表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
49/92

肆玖 寄生虫 


 静先生は落ち着いて、人間の頭部を入れたキャリーケースを引いた。

「ここを出ましょう。この頭部を焼却しなくちゃ。この人は…、ある特殊な微生物に寄生されています。幻覚作用を引き起こす微生物が脳に集まっています…」


 雨音と雲林院はパイプベッドの首無し死体を見た。

 死体の指が、意思を持って何かを掴もうとするように、ピクピク曲がった。

「うわわっ…!! まだ動いてるぞ…!!」

 雲林院が飛び退いた。

 雨音は死体の手に、猫に噛まれたような傷跡を見つけた。


「死体に残っている微生物は、そのうち死滅します。…勿論、君達はあの死体に触らないようにして下さい。頭を失った死体は時間が経過すれば、自然に溶解して消滅します」

 静先生が彼等に注意した。


「…この人、保健の山田先生ですよね。どうするんですか? 殺人になりますよ!」

 雨音達は蒼白になっている。

「おや? 渡邊くん。あなたは鬼に憑かれた人を殺したことがあるんじゃない? 私、そう聞いてますよ」

 静先生が言い返した。


「これは…鬼が原因なんですね?」

「まぁ、そう説明することも可能です。鬼という言葉は広範囲の事象を比喩する、生物外の名詞ですが」

 静先生はヒールを鳴らし、早足で廊下を急いだ。

 隣の校舎へ繋がる、渡り廊下に出た。


「鬼をやっつければ、寄生された人も元に戻るんじゃないんですか!?」

 雲林院が恐々尋ねた。

「そう簡単に済むでしょうか? 原因があって、この結果になっているんです…」

 静先生のキャリーケースが膨らみ、中でガリガリ物音がした。

 中で何かが暴れている。


「静先生。鬼化するのは、心に負の部分を抱えてる人間だけでしょ?」

「ストレスのない現代人なんていないし。稀に、誰からも好かれるような優しい人も、優しさ故に鬼に付け込まれたりします」

 静先生は家庭科室に入り、オーブンの予熱をセットした。


「それで焼くんですか!?」

 雨音と雲林院は仰天した。


 静先生はキャリーケースのファスナーを開けかけて、手を止めた。

「君達はもう昼休みが終わります。教室に戻りなさい。後は私がやります。とにかくじっくり焼いて、熱を加えます。電子レンジじゃ、人間の頭部は水分が多過ぎて爆発しかねませんから」

 静先生が二人を家庭科室から追い出した。



 廊下に出て、雲林院は怒り出した。

「静先生、どうかしてる。狂ってる」

「うん、確かに…」

 雨音は上の空だった。


 彼は雲林院と廊下の曲がり角で反対に分かれた。

「悪い。先生に、俺は体調不良で早退したって言っといて」

「おい、雨音…」

 雲林院に手を振り、雨音は走っていった。





 雨音は裏門まで走り、やっと武蔵に追いついた。

 武蔵は大きな黒猫を抱き、派手な迷彩コートを着ていて、遠くからでも目立った。


 武蔵は裏門を乗り越え、じろりと雨音を見た。

「何なんだ。今日は刀を持ってねーのか。じゃ、俺を斬れねーな。その手はどうした?」

「あんたが…山田先生の首を…、薙刀(なぎなた)で刎ねたんですか!?」

 雨音は走ってきたせいで、息切れしている。


「だったら、どーだってんだよ。それは猫に噛まれたのか? 抗生物質やろうか?」

 武蔵はポケットから、ピンクの錠剤を取り出した。

「結構です」

 雨音が黒猫を睨む。

 黒猫は毛を逆立てて、フーッと唸った。


「野良猫を使って、寄生虫をバラ撒いてる鬼について知りたいんですけど…」

「知らないね…」

 武蔵はとぼけた。


「やるのか? クソガキ。俺は退屈してんだよ。あの妖刀を持って来るなら、いつでも相手してやるぜ。おまえの細い顎を、素手で握り潰す…」

 武蔵はハスキーな声で囁いた。

 普通の子供が聞いたら、小便をちびるぐらいの迫力があった。


 武蔵の格闘家なみの体格、ごつい拳。

「金曜の夜十二時、五条大橋で…」

 雨音は出直すことにした。


 彼は病院に行き、抗生物質をもらった。





 咲良と紅葉のクラスで、自由研究の中間発表があった。

 大型スクリーンと各デスクにパソコンがある教室で行われた。


 コマチは紅葉のグループに参加しながら、自分の率いるグループでも自由研究の発表を行う。

 コマチは紅葉達のパワスポマップを批判した。

「歴史に興味のある人以外にはわかりにくくて、面白くないかも知れないと思います。このマップ見ても、パワースポットの何がパワーなのか、はっきり意味がわかりません」


 教室のスクリーンの前に立ち、プレゼンをする紅葉は、

「一緒にやってんのにあんなこと言う…。コイツ…」

 と、閉口した。


「楽しいってことを伝えたいんだよね…。願い事が必ず叶うとか、運がつくとか、そういうことじゃないんだけど…。訪ね歩く面白さって言うか…」

 咲良は紅葉を時々振り返りながら、クラスメートにもじもじして話す。


「紅葉達のテーマはまだ改良の余地がありそうですね。次のグループは…小野コマチ」

 神谷先生がコマチのグループを呼び出し、紅葉と咲良は席に戻った。



 コマチのグループは犬と猫とどちらが賢いか、というテーマだった。

 犬と猫の性質の違い、自分達で工夫した知能テストと、ありふれたテーマながら他の生徒の興味を引いた。

「みんなは犬と猫、どっちが好きですか? 手を上げて」

 神谷先生がアンケートを取った。

 大体、半々だった。

「僕は猫派ですねー。一匹飼ってますよー」

 神谷先生がにやけた。


「ネコパンチと戦うのが好きなんですよ。時には、野良猫にこうして噛まれたりしますけど」

 神谷先生は手首の傷を擦った。


 神谷先生を噛んだ野良猫は、ぱっと見、野良猫とも思えないぐらい艶々した黒猫。

 眸は金色。

 黒豹を思わせる大型でガッチリした骨格、長い尻尾をしていたと言う。

 それがベランダに入って来て、家の猫に向かって鳴いていたので、追い払おうとしたら噛まれた。


「噛まれても、それでも猫が可愛いんです。猫好きは死ななきゃ治らない」

 神谷先生は本当に人が好さそう。

 だから、みんなに好かれている。





 紅葉は自由研究のことを悩んだ。

「咲良ちゃん、どうする? 物語とパワスポ、っていうテーマに絞ってみる? それとも、鬼とパワスポ、っていうテーマで行く?」

「そうしたら、鬼とか物語と関係ないパワスポを、全部外さなくちゃいけなくなるよね…」

 咲良は残念に思う。


「次は吉田神社と真正(しんしょう)極楽寺行こうか? 吉田神社は平安京を囲む三つの丘の一つ、西の神楽岡(かぐらおか)にある。その裏の真正極楽寺は、九尾の狐に関係するとこなんやけど…」

「京都に九尾の狐に関係するスポットあるの!?」

 紅葉の提案に、咲良が飛び付いた。

 彼女はいつもより一層、ワクワクした。


 吉田神社は中臣・藤原氏の氏神の神社。

 節分の鬼を祓う神事が有名。

 真正極楽寺には、九尾の狐が由来の殺生石(せっしょうせき)で出来た地蔵がある。



 時は平安。

 鳥羽上皇の寵愛を受けた玉藻前(たまものまえ)は、中国からやってきた九尾の狐だった。

 正体がばれた妖狐は栃木県の那須野で討たれ、石になった。

 けれど、石になっても祟り続けて、近寄る者や動物を殺した。

 南北朝時代に移り、源翁(げんのう)和尚が杖で叩いて、殺生石を叩き割った。

 石のかけらは日本のあちこちに飛び散った。


 源翁和尚はそのうちの一つで地蔵を彫り、鎌倉の御堂に安置した。

 江戸時代、夢のお告げによって鎌倉から京都に移されたのが、真正極楽寺・真如堂の鎌倉地蔵。



 咲良はとても喜んで、

「わぁ、そのお地蔵様、見たいー。見たいよう、紅葉ちゃんー」

 と、言った。

 紅葉は歌川国芳の画集をぺらぺら捲り、一枚の絵を見せた。


 玉藻前が九尾の狐であると見破ったのは、安倍晴明の五代孫の安近(やすちか)

 青い水晶玉が光り、九尾の狐を映し出す。

 華やかな図柄の青い狩衣を着た安近は、陰陽師特有の人形(ひとがた)の紙をぶら下げた紐を腰に結んでいる。

 そして、彼が玉藻前の襟を掴む。

 玉藻前が朱塗りの座から引き下ろされる場面だ。


 次に紅葉は、資料としてタブレットの、人形浄瑠璃の玉藻前の写真を見せた。

 着飾った美しい玉藻前の人形が、仕掛けを引くと、目を剥いて、ばさばさの長い髪がうねって広がり、顎が外れて口が裂け、歯が露出する。

 おちょぼ口の美貌が、一瞬で恐ろしい鬼女に変わる。

 鬼女の顔は一度見たら忘れられない、一生イメージが瞼に焼き付くほどの出来だ。


「うっわぁー」

 咲良はワクワクして、妖狐退治の空想を膨らませた。





 神谷先生は体の節々に痛みを感じ始めた。

 インフルエンザの初期症状と似ていた。微熱が出て、とにかく全身だるかった。

 神谷先生は帰りに、近所の診療所に寄った。

 インフルエンザじゃないと診断され、少しホッとしてしまった。


 二、三日して、神谷先生の体調はもっと悪くなった。

 彼は処方された風邪薬を飲んで、学校に通い続けた。

 体が火照り、頭痛がして、夢の中を歩くようなぼんやりした感覚になった。


 金曜日。

 目が覚めると、視界は青みがかってぼやけていた。

 世界が海に侵されているような、不思議な感覚。

 空中を青い(あぶく)が漂っていた。


 ドアを開ける時、一瞬、金属のドアノブがぐにゃっと変形したような気がした。

 手触りは妙に柔らかく思えた。

「うへぇ。何か、気持ち悪い…」


 神谷先生はひどくやつれ、面変わりしていた。

 顏と体の水分が抜けてしまい、かさついて皺が出来ていた。

「休んだ方がいいんちゃう?」

 奥さんが異変に気付いた。

「そうかも。でも、微熱と筋肉痛は収まってきたし、インフルエンザでもないし…」

 彼は迷った。


 奥さんの顔が何故か、妖怪じみて見えた。

 顏がぶよぶよ、ぐにゃぐにゃ、伸びたり縮んだりして見える。

 これは夢? 視覚がおかしい。

「気のせいかな…」

 彼は瞼を指で擦った。



 自宅を出たら、朝日がやけに眩しかった。

 彼は貧血を感じながら、日陰を選んで歩いた。


 彼の姿を見て、近所の犬がフェンスの向こうで吠えた。

 いつもより騒がしい吠え方だった。

 そして、今日はアニメの擬人化された犬みたいな表情をして、ウヒヒと嗤った。

 犬はいかにも邪悪な表情で、

「俺の縄張りの前を通るんじゃねぇ。てめぇ、苛つくんだよ…」

 と、囁いた。

「えっ!?」

 神谷先生が驚いて立ち止まると、犬は犬小屋に入った。



 木材を多く使った明るい正面玄関で、登校してきた生徒が神谷先生に軽くぶつかってきた。

「こら! 走るなよ!」

 珍しく大声で言ってしまい、自分でも苛々しているのがわかった。


 職員室で自分のデスクに鞄を置く。

 積み上げた本の隙間から、一匹の蜘蛛が出て来た。

 蜘蛛は糸を出してデスクからぶら下がり、床に逃げた。

 蜘蛛が毒々しい赤い斑点を持っている。

 神谷先生は咄嗟に、上履きで蜘蛛を踏んだ。


「やりやがったな、チクショー。呪ってやるからな…」

 蜘蛛が呟いて絶命した。

「そんな馬鹿な。虫や犬が喋るわけない。疲れてんのかな。想像したことを聞いたみたいに思い違いしてる…」

 神谷先生は頭を抱えた。



「神谷先生。ちょっと手伝ってもらえますか…」

 両手に荷物を抱えた若い女の先生が、ドアを開けてもらおうと、彼に頼んだ。

「ひっ」

 神谷先生が悲鳴を飲み込んだ。

 女の先生はぽかんとした。

「どうしたんですか、神谷先生。鬼でも見たみたいに」


 女の先生に牙が生えている。額に大きな目玉がある。

 頭のてっぺんに口が開いた。

 鬼女だ。

 しかも、彼女は有り得ない荷物を抱えている。

 段ボール箱に入れた、子供のバラバラ死体。


「そ、そんなものをどこに持ってくんですか!? け、警察を呼びますよ!」

 神谷先生が大声で叫んだ。

「へ!? 職員室のシュレッダーが調子悪いから、別のシュレッダーを借りに行くんですけど?」

 女の先生がのんびりと答え、神谷先生は衝撃を受けた。

「犯罪を隠蔽しようとしてるんですか!? シュレッダーにそんなものが入るもんか!!」

「は!?」

 女の先生と話が通じない。


 彼は隣りの先生のゴミ箱に、血塗れの子供の頭部が入っているのを発見した。

「うわっ!! こんなものを捨てていいと思ってるんですか!? こんな許されないことをして…」

「どうしちゃったんですか、神谷先生!? それは破れたから捨てたんです。もう授業で使えないから」

 隣りの先生が彼の勢いにおどおどした。

「破れたから捨てたー!? 授業に使うって、どういうことですか!? 酷過ぎる。警察を呼ばなくちゃ…」

 神谷先生は子供の頭を拾い上げ、泣き出した。


「何があったんですか、神谷先生!?」

 先生達は困惑して、その場で固まった。


 彼等は神谷先生が泣きながら破れた教材を撫でるのを見詰めた。

 言っている内容も意味不明。

 職員室にざわめきが起きた。

 神谷先生は幻覚を見て、幻聴を聴いている。



 彼はふらふらして職員室から飛び出した。

「みんな、無事か!? 僕の生徒は…」

 教室に着くと、もやもやした青い波と、妖怪学級の生徒達が待っていた。


「君達、その顔はどうしたの!? 何が起きた!?」

 神谷先生が妖怪中学生に言った。

 鬼、河童、山姥、座敷童、妖怪が教室にいっぱいいる。

 妖怪が一斉に神谷先生を見た。


 紅葉達は一瞬、違和感を感じた。

「お、お…はようございます…。神谷先生…」

「ああ、みんなおかしくなって…。この世界でまともなのは、僕だけ…!!」

 神谷先生が教壇の上にあったものを床にぶちまけ、教室から走り出た。


「神谷先生! どうしたんですか?」

 コマチが神谷先生を追いかけた。

「うるさい!! おまえはコマチじゃない。コマチのふりした妖怪だ!!」

 彼はコマチを突き飛ばし、廊下を突き進んだ。


「今の、何やろ!?」

 紅葉が咲良を振り返った。

「鬼の匂いがした…」

 咲良が答えた。



 神谷先生は髪を掻きむしった。

「眩しい…。視界が歪んで、眩しい…。…誰かが耳元で、死ね、死ね、死ね…と、繰り返し言ってる気がする。なんで死ななあかんの? そう思うけど、何だか死にたくなってきた…。吐き気がする…。もう我慢出来ひん…」

 彼は洗面所に飛び込んだ。


 彼は鏡で自分の顔を見た。

 顔色は最悪。

 皮膚は硬く、犬歯が長く伸び、鬼か妖怪に見える。

 腐ったような、酸っぱい匂いがする。

「おまえ、誰や!? 僕に憑りついた鬼か!? 今朝のことは全部、おまえの仕業か!?」

 彼は鏡に映った自分を、鬼だと思い込んだ。


 彼は掃除用具入れから箒を出して、柄で鏡を叩いた。

 何度も叩き、鏡にヒビが入った。

 途中で吐き気が込み上げ、彼は手を洗面台に着いた。


 紅葉とコマチが洗面所に着いた。

「先生、吐いたらダメです。きっと、先生に憑いた鬼が…他の人にも伝染したがってます…」

 紅葉が洗面所の入り口から話しかけた。

 その後ろに咲良がいる。


「助けて…」

 神谷先生がタイル張りの床にゴボッと吐いた。

「キャー!!」

 咲良が叫んで、一番先にその場から逃げた。


「先生、しっかりして!!」

 紅葉は叫びながら、山上からもらった封筒を取り出した。

 神谷先生には紅葉だけが、妖怪じゃない、まともな人間に見えた。

「紅葉、助けてくれ。しんどくて死にそうや。僕は…もしかして…死ぬの…!?」

 神谷先生がハンカチで口を押さえ、青褪めた顔をして、紅葉に近寄ろうとした。


「先生、ストップです」

 紅葉は手で制し、封筒の口をゆっくり切り開いた。

 中には、墨で書かれた呪符が入っていた。


「山上さん、よろしくお願いします。鬼が出たよ!!」

 紅葉が呪符を神谷先生の目の前にかざした。

 彼女の手が小刻みに震えた。


「お…おぅ…、うおぉ…」

 神谷先生は白目を剥き、わけのわからない呻き声を上げた。

 彼の体がカクカクと、おかしな動きで揺れた。


 コマチについて来たイケメン男子の新見が、

「紅葉。それ、何なん!?」

 と、横から覗き込んだ。

 呪符は何も発動しなかった。

「あれ? 不発?」

 紅葉が慌てた。


 神谷先生はゴボゴボ吐き、

「紅葉、聞いて。大変や…。この学校で、先生達が生徒を虐殺してる。死体をゴミ箱に捨てたり、シュレッダーにかけようとしてる。僕は無力で、何も出来ない。死にたい…」

 と、呟いた。


「先生、落ち着いて。そんなわけないし…」

 コマチが神谷先生に駆け寄ろうとした。

「待って。先生に触ったらダメ。何かおかしい…」

 紅葉がコマチを引っ張り戻した。


「世界が青い海に侵されてゆく…。みんな溺れて死んでしまう。もう死ぬしかない。苦しんで死ぬのは嫌や。紅葉、一緒に死のうー!!」

 神谷先生が唐突に紅葉の首を絞めながら、廊下の窓の方向へ突進した。

 彼は窓ガラスを体当たりで突き破り、破片を飛び散らせて、窓の外へ飛んだ。


「紅葉!!」

 紅葉の手を新見が引っ張り、かろうじて彼女は窓の手前に残った。


「神谷先生ー!!」

 紅葉とコマチが同時に叫んだ。


 三階から落ちた神谷先生は宙返りし、猫のようにうまく着地した。

 校舎の各階の窓際の生徒が、その瞬間を見た。

「何!? 今の…」

 複数のクラスで大騒ぎが起きる中、神谷先生はグラウンドへ駆け出した。


 その日から、神谷先生は失踪した。





 紅葉は神谷先生の嘔吐物に触れないよう、駆け付けた生徒達に注意した。

 しかし、他の先生達が雑巾で拭いて片付けてしまった。


「紅葉ちゃん、猫だよ。野良猫に噛まれて、神谷先生はおかしくなったんだよ。何かに寄生されてるみたいだった。雨音くんも猫に噛まれて、腫れてたよね!? 雨音くんは大丈夫かな!?」

 咲良がおろおろした。

 紅葉の顔から血の気が引いた。

「雨音くんが…」


「R高に行ってみよう。うちらだけでは何も出来ひん。雨音くんなら、何とかしてくれはる」

 コマチが紅葉の肩を叩いた。

 彼女達は中学の帰り、R高へ向かった。



 R高の正門前。

 妹に呼び出された蘇芳が、剣道着で姿を見せた。

 剣道着で、雲林院もくっついて来た。

「紅葉、どうしたん? 俺、今日は後輩の稽古を見てるんやけど」

「おにぃ。部活、引退したんでしょ?」

 紅葉は少し呆れた。


「雲林院くん、雨音くんは?」

 紅葉達が尋ねた。

「おいおい、雨音の追っかけか? ダサいぞ、紅葉」

 蘇芳が犬を追い払うように、しっしっと手を振った。


「あいつ、もう帰ったよ。今夜十二時、五条大橋で、静先生のお兄さんの武蔵って人と会うらしくて…」

 雲林院が告げた。

 紅葉は五條天神社で見かけた静先生を思い出した。

「なんで? 雨音くんが美人の先生のお兄さんと会うの?」

「ちょっとややこしいねん。グロい話やし、紅葉ちゃんには言えへん…」

 雲林院は口籠った。


 蘇芳が目を光らせた。

「紅葉。危ない話に首突っ込んだらあかんで…。雲林院、おまえはもう黙れ!」

 蘇芳が雲林院の剣道着の襟を掴み、引き寄せた。

 雲林院は怖い先輩に一発殴られ、ビクビクした。


「紅葉。あんたは帰りよし。心配せんでええよ。夜、俺と雲林院で様子見に行くし」

 蘇芳が紅葉に強い口調で言った。

 彼は雲林院を連れ、剣道部に戻った。



 紅葉達は余計に雨音が心配になった。

 神谷先生のこともある。

 蘇芳には内緒で、女の子三人で五条に行くことにした。





 五条大橋。

 ぽつぽつと小雨が降る。


 紅葉、咲良、コマチは橋のたもとに隠れている。

 今夜は月が無くて暗いので、紅葉達はうまく隠れることが出来た。

 この辺りは繁華街から離れ、夜中に人通りはない。


 雨音が五条通りを西からやって来る。

 彼は橋の真ん中で立ち止まった。


 鴨川のせせらぎが聴こえ、涼しい風が渡る。

 松原橋、どんぐり橋の向こうに四条大橋。

 鴨川はゆるく曲がっている。



 二メートル近い巨漢の武蔵が、清水寺の方向から来て、橋を渡って来る。

 黒いニット帽、薙刀を布で包んで背負い、黒猫を抱いている。


 四条側から河原町通りを、蘇芳と雲林院が早足で歩いて来た。

 蘇芳は肩から細長いケースを掛けている。

「雨音…」

 蘇芳が最初に呼びかけた。


 雨音は近付く武蔵を意識しながら、返事した。

「蘇芳さん。ちょっとヤバい話なんで、そこで見ててもらえませんか。雲林院…、なんで蘇芳さんに話したんだよ…?」

「俺かって、心配やって言うのー」

 雲林院が言い訳した。

 彼も竹刀袋に刀を入れて来た。


「何だよ。ヘタレのガキども。一対一が怖くて、仲間連れか。何人いるんだ? 俺は構わねーけどな…」

 武蔵がハスキーな声で言い、橋の欄干に凭れた。

「なぁ、源次。牛若丸と弁慶じゃなくて、渡辺綱と鬼の出会いってか。時空を超えた出会いだな」

 武蔵が自分で言って、鼻で笑った。



 咲良はフードを被り、雨をしのぎながら、百鬼夜行のことを考えていた。


 真暗な都大路、橋のたもとに隠れた稚桜姫。

 彼女の側に、蘇芳と同じ顔で巻(えい)(おいかけ)を付け、青い(ほう)を着て、弓矢を装備した男。

 どろどろと重く黒い霧が流れ、鬼達のざわめきと唄、踊りが近付いてくる。

 目にははっきりと見えないのに、大勢の足音が聞こえる。

 強い妖気を発する黒い影がいくつも見えてきて、その中に長い角のマナブに似た鬼が混じり、彼女の前を行き過ぎていく…。



 雨音は肩から鬼切のケースを下ろし、ファスナーを開く。

「その黒猫は…例の寄生虫を持ってるんですか?」

「はぁ? 何の話をしてんだよ…。俺が何かやらかしたとでも言うのかよ…」

 武蔵は愛しそうに黒猫を撫で、地面に下ろした。

 黒猫は軽く跳躍し、欄干に乗った。


「ふーん、いい刀じゃねーか。…欲しくなるなァ」

 武蔵は楽しそうに、鬼切の美しい白刃を眺めた。

 雨音は長い太刀を抜いて構えた。

「鬼を斬る為だけに調達したんですよ」


「マジか…」

 背後で蘇芳が溜息をついた。

 彼も肩に掛けていたケースを下ろし、地面で開いた。

 蘇芳は桐箱から、(こしら)えを改めた呪いの刀・雷帝を取り出した。





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ