第48話 基礎の応用
ドイツ。ミュンヘン。アマリエンブルク荘。
時はセレーナが交渉した、数分前の出来事に遡る。
「それなら、勝っても負けてもわたくしが鏡面世界にとどまります。その代わり、ジェノ様は外の世界に解放してください。……ただし、彼が解放を拒み、わたくしの元にたどり着ければ、二人とも解放し、あなたには結社を抜けてもらいます」
持ちかけたのは、互いにメリットがある取引。
いわば、二番勝負のところを三番勝負にするもの。
しかも、相手が有利に見えるような状況を作ってある。
食いつくかどうかは、巻いた餌に気付けるかにかかってる。
ただ、相手は絶対に気付く。言った言わないは、老婆の十八番。
「……ほぉ、そうきたか。だったら構わないよぉ」
ほら、かかった。って言わんばかりの笑みを浮かべたくなる。
だけど、今は我慢。笑顔は、勝負に勝った後に取っておくものだから。
◇◇◇
鏡面世界。アメリカ。ブルックリン。ジャンク屋。一階。
時は現在。ジェノが、ローラに詳しい説明を求めた後のこと。
「残念ながら、説明義務はないのぉ。そういう条件だったのよねぇ」
あっけらかんと、ローラは語る。
恐らく、出された条件の裏をかいた。
言われてなかったからやらないの精神だ。
ただ、どうも、しっくりこない部分があった。
(……セレーナさんが、こんなヘマをするのかな?)
切羽詰まっていたから、気が回らなかった。
外でトラブルがあれば、その可能性は考えられる。
だけど、彼女とは少なくない時間を一緒に行動してきた。
人となりは分かるつもりだ。特に勝負中の性格はなおさらだ。
(例えば、わざと条件を緩くして、食いつかせたのか?)
頭に浮かぶのは、ある仮説。
セレーナが考えていそうな撒き餌。
(仮にそうだとしても、その先が分からないな……)
ここまでが、今の情報から引き出せる思考の限界。
ここから先は、自分の目と耳で確かめるしかなさそうだ。
「意地悪ですね。……だったら、逃げ回るまでです!」
ひとまず、鬼ごっこの親と子が入れ替わったとする。
そうなれば、相手の敗北条件は、時間内に鬼に触れること。
だからこそ、ジェノは時間を稼ぐために二階の階段の方へ進んだ。
「うーん、せっかちねぇ。やるだけ無駄だと思うけどぉ」
そんな嫌な声をかけられながらも、階段に足を踏み込む。
目指すは物置小屋。狙いは、そこにあるかもしれないアイテムだ。
◇◇◇
鏡面世界。ジャンク屋。二階。物置小屋。
中には、くたびれた長机と木の椅子が二つ。
部屋の広さは、おおよそ十二畳ぐらいの空間。
窓がないから、逃げ道はどこを見渡してもない。
(きっと、ここのどこかに……)
そんな中、ジェノは必死になって、目的のアイテムを探る。
近辺はガラクタで散らばり、机には空き瓶と、二つ分のグラス。
そして、赤い幾何学模様が彫られた白いアタッシュケースがあった。
「袋の鼠ねぇ。逃げた先は本当にここで良かったのぉ?」
バタンと扉の音が鳴り、乗り込んできたのはローラ。
声はすぐ後ろから聞こえてくる。あまりにも近すぎる距離。
彼女の言う通り逃げ道はなく、不安に駆り立てられそうになる。
(……大丈夫。俺の選択は間違ってない)
それでも、焦ることなく、冷静に、部屋の奥まで進む。
近くには白いアタッシュケースがあり、それを手に取った。
「できると思ったらできる。できないと思ったらできない。意思の力の基礎です」
振り返り、壁を背にして、追い込まれたジェノは語り出す。
それは空き時間での修行中、セレーナに教えてもらった言葉だった。
「魔術の基礎でもあるわねぇ。でも、この状況で何ができるっていうのぉ?」
ローラは話に食いつき、急に襲われる展開はなくなった。
時間稼ぎは成功だ。これで一回分の行動ぐらいは許される。
ただ、ミスはできない。失敗すれば、負けが確定してしまう。
それでもやるんだ。やるしかないんだ。これ以外に、道はない。
(鍵は開いている。中身を知っている。能力も覚えている)
頭に浮かべるのは、鮮明なイメージ。
失敗すればマルタみたいに消えてしまう。
鏡面世界だからこそ、強固に意思を保つんだ。
(――あの言葉の重みを俺は、身に染みて理解している)
イメージはできた。後は形に変えるだけ。
あの時の問いに、今一度、応えないといけない。
「弱者には敗北を、強者には勝利を、戦わぬものには死を。
我、この理を以て、この世全てを支配する魔王とならん」
欲望の言語化。あの時、頭ごなしで否定した言葉をジェノは口にする。
それに応じるように、アタッシュケースから飛び出したのは、銀色の鼠。
それはかつての宿敵。大統領レオナルドが使っていた聖遺物に他ならない。
(力の根源は支配欲。中途半端な気持ちは微塵も混ぜない)
聖遺物は、異能力を宿している動物型の物質。
主との同調率に応じて、能力と形態も進化する。
詠唱文を理解していないと、きっと進化はしない。
その状態だと、打開できない。八方塞がりで終わる。
(意思を込め、言葉を込め、魂を込める)
だけど、意味を知っている。力の引き出し方を分かっている。
その思いが通じるように、銀色の鼠は銀色の輝きを放っていく。
瞬間、ジェノは理解した。これは、魔術と同じ類のものなのだと。
「……へぇ。ここまでが、坊やの筋書き通りってところぉ?」
感心した様子で、ローラは尋ねてくる。
ただ、表情に焦りの色はなく、落ち着いていた。
鏡面世界では驚くに値しない。そう言われてるみたいだ。
「さぁ、どうでしょうね……。教えると思いますか?」
冷たい汗が額に浮かんでいくのを感じる。
想定内だったけど、不測の事態が起きていた。
ジェノが手に持っていたのは、金と銀。二振りの刀。
武器化はできたけど、鎧化まで至ってない及第点の結果。
正直言って、この状態で能力が発揮できるか分からなかった。
だけど、どの道、賭けてみるしかないかもしれない。次の一撃に。




