30 聖女、約束をする
※最終話となります。
【30 聖女、約束をする】
聖女が目を覚ますと、朝だった。それもいつも目覚める時間より早い。まだ白々と薄暗いようで、カーテンの奥から漏れる光は淡い。
起き上がった彼女は自分を見下ろした。違和感があったからだ。
いつもの寝間着では無かった。記憶の最後の時のままの服装で、靴下と靴だけ脱いである。
あれ? と彼女は思う。
わたしはなんで寝ていたんだっけ?
どうにもぼんやりした記憶を手繰るように、前髪を何度か横に流した。
「あっ……」
眠る前のことを思い出して、声が出た。
思い出して、改めて混乱する。
何があったとかそういうレベルで無いくらい、色々あった。
「〜〜〜っ」
自分が何を言って、どうしたのかを思い出して、史織はベッドにうつ伏せに倒れ込んだ。
視界不明瞭最高。
後悔は、していない。
してはいないが、恥ずかしいか恥ずかしくないかという問題とは別だ。
盛り上がったというか、切羽詰まって色々言ったよ……。
嘘は言ってないけど、だからこそ恥ずかしい。
なんなの、これ……。
史織は布団をすっぽり被った。
恥ずかしいのに、嬉しい。
会いたいけど、顔を見たくない。見られたくない。
…………わたしは中学生か!?
いや、待て、最近の中学生ってさー……、という冷静なツッコミが浮かんだところで、顔を出した。真顔で天井をじっと見つめる。
――起きよ。
史織は起き上がり、身支度を整えると台所に移動した。
まず薬缶でお湯を沸かす。何しろ電気もガスも使われていない世界だったから、ここに連れて来られた当初は湯を沸かす事も一人では出来なかった。だが、魔術式のコンロの使い方を教えてもらい、更に改良してもらって、今では多少の煮炊きは出来るようになっていた。
昼食と夕食は通いの料理人が用意してくれるが、朝食はエドワードと共に用意することが多い。エドワードは貴族の出らしいが、器用な上に大体の事は自分で出来るし、刃物の扱いにも慣れていた。
お湯が沸いたので、ティーポットに茶葉を入れる。
思えば、好みの茶葉も出来た。
蒸らし時間も研究した。
史織は薄め、エドワードは少し濃い目。
だけれど、彼は珈琲は軽めの方が好みだ。史織はどちらかといえば、珈琲は濃い目が好きで、甘い物と一緒に摂りたい。
何かと二人の好みは違うけれど、ちゃんと公約数も存在することもお互い知っている。
これくらいの濃さで淹れたら二人とも楽しめる、そのラインを知っているのだ。
各自の好みも、二人で楽しむラインもわかっていて、いつの間にか気兼ねなく、自然に一緒に食事を楽しむことが出来ていた。
考えたことが無かったが、家族でもなかった相手と自然とそのような関係になっていたのだと、じわりと自覚した。
それは特別な事だ。
今は自分の為だけにお茶を淹れながら、史織は思う。
最初は自分の好みを探れるようになるのに精一杯だったのに、今は別の人の好みも知っているし、知りたいとも思う。
それで顔を緩ませてもらえれば、心が暖かくなる。
茶を注いだばかりのティーカップを避けて、テーブルにゴチ、と音がするほど額を打つ。
なんだ。
わかっていたんじゃん、わたし。
切っ掛けはめちゃくちゃだったし、こんな風に穏やかに始まった恋など知らなかったから、気が付かなかった……いや目を逸らしていただけで、もう随分前から気持ちは彼の手を取っていたのだ。
そのまま顔を横に向け、頬をテーブルに付けた。ひたり。冷たい。瞬きを二度する。
決めたから。
もう、一緒にいるって決めたんだ。
史織は身体を起こすと、カップの中に蜂蜜を落とした。
温かいお茶で身体の中が温まった頃、陽がだいぶ上がって明るくなってきた。遠くに鳥の声がする。
そろそろ朝食の準備をしようと、もう一度お湯を沸かす。エプロンを着けて、パントリーから食材を出した。ここにある時間の止まった戸棚は、魔王と聖女が食品の保存用に開発したものだ。あれやこれやと意見を言い合って楽しかったのを憶えている。
やかんをかけるコンロも二人で改良した。コンロの簡易版は特許申請もして、国の方で商品化したらしく着々と財産を潤してくれている。
魔王と聖女が一緒に過ごした記憶はこの家のあちこちにあるし、もしかしたら国中、世界中に溢れているのかもしれない。
二人は聖女と魔王でなければ出会わなかったし、史織とエドワードで無ければこんな風に穏やかに暮らしていけなかっただろう。
わたしたちは、他の誰でもなく、お互いで心を通わせた時間を重ねた。そしてお互いが必要になってしまった。
いろいろ考えはするが、ただそれだけなのだ。
ハムを切ろうかな、と史織がまな板を出したところで、台所のドアが勢いよく開いた。驚いて振り返れば、珍しく慌てた様子のエドワードが居た。
いや、昨日から見た事の無い、見せた事の無い彼を幾度も見ている、と史織は思う。それは不思議と楽しい気持ちにさせた。
「ここにいらっしゃいましたか」
「うん、おはよう」
「――、おはようございます。様子を観に行ったらお部屋にいらっしゃらないので……」
そこでエドワードが大きく息をついた。彼の雰囲気が緩んだ。
「体調は?」
「大丈夫。よく寝たみたいで、いつもより調子が良いみたい」
ほっとエドワードが力を抜くのを見て、史織は笑った。
「ハム、焼いてくれない?」
「承りましょう。では珈琲をお願いしても?」
「りょーかーい」
ハムを焼き、パンとスープを温め直して、珈琲を入れる。食卓に運んで朝食が始まった。
昨日史織が寝てしまった後の事を聞いて、いくつかツッコミを入れつつ朝食を摂る。
リチャードの胃壁を心配し、エドワードの作業用のエプロンと鋏を新調するから午後から金物屋に行かなければ、等と相談していると、珈琲が無くなった。
その後二人で食器を片付け、出勤して来た使用人を迎えた。彼らと昼食の相談と雑談を少しする。曰く、贔屓にしている街の菓子屋に季節物のパイが出たという。季節物と聞けば俄然気になる性分の史織は、午後からの買い物に付いて行って寄って貰おうかな、とエドワードを振り返る。彼は届いた手紙類を受け取り、仕分けをしていた。昨日の事が嘘のような、いつもの朝である。
さて作業棟に移動しようと歩いている時、エドワードが「聖女様、」と声をかけて立ち止まった。史織も立ち止まる。
エドワードは、その灰色の穏やかな目でじっと史織の目を見た。
「約束を一つ頂いてもよろしいでしょうか?」
改まって魔王が言った。聖女は首を傾げる。
「なに?」
聖女の手を取り、そっと自分に引き寄せる。
「いつか貴女の寿命が尽きる時、その時は――」
魔王は聖女と額を合わせた。
「聖女様、私を殺してください」
聖女はぱちくりと目を瞬かせた。
物騒な内容なはずなのに、耳に融ける魔王の声は甘い。
「おそらく貴女が亡くなれば新しい聖女を、という流れになるでしょう――だけれど、私は貴女以外に殺されたくない。いえ、むしろ貴女が居ないのならこの世に未練はありません」
これはまた極端なことを言い出した、と聖女は思う。だが、それも悪くないと思っている自分も自覚していた。
魔王は聖女と一緒に死にたいと言う。甘い声で、誘惑さえ乗せて。
仕方のない人だなぁ、と思いつつ、湧き出た嬉しさは無視できなかった。
聖女ははにかんだ。
「いいよ、約束してあげる」
魔王は嬉しげに目を細め、額を付けたままわずかに角度を変えて聖女を覗き込む。
「誓いのキスをしても?」
聖女は許しを与える代わりに、わずかに伸び上がって自ら口付けた。
唇を離した聖女が、楽しげに言った。
「……なんならその時は一緒に湖に沈んであげる。五百年、一緒に融けましょうか」
聖女の言葉に魔王は破顔した。取った手の指を絡め合う。
「それは素晴らしい。――ああ、私を殺した貴女が帰ってしまわないように準備をしなくては」
「楽しみでしょう?」
「はい」
楽しい予感にくすくす笑うと、二人はもう一度口づけをした。
一緒にいましょう。
いつか、新しいお伽話になるまで。
《おしまい》
お読みくださりありがとうございました。
これにて、『聖女様、私を殺してください』を完結とさせていただきます。
半年強、お付き合いいただき、ありがとうございました。




