マギー・ウォンの正体
TKOとリアナは品川駅に近い高級マンションの駐車場にやって来た。そして一旦、管理人室に立ち寄ってカード・キーを受け取ると、エレベーターで九階フロアへと上がった。
TKOがヘッドセットに大誠を呼んだ。
「大誠」
「何?」
「これから被害者宅に向かう」
「了解」
そう応えて、大誠がコンピュータ・コクピットの六台のモニターに向かった。まずは上方の二台のモニターをTKOのカメラとリアナのカメラに割り当てて、受信映像のブレとノイズを補正して、色調とコントラストを整えた。
TKOとリアナは901号室の扉の前にやって来ると、誰もいないと分かっていながらも、建前としてインターホンを押した。すると意外にも、室内から返事が返った。
「はい。どちら様ですか?」
言葉には、中国人らしいイントネーションが混じっていた。
リアナとTKOは不審に思ってその顔を見合わせた。TKOが頷いて、それに答えた。
「私立探偵のTKOと言います。秋川芽以さんの失踪事件の捜査のため、こちらに伺いました」
「それなら、どうぞ。お入りください」
ドアの内側からロックが解除される音が聞こえた。TKOとリアナはそのドアを開けて、慎重に室内に歩み入った。室内からは一人の若い女性が出迎えた。
年の頃なら二十七〜八か?女性の顔を見たリアナの片眉がピクリと動いた。TKOがそんな女性に頭を下げて言う。
「お邪魔します」
女性は一目見て、中国の富裕層であることが分かった。それより室内に入ると、そのマンションが思っていた以上に広く、オフホワイトで統一されたその部屋は調度品や家具がベージュやウッド調で整えられ、高級ホテルのスイートルームのように生活感が希薄で、裕福さはとても女子大生の一人暮らしには感じられなかった。
TKOが女性に尋ねた。
「こちらは秋川さんが暮らしているマンションですよね?」
TKOのカメラが女性の表情を捉え、リアナのカメラが彼女の手元や、彼女が目をやったその先を捉えた。大誠はそれらを二つのモニターに同時に見て、内蔵マイクに伝える。
「二人のカメラでモニターが出来るってのは素晴らしいよ。情報量が格段に違う」
大誠の感想が、TKOとリアナのヘッドセットに伝わった。そして女性が質問に答えた。
「はい。おっしゃる通りです。こちらはメイちゃんのマンションです」
「失礼ですが、あなたは?」
「私はルームメイトのマギー・ウォンと言います。私たちはベッドルームを別々に、こちらのリビング・ダイニングを共用して生活していました」
それを聞いて、大誠が手早くキーを操作して、マンションの管理会社である同和興産のメイン・コンピュータに侵入した。TKOがマギーに頷いて言う。
「そうですか。・・・失踪者の身辺調査をするために、しばらく室内を捜査させていただきます。あなたも立ち会っていただけますね?」
「そうですね。承知しました」
マギーは動揺しているのか?その目がわずかに左側に泳いだように見えた。TKOはそれを見逃さなかった。TKOは振り返って、リアナの耳元に小さく耳打ちした。
「俺が室内を捜査する。お前は彼女の表情や目線のその先をチェックしてくれ」
わざとマギーの前で耳打ちしたのは、あえて彼女に猜疑心を植え付けるためだ。
一方、大誠は品川プレジデンシャル・マンションを検索して、901号の契約書を閲覧していた。そして、そこにあった内容をヘッドセットに報告した。
「マンションの契約者は秋川芽以。部屋番号は901号と902号になっている。マギー・ウォンとの共同名義で、おおよそ一年前から契約している。引き続き、マギーについて調べてみる」
それを聞いて、TKOとリアナが小さく頷き合った。二人はまずはリノベーションで隣り合わせの二部屋を貫いて作った40平米に近いリビング・ダイニングを見て歩いた。
50型の4Kテレビ。木製の台座の硬化ガラスのテーブル。毛足の長いオフホワイトのラグマット。そして、ゆったりしたベージュの革貼りのソファに、明るいブラウンの大きな木製のサイドボード。どれも高級そうな趣味の良い調度品ばかりだ。
リアナはベティをどこかで見たような気がしていた。そしてマギーから少し離れて、ヘッドセットに小声で伝えた。
「タイセイ」
「何?」
「私、彼女をどこかで見たような気がするの」
「どこで?」
大誠がそう言ってその顔を曇らせた。リアナが小声でそれに答えた。
「それを今、思い出そうとしているところ」
TKOがヘッドセットにその会話を聞いて、マギーに分からないようにリアナに目配せした。TKOが整理の行き届いたリビングルームを注意深く観察してゆく。リアナが少し遅れて、前を行くベティの様子に注意を向けながら、その後を追った。
「マギー・ウォンの外国人登録証とビザの登録を開示する」
大誠はそう伝えて、指のマウスで右下のモニターを軽く指差して、カメラの映像からマギー・ウォンのその顔を顔認証に取り込んだ。それから入国管理局のデータベースから彼女の外国人登録証を呼び出して、続いて、ビザの登録書をモニターに開示した。そして、それらに虚偽がないかを確認して、TKOとリアナに報告した。
「国籍は中国。上海生まれ。マーガレット・ウォンことウォン・ハイファンだ」
大誠はそう言って、マギーの本名を口にすると、にわかに懐疑的な顔付きになった。
「ちょっと待ってくれ。・・・この名前。前にどこかで見たことがある」
そう言うと大誠は指先をスライドさせ、正面モニターに表示したビザの登録証を左下のモニターに移動した。それから左上のモニターを指差して、インターネットの履歴にウォン・ハイファンの名前を検索に掛けてみた。すると、その名が簡単に見付かった。その名は、『ローズ献血センター』のホームページの会社概要に記されていた。大誠はそれを見付けて愕然となった。それから明かりが灯ったような表情になって、それを報告した。
「見付けたよ。ウォン・ハイファン。マギーは『ローズ献血センター』の社長だ」
TKOはそれを聞いて静かに目を閉じ、それから目を開けて、一瞬だけ鋭い眼差しになった。大誠が報告を続けた。
「彼女は去年の2月にシティに移り住んでいる。就労ビザを申請しているのは、秋葉原にある共愛病院だ。・・・共愛病院の登記簿を調べてみる。それから、秋川芽以の銀行口座をチェックしてみるよ」
大誠はそう言ってキーを操作し、千代田区役所のデータベースに共愛病院の登記簿を呼び出した。続いて右下のモニターに、同和興産に月々の家賃が支払われている秋川芽以名義の七井銀行の口座からの振り込みを見付けた。それから病院事務所にファイルされているマギーの履歴書を開示した。そして登記簿を読みながら報告を続けた。
「共愛病院は二年前に、上海広告や中華中央電信、聖母クリニックなどの上海系の複数の資本で設立されている。ホームページを開いてみる」
続いてマギーの履歴書に目を通し、共愛病院のホームページを別モニターに開いた。ホームページは格調高く、婦人科に特化した予防や治療についての内容が目立った。
TKOが壁に並んだフォト・フレームの写真に目をやった。それらに映ったベティと秋川芽以は、箱根の温泉やディズニーランドなどの観光地や、原宿や銀座などの繁華街に一緒に出掛けて、まるで本物の姉妹のように仲が良い様子だ。なにより芽以が、非常に洗練されていて高貴さを漂わせるマギーのことを慕っているように思えた。
大誠がマギーの経歴をモニターに読み進め、彼女に関する報告を入れる。
「彼女の経歴が凄いよ。上海自治区の常務委員を父親に持っていて、清華大学を卒業すると、ニューヨークに留学して、ウエスト・ルーズベルト病院でレジデントになっている。その後は上海に戻って、私立の聖母クリニックに女医として勤めていた。こいつは正真正銘のエリートだ。彼女には、裕福な上海閥の息が掛かっている可能性が高いね」
続いて、共愛病院のホームページをチェックする。
「共愛病院は、子宮筋腫や子宮内膜症なんかの婦人病の研究で有名みたいだね。治療のアプローチがアメリカ的で、非常に科学的だ。だけど何で今さらこんな病院をシティの真ん中に作ったのかな?子宮頸ガンなんかは、予防接種でほとんどが根絶されているのに」
すると、検索を進めていたサイド・モニターに、秋川芽以の銀行口座が開示された。
「ちょっと待って。秋川芽以の銀行口座が開示された。・・・彼女の口座にはマギー・ウォンから月々30万円の金額が振り込まれている。こいつはそこの家賃のほとんど全額に当たる。てことは、秋川芽以は、ただ同然でそのマンションに住んでいたことになる」
それを聞いて、リアナが小声で憤った。
「学生風情が1500ドルの家賃?・・・舐めているわね」
大誠が苦笑して、それに応えた。
「秋川芽以には、それだけの価値があったってことじゃないかな?二人で仲良く生活していれば、あくまでも表面的にだけど、日本人の社会に溶け込んで見えるはずだ。それで彼女は、親日派だって装っていられる」
TKOがそんな会話をヘッドセットに聞きながら、室内に残った芽以の私物らしい雑貨を見回して、マギーに尋ねた。
「芽以さんの私物はそのままにしてあるんですね」
「はい。彼女はきっと帰ってきます。私はそう信じていますから」
「芽以さんのベッドルームは、こちらでよろしいですか?」
「はい、その部屋です。そちらが彼女のプライベートになります」
マギーはそう答え、わずかに緊張をその顔に浮かべた。TKOがそれを確認し、その部屋のドアを開けた。その部屋は30平米ほどの広さがあった。
大誠がモニターに表示されているマギーのビザの登録証、『ローズ献血センター』の会社概要、マギーの経歴書と共愛病院の登記簿に加え、秋川芽以の銀行口座や同和興産の入金記録などを見渡して、ホッと一息をついて伝えた。
「これで『ローズ献血センター』と事件の被害者がつながった。『マドンナ支援募金』ともつながったね。オレンジ色の羽根飾りとも完全につながったよ」
大誠はそう言うと唐突に閃きを感じて、手早くキーを操作して『ローズ献血センター』のデータベースに侵入した。それからさらにキーを操作し、献血センターの献血者名簿をモニターに開示して、拉致被害者全員の名前をリストにし、手早く双方の共通項を探し出すクロス検索にかけた。
重たげな沈黙を漂わせて、TKOが注意深くベッドルームを観察してゆく。秋川芽以は帽子が好きだったようだ。集めた数種のお気に入りの帽子をガラスのキャビネットの中に飾っている。マギーがそんなガラスのキャビネットが気になってチラリとそれを見た。そんなマギーの視線の先へとリアナの超小型カメラが動いた。
壁には半袖の、花柄のチャイナ風のブラウスがハンガーに吊るされていて、キャビネットにはワークキャップやベレー帽、ビロードの帽子やパナマ帽などが大切に保管されている。マギーに悟られないよう何気なくそれらに目をやると、最上段に飾ったウエスタン風の麦藁帽のリボンに、例のオレンジ色の羽根飾りが付けられていた。リアナがそれを見て、納得して唇を尖らせた。
女性同士で援助し合って、フリーセックスを容認しようとする近年流行の考えに則って、センターで献血している女性たちのその数は驚くほど大量だ。続いて、次から次へと拉致被害者の名前が赤にカラーリングされて、献血者名簿のその中に照合されてゆく。
一人目は秋川芽以。続いて、篠田冴の名前が検出された。それからしばらくして北川瑛子の名前が、さらには平山真鈴の名前が検出されてきた。大誠がそれを見て、恐縮しながら報告する。
「ごめん。俺の調査が甘かったかも知れない。被害者とされる北川瑛子と平山真鈴は、マドンナ募金だけじゃなく献血センターにも通っていた。秋川芽以も献血者だったよ。これで篠田の一件ともつながった。それなのに俺は、・・・なんて間抜けなんだ。・・・献血が事件のポイントになっていたなんて考えもしなかった。相手は北朝鮮の工作だとばかり考えて、まったくマークして来なかったんだ」
ベッドのサイドテーブルに無造作に並べられた天然石のブレスレット。ここにあるのは多分、中国製の品物だ。
TKOがベッドルームの壁に飾ったフォト・フレームを見つめた。そこにある写真は、秋川芽以がマギーと二人でホノルルのビーチで撮影したものだ。TKOはラテックスの手袋を右手に着け、フレームにあるパネルに触れた。すると写真が一旦、閉じられ、ハードディスクに保存されているすべての写真が一覧にされた。中にはマギーと二人で撮影した、上海の街中での写真が10枚ほどあった。
コンピュータ・コクピットのモニターでは、クロス検索が進められていて、やがてはすべての被害者たちが、その場所で献血していたことが明らかになった。
「嘘だろ?」
大誠はそれを知って愕然と震えた。そしてにわかには信じられないといった顔付きになって、そこに照合された事実を報告した。
「こいつは驚きだ。・・・他の被害者たちも一人残らずセンターで献血していた」
TKOはそれを聞いて、リアナに目配せした。するとリアナが、マギーに悟られないよう他所を見ながら小さく頷いてみせた。ようやく湾岸で連続している拉致事件の結び目を見付けだすことが出来た。・・・それでも捜査はまだ、そんな凶悪事件の入り口に辿り着いただけだ。意外なことに、背後には考えていた以上に大きな組織が存在しているようだ。それなら根っこまであぶり出してやる。だからこの場はここまでにしておこう。
その部屋の捜査を切り上げて、二人はエレベーターに乗り込むと、TKOはなぜか不愉快そうに黙り込むばかりだった。リアナはそんなTKOを横目に見て困惑した。とにかく理由を尋ねてみた。
「捜査の切り口が見付かったって言うのに。どうしてそんなに不機嫌なのよ?」
「あの女が一連の事件に関わっているかと思うと、無性に腹が立っちまってさ。俺たちはあの女の目の前にいたんだ。あのまま取っ捕まえて、口を割らせたいくらいだった」
「だけど、それを今やるのは賢明じゃないわ」
「分かっている。だから腸が煮えくり返っているんだ」
すると、リアナがそんなTKOの正面に立って、唇に笑みを浮かべた。
「良いわ。それじゃあ私が、あなたの憤りを取り除いてあげる」
リアナはそう言うと、いきなりTKOの唇にキスをした。それは彼の腰を両手で引き寄せ、始めから舌を絡める、大胆で濃厚な、愛と情熱に溢れたディープ・キスだった。リアナはそうして彼の怒りを一旦、自身の体内に飲み込んで、愛の力で溶解してしまおうと考えたのだ。子宮で物事を受け止める女性だけにしかできない脅威の力による裏技である。
駐車場にやって来て、エアロ・バイクのところまで行く途中に、TKOはハンディコムに大誠を呼んだ。
「マギーのハンディコムのアドレスは調べが付いているよな?」
コンピュータ・コクピットから出てきて、江梨子が煎れたグラスのグリーンティーに口を着けていた大誠が、それに応えた。
「ああ。秋川麻衣のハンディコムの履歴から手に入れている」
「GPSで、彼女の行動を二十四時間態勢で監視してくれ」
「了解」
続いてリアナが、ハンディコムに大誠に伝える。
「マギーのことを思い出したわ。ロベルトの葬儀が行われていた教会内の映像を出してちょうだい」
「OK」
大誠はそう応えると、近くのデスクのモニターにハードディスクの映像ファイルをピックアップした。それから日時を選んで、その映像をモニターに呼び出して伝えた。
「ピックアップした」
「早送りで出席者を確認してみて。確か、篠田の父親がTKOに話しかける少し前よ」
「分かった。君たちもハンディコムのモニターに確認してくれ」
大誠はリアナの指示に従って、ファイルをクリックして、映像を早送りにロベルトの葬儀の際の状況を確認した。棺の遺体に別れを告げる細川警視。安西警部らの湾岸警察の同僚たち。ハーフや外国人が中心だったロベルトの友人たち。誰もが皆、人柄の良かったロベルトを悼んで悲しんでいた。すると篠田の父親が弱々しくTKOのところへと歩み寄ってきた。すると、そんな彼の後方に、喪服のドレスのマギーの姿が映り込んできた。
マギーはハンディコムのSNSに目をやって、その場に居合わせた刑事たちの背後に立ち止まって聞き耳を立てていた。マギーの動作は微妙にわざとらしく、刑事たちの会話に捜査の内部情報を得ようとしていた様子だ。
大誠がそんなマギーを確認して、TKOとリアナに報告する。
「マギーは刑事たちの背後にいることが多かった。そして彼らの会話に耳を傾けている。大胆だね。彼女は捜査の現状をチェックするために、あの教会にやって来ていたんだ」
それから思案する顔付きになって、TKOとリアナに提案した。
「二人にも、ちょっと考えて欲しいポイントがある。献血センターではすべての女たちに血液検査が行われていた。しかも全員に無料でだ。俺はこの点が一番に怪しいと思っている。ちょっとしたカラクリがあるんじゃないかってさ。表向きは婦人病や成人病の早期発見のためだって唱ってはいるが、本当のところは何のためなのか?・・・血液検査では血液型はもちろん、膵臓や肝臓や腎臓の機能や、甲状腺の機能が数値化される。他にも尿酸値やコレステロール、中性脂肪やヘモグロビンの量が明確にされるようだ。それから肝炎ウイルスの有無や、痛風や糖尿病やリウマチを患っていないかが分かるって話だ」
「分かった。それについてはオフィスに着いてから、じっくり話し合おう」
TKOがそれに頷いてバイクのシートへと着いた。リアナが後部座席に跨がって、両手を彼の腰に当てて準備すると、軽くアクセルを絞り上げた。するとエアロ・バイクは低空に浮上して、マンションの駐車場から大通りへと走り出していった。そんな二人を、窓辺に立ったマギーがひとり、優越感と怯えが入り混じった複雑な目つきで眺めていた。
銀座の街は真夜中を過ぎて夜が深まると、まるで潮が引いたかのように人気が無くなる。通りを走るタクシーでさえ、その数は激減する。生きながら死んでいるゴーストタウンのようなものだ。そんな歩道を、体格の良い男たちが歩き抜けてきた。一人は黒革のジャケット、一人はピーコート、一人は黒革のジャンパーを身に着けていて、両手をポケットに突っ込んでいる。三人は格闘家のような精悍にして無骨な顔付きで、ベリーショートの髪型が不敵さを称える。彼らは悠長な日本人には見掛けることのない、隙の無い、引き締まったシリアスさを漂わせている。
ピーコートの男が言った。
「ベティのルームメイトを引っ張っちまったのは、やっぱり危険過ぎやしなかったか?」
黒革のジャケットの男が、それに答える。
「仕方がないさ。得意先からのたっての注文だ。他にめぼしい材料が無かったからな」
横道から出てきた外車のライトにその顔が照らされると、男が指名手配されているテ・ソジンであることが分かった。表情の少ない、冷徹な顔付きのテ・ソジンが続ける。
「その代わり儲けにはなった。通常の三倍近い額だ。たんまりと稼がせてもらったぜ」
「そうか。その値段なら仕方がねえな。何もかも同胞と家族のためだ」
「会社の利益は増える一方だ。これで俺たちは上海でも楽に暮らしてゆけるぜ」
昭和通りを右折して、新橋の駅を左手に見ながら通り越してゆくと、途中、街角に立って日本人のサラリーマンたちを客引きしている韓国エステの女たちが、テ・ソジンたちに笑顔を振りまいて、頭を下げたり頷いてみせて挨拶していた。
トレーニングを終えて、昼食を採って、TKOとリアナがオフィスにやって来ると、大誠が黙々とオフィスのコンピュータに向かっていた。壁面にある大型モニターには、彼女のハンディコムのGPS信号を拾ってマギー・ウォンの現在地が航空写真の拡大地図上に表示されている。区々のビルにある防犯カメラがマギーを捉えると、その度に彼女の姿が映像となってモニターに表示されてくる。
TKOはそれを見て意外に思って、大誠に尋ねた。
「ここに映っているのは、マギー・ウォンだよな?」
「そうだよ。マギー・ウォンだ」
「リアルタイムの姿なのか?・・・どうやって、こんな風に?」
「たいして難しくなかったよ。ベティのハンディコムのGPS信号を視界の近くに感じ取ると、ビルや街中にある、シティの全域に設置されているほとんどの防犯カメラが反応して、その姿を映し出すことになる。管理会社もメーカーも関係なくね」
それを聞いて、リアナが自分の目を疑うような眼差しになって、溜め息混じりに話した。
「凄いわね。こんなことが出来るなんて。LAPDにも教えてやって欲しいわ。そうすればLAも、もう少し安全な街になる」
大誠はキーを巧みに打ち込みながらコンピュータにプログラムを構築していて、そんなリアナの褒め言葉に満悦して笑みを浮かべた。TKOがそんなリアナへと話す。
「こいつは危険だよ。MITではコンピュータ・マエストロって呼ばれていたくらいだ」
続いて大誠が、現在、構築しているプログラムについて説明する。
「カン・ジュンソクのハンディコムのシムを解析して、通話記録にあったアドレスからそれを使用していたハンディコム本体の個体識別番号とIPアドレスを割り出してみた。そうやってカン・ジュンソクが関係していた人間たちのGPS信号を取得するとだ」
大誠がそう言って、エンター・キーを打ち込んだ。するとモニターにある航空写真の地図上に、GPS信号がひとつずつチューニングされて、そしてやがては20個ほどのGPS信号が、新橋や京橋や銀座の周辺に明瞭に拾い出されてきた。
「こいつがカン・ジュンソクの仲間たちの現在地になる」
それを見て、リアナが眼差しを鋭くした。
「拉致事件の実行犯たちね」
「ああ。捜査を続けてきた北朝鮮の元・工作員たちだ」
すると、大誠のデスクのモニターにチャイムが鳴って、唐突にソンナムのその顔が映されて、知的な笑みで挨拶してきた。
「やあ、タイセイ。英知ある者たちだけが人類を導くってね」
「ソンナム。・・・元気かい?ちょうど良いタイミングだ」
ソンナムがカメラの視界にTKOの姿を見て、嬉しそうに挨拶した。
「こんにちは、TKO」
「やあ、ソンナム。そっちの捜査は進んでいるか?」
「はい。今日はひとつ良い報告があります。・・・そちらの美しい女性は?」
「以前話していた俺のステディだ。紹介しておこう。彼女がリアナ・ショウだ」
TKOに紹介されて、リアナがモニターのソンナムに軽く微笑んで会釈した。
「あなたがソンナムね。話は色々と聞いているわ。初めまして。今後ともよろしくね」
ソンナムはリアナの秀麗な美しさに呆然と見蕩れてしまって、TKOに言った。
「ずいぶんと美しい人だ。その上に腕が達つなんて。・・・どこで見付けたんです?」
それを聞いて、TKOが誇らしそうにリアナの横顔を見つめた。するとリアナが、ソンナムに話した。
「LAの女警官で良かったら、今度、友達を紹介してあげるわよ」
「そうなんですか?・・・いや。ぜひ。ありがとうございます。機会があったらよろしくお願いします。本当に、いつでも構わないので、・・・」
ソンナムはそう言って恐縮しながらも鼻の下を伸ばした。それでも、そんな自分が恥ずかしくなって我に帰ると、空咳して姿勢を整え、真顔になって、指でファイルをクリックして伝えた。
「新たに判明した、上海を根城に活動している北軍の元・工作員のメンバーです」
そう言ってソンナムがエンター・キーを打ち込むと、モニターに40名と少しの元・工作員たちの顔写真が一覧にされた。
仕事や暮らしに冷血さが求められるためか、どの顔も感情を押し殺した不敵な面構えをしている。ソンナムがそれを確認して報告を続ける。
「顔写真か人名をクリックしてくれれば、調査で判明した詳細を見ることが出来ます」
そう言ってソンナムが、一人の男の顔写真をピックアップして、その隣にテ・ソジンの顔写真を拡大して並べた。
「以前に照会されていたテ・ソジンは、北軍では中佐の階級を持つコマンダーでした。いわゆる特殊部隊の精鋭で、ここに表示した上海の工作員グループのリーダーであるパク・サンジュンの元で、組織の実行部隊の中核を担っています」
その日の前日、翌朝の午前11時に、テクノポリスのマイクロメカニック社で新型ロボットについての発表があることがマスコミ各社に通達されていた。当日になると、それに合わせて早朝から各社の記者たちがビルの前庭や駐車場などで取材の打ち合わせをしていた。森本は副社長室に待機して、これを機に社会に訴えたいとする考えを思い描き、スピーチ用の原稿にくり返し目を通していた。すると森本のハンディコムに着信音が鳴って、発信元を確認すると、それは今では懐かしい、それほど親しくない、学友だった芦田彰良からのものだと分かった。
それを知って意外に思って、森本は何の用事かと通話パネルにタッチした。
「森本です」
「ごぶさたしています、東都大学の芦田彰良です。このたびは、おめでとうございます」
「どうもありがとう。今回の発表をどちらで?」
「科学技術省の中里事務次官から聞きました。今回は梁瀬博士と協力して、ヒューマノイドの完成形を開発されたとか。大変に素晴らしい発明です」
「そうですか。・・・申し訳ないですが、私は今、発表を前にしていて忙しいので」
「そうですか。そうでしょうね。今回の研究は海外でもずば抜けて評価が高かった。私の『人工レアアース』」に匹敵する研究だと、賞賛する声が後を絶ちません。ヒューマノイドは人間の生活に目に見える形で影響を及ぼします。政府は科学技術賞の授与を検討しているらしいです」
「どれもこれも噂です。噂が先行をしているだけですよ。とにかく話はまた改めて」
「そうでしたね。申し訳ありません。とにかく本日はおめでとうございます。素晴らしい結実です。梁瀬博士と森本さんの研究は末代まで語り継がれます。森本さんの成功を自分のことのように喜んでいます」
「どうも、ありがとう。申し訳ない。悪いが今日はこの辺で」
森本はそう言ってハンディコムの通話を切った。それから深く溜め息をついた。同時に旧友に対して神経質すぎたかと、自らを戒めた。
芦田は、若い頃から正直で、損得を顧みない森本のことを真の科学者だと尊敬してきた。充分すぎる知識を持って、注意深い眼差しと豊かな発想力を持っていながら、納得でき得るほどの成功を収めてこなかったことも熟知していた。それだけに芦田は、今回の研究の成果を心から喜んでくれたのだ。・・・森本はそう思うことにした。
それでも利益の甚大な甘い蜜には、有象無象が集まってくる。森本は梁瀬と二人で邁進してきて、時として梁瀬の強引とも思える決断力があったからこそ、やっとのことで成し遂げた今回の成功を、身を盾にしてでも外野たちから守りたいと考えていた。
午前11時も20分が過ぎて、特設会場となったビルの最上階にあるフードコートは、社員やマスコミ各社たちが集まって、すでにすし詰め状態になっていた。
壇上では森本が歓びを深く噛み締めて、胸を張って落ち着いてスピーチを始めていた。そして『リリィ一号』の登場を促すと、会場には誰からともなく『リリィ』や『ヒューマノイド』の連呼が声高に始まった。連呼は掛け合うように会場に飛び交って、拍手と喝采が鳴り止まなくなった。
そして歓声が上がる中、梁瀬博士とパールホワイトのドレス姿の『リリィ一号』が、まるで本物の親子のように仲良く手をつなぎながら壇上へと歩き出してきた。そんな一人と一台に、前列に陣取ったマスコミのカメラがフラッシュの集中砲火を浴びせ掛けた。
テレビや雑誌などのマスメディアは、いつからか知識や才能のある者たちが主張して表現する場所でなくなって、単なる企業の宣伝広告の媒体に成り下がってしまった。それでも今回に限っては、『リリィの誕生』を世界に正しく知らしめる役割を果たしてくれることを期待していた。梁瀬と森本はこうして積年の願いだった『リリィ一号』の完成を発表し、会社の全員でそれを祝って、一時間ほどの会見が終わると、会社を一日休業して、祝いの酒と軽食を振る舞って午後の二時まで記念のパーティーを催した。そうしてマイクロメカニック社の社員たちは、その日に限っては昼間から祝いの美酒に酔うことが許された。
フードコートに設置されているモニターでは、世界の各国で報道された『ヒューマノイド』の完成会見の反響を表して、専門家たちが評論し、討論して、政界や経済界からの祝辞が公表され、会見を見た一般市民たちの様々な感想が火切りなしに放送されていた。
年齢や部署を越え、社員たちの会話が弾んでパーティーが盛況になった頃、森本のハンディコムにふたたび着信音が鳴った。モニターに表示されたアドレスには見覚えがないものの、そこに表示されているユウサ・オフィスのドメインが気になった。森本は不審に思いながらも静かな場所へと歩き出していって、とりあえずはその電話に出た。
「どちら様ですか?」
すると、モニターに映った見覚えのない男が、思慮深く、謙虚に挨拶した。
「どうも初めまして。私は遊佐義人科学技術大臣の公設秘書をしております、富永英二という者です。こちらはマイクロメカニック社の森本博士のお電話でよろしいですね?」
それを聞いて、森本は恐縮した。政治家の公設秘書がいったい自分に何の用かと。
「どうも。私が森本です。どうかしましたか?」
富永が人懐っこい笑顔を作って、頭を低く説明した。
「どうか失礼をお許しください。東都大学の根本博士に、あなたと関係の深かった芦田博士を紹介していただいて、事情を説明して芦田博士からあなたのアドレスを伺いました」
「なるほど。そう言うことですか。それで?どういった御用でしょうか?」
「はい。それではここでは要点だけを、端的に述べさせていただきます。細かいことは、後ほど科学技術省の官僚とお話しください。よろしいですね?」
「あ、はい。承知しました」
「突然のお電話で驚きかと思いますが、遊佐大臣は次世代の日本経済を牽引する科学技術を求めておられ、以前から御社の研究に注目してきました。そんな中、テレビでの会見を見て、大臣は先ほど、ヒューマノイドを完成させたマイクロメカニック社を、科学技術功労賞に表彰することを決定いたしました。つきましては日程が定まり次第、梁瀬社長と完成された『リリィ一号』に、霞ヶ関の科学技術省までお越しいただきたいのですが」
森本は富永の要望を聞きながら、メディアの威力が想定したより遥かに強烈だったことを実感した。特に表情の変化や言葉の抑揚が包み隠さず目に見えてしまうテレビの影響は絶大だ。『リリィ一号』の存在の自然さは、それを目にした者たちには衝撃が強烈すぎたかも知れない。・・・それでもヒューマノイドは製造を制限して、それを持つ者はその価値を理解でき得る者たちのみに限定する。『リリィ一号』は稚拙な好奇心の対象でなく、人類の英知を象徴する科学技術のアイコンと定めている。肖像さえ、決して安売りすることは許されない。・・・政府からの表彰は、我々の計画を後押しするだけの歓迎するべきものだろうか?それでも補助金や助成金などの絡みがあって、政府の要請を無下に断ることは出来ない。
梁瀬と森本の計画は愚直にして堅実だ。ところが今日からそれは世界の人々に注目されて、森本は予想を超える反響の大きさに、それらの対応に苦慮する羽目になった。
翌日、梁瀬は、取材を論評の確かな欧米のメディアの数社だけに限定した。森本は熟慮の末に、そんな梁瀬に科学技術功労賞の受賞について相談した。すると梁瀬は、「受賞を『リリィ一号』についての最後の厄介な仕事にするつもりだ」と言って、それを快諾した。
遊佐大臣は富永などと協議して、週の一番に、国民に明るい前向きなニュースを提供することが最善と考えて、功労賞の授与式を週明けの月曜の昼前に決定した。
そして翌々週の月曜の午前11時。遊佐大臣はマスコミ各社に囲まれながら、会見室の定位置に陣取って、栄誉を与える梁瀬たちの登場を待ち受けていた。
秘書の富永が控え室のドアをノックして、そのドアを開けて伝えた。
「どうぞ。そろそろ博士たちの出番です」
「承知しました」
仕立ての良い濃紺のスーツの梁瀬がそう言って頷くと、ネクタイの結び目を確認して、優しく微笑み、一人と一台の娘たちに言葉をかけた。
「さあ。それでは出掛けることにしよう。最初で最後の私たちの晴れ舞台だ」
すると、仲良く並んで椅子に腰掛けていた梨々と『リリィ一号』が、「はい」と応えて微笑んで振り返った。二人はお揃いの、濃紺のセーラー・ドレスを身に着けていた。
副大臣や中里らの官僚たちが見守る中、遊佐がソファからおもむろに立ち上がった。そして馴染みの記者たちと簡単に挨拶を交わした。すると富永に案内されて、そんな遊佐の正面へと、梁瀬が一礼して進み出してきた。
一人娘の梨々は凛として可愛く、梁瀬の少し前を歩いた。そして梁瀬は、もう一人の少女の肩に軽く右手を添えている。梁瀬と共に歩いてくる、そこにいる梨々と瓜二つの少女こそが『リリィ一号』だ。それは梁瀬の心臓が発する生体電気を少女の人工筋肉に埋め込んだセンサーがキャッチして、全身のナーヴァス・システムを極めてスムーズに稼働させている。少女は手を添えるだけで歩いたり立ち止まったり、向きを変えたりして、まるで梁瀬と意志が通じているかのように目に見える。意志を手などの感触で彼女に伝えるだけで良いのだ。
遊佐だけでなく、その場に居合わせたすべての人々がそんな少女を目にして驚愕して、一様に呆然となった。動きは少しスローだが、動作は驚くほどスムーズで、一目見ただけで、それは神の御業かと思うほどの、まさしく革新的な創造物であることが分かった。
遊佐はそんな驚異を噛み殺すように飲み込んで、わざとらしく余裕を称えて微笑んでみせた。それから手にしたプラチナ製の楕円のメダルを、梁瀬に差し出して告げた。
「梁瀬社長。科学技術省大臣の遊佐義人です」
「初めまして。マイクロメカニック社の梁瀬と申します」
「このたび日本国政府は、斬新な発想と技術によって人類の夢を現実にしたヒューマノイドの開発に成功したマイクロメカニック社の偉業と功績を讃えます。日本国政府を代表して科学技術省大臣、遊佐義人が、メダルと副賞をここに授与します」
「ありがとうございます」
梁瀬が丁寧に一礼して、メダルと副賞を両手に受け取った。メダルに刻まれたプロメテウスのレリーフが意味深に思えた。それから遊佐は手柄を装って、梁瀬たちと横に並んでマスコミ各社のカメラに向かい、大臣賞受賞の記念撮影をした。それからマスコミ各社の簡単な質問に答えた。
梨々はピンと背筋を伸ばし、澄まして微笑み、世界から賞賛を集めている偉業を成し遂げた父のことを誇らしく思った。一方『リリィ一号』は、ヒューマノイドの電気神経システムによって、相対する人物が笑うと笑みを作り、手を伸ばすとその手を差し出して、手をつないで一緒に歩くなど、対人へのリアクションを識別しながらスムーズに表現した。
それから目や口元の表情が、首や手先などの体の一部が微妙に動いて、生き物らしく一瞬たりともフリーズをしなかった。その姿は生身の梨々と見比べても、まるで瓜二つ。さながら一卵性双生児の姉妹ように思えた。
その日の主役は、明らかに人類初の開発となった『リリィ一号』だ。ところが、それの原型となった娘の梨々も、利発で朗らかな性格が際立って、いつからかもう一人の主役として注目されるようになった。
梨々は彼女の身の回りの世話をして、まるで『リリィ一号』の双子の姉のようだった。遊佐の目には、そんな梨々と『リリィ一号』がまるで何かの絆で結ばれているかのように思えた。
遊佐は、世界の関心が集中しているヒト型ロボットの『リリィ一号』より、天使のように可愛らしい、娘の梨々に奇妙な関心を抱いていた。梁瀬には世界に自慢できる『リリィ一号』がいるのだから、梨々が一人で旅に出掛けても、もはや構わないのではないかと。
そんな倒錯した想念が頭を持ち上げていた。それは若い愛人との間にようやく息子が出来たものの、長年、連れ添った妻との間には子供が出来なかった、遊佐個人の嫉妬によるものかも知れなかった。




