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壱肆 鬼との戦いが始まった


 カエルに憑かれた菊井を斬り殺した為に、一つ目の小鬼が雨音を追ってきた。

 彼は自宅マンションで、待ち伏せに遭った。


 雨音が居合刀ケースを開き、刀袋の紐に手を触れた。

 一つ目の小鬼が、

「北野の宮から持ち出した刀か…、源次…」

 と、壁の中から出て、廊下に浮かんだ。


 小鬼の周囲に、ボ、ボ、ボッ、と音立てて、いくつもの鬼火が燃え上がった。

「斬れるものならな。源次、おぬしの力が試される…」

 一つ目の小鬼は、十歳ぐいの子供の身長。

 顔の中央にある眸は禍々しく、ギザギザの鋭い歯は鮫のようだ。


 雨音はあの柔和な笑みもなく、ふてぶてしい。

「黙れ」

 彼は一瞬で、刀袋の紐を引き解いた。



「おぬしはその刀で、鬼を斬ろうとする…。おぬしも鬼の末裔でありながら…」

 小鬼が懐から龍笛を取り出し、物悲しい旋律を奏で始めた。

 少し聞いただけで涙が出るような、心に沁み入る音。

 まさに、鬼だけが奏でられる音だった。


 笛の調べとともに、世界が歪んだ。

 玄関の平衡が崩れ、空気がピキピキと鳴った。



「鬼と人間が共存する限りは、斬ろうと思わない…。でも、もし鬼がオレ達を(おびや)かすなら、斬るしかないでしょ?」

 雨音は鬼を斬る理由について、簡潔に話した。


 一つ目の小鬼は忌々しそうに、笛を吹く指を休め、

「はぁ、ああ…、そうか。源次、我等の呪いは避けられぬぞ…。忘れるな。おぬしが我等を斬るごとに、おぬしもまた誰かを失うのじゃ…」

 と、言った。



 雨音は一つ目の小鬼が話す途中で、いきなり太刀・鬼切を一閃した。

 狭い玄関で躊躇なく、雨音が居合刀ケースごと鞘から抜刀し、前へ跳んだ。

 廊下に浮かぶ小鬼を、逆袈裟に切り上げた。


 最初の一太刀は空を切り、一つ目の小鬼は幻影のように手応えがなかった。

「一つ目!!」

 雨音が小鬼を呼ぶ。


 彼は斜めに切り上げた鬼切を、袈裟に切り下ろした。

 風を切る音とともに、小鬼の姿を二つに裂いた。

 しかし、斬れない。


「実体のない鬼を、どうやって斬ったらいいんだ?」

 雨音は戸惑った。


「天井も高くない、壁と壁に挟まれたこの狭い場所で、おぬしは刀を振り回すことさえ困難なはず…」

 小鬼が嘲笑う。

「それがどうした…」

 雨音は前に跳び出し、小鬼の頭を狙った。

 小鬼は軽く数メートル後方に跳び、かわした。



 廊下の空間が奥へ間延びしている。

 玄関入ってすぐにトイレと洗面所のドアが並び、奥がキッチンのドアになっている。

 2メートルぐらいの奥行のはずだ。


 雨音は剣道のように、鬼切を連続して突き出し、素早く踏み込んだ。

 突きは届いているように見えて、スカスカと手応えがなかった。

 小鬼は重力も関係なく、天井や壁を旋回するように走って逃げた。

 小鬼にとって、壁は水面と同じ。出たり入ったり出来る。



 更に、雨音の前に何匹もの鬼が現る。

 猿のような顔をした、背が曲がった鬼だ。

 彼より上背があり、額に角、醜い歯並びで、ゴリラのような剛腕を持つ。


「ぐはぁー!!」

 長い腕を振り回し、掴みかかって来る。

 顔が朱く、腹部と腕の毛が白い。

 手の爪が剃刀(かみそり)を思わせる。


 雨音は猿の鬼を、続けて斬る。

 鬼は斬られた途端に、霧のようにぶわっと散っていく。

 豆粒大の無数の小鬼になって、ばらばらに飛び回るのだ。

 そして、雨音の背後まで通り過ぎて、また集合して一体の鬼に戻る。



 雨音は動きを制限された場所で、太刀を身にまとい付かせるようにさばき、姿勢を低く取った。

 彼の動きが予想外に速くて、小鬼の方が舌を巻いた。

「おぬし、人間の分際で…速いな…」


 負けじと、小鬼が笛を吹く。

 呪いの音色が世界を捻じ曲げ、雨音は床に片膝を着いた。


 雨音は急に、誰も居ない方向に向かって太刀を一閃させた。

 片膝を着いた低姿勢から、膝を入れ変えて体を背後側にさばき、切り下ろす。

 今度は手応えがあった。


「一つ目。邪眼も、魔笛の音も効かない。おまえは最初から、見える中に居なかった…。オレはずっと、狙ってた…」

 雨音に血飛沫が飛んだ。

 妖刀・鬼切の刃が、遂に一つ目の小鬼に食いついた。


 誰も居ないはずのところから、一つ目の小鬼の頭が転がり落ちた。

 驚愕に金色の眸を見開き、口を叫ぶ形に開いていた。


「やりおったな、源次…!!」

 小鬼の霊体の生首が、苦痛の形相で唸った。

 髪を左右に分けた揚巻の片方が切れ、片側だけおかっぱのようになっていた。


 猿の鬼の集団が消え、壁の反対側に、小鬼の首無し胴体が落ちてきた。

 一つ目の生首がカッと歯を剥き、雨音を目がけて跳んだ。

 雨音は本能的に一歩下がって、間合いを計り、生首を切り付けた。


 彼は太刀を突き立て、頭頂から顎までを刺し貫いた。

 小鬼の開いた口から、鬼切に貫かれて血塗れになった舌が落ちた。

 金色の眸は見開かれたまま。

 口から血の泡がブクブクと出た。


 金色に揺らめく鬼火が立ち上がり、小鬼の頭部が炎に包まれた。

 めらめらと燃える頭。

 何か叫んでいる一つ目の小鬼。

 その顔も叫びも、炎が小さくなると溶けるように消えていった。

 床に倒れていた胴体も、同時に起きた鬼火に包まれ、消え去った。



「はぁ、はぁ、はぁ…」

 雨音は荒い息をして、手の甲で額の汗を拭った。

 彼は無意識に血振りをして、鬼切の刃を見詰めた。

 鬼切は刃こぼれもなく、鬼の血に汚されることもなく、宝石のように光っていた。



 雨音の額に、第三の目が生まれた。

 瞼が上下に開き、金色の虹彩に、異なる次元が映った。

 彼は眩暈(めまい)を感じ、思わず手で目を覆った。


 まさか、一つ目の小鬼を斬り殺したら、雨音に第三の目が出来るなんて…。

 彼は小鬼の呪いの言葉を思い出す。

「…忘れるな。我等を斬るごとに、おぬしもまた誰かを失うのじゃ…」


 不吉な予言だった。





 週明け。

 六月になり、今週から中学校も夏服。


 紅葉は熱が下がり、学校へ行った。

 コマチが紅葉と咲良のところに来て、

「咳が出るの…。やっぱり、菊井くんの病気が感染ったみたい…。どうしよう…」

 と、相談してきた。


「単なる風邪ちゃう? 私も咲良ちゃんも風邪引いたよ。菊井くんが死んだし、もうカエルの毒気はないと思う」

 紅葉が答えた。


「うん、消えたね。カエルの毒気…」

 咲良が教室を眺めた。

 黒ずんで見えた校舎は、今は清潔で爽やかに感じられる。

 クラスのみんなも体調がよくなり、血を吐いた担任の先生も、すっかり回復したようだ。



 担任の先生は菊井が死んだニュースで、悲嘆に暮れていた。

「紅葉、教えてくれ。何があった!? 誰が菊井くんをあんな目に遭わせた!? それと、江津くんはどうなった!?」

 紅葉は何も答えられず、目を伏せた。


 仕方なくコマチが、

「さぁ…。私達、宇治で菊井くんとはぐれちゃって…。何があったんですかねぇー!?」

 と、白々しくとぼけた。




 翌日。

 朝から、紅葉達のクラスは京都国立博物館に行くことになっていた。

 紅葉達は班ごとに分かれ、行動した。


 博物館入り口のチケット売り場で、担任の先生がチケットを買っている。

 紅葉と咲良の近くに、国語の三木先生が来た。

 咲良は異様な気配に気付き、振り返った。


 三木先生だけが未だ、カエルの毒気に冒されていた。

 今日も落ち着いた色のスーツではなく、何故か派手な赤いワンピースを着ていた。

 潔癖な先生だったのに、肩までの髪にフケが出て、寝癖が付いていた。


 三木先生はハイヒールでガニ股に歩く。

「ああ、ここは息苦しい。堅苦しい授業はつまらない。外でお話しましょうか」

 と、生徒を博物館の前庭に連れて行った。

 紅葉と咲良は嫌な予感がして、追いかけた。



 チケット売り場から入って右に、明治時代の洋館が建ち、奥に近代的な建物がある。

 この近代的な建物がメインの展示施設。

 洋館が初期の博物館で、今は特別展などで使われている。

 褪せたオレンジ色のレンガで、左右対称の形をしている。


 建物の前は、彫像と噴水の庭園になっている。

 円形の大きな噴水と、ロダンの「考える人」がある。

 左手に右肘を置いて顎を触り、物思いに耽る男性の坐像。



 三木先生は鼻唄をうたい、生徒を連れて庭園を歩いた。

 「考える人」をじっと眺めたり、不気味な彫像を見て歩いたり。

 急に、噴水の池を覗き込む。

 風で水面がさざ波立っている。


「ほら、魚がいる。ちょっと、ご覧なさい」

「え、どこですかー?」

 生徒が池を覗いた。

 しかし、魚なんて見えない。


「ほら、そこよ。よくご覧!」

 三木先生が数人の頭を押さえ、池に蹴り落とした。


「うわぁっ!!」

 生徒が悲鳴を上げて転落した。

 三木先生はカエルのようなガニ股で歩き、他の生徒を次々と水に落とした。

「いやぁっ!!」

 コマチも髪を引っ張られ、三木先生に落とされそうになった。


「コマチ!!」

 紅葉がコマチの腕を掴む。

 コマチは両足が水に浸った。


「先生、ヘビがいるよ!!」

 咲良が鞄から、ゴム製のヘビを投げた。

 カエルに憑かれた菊井を想定して、用意しておいた玩具のヘビだ。


「うひぃーっ!!」

 三木先生がヘビの玩具を本物だと思い込み、慌てて払い落した。

 その大袈裟な様子を見て、咲良は確信した。

「今度は三木先生の中に…、カエルの鬼が居るんだ!?」


「何のこと?」

 先生がニヤリとした。



 池では、五、六人の生徒が溺れていた。

 浅いはずなのに、すぐに池から出られない。

 コマチも水底を蹴ろうとしたが、足先に何も届かない。


 生徒の周囲で、小さな何かがピチピチと跳ねている。

 魚のようで、魚じゃない。

 青黒い(うろこ)や、(ひれ)はあるけれども、人間の手と足もある。

 気味悪い魚眼で、口をパクパク動かしている。 

 咲良を異界の池に引き擦り込もうとした、あの水の鬼だ。


「何か、ピラニアみたいな魚がいるー!!」

 他の生徒が大騒ぎした。

 彼等には、水の鬼が魚に見えるらしい。


「何かありましたかー!?」

 博物館の警備員も駆け付けた。



 転落した生徒が、水深く引き込まれていく。

「こいつら、みんな、鬼に喰わせてやるんだよ…」

 三木先生が高笑いを響かせた。


 咲良は生徒を落とそうとする三木先生の腕にしがみ付き、叫んだ。

「先生、目を覚ましてー! 鬼になっちゃダメ!! カエルを拒否してぇー!!」

 このままでは、先生が菊井やマナブのように鬼になってしまう。


「ふはは、はは…。何を抜かす、小娘が…。おまえが源次と組んで、誰の首を斬ろうとも、私は死にゃしないんだ。ふはは…」

 三木先生の中のカエルが答えた。



 コマチが池に沈んでいく。

 底なし沼のように。

 紅葉は必死に、コマチの腕を支え続けた。


「も、紅葉…。助けて…」

「わかってる。コマチ、もう少し辛抱して。すぐ神谷先生が来るから…」

 紅葉は担任の先生が来るのを待った。

 手が痺れてきた。


 落ちた生徒は、底に引き込まれてしまった。

 紅葉は救助の方法が思い浮かばない。


「紅葉…。何かが…足を引っ張ってる…」

 コマチが青褪めて言う。

 紅葉は、コマチの足を掴む魚の鬼を見た。

 コマチは顔まで沈み込み、水をがぼっと飲んでしまった。



 その頃、三木先生が毒気を吐き出し、咲良に吹きかけた。

 カエルが鳴くように、ケロケロと三木先生の喉が鳴った。

「咲良、死ね!! 毒にやられて死ね!!」

 先生が怒鳴った。


 咲良は鼻を摘み、

「毒気は心に隙のある人にしか、効かないから…」

 落ち着こうと思い、自分に言い聞かせた。


 三木先生はからかうように言った。

「咲良。おまえはなんで男の人が怖いんだ? 私にはわかるよ。おまえ、義理の父親に殴られて…、顔がボコボコに腫れあがった…。…ははぁ、私には見えるよ…」



 咲良はぎょっとした。

 動揺した途端、その心の隙に付け入るように、彼女に毒気が浸入した。

 頬の皮膚がピクピクと動き、豆粒大の鬼が蠢く気配がした。


 咲良は母親の再婚相手に暴力をふるわれた、人生で一番恐ろしかった日を思い出した。

 恐怖で、全身に震えがきた。

 すると、彼女の頬の皮膚の下、小鬼が増殖していく。


「やめて…」

 咲良は地面に座り込み、泣き出しそうになった。



 三木先生は得意になり、もっと咲良を苛めにかかった。

「咲良。お養父さんがさ、おまえの顔が気に(さわ)るって…。おまえの…」

「やめてよ…!!」

 咲良が頭を抱え、叫んだ。





 コマチは足を掴んでいる鬼のせいで、何度も沈み、池の水を飲んだ。

 やっと、担任の神谷先生が走って来た。

「紅葉!! 三木先生がみんなを池に突き落としたって…ほんまか!? 小野小町、落ちたんか!?」

 先生は紅葉を手伝い、すぐにコマチを池から引き上げた。


 その時、噴水の池の中心から泡が出てきた。

 強い風が吹いて波がうねり、池から溢れ出した。

 波はどんどん大きくなった。


「うわ、何やろ!?」

 彼等が注視していると、池の水がゴボゴボと音立てて盛り上がった。

 中央の噴水を包み込んで、青い水柱が立ち上がり、突然弾けた。

 皮膚が青く変色した人間が出て来た。


 それは池に落ち、溺れた男子生徒。

 制服でそうとわかるものの、顔は水の毒で青くなり、歪んでいる。

 しかも、白目を剥いている。



「ぐぁーっ!!」

 男子生徒が口々に叫びながら、噴水の池から跳び出してきた。

「きゃー!! 何が起きたん!?」

 紅葉とコマチは互いに手を取り合った。

 神谷先生は意味がわからず、呆然としていた。


「みんな、鬼に体を乗っ取られたんやわ!!」

 紅葉が男子生徒を操る鬼を見抜いた。


 藻が絡まった男子生徒は、歩き方が妙にぎこちなかった。

 紅葉とコマチが走って逃げた。

「あかん、逃げろー!!」

 神谷先生が叫び、他の生徒と博物館の警備員も、我先に逃げ出した。



「警察呼ぼう…」

 コマチがスマホを取り出した。

「警察には、鬼が見えへんねん!!」

 紅葉は立ち止まりかけたコマチを引っ張った。


 水の鬼に体を乗っ取られた男子生徒は、白目を剥き、

「ほんぐわぁぁぁっ!!」

 と、ヨダレを垂らして叫びながら、紅葉をぶっ飛ばした。

 一撃で紅葉は吹っ飛び、ロダンの「考える人」の足元にぶつかって倒れた。


「紅葉ぃー!!」

 コマチは両側から男子生徒に捕まり、紅葉に助けを求めた。

 だが、紅葉も三人の生徒に囲まれていた。

 彼等は鰭が付いた手で掴みかかってきた。



 コマチは男子生徒を振り払おうとして、

「放して!! キモいねんッ!!」

 普段見せたこともない怖い顔になって、彼等を引っ叩いた。


 叩かれた男子生徒は白目で唸り、

「うう、コマチ…。おまえ…、いつも…お姫様気取りで…、内心、ムカついてたんや…」

 と、言い返した。


 男子生徒がコマチの制服を引っ張ると、袖が破れた。

 彼はコマチを軽々と地面に引き倒し、馬乗りになった。

 両手を押さえ付けられ、コマチは今にも喉を食いつかれそうになった。


「もうあかん…。ママ、さよなら…」

 コマチは覚悟を決め、目を閉じた。




 咲良は顔を両手で押さえていた。

 顔の下で小粒の鬼が増殖し、蠢動している。

 血管をめぐり、鬼が全身に広がっていく気配がある。


「うああ…」

 咲良が焦れば焦るほど、体の中が鬼で溢れていく気がする。


「誰か…、助けて…」

 咲良は泣きながら立ち上がった。

 彼女は紅葉とコマチが襲われているのを見た。


「大変だ…。紅葉ちゃんとコマチちゃんが…」

 咲良は鞄から、護り刀の入った袋を取り出した。


「ふはは、またそれか。それでパァッと雷を出すんだろ? 首塚神社の時みたいに、うまくいくと思うのか!? あれは偶然。あんなことが未熟なおまえに、また出来るわけがないんだ」

 三木先生の中のカエルが大笑いした。


 咲良は口をきゅっと引き結び、三木先生を睨んだ。

 鬼は既に顔から頭皮や手の皮膚へ広がり、腹と背中でボコボコと蠢いている。

 咲良は神泉に手を掛け…。



「咲良ちゃん!! 抜くな!!」

 山上の声が聞こえるような気がした。

 咲良は山上の声で、

「抜いたらあかん。こんな目立つとこで、簡単に抜かんといて…。銃刀法違反なんやで」

 と、言われるところを想像した。


「だって…、山上さん…。友達が襲われてるんだよ…。私はどうなってもいいから…、何とかしなきゃ。神泉の力を貸りたいの…」

 咲良は鬼が蠢く顔で、曇った空を見上げた。


「…山上さん…、ごめんね…」

 咲良が神泉を握り締めた。





 マナブがタクシーの助手席に乗り、鴨川に沿った川端通りを、四条方面へ向かう。

 彼はシートベルトもせず、スニーカーを履いた足をダッシュボードに載せ、腕組みしている。


「ね、だからさ。どうやったら、たくさんの人を一度に殺せるか、考えてみたんだ。数人ぐらい殺したって、不条理な世の中に復讐することは出来ないんだよ…」

 マナブは運転手に説教するような口調で、恐ろしい内容を威張って話していた。



 運転手は青い顔で頷き、鬼を見詰め返す。

 龍のような角も、獅子の耳、一本牙も、まるでアクセサリーのようにマナブに馴染んでいる。

 マナブは雨の降り出しそうな空を眺め、不機嫌に話し続けた。


「最近の四条河原町は、ほんっとに渋滞が酷くてイライラするよね。観光客の為に歩道を広げたら、車線減って、市バスがつかえて、車が進まないもんね。呆れちゃうよ…。この間なんて、市バスが四条烏丸と河原町の間で十台も渋滞に引っかかっててさ…。歩いた方が速いっつーの」


「あんなとこ、スピード出せないから…、突っ込むの無理ですよ、悪魔さん」

 運転手がマナブに言った。


「大丈夫。歩道走って突っ込もう。四条河原町の交差点。マルイか、高島屋の正面辺り。京都で、一番人がたくさんいる交差点だからね…」

 マナブはとんでもない計画を持ちかけている。


「渋滞酷いから、無理ですってば…」

「任して。何とかするから。出来るだけたくさん殺してくれ。よろしく頼むよ」

 マナブがハンドルを横から動かした。



 遠くからでも目立つ、南座の建物が見える。歌舞伎をやっているはずだ。

 彼等は四条大橋側へ曲がった。

 道沿いにある全ての信号が、赤に変わった。


「全部赤だー!!」

 運転手はブレーキを踏もうと思った。

「僕らだけが青なんだよ」

 マナブが口を斜めに曲げ、ニヤニヤ嗤った。


 タクシーは勝手にスピードを上げ、四条大橋を渡った。

 異界に空間が膨らむ。

 彼等を乗せたタクシーは何故か、渋滞する車列の横の、僅かな隙間を走り抜けることが出来た。

 タクシーは幽霊のように、歩道のガードを物理的に無視して通り抜け、歩道側に乗り込んだ。



 この時、四条河原町の交差点の信号も赤で、横断歩道の前は人で溢れ返っていた。

 大勢の観光客や、ビジネスマン、学生が居た。

 歩道は行き交う人で混雑していた。

 他の車やバスが停止し、時間そのものが停止したみたいだった。


 このままでは、このタクシーの運転手と全く無関係な歩行者が、理不尽に命を失うことになる。



「僕が居るから、この車に衝撃は来ない。フロントガラスも割れない。()き続けろ!!」

 マナブが運転手に命令した。

 運転手はようやく今になって怖気(おじけ)づき、

「すみません…!! 俺には出来ない…!! ごめんなさい、今日はもう許して下さい…!!」

 と、ハンドルから手を放して、泣き喚いた。


 ハンドルは勝手に動いた。

 タクシーは予め指定されているように、自動的に交差点へ突入して行った…。


 マナブはゲラゲラ嗤い、

「むしゃくしゃしてる、スッキリしたいって言うから、僕は手伝ってあげることにしたんだよ。これが君の望んだ大量殺戮じゃないか…?」

 助手席から消え失せた。


「嫌だ…!! あれは…仕事でイライラしてただけ…。…やめろ、この悪魔っ…!!」

 運転手が金切声で叫ぶ。

 タクシーは歩道で十人以上跳ね飛ばし、交差点で信号を待つ大集団に突っ込んだ。





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