第二話 油染みの寝衣と初夏の芍薬
第二話 油染みの寝衣と初夏の芍薬
胃の腑が締め付けられるような苛立ちがこみ上げ、マリー・アントワネットは朝の着替えの間、鏡の前にじっと座っていた。寝室の大窓の外では六月の朝露を吸った紅い芍薬が咲き誇っていたが、部屋の中には昨晩の蜜蝋のすすけた煙と、侍女たちが持ち込んだアイリスの粉の甘ったるい匂いが重たく澱んでいた。侍女長を務めるノアイユ伯爵夫人は、王太子妃の肌着の端を両手で引き伸ばしながら、毎朝決まり切った手順をわざとらしくゆっくり進めている。アントワネットは、夫のルイが昨晩も寝台に入るとすぐに背を向け、一度も自分に触れようとしなかった事実が宮廷の召使い全員に筒抜けなのだと悟った。母マリア・テレジアが毎日のように小言を書き連ねてくる便箋の厚みを思い出し、彼女は帯の留め金をきつく引っ張った侍女の指を思わず払い除けた。
「伯爵夫人、そんなに布を強く引かれては、朝の祈りの前に息が止まってしまいます。ウィーンではもっと緩やかな室内着で、庭のアプリコットを摘みに行ったものです」
きつい語気で告げると、伯爵夫人は無表情な顔を上げ、冷たい目元をわずかに細めた。
「恐れながら王太子妃殿下、ヴェルサイユの朝には厳格な作法が定められてございます。オーストリア流の気ままな装いをお続けになられては、宮廷の貴婦人たちに笑われますよ」
侍女長はそう返すと、昨晩ルイが脱ぎ捨てた絹のナイトキャップを指先で拾い上げ、わざと大きな音を立てて洗濯用の籠へ投げ入れた。
正午の広間へ向かうと、長机には狩猟から戻ったばかりの貴族たちのための食事がずらりと並んでいた。大皿にはローズマリーをまぶして焼いた猪肉の骨付き肉や、初夏のアスパラガスの塩ゆでが山盛りに盛られていたが、アントワネットの前に置かれた銀の小皿の仔牛のテリーヌは、すっかり脂が浮いて白く濁っていた。向かいの席に座ったルイは、まだ泥のついた革の乗馬靴を履いたまま、右手の親指の爪を激しくカリカリと擦り合わせていた。その袖口には、真鍮を磨くための黒い油染みがべっとりと付着しており、隣の席に座る従兄弟のオルレアン公が侮蔑に満ちた笑みを口元に浮かべたのを彼女は見逃さなかった。この無骨な夫は妻の体面など露ほども考えておらず、ただ自室に籠もって金具をいじりたいだけの怠け者なのだと誤解した彼女は、銀のナイフを皿に叩きつけるように置いた。
「殿下は昨夜も鉄の金具ばかりを磨いておいででしたのね。寝台のシーツにまで機械油の嫌な臭いが移って、私の新しいペティコートにも汚れがついてしまいましたわ」
広間のざわめきが一瞬で静まり返り、取り巻きの貴族たちが息を呑む気配が肌に突き刺さった。
ルイはびくりと太い首を縮め、フォークを握った拳をテーブルの下に隠した。彼の手首には、昨夜アントワネットが見たあの古い火傷の痕の上に、新しく鉄やすりで引っ掻いたような生々しい赤い傷が加わっていた。夫を傷つけるつもりなどなかったのに、宮廷の冷たい視線から身を守るために出た言葉の鋭さに自分自身で狼狽し、彼女は胸の奥で息を詰まらせた。給仕の足音と、床のすみに置かれた古い置き時計が刻む不揃いな秒針の音だけが、沈黙の中でやけに大きく響いた。
「……今日の森は、ぬかるみがひどかった。馬の蹄鉄が外れそうになって、鍛冶場で釘を打ち直しただけだ」
ルイは皿の上の猪肉を無造作に口へ押し込み、一度もアントワネットの瞳を見ることなく、ぼそぼそとした声で答えた。
「まあ、そうでしたの。でも、蹄鉄の釘なら、厩舎の職人たちに任せておけばよろしいのではありませんか」
彼女は取り繕うように声を上擦らせたが、ルイはそれに応じることなく、ただ皿の縁にこびりついた冷えた脂の塊をフォークの先でつつき回した。
「職人の打つ釘は、頭が小さすぎてすぐに緩む。僕が作った頭の広い釘でなければ、深い泥道ではもたないんだ。……それから、台所の戸棚の蝶番が軋んでいたから、午後につけ直しておく」
ルイはそれだけを早口に吐き出すと、上着のポケットから油で黒ずんだ一枚の木綿の布を取り出し、口元を雑に拭った。
夕暮れが訪れると、回廊の窓からは西陽が差し込み、磨き上げられた寄木細工の床を赤黒く染め上げていた。アントワネットは自室の寝台の天蓋を見つめながら、昼間の自分の浅はかな物言いと、ルイが隠そうとした傷だらけの手指を思い出して指先を震わせた。部屋の隅にある化粧机の上には、夫が置き忘れていった小さな真鍮製の蝶番が、鉄の冷たい匂いを漂わせながら置かれたままになっていた。今夜もまた、寝台の儀礼が終わりカーテンが閉め切られれば、あの広い敷布の上で背中を向け合う時間が始まるのだと確信し、彼女は胸の奥に鉛を詰められたような感覚に耐えかねて、枕元にあった刺繍用の針箱の蓋を意味もなく何度も開け閉めした。
「殿下は、今夜も鍵の図面をお引きになるのですか」
入浴を終えて寝室に入ってきたルイの背中に向かって、アントワネットは寝衣の袖を握りしめながら声をかけた。
「……ああ、そうだ。新しい南京錠の仕掛けが、まだ上手くいかないんだ」
ルイは寝台の端に腰掛け、またしても右手の親指の爪をカリカリと擦り合わせながら、壁の羽目板の木目をじっと見つめて小さく答えた。




