肆玖 寄生虫
1
静先生は落ち着いて、人間の頭部を入れたキャリーケースを引いた。
「ここを出ましょう。この頭部を焼却しなくちゃ。この人は…、ある特殊な微生物に寄生されています。幻覚作用を引き起こす微生物が脳に集まっています…」
雨音と雲林院はパイプベッドの首無し死体を見た。
死体の指が、意思を持って何かを掴もうとするように、ピクピク曲がった。
「うわわっ…!! まだ動いてるぞ…!!」
雲林院が飛び退いた。
雨音は死体の手に、猫に噛まれたような傷跡を見つけた。
「死体に残っている微生物は、そのうち死滅します。…勿論、君達はあの死体に触らないようにして下さい。頭を失った死体は時間が経過すれば、自然に溶解して消滅します」
静先生が彼等に注意した。
「…この人、保健の山田先生ですよね。どうするんですか? 殺人になりますよ!」
雨音達は蒼白になっている。
「おや? 渡邊くん。あなたは鬼に憑かれた人を殺したことがあるんじゃない? 私、そう聞いてますよ」
静先生が言い返した。
「これは…鬼が原因なんですね?」
「まぁ、そう説明することも可能です。鬼という言葉は広範囲の事象を比喩する、生物外の名詞ですが」
静先生はヒールを鳴らし、早足で廊下を急いだ。
隣の校舎へ繋がる、渡り廊下に出た。
「鬼をやっつければ、寄生された人も元に戻るんじゃないんですか!?」
雲林院が恐々尋ねた。
「そう簡単に済むでしょうか? 原因があって、この結果になっているんです…」
静先生のキャリーケースが膨らみ、中でガリガリ物音がした。
中で何かが暴れている。
「静先生。鬼化するのは、心に負の部分を抱えてる人間だけでしょ?」
「ストレスのない現代人なんていないし。稀に、誰からも好かれるような優しい人も、優しさ故に鬼に付け込まれたりします」
静先生は家庭科室に入り、オーブンの予熱をセットした。
「それで焼くんですか!?」
雨音と雲林院は仰天した。
静先生はキャリーケースのファスナーを開けかけて、手を止めた。
「君達はもう昼休みが終わります。教室に戻りなさい。後は私がやります。とにかくじっくり焼いて、熱を加えます。電子レンジじゃ、人間の頭部は水分が多過ぎて爆発しかねませんから」
静先生が二人を家庭科室から追い出した。
廊下に出て、雲林院は怒り出した。
「静先生、どうかしてる。狂ってる」
「うん、確かに…」
雨音は上の空だった。
彼は雲林院と廊下の曲がり角で反対に分かれた。
「悪い。先生に、俺は体調不良で早退したって言っといて」
「おい、雨音…」
雲林院に手を振り、雨音は走っていった。
2
雨音は裏門まで走り、やっと武蔵に追いついた。
武蔵は大きな黒猫を抱き、派手な迷彩コートを着ていて、遠くからでも目立った。
武蔵は裏門を乗り越え、じろりと雨音を見た。
「何なんだ。今日は刀を持ってねーのか。じゃ、俺を斬れねーな。その手はどうした?」
「あんたが…山田先生の首を…、薙刀で刎ねたんですか!?」
雨音は走ってきたせいで、息切れしている。
「だったら、どーだってんだよ。それは猫に噛まれたのか? 抗生物質やろうか?」
武蔵はポケットから、ピンクの錠剤を取り出した。
「結構です」
雨音が黒猫を睨む。
黒猫は毛を逆立てて、フーッと唸った。
「野良猫を使って、寄生虫をバラ撒いてる鬼について知りたいんですけど…」
「知らないね…」
武蔵はとぼけた。
「やるのか? クソガキ。俺は退屈してんだよ。あの妖刀を持って来るなら、いつでも相手してやるぜ。おまえの細い顎を、素手で握り潰す…」
武蔵はハスキーな声で囁いた。
普通の子供が聞いたら、小便をちびるぐらいの迫力があった。
武蔵の格闘家なみの体格、ごつい拳。
「金曜の夜十二時、五条大橋で…」
雨音は出直すことにした。
彼は病院に行き、抗生物質をもらった。
3
咲良と紅葉のクラスで、自由研究の中間発表があった。
大型スクリーンと各デスクにパソコンがある教室で行われた。
コマチは紅葉のグループに参加しながら、自分の率いるグループでも自由研究の発表を行う。
コマチは紅葉達のパワスポマップを批判した。
「歴史に興味のある人以外にはわかりにくくて、面白くないかも知れないと思います。このマップ見ても、パワースポットの何がパワーなのか、はっきり意味がわかりません」
教室のスクリーンの前に立ち、プレゼンをする紅葉は、
「一緒にやってんのにあんなこと言う…。コイツ…」
と、閉口した。
「楽しいってことを伝えたいんだよね…。願い事が必ず叶うとか、運がつくとか、そういうことじゃないんだけど…。訪ね歩く面白さって言うか…」
咲良は紅葉を時々振り返りながら、クラスメートにもじもじして話す。
「紅葉達のテーマはまだ改良の余地がありそうですね。次のグループは…小野コマチ」
神谷先生がコマチのグループを呼び出し、紅葉と咲良は席に戻った。
コマチのグループは犬と猫とどちらが賢いか、というテーマだった。
犬と猫の性質の違い、自分達で工夫した知能テストと、ありふれたテーマながら他の生徒の興味を引いた。
「みんなは犬と猫、どっちが好きですか? 手を上げて」
神谷先生がアンケートを取った。
大体、半々だった。
「僕は猫派ですねー。一匹飼ってますよー」
神谷先生がにやけた。
「ネコパンチと戦うのが好きなんですよ。時には、野良猫にこうして噛まれたりしますけど」
神谷先生は手首の傷を擦った。
神谷先生を噛んだ野良猫は、ぱっと見、野良猫とも思えないぐらい艶々した黒猫。
眸は金色。
黒豹を思わせる大型でガッチリした骨格、長い尻尾をしていたと言う。
それがベランダに入って来て、家の猫に向かって鳴いていたので、追い払おうとしたら噛まれた。
「噛まれても、それでも猫が可愛いんです。猫好きは死ななきゃ治らない」
神谷先生は本当に人が好さそう。
だから、みんなに好かれている。
4
紅葉は自由研究のことを悩んだ。
「咲良ちゃん、どうする? 物語とパワスポ、っていうテーマに絞ってみる? それとも、鬼とパワスポ、っていうテーマで行く?」
「そうしたら、鬼とか物語と関係ないパワスポを、全部外さなくちゃいけなくなるよね…」
咲良は残念に思う。
「次は吉田神社と真正極楽寺行こうか? 吉田神社は平安京を囲む三つの丘の一つ、西の神楽岡にある。その裏の真正極楽寺は、九尾の狐に関係するとこなんやけど…」
「京都に九尾の狐に関係するスポットあるの!?」
紅葉の提案に、咲良が飛び付いた。
彼女はいつもより一層、ワクワクした。
吉田神社は中臣・藤原氏の氏神の神社。
節分の鬼を祓う神事が有名。
真正極楽寺には、九尾の狐が由来の殺生石で出来た地蔵がある。
時は平安。
鳥羽上皇の寵愛を受けた玉藻前は、中国からやってきた九尾の狐だった。
正体がばれた妖狐は栃木県の那須野で討たれ、石になった。
けれど、石になっても祟り続けて、近寄る者や動物を殺した。
南北朝時代に移り、源翁和尚が杖で叩いて、殺生石を叩き割った。
石のかけらは日本のあちこちに飛び散った。
源翁和尚はそのうちの一つで地蔵を彫り、鎌倉の御堂に安置した。
江戸時代、夢のお告げによって鎌倉から京都に移されたのが、真正極楽寺・真如堂の鎌倉地蔵。
咲良はとても喜んで、
「わぁ、そのお地蔵様、見たいー。見たいよう、紅葉ちゃんー」
と、言った。
紅葉は歌川国芳の画集をぺらぺら捲り、一枚の絵を見せた。
玉藻前が九尾の狐であると見破ったのは、安倍晴明の五代孫の安近。
青い水晶玉が光り、九尾の狐を映し出す。
華やかな図柄の青い狩衣を着た安近は、陰陽師特有の人形の紙をぶら下げた紐を腰に結んでいる。
そして、彼が玉藻前の襟を掴む。
玉藻前が朱塗りの座から引き下ろされる場面だ。
次に紅葉は、資料としてタブレットの、人形浄瑠璃の玉藻前の写真を見せた。
着飾った美しい玉藻前の人形が、仕掛けを引くと、目を剥いて、ばさばさの長い髪がうねって広がり、顎が外れて口が裂け、歯が露出する。
おちょぼ口の美貌が、一瞬で恐ろしい鬼女に変わる。
鬼女の顔は一度見たら忘れられない、一生イメージが瞼に焼き付くほどの出来だ。
「うっわぁー」
咲良はワクワクして、妖狐退治の空想を膨らませた。
5
神谷先生は体の節々に痛みを感じ始めた。
インフルエンザの初期症状と似ていた。微熱が出て、とにかく全身だるかった。
神谷先生は帰りに、近所の診療所に寄った。
インフルエンザじゃないと診断され、少しホッとしてしまった。
二、三日して、神谷先生の体調はもっと悪くなった。
彼は処方された風邪薬を飲んで、学校に通い続けた。
体が火照り、頭痛がして、夢の中を歩くようなぼんやりした感覚になった。
金曜日。
目が覚めると、視界は青みがかってぼやけていた。
世界が海に侵されているような、不思議な感覚。
空中を青い泡が漂っていた。
ドアを開ける時、一瞬、金属のドアノブがぐにゃっと変形したような気がした。
手触りは妙に柔らかく思えた。
「うへぇ。何か、気持ち悪い…」
神谷先生はひどくやつれ、面変わりしていた。
顏と体の水分が抜けてしまい、かさついて皺が出来ていた。
「休んだ方がいいんちゃう?」
奥さんが異変に気付いた。
「そうかも。でも、微熱と筋肉痛は収まってきたし、インフルエンザでもないし…」
彼は迷った。
奥さんの顔が何故か、妖怪じみて見えた。
顏がぶよぶよ、ぐにゃぐにゃ、伸びたり縮んだりして見える。
これは夢? 視覚がおかしい。
「気のせいかな…」
彼は瞼を指で擦った。
自宅を出たら、朝日がやけに眩しかった。
彼は貧血を感じながら、日陰を選んで歩いた。
彼の姿を見て、近所の犬がフェンスの向こうで吠えた。
いつもより騒がしい吠え方だった。
そして、今日はアニメの擬人化された犬みたいな表情をして、ウヒヒと嗤った。
犬はいかにも邪悪な表情で、
「俺の縄張りの前を通るんじゃねぇ。てめぇ、苛つくんだよ…」
と、囁いた。
「えっ!?」
神谷先生が驚いて立ち止まると、犬は犬小屋に入った。
木材を多く使った明るい正面玄関で、登校してきた生徒が神谷先生に軽くぶつかってきた。
「こら! 走るなよ!」
珍しく大声で言ってしまい、自分でも苛々しているのがわかった。
職員室で自分のデスクに鞄を置く。
積み上げた本の隙間から、一匹の蜘蛛が出て来た。
蜘蛛は糸を出してデスクからぶら下がり、床に逃げた。
蜘蛛が毒々しい赤い斑点を持っている。
神谷先生は咄嗟に、上履きで蜘蛛を踏んだ。
「やりやがったな、チクショー。呪ってやるからな…」
蜘蛛が呟いて絶命した。
「そんな馬鹿な。虫や犬が喋るわけない。疲れてんのかな。想像したことを聞いたみたいに思い違いしてる…」
神谷先生は頭を抱えた。
「神谷先生。ちょっと手伝ってもらえますか…」
両手に荷物を抱えた若い女の先生が、ドアを開けてもらおうと、彼に頼んだ。
「ひっ」
神谷先生が悲鳴を飲み込んだ。
女の先生はぽかんとした。
「どうしたんですか、神谷先生。鬼でも見たみたいに」
女の先生に牙が生えている。額に大きな目玉がある。
頭のてっぺんに口が開いた。
鬼女だ。
しかも、彼女は有り得ない荷物を抱えている。
段ボール箱に入れた、子供のバラバラ死体。
「そ、そんなものをどこに持ってくんですか!? け、警察を呼びますよ!」
神谷先生が大声で叫んだ。
「へ!? 職員室のシュレッダーが調子悪いから、別のシュレッダーを借りに行くんですけど?」
女の先生がのんびりと答え、神谷先生は衝撃を受けた。
「犯罪を隠蔽しようとしてるんですか!? シュレッダーにそんなものが入るもんか!!」
「は!?」
女の先生と話が通じない。
彼は隣りの先生のゴミ箱に、血塗れの子供の頭部が入っているのを発見した。
「うわっ!! こんなものを捨てていいと思ってるんですか!? こんな許されないことをして…」
「どうしちゃったんですか、神谷先生!? それは破れたから捨てたんです。もう授業で使えないから」
隣りの先生が彼の勢いにおどおどした。
「破れたから捨てたー!? 授業に使うって、どういうことですか!? 酷過ぎる。警察を呼ばなくちゃ…」
神谷先生は子供の頭を拾い上げ、泣き出した。
「何があったんですか、神谷先生!?」
先生達は困惑して、その場で固まった。
彼等は神谷先生が泣きながら破れた教材を撫でるのを見詰めた。
言っている内容も意味不明。
職員室にざわめきが起きた。
神谷先生は幻覚を見て、幻聴を聴いている。
彼はふらふらして職員室から飛び出した。
「みんな、無事か!? 僕の生徒は…」
教室に着くと、もやもやした青い波と、妖怪学級の生徒達が待っていた。
「君達、その顔はどうしたの!? 何が起きた!?」
神谷先生が妖怪中学生に言った。
鬼、河童、山姥、座敷童、妖怪が教室にいっぱいいる。
妖怪が一斉に神谷先生を見た。
紅葉達は一瞬、違和感を感じた。
「お、お…はようございます…。神谷先生…」
「ああ、みんなおかしくなって…。この世界でまともなのは、僕だけ…!!」
神谷先生が教壇の上にあったものを床にぶちまけ、教室から走り出た。
「神谷先生! どうしたんですか?」
コマチが神谷先生を追いかけた。
「うるさい!! おまえはコマチじゃない。コマチのふりした妖怪だ!!」
彼はコマチを突き飛ばし、廊下を突き進んだ。
「今の、何やろ!?」
紅葉が咲良を振り返った。
「鬼の匂いがした…」
咲良が答えた。
神谷先生は髪を掻きむしった。
「眩しい…。視界が歪んで、眩しい…。…誰かが耳元で、死ね、死ね、死ね…と、繰り返し言ってる気がする。なんで死ななあかんの? そう思うけど、何だか死にたくなってきた…。吐き気がする…。もう我慢出来ひん…」
彼は洗面所に飛び込んだ。
彼は鏡で自分の顔を見た。
顔色は最悪。
皮膚は硬く、犬歯が長く伸び、鬼か妖怪に見える。
腐ったような、酸っぱい匂いがする。
「おまえ、誰や!? 僕に憑りついた鬼か!? 今朝のことは全部、おまえの仕業か!?」
彼は鏡に映った自分を、鬼だと思い込んだ。
彼は掃除用具入れから箒を出して、柄で鏡を叩いた。
何度も叩き、鏡にヒビが入った。
途中で吐き気が込み上げ、彼は手を洗面台に着いた。
紅葉とコマチが洗面所に着いた。
「先生、吐いたらダメです。きっと、先生に憑いた鬼が…他の人にも伝染したがってます…」
紅葉が洗面所の入り口から話しかけた。
その後ろに咲良がいる。
「助けて…」
神谷先生がタイル張りの床にゴボッと吐いた。
「キャー!!」
咲良が叫んで、一番先にその場から逃げた。
「先生、しっかりして!!」
紅葉は叫びながら、山上からもらった封筒を取り出した。
神谷先生には紅葉だけが、妖怪じゃない、まともな人間に見えた。
「紅葉、助けてくれ。しんどくて死にそうや。僕は…もしかして…死ぬの…!?」
神谷先生がハンカチで口を押さえ、青褪めた顔をして、紅葉に近寄ろうとした。
「先生、ストップです」
紅葉は手で制し、封筒の口をゆっくり切り開いた。
中には、墨で書かれた呪符が入っていた。
「山上さん、よろしくお願いします。鬼が出たよ!!」
紅葉が呪符を神谷先生の目の前にかざした。
彼女の手が小刻みに震えた。
「お…おぅ…、うおぉ…」
神谷先生は白目を剥き、わけのわからない呻き声を上げた。
彼の体がカクカクと、おかしな動きで揺れた。
コマチについて来たイケメン男子の新見が、
「紅葉。それ、何なん!?」
と、横から覗き込んだ。
呪符は何も発動しなかった。
「あれ? 不発?」
紅葉が慌てた。
神谷先生はゴボゴボ吐き、
「紅葉、聞いて。大変や…。この学校で、先生達が生徒を虐殺してる。死体をゴミ箱に捨てたり、シュレッダーにかけようとしてる。僕は無力で、何も出来ない。死にたい…」
と、呟いた。
「先生、落ち着いて。そんなわけないし…」
コマチが神谷先生に駆け寄ろうとした。
「待って。先生に触ったらダメ。何かおかしい…」
紅葉がコマチを引っ張り戻した。
「世界が青い海に侵されてゆく…。みんな溺れて死んでしまう。もう死ぬしかない。苦しんで死ぬのは嫌や。紅葉、一緒に死のうー!!」
神谷先生が唐突に紅葉の首を絞めながら、廊下の窓の方向へ突進した。
彼は窓ガラスを体当たりで突き破り、破片を飛び散らせて、窓の外へ飛んだ。
「紅葉!!」
紅葉の手を新見が引っ張り、かろうじて彼女は窓の手前に残った。
「神谷先生ー!!」
紅葉とコマチが同時に叫んだ。
三階から落ちた神谷先生は宙返りし、猫のようにうまく着地した。
校舎の各階の窓際の生徒が、その瞬間を見た。
「何!? 今の…」
複数のクラスで大騒ぎが起きる中、神谷先生はグラウンドへ駆け出した。
その日から、神谷先生は失踪した。
6
紅葉は神谷先生の嘔吐物に触れないよう、駆け付けた生徒達に注意した。
しかし、他の先生達が雑巾で拭いて片付けてしまった。
「紅葉ちゃん、猫だよ。野良猫に噛まれて、神谷先生はおかしくなったんだよ。何かに寄生されてるみたいだった。雨音くんも猫に噛まれて、腫れてたよね!? 雨音くんは大丈夫かな!?」
咲良がおろおろした。
紅葉の顔から血の気が引いた。
「雨音くんが…」
「R高に行ってみよう。うちらだけでは何も出来ひん。雨音くんなら、何とかしてくれはる」
コマチが紅葉の肩を叩いた。
彼女達は中学の帰り、R高へ向かった。
R高の正門前。
妹に呼び出された蘇芳が、剣道着で姿を見せた。
剣道着で、雲林院もくっついて来た。
「紅葉、どうしたん? 俺、今日は後輩の稽古を見てるんやけど」
「おにぃ。部活、引退したんでしょ?」
紅葉は少し呆れた。
「雲林院くん、雨音くんは?」
紅葉達が尋ねた。
「おいおい、雨音の追っかけか? ダサいぞ、紅葉」
蘇芳が犬を追い払うように、しっしっと手を振った。
「あいつ、もう帰ったよ。今夜十二時、五条大橋で、静先生のお兄さんの武蔵って人と会うらしくて…」
雲林院が告げた。
紅葉は五條天神社で見かけた静先生を思い出した。
「なんで? 雨音くんが美人の先生のお兄さんと会うの?」
「ちょっとややこしいねん。グロい話やし、紅葉ちゃんには言えへん…」
雲林院は口籠った。
蘇芳が目を光らせた。
「紅葉。危ない話に首突っ込んだらあかんで…。雲林院、おまえはもう黙れ!」
蘇芳が雲林院の剣道着の襟を掴み、引き寄せた。
雲林院は怖い先輩に一発殴られ、ビクビクした。
「紅葉。あんたは帰りよし。心配せんでええよ。夜、俺と雲林院で様子見に行くし」
蘇芳が紅葉に強い口調で言った。
彼は雲林院を連れ、剣道部に戻った。
紅葉達は余計に雨音が心配になった。
神谷先生のこともある。
蘇芳には内緒で、女の子三人で五条に行くことにした。
7
五条大橋。
ぽつぽつと小雨が降る。
紅葉、咲良、コマチは橋のたもとに隠れている。
今夜は月が無くて暗いので、紅葉達はうまく隠れることが出来た。
この辺りは繁華街から離れ、夜中に人通りはない。
雨音が五条通りを西からやって来る。
彼は橋の真ん中で立ち止まった。
鴨川のせせらぎが聴こえ、涼しい風が渡る。
松原橋、どんぐり橋の向こうに四条大橋。
鴨川はゆるく曲がっている。
二メートル近い巨漢の武蔵が、清水寺の方向から来て、橋を渡って来る。
黒いニット帽、薙刀を布で包んで背負い、黒猫を抱いている。
四条側から河原町通りを、蘇芳と雲林院が早足で歩いて来た。
蘇芳は肩から細長いケースを掛けている。
「雨音…」
蘇芳が最初に呼びかけた。
雨音は近付く武蔵を意識しながら、返事した。
「蘇芳さん。ちょっとヤバい話なんで、そこで見ててもらえませんか。雲林院…、なんで蘇芳さんに話したんだよ…?」
「俺かって、心配やって言うのー」
雲林院が言い訳した。
彼も竹刀袋に刀を入れて来た。
「何だよ。ヘタレのガキども。一対一が怖くて、仲間連れか。何人いるんだ? 俺は構わねーけどな…」
武蔵がハスキーな声で言い、橋の欄干に凭れた。
「なぁ、源次。牛若丸と弁慶じゃなくて、渡辺綱と鬼の出会いってか。時空を超えた出会いだな」
武蔵が自分で言って、鼻で笑った。
咲良はフードを被り、雨をしのぎながら、百鬼夜行のことを考えていた。
真暗な都大路、橋のたもとに隠れた稚桜姫。
彼女の側に、蘇芳と同じ顔で巻纓、緌を付け、青い袍を着て、弓矢を装備した男。
どろどろと重く黒い霧が流れ、鬼達のざわめきと唄、踊りが近付いてくる。
目にははっきりと見えないのに、大勢の足音が聞こえる。
強い妖気を発する黒い影がいくつも見えてきて、その中に長い角のマナブに似た鬼が混じり、彼女の前を行き過ぎていく…。
雨音は肩から鬼切のケースを下ろし、ファスナーを開く。
「その黒猫は…例の寄生虫を持ってるんですか?」
「はぁ? 何の話をしてんだよ…。俺が何かやらかしたとでも言うのかよ…」
武蔵は愛しそうに黒猫を撫で、地面に下ろした。
黒猫は軽く跳躍し、欄干に乗った。
「ふーん、いい刀じゃねーか。…欲しくなるなァ」
武蔵は楽しそうに、鬼切の美しい白刃を眺めた。
雨音は長い太刀を抜いて構えた。
「鬼を斬る為だけに調達したんですよ」
「マジか…」
背後で蘇芳が溜息をついた。
彼も肩に掛けていたケースを下ろし、地面で開いた。
蘇芳は桐箱から、拵えを改めた呪いの刀・雷帝を取り出した。




