追い返すつもりなのですか。幼い頃、母上に叱られてシェーンブルン宮殿の物置小屋に閉じ込められた時のように、私はただ扉が開いて誰かが助けに来てくれるのを待つことしか許されないのですか」
掠れた声で問いかけると、伯爵は深く眉間に皺を刻み、床板の節穴を見つめたまま重い息を吐いた。
「王妃陛下、事は一刻を争います。プロヴァンス伯の一派はすでにローマへ密使を送る準備を進めており、王室の血統を絶やさぬための正義だと騒ぎ立てておりますゆえ、ウィーンの女帝陛下ももはや庇いきれぬと頭を抱えておいでです」
特使はそう告げると、昨日の朝に王妃が脱ぎ捨てたままの毛皮付きのガウンの裾を避け、皮袋から取り出した干からびた冬用の焼き林檎を銀の小皿に静かに載せた。
昼下がり、居室の扉を激しく押し開けて国王の図書室へ踏み込むと、部屋の中には糊の乾ききっていない製本用の膠の臭いと、古い紙の埃が充満していた。大きな樫の木の机の上には、幾何学の分度器や定規が乱雑に放置され、その脇には半分食べかけのライ麦パンと、黄色く変色した塩漬けの豚肉の塊が油紙に包まれたまま転がっていた。ルイ十六世は、袖口がほつれた羊毛の上着を着て、右手の親指の爪を小刻みにカリカリと擦り合わせながら、細長い羊皮紙に羽根ペンを走らせていた。夫がこの差し迫った追放の脅威を知りながら、悠々と読書と図面描きに逃げ込んでいるに違いないと錯覚したアントワネットは、怒りのあまり机の端にあった真鍮のインク壺を平手で薙ぎ払った。
「陛下、オーストリアへ送還される私の馬車の車輪に差す油でも調合しておいでなのですか。教会法で結婚が無効にされれば、私はただの笑い者としてヴェルサイユから叩き出され、あなたには新しい従順な妻があてがわれるというのに、なぜそんな平然としていられるのです」
黒いインクが机の上の白紙をみるみるうちに汚し、部屋の隅で古書を整理していた司書官が青ざめて息を呑んだ。
ルイはペンを取り落とし、インクに濡れた自分の指先を見つめたまま、太い首をすくめて激しく肩を揺らした。彼の手首には、幼い頃の火傷の痕と、あの真鍮の蝶番を扱った時の古傷が赤黒く残り、今や黒いインクの染みがその傷口を醜く覆っていた。夫の目に見えた動揺が恐れではなく、深い苦悶の表れであったことに気づいた瞬間、アントワネットは自分の早とちりと残酷な言葉の刃に喉を詰まらせ、伸ばしかけた手を引っ込めた。暖炉の中では、湿った白樺の薪がプスプスと鈍い煙を上げ、部屋の寒さをいっそう際立たせていた。
「……送還の書類など、僕は一枚も書いていない。僕が書いているのは、ル・アーヴル港の新しい閘門の設計図だ」
ルイは濡れた羊皮紙から視線を逸らさず、上着のポケットからいつもの真鍮の鍵を取り出して指先で弄びながら、絞り出すような声で呟いた。
「閘門の設計図ですって。それが今、私たちが追い詰められていることと何の関係がありますの」
アントワネットは涙をこらえて問い詰めたが、ルイは鍵の角を机の木目に押し当てながら、ぽつりぽつりと話し始めた。
「閘門の水位が合わなければ、船は外海へ出られずに底を打って壊れてしまうんだ。水門を開く鍵の歯が少しでもずれていれば、強い水圧で鉄の扉が吹き飛ぶ。……それから、さっき台所の召使いが言っていたが、今夜のタラの塩焼きは塩抜きが足りないそうだ。厨房の塩樽の底に溜まった古い塩を使ったらしいから、食べる前にレモンをたくさん絞った方がいい」
ルイはそう言って、引き出しの奥から取り出した手垢まみれの木綿の布で、インクで汚れた真鍮の蝶番を黙々と拭い始めた。
夜の帳が宮殿を包み込むと、外の吹雪は窓枠をガタガタと激しく揺らし、回廊の兵士たちの足音さえかき消していた。アントワネットは重い絹の夜着を羽織り、冷え切った天蓋付きの寝台に一人で横たわりながら、枕元に置かれた焼き林檎の甘酸っぱい匂いを吸い込んだ。追放という冷酷な刃が首筋に触れているような恐怖に身を震わせていると、寝室の重い扉が開き、夜更けの冷気を纏ったルイが入ってきた。彼は寝台の端に腰を下ろすと、何も言わずに自分の大きな掌をシーツの上に置き、いつものように右手の親指の爪をカリカリと激しく擦り合わせた。
「陛下、もし明日、教皇の使いがこの部屋に来たら、あなたは何とお答えになりますの」
暗闇の中でアントワネットが震える唇を開くと、敷布が擦れる乾いた音が微かに響いた。
「……扉には、僕が作った新しい南京錠をかけてある。僕が内側から鍵を開けなければ、教皇の使いだろうと誰一人としてこの寝室には入れない」
ルイはそう低く告げると、アントワネットの足元に敷かれた毛布の端を無骨な手つきでそっと引き上げ、暗がりの中で深く重い寝息を吐き始めた。




