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陸弐 毒魔ヶ淵


 亀岩が甲羅に乗った雨音を振り落とそうとした。

「源次、邪魔をするな!」

 地震のように甲羅が揺れた。大沢池に大波が立った。


 雨音は草を掴み、甲羅の凹凸を足場にして、揺れを堪えた。

「実体がある…ってことは、斬れる!」

 彼は確信し、鬼切を抜いた。


 甲羅が激しく揺らいだ。

「あわわっ…」

 雨音は振り落とされそうになって、草に掴まり直した。

 亀岩の長い尻尾が鞭のように襲ってきて、彼のすぐ側を叩いた。

 雨音はズルズル滑った。



「源次…。おまえは本当にしつこいな…」

 マナブの全身から、藍色の電気がパチパチ弾けた。

 マナブが天を仰いだ。

 黒い雨雲の中で、稲妻の龍が閃く。


学瀛(がくえい)。まさか(わし)ごと、雷を食らわす気ではなかろうな?」

 亀岩は甲羅を揺らしつつ、大きく旋回した。

 雨音は甲羅からずり落ちてゆく。


 偶然、大波が琴音を観月台に押し上げた。

「逃げなきゃ…。喰われる…」

 琴音は頭の中が真っ白で、一目散に走った。

「儂の獲物が…。待て!!」

 亀岩が琴音に気付き、太い前脚を陸に着いた。


 雨音はその隙に、甲羅をよじ登った。

 彼の視線は亀岩の延髄(えんずい)を狙っている。

「今だ」

 雨音が高く跳び、上段に振り被った。


(いかづち)の王よ、鬼切の太刀を砕け!!」

 マナブが弓を引き絞って矢を射こむように、雷撃を見舞った。

 バリバリッと天が裂けた。


 亀岩が怒鳴った。

「やはり儂ごと焼き殺すつもりか、学瀛!」

 亀岩がマナブに向って尻尾をしならせた。

「そんなわけないでしょ!」

 マナブは闘牛士(マタドール)のように避けた。


 雷は大沢池と周辺の木々に落ちた。

 亀岩も痺れと痛みを感じ、地面に倒れた。

 地響きがした。


 雨音は大沢池に転落し、異界の深淵に飲み込まれた。

「死んだか?」

 マナブが片目をぎょろっと見開き、大沢池を覗き込んだ。





 琴音は耳を塞ぎ、必死で走った。

 でも、どんなに走っても、建物までの距離が縮まない。

「ここは(わし)の結界じゃあ…」

 亀岩がのっそり起き上がった。


 いつの間にか、空が赤くなっていた。

 長い尾羽を引く鳥が舞う。

 黒い影の差した五大堂から、仏像の顔が覗く。

 異様に大きな目が、柱と柱の間いっぱいを占め、琴音を見詰めていた。


 辺り一帯、水が溢れている。

 琴音の膝まで、急激に水位が上がってきた。

 喉が渇いて、舌が上顎にくっついた。

 膝ががくがくと震えた。


 亀岩は皺だらけの長い首を伸ばし、顔を下げてきた。

 カタツムリのような触角が、琴音に微かに触れた。

 亀岩の息から、硫黄のような悪臭が漂ってきた。

「ひひ…。決して逃げられぬ…。観念して、頭を差し出せぇ…」

 亀岩が長い舌を垂れ、ちょろちょろと動かした。


「さっきの綺麗な男の子はどうなったの? 死んじゃった?」

 琴音は深淵を振り返った。

「役立たず! ちゃんと助けなさいよ、馬鹿!」

 彼女は雨音を罵った。


「友達が死んで、悲しいか? 娘…」

 亀岩が尋ねた。

(みどり)のこと? 大体、あの子が悪いんだ。鬼ツアーに行きたいって言い出したのは、碧なんだから。…ね、別の生贄(いけにえ)を連れて来るわ。だから、私の命は助けて。お願い!」

 琴音はその場を逃れようとして、早口に喋った。


「儂は腹が減っておる。今すぐ、おぬしを喰らいたいのじゃ」

「お願いだから、ちょっと待ってよ。なんで私が? 私って結構優秀で、死んだら悲しむ人が大勢いるの。世の中には、死んでも誰も悲しまない、粗大ゴミみたいなヤツもいるのよ。そいつらを喰ってくれたら、誰もあなたに腹を立てないと思う。最初に喰われるべきは、頭の回転が遅くて使えないゴミ、そこらじゅうにいる給料泥棒よ。私は就職して一年だけど、みんなから将来を期待されてるの!」

 琴音は手を合わせて頼んだ。


 亀岩はヨダレを飲み込み、琴音を眺めた。

「私は誰からも好かれてるの。明るいし、仕事もよく出来るし、高学歴だし。仕事出来なくて、他人とうまくコミュニケーション取れない、オタクっぽい変なヤツが同じ会社にいるから。そいつを明日、必ず連れて来るから…」


「おぬしが誰からも好かれそうな娘だとは、今の話から感じられないがのぅ…」

 亀岩の嘲笑が響いた。

「本当よ! つまんないヤツばっかり。不必要な人間が大勢いるの。キモい落ちこぼれが喰われて、優秀な人間が生き残るべきじゃない?」

 琴音が大声で言った。


「見方を変えれば、おぬしも大概、つまらぬわ…」

 亀岩の首が近寄り、バクッと一口に琴音の上半身を喰った。





 雨音が大沢池から這い上がった。

 荒い息をしているが、火傷も無く、無事だ。

 雨音は琴音を捜した。

「さっきの女の人は…?」

 それらしき死体が目に付いた。


 雨音と亀岩の視線が合った。

 亀岩の聡明な老人の顔に、鬼の狂気が重なっていた。

「源次、何故じゃ…? 雷を受けて、死なぬのか? それでも人間か?」

 亀岩は口をモグモグさせ、何かを吐き捨てた。

 長い髪と眼鏡、女物のアクセサリーの一部だった。


 雨音は水をざばざば流しながら岩場に上がって、鬼切を構えた。

「ここは儂の結界、毒魔ヶ淵(どくまがぶち)。人間の攻撃は効かぬ…」

 亀岩が雨音に近付き、強い酸を吐いた。


 瞬間、雨音が跳んだ。

「俺も鬼だよ、亀岩」

 鬼切が一閃し、亀岩の首に迫る。


 ガチンと鋼の音がして、亀岩が刃を歯で食い止めた。

「源次が…鬼? 何故じゃ?」

 亀岩が歯の間から舌を垂れ、もごもご言った。


 雨音が手首を返す。

 刃の向きが返り、亀岩の歯の間から滑った。

 そのまま頸動脈側に流れるように、雨音が動く。


「源次。鬼であれば、我等の仲間ではない…か…?」

 亀岩の声が掠れて、カタツムリの触角が萎れていく。

 雨音は振り向くように足を踏み換え、左から袈裟に斬り下ろした。

「鬼切を使う度に、俺の魂が刀の鬼に喰われていく…。もう、殆ど喰われた。底無し沼に沈んでいく感覚だよ…」

 雨音が白状した。


 亀岩の前脚の膝が折れ、甲羅が前へ傾いた。

 亀岩の首の両側から、鮮やかな緑の血が迸った。

「ひひひ、そうか…。では、相討ちじゃな…。源次…、地獄へ道…連れ…じゃ……」

 亀岩の嗤いがフェードアウトした。


 雨音が亀岩の額の中央を、鬼切で貫いた。

「かもね」

 雨音が亀岩に答えた。

 亀岩は金色の炎に包まれ、泡立って溶けていった。


 異界が消え、元の景色が戻る。

 雨が大沢池の水面を穿つ。

 人影も寺も霞むほどに、強く降りしきる。

 雨音は刀の一振りで雨を落とし、納刀した。





 数日後。

 しゅとーん部の道場。

 雨音が小声で報告した。

「山上さん。例の…蜘蛛切(くもきり)を、知り合いの刀屋に出しました。(こしら)えを造ってもらってます」

「…ご苦労さん」

 山上がこそっと答えた。



 紅葉、咲良、コマチ達が来た。

 山上と武蔵が木刀を取り、本気で打ち合い始めた。

 ルール無し。寸止め無し。

 間合いを外して睨み合い、またカッカッと打ち合って、二人とも、擦れ擦れでかわす。


「山上さんと武蔵さん、結構体格差あるよね…」

「難しいと思いますよ。山上さんが75キロとして、武蔵さんは100キロちょっとぐらい…」

 旭がコマチに答えた。 

 山上のしなやかな動きと、巨漢の武蔵のキレのある動きは、対比しても面白い。


「紅葉ちゃん。雨音なら、神社の方にいるよ」

 旭が外を指した。

 紅葉は照れながら、道場の外へ出た。



「山上、意外とやるんだな…」

 武蔵がかつての敵を称えた。

「武蔵、馬鹿力やな…。軽く振ってるだけやのに、さすが鬼…」

 山上は真っ赤になった掌を見た。

 木刀で受けただけで、指が内出血していた。


「今日はどうしたんですか? 武蔵さん」

 咲良が聞いた。

「ああ。九尾の狐を見つけたよ。…まぁ、八尾になってたけどな」

 武蔵が恐ろしい話を、笑顔で話し始めた。




 その頃、紅葉は東雲神社の参道へ回った。

 話し声が聞こえてきて、彼女は途中で立ち止まった。

 雨音が狛犬の前で、背の高い美女、静先生と喋っている。

 ちょうど、道場の中の武蔵と、同じ話題をしている。


「…八尾の狐が次々と若い子を襲って、生き肝を喰らっています…。日に日に力が増すばかり。玉藻が死んで、次の(トップ)に立ったのは、別の人格だと思うんですけど。玉藻より気が荒いみたいで…」

 静先生が腕組みして、首を傾げた。


 二人並ぶと、身長は同じぐらい。

 紅葉は声をかけづらくて、話の切れ目を待った。


「で、八尾の狐はどこにいるんですか?」

愛宕(あたご)山。学瀛が築いた鬼の本陣に迎えられているようです」

「人の生き肝を喰いに、山を降りて来る時が狙い目ですね?」

「そんな簡単に始末付けられる相手では…」

 静先生は多少、弱気になっていた。


「静先生。武蔵さんに任せればいいじゃないですか。護ってくれるでしょ、武蔵さん」

「渡邊くん、何を言うんですか。女だから戦えないとか、足手まといとか言うんですか? 私、渡邊くんには負けませんよ?」

 静先生が意地を張った。

「再婚とか考えたらどうですか? 先生、美人なんだし。今でも、鬼になった旦那さんを捜してるんですか?」

 雨音が溜息をつく。

「言わないで。あの人は黙って、鬼と戦う為に行ってしまいました…。私も戦います。私だけ、ここに置いてかないで下さい」

 静先生が涙目になった。


「先生は本当に静御前みたいですねぇ…。設定的に」

 雨音は笑った。

「渡邊くんはあの人に似ています。黙って、どこかに行ってしまいそう…」

 静先生は悲しそうに呟いた。


 聞いていた紅葉はドキッとして、心臓が破れそうになった。

「あれ、紅葉ちゃん…?」

 雨音が紅葉に気付いた。





「もし、今すぐ戦争が始まって、ミサイルが落ちて来て、みんな死ぬとします。後三分しかないの。何をしますか?」

 コマチが手作りのお弁当を広げ、旭と山上の前に出した。

 雲林院が箸を伸ばそうとすると、コマチは、

「旭さんの為に作ったの。他の人も食べていいけど」

 と、言いにくいことをズバッと言う。

 山上の手も思わず止まった。


「戦争も嫌ですし、ミサイルも嫌ですね。男の死に場所つーのがあると思うんですよねぇ。だから、そこへ行きます」

 旭は美味そうにダシ巻き玉子を食べた。

「えっ。彼女はどーなるんですか!?」

 コマチは真剣に突っ込んだ。


「いやいや、彼女いませんから。作りませんから。興味も無いし」

 旭は楽しそうに言った。

「マジで? モテること第一の新見くん達と、人種が違うー」

 コマチが一歩引いた。

「三分か。どうせ逃げきれへんから、諦めるしかないやん。俺はゲームする。咲良ちゃんはどうする?」

 雲林院が咲良に聞いた。

 咲良は何も思い浮かばなくて、固まってしまった。


「男の死に場所に行くのも、間に合わへんやろ。旭、そういう時は好きな女に電話して、愛してると言ってやれ。な、コマチちゃん」

 山上が言い、やっとおかずを箸で摘んだ。


「うへぇー。面倒臭ぇー」

 旭は顔をしかめた。

「私はそういうの、物足りないんですよね。電話じゃなくて…」

 コマチは旭の方に向き直り、

「普段から言ってほしいんですよね。愛してる深さを形で見せてほしいんですよね。プレゼントとか。かぐや姫に求婚した男の人みたいに、手に入れるのが難しいレアアイテムとかを…」

 と、握り拳で力説した。


「あげた(かんざし)を捨てたくせに…」

 旭が突然立ち上がり、食事もそこそこに稽古に戻った。

「え? 私、簪もらってないけど…?」

 コマチはポカンとした。

「そうなんだー。旭さんとコマチちゃん、そうだったんだー」

 咲良が嬉しそうに言った。

「いや、もらってへんよ」

 コマチが繰り返した。


「簪か…。古い過去を蒸し返す男やな、旭は…」

 山上は笑いを堪えた。



 紅葉は雨音と帰った。

 咲良はコマチと帰った。

「あれって、前世の話らしいよ。山上さんが言ってた。(かんざし)の話…」

 咲良がにこにこ笑いながら、コマチに教えた。

「さっぱりわからへん。咲良ちゃんは前世なんて信じるの?」

 コマチは脹れっ面である。


「江戸時代、コマチちゃんと旭さんが出会った話なんだって。しかも、恋人だったらしいよ」

「えー? 何、それー?」

 コマチは大笑いした。

 彼女には、旭のチョンマゲ姿がリアルに想像出来た。


 コマチが咲良に相談した。

「咲良ちゃん。ちょっと、うちに寄ってくれへん? 気になることがあるの。私の部屋の天井のシミが、最近少しずつ濃くなってきて…」

「雨漏りじゃないの?」

 咲良は面倒臭そうに答えた。

「あそこは雨漏りちゃうと思うの」

 コマチが不安がっているので、咲良は寄り道した。





 コマチの家には、姉が一人と、両親、犬猫一匹ずつ。

 リビングはインテリア雑誌に掲載されそうな、シックな感じ。

 二階のコマチの部屋は、広いウォークインクローゼット、シンプルなベッド、天井は斜めになっていて、ロフトがある。


「なんか、イメージ通りの部屋だなぁー」

 咲良は頭をポリポリ掻きながら、コマチの部屋に入った。

「ベッドの上よ。例のシミ」

「ふーん」

 何気なく、咲良は天井を見上げた。


「うわっ!」

 咲良はぱっと部屋を飛び出した。

 そのままドアを閉め、ドアに背中を着けた。


 ドアが軋んで、隙間からコマチの眸が覗く。

「ね、ちょっと怖いシミやん?」

「うん…」

 咲良は一瞬で冷や汗をかいた。


 二人はドアを挟んで、話し続けた。

「一年ぐらい前から、シミはあったんやけど。特に気にしてなかった。でも…、最近、部屋でよく、誰かの視線を感じるって言うか。シミが段々と人間の眸に見えてきて…」

「うん…。見えるね。眸にしか見えないね…」

「咲良ちゃんもそう思う? 少しずつ、人間の顏みたいになってきて。ここ十日ぐらいで、急に濃くなってきた。くっきりと、女の人に見える…」

 コマチは低い声でボソボソ話した。


 天井が斜めになっているせいで、ベッドに寝転がると、目の前にシミの女が迫ってくるようだと言う。

 シスターのような被り物をした、眸のインパクトが大きな女。

 ムンクの「叫び」みたいに、口を開けている。


「あれは嫌だね」

「でしょー? ね、もう一回見てよ。何か憑いてる?」

 ドアの隙間から、コマチが咲良の手を引っ張った。

 咲良は手を掴まれ、身震いした。


 咲良は仕方なく、部屋に戻った。

 二人並んでベッドに座り、天井を見上げる。

 ロフトがあるから、天井も高い。

 中央にペンダントライトが吊り下げられている。


 シスターのようなシミは、両手を組み合わせている姿に近い。

 開いた口から、今にも何か語りかけて来そう。

「気味悪…っ」

 咲良は総毛立った。


 シミの女の、合わせた手の回りが黒々としていて、手錠を連想させた。

「憑いてるって言うか。このシミ、かなりヤバい…」

 咲良がコマチを振り返った瞬間。


 照明が点滅した。

 ペンダントライトが大きく揺れて、咲良の方に飛んできた。

「危ない!」

 コマチが咲良をベッドに押し倒した。

 吊り下げていたチェーンが切れて、落下したのだ。

 もう少しで、咲良の顔に当たるところだった。


 部屋は真っ暗になった。

 暗がりで、何かがぼんやり光っている。

 ベッドの上のシミの辺りだ。

 壁から光が滲み出す。


 二人はシミの方を見上げた。

 シミの女が口角を上げ、にんまり笑っている気がした。


「なんでこれが…?」

 コマチがライトのカバーを見た。

 血のようなものが付着していた。

 血が付いた指で、誰かがライトのカバーを掴み、チェーンを引きちぎったみたいに。


「気になるんだったら、しばらく別の部屋で寝たら? お姉さんと一緒に寝るとか」

 咲良が提案し、早々に部屋を出た。

 咲良は本能的に、この部屋から危険な敵意を感じた。



 二人が廊下に出た時、ベッドがギシギシ音を立て、窓がガタガタ鳴った。

「風? 窓、開けてたっけ?」

 コマチがドアを開けようとした。

「ダメ!」

 咲良はドアを閉め、背中を着けた。

 ドアがガタガタ揺れた。

「私達を呼んでる…」

 咲良は耳を塞いだ。


 ドアは三十秒ぐらい、揺れていた。

 ドアの鍵穴から、すーっと冷たい空気が漏れて来た。

「誰か、ドアの向こう側にいる…」

 咲良が青い顔で言った。


「出て来いっつーの!」

 突然、コマチが咲良を押し退け、ドアを開けた。

 コマチは部屋に飛び込み、

「ここは私の部屋よ。出てけ!」

 と、叫んだ。


 部屋には静寂があった。

 誰もいない。

 窓も閉まっている。

「コマチちゃん。見て、鏡に…」

 咲良が呟いた。


 鏡の中、ベッドと咲良とコマチが映り込んでいた。

 ベッドの上の天井から、半分抜け出した女がいる。

 長い服の裾を引き摺っている。

 女はぼんやり光っている。

 女が体を捩じり、鏡越しに彼女達と視線を合わせた。

 手は前で縛られている。

 顔は全体に黒く、眸だけがギラギラ燃えている。


「出てけ!」

 コマチが鏡の中の女に命令した。


 鏡の中、女が天井からベッドに降りた。

 背を丸め、膝を曲げている。

 女はゆっくりと音も無く動き、ベッドから床に降りた。

 体が衰弱しているような、ぎこちない動き。咳き込む仕草。

 女は窓の方へ移動していく。

 小刻みに揺れ、時々止まりながら、また進む。

 鏡に映る範囲の外へ出た。

 そして、映らなくなった。


「今の女、出てった?」

 コマチは咲良を振り返った。

 咲良が壁の間接照明を点けた。

 ベッドの上と床に、点々と血が落ちていた。


 咲良は窓台に血痕が無いことを確認して、

「まだ、この部屋にいるよ」

 と、言った。





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