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拾 首塚神社と鬼


 咲良を乗せた鬼火の牛車は、黒い霧の中を走った。

 牛車は多少揺れたが、空を翔けるような不思議な感覚だった。


 

 やがて、牛車が到着した。

「咲良、降りるのじゃ…」

 一つ目の小鬼が言った。


 咲良が輿から降りる。

 そこは真っ暗で不気味な、神社の入り口だった。

 手前に石の鳥居があり、反対側の奥には、別の次元に繋がっていくような石段があった。


 山の斜面に沿い、途中で曲がる急な石段は、手入れをしていない林に挟まれている。

 外灯の光は木々に遮られ、神域は異常に暗く、人を寄せ付けない。

 空気が違い過ぎる。

 誰でもわかる。地面から妖気が立ち昇っている。


「そこを昇って行ってくれはる? マナブが待ってはるし」

 紅葉の顔をした、鬼女が言った。

「ちょっと、ここ、ヤバい…」

 妖気漂う神社を見て、咲良の足が震えた。


 背後で、毒気のガマガエルがケロケロ鳴いた。

 小鬼達が見ている。

 咲良は唾を飲み込んで、覚悟を決め、夜の神社に入って行った。


 前の道路を通る人の気配は、微塵もない。

 咲良が背後を振り返った。

 既に、鬼火の牛車は消えていた。



 石段を昇り始めたら、俄かに空気が冷たくなった。

 参道は地道で、高い木々が星を隠し、地を根が這い、咲良は何度もつまづいた。

 山の斜面の狭い場所にぽつんと、外灯が一つだけある。

 蛾が灯りに向かって飛んでいる。

 電球が切れかけているのか、時々、光がちかちか点滅している。



 それにしても、ここはどこの神社なのか。

 咲良は考えた。

 彼女の住む町の近くではなさそうだ。


 咲良は肩を抱き、心細さに震えながら進んだ。

「マナブが来る…。どうしよう…」

 彼女は山上に借りた護り刀を、スカートのウェストに挟み、鞄で隠すようにした。

 よっぽどのことがない限り、抜くなと言われたが。


 他に何か使えそうなものはないかと思って、鞄を探った。

 音楽の授業で使う縦笛と、筆記用具ぐらいしか入ってない。

 彼女はケースに入った縦笛を、右の長袖の中に隠し持った。



 正面に、小さな鳥居と祠がある。

 鈴があり、紅白の布を巻いた注連縄(しめなわ)が垂れている。

 荒れたような、寂れたような感じがある。


 人影が動いた。

 石碑に座っていた誰かが、腕組みして立ち上がった。


 咲良は緊張し過ぎて、クラクラした。

 心臓が大きな音を立てた。

 暗闇に目が慣れてきて、マナブの病的に白い顔が見えてくる。

「マナブ…」

 咲良の足が止まった。


 マナブはゆらりと一歩踏み出し、咲良の正面に立ち塞がった。

「咲良…。やっぱり君だった…。ずっと捜してた…。生まれる前から…」

 マナブが呟いた。


「咲良…。君には恨みがある。千年前の…」

 マナブの様子が、今までと違っていた。

 恨みをこめ、咲良を睨んだ。


 マナブはこの前見た時とは全然違う服を着ていた。

 しかも高そうな生地、縫合の高品質なものを身に着けていた。

 髪は伸び放題ではなく、ちゃんと整えられていたし、少なくともこの一ヶ月、彼が京都でまともな生活をしていたことが窺えた。



「斎王代はどこにいるの?」

 咲良は周囲を見回した。

 マナブは腰に手を置き、

「…君は自分の心配をしないの? 鬼ごっこはオシマイ。これから僕に切り刻まれて、生きたまま喰われる…」

 と、不吉な予告をした。


 彼は咲良の護り刀に気付き、

「子供のお(まじな)いだね。君にそんなもの、扱えない」

 と、バカにした。


「斎王代は、マナブと結婚することに同意したの?」

 咲良が尋ねると、マナブは刺々しく答えた。

「何言ってるの? 君は千年、ちっとも変ってないな…」

「千年…?」

 咲良は混乱した。


「わかった。教えてあげる。千年前の鬼とお姫様の物語を…」

 マナブが語り始めた。

 咲良は物語を聞き、映画を見るように想像した。





 その昔、鬼が都の姫を何人も攫った。

 源頼光と渡辺綱、他にも腕に覚えの男達が鬼征伐に向かう。


 話の中に、咲良によく似た娘が登場した。

 鬼に攫われた姫の妹で、名は稚桜(わかさくら)

 彼女は都で、源頼光の吉報を待つ。


 彼女の前に突如、荒々しい鬼達が現れる。

 彼女は神仏に祈りつつ、庭へ飛び出す。


 庭に池があり、島に橋が架かっている。

 植栽の手入れも行き届いている。


 中門の屋根の上に、マナブによく似た鬼がいた。

 鬼は髻を結わずに、赤い髪を風に吹かれていた。

 ひゅるるる…、風が唸っていた。



 鬼は足の長い爪で瓦を踏みしめ、幼な子のように涙を浮かべ、彼女に手を差し出した。

「ともに来てくれぬか、桜…」

 今にも泣き出しそうだ。


 この鬼の哀願する横で、別の鬼達が暴れ、従者達を口に頬張って、むしゃむしゃと喰い始めた。

 大勢の女達が逃げ惑い、悲鳴がこだましていた。

 桜は鬼に対し、

「攫われた方々と、姉を返して…!!」

 と、怒って泣いている。


「喰った。あの女も…どの女も…子供も喰った…」

 鬼の眉間に皺が寄り、獅子のように低音で唸った。

 彼の表情に、怒りと憎しみだけが露わになった。


「いくら待っても、おことは来ず。恨むぞ、桜。…おことをも喰らって、頼光に思い知らせてくれる」

 桜を捕まえ、鬼が牙を剥く。

 彼女は暴れ、

「去れ、悪霊!!」

 と、怒鳴った。


 弓弦の音がした。

 誰かが矢を射て、鬼の左目に矢が突き立った。


「ぐぁる、がぅるる…!!」

 鬼が獅子のように吠え、桜を地面に落とした。

 矢を握り、左の目玉ごと引き抜く。


 桜は振り返り、弓を引いた相手を見た。

 (おいかけ)巻纓(けんえい)の冠を付け、褐衣(かちえ)と呼ばれる藍色の袍を着た武官が、次の矢を(つが)えて弓を引き絞っていた…。




「君のせいで鬼は捕えられ、処刑された…。何人も食い殺した罪で…」

 マナブが恨みがましく語った。


「私じゃないよ。人違いだと思う。マナブ、斎王代を返して!」

 咲良が頼んだ。


「君だよ、咲良。…君は鬼を救うことも出来たのに、頼光らに捕えさせた…。僕は君を切り刻むことを夢見てきた…。この衝動を抑えられないんだ。早く君を滅多突きしたい…」

 マナブが咲良の肩を掴み、直刀を鞘から引き抜いた。


 この前のような小型のナイフではない。

 柄が短い、片手用と思われる鉄製の大刀、刃渡りは90センチ近くありそうだ。

 咲良の護り刀の三倍の長さ。


 彼は既に半分以上、鬼と化していた。

 咲良が何度となく想像してきた、鬼のイメージに近い。

 額には角らしきものがうっすらと生え、口には牙が一本、爪は異様に伸びて紫色だった。



「鬼になって、どうするの? 私が悪いの? 何があって、マナブは壊れちゃったの?」

 咲良は死を覚悟した。

 死ぬのが悲しくて、涙が出そうになった。


「僕を恐れて泣いてくれ…」

 マナブが直刀を片手で振り上げ、怯えた咲良は少しずつ後ろに下がった。


「君が出来るだけ痛がって苦しむように、たくさん刺してあげる。時間をかけて肉を喰い、骨までしゃぶってあげる…。君は若くて柔らかくて、すごく美味しそうだよね…」

 マナブが咲良を褒め、ヨダレを飲み込んだ。


 咲良は理不尽だと思った。

 マナブが襲いかかってきた。

 彼女は手で頭と顔を庇い、飛び退いた。

 かわしきれず、左腕から血が流れた。





 マナブは暗がりで青く光っていた。

 二つの眼窩や鼻孔、口から青い炎が零れていた。


「…僕の胸の内側に、暗い穴が出来たんだ。空虚感…、脱力感…。僕の全身が冷えていく…。胸に出来た穴が黒い染みのように全身に広がって、僕はどんどん空っぽになっていく…。そこの木の(うろ)みたいに…」

 彼が木を指した。


 その木の虚から小動物が出てきて、離れた枝へ飛び移った。

 野生のムササビだ。


「僕の体から、命が零れていく…。青い炎。これは僕の命の火だ…。これが流れ出てしまうと、僕の体は表側まで朽ち始める……」

 マナブは何か思い出す。

「…そうだ。何年か前、僕の中に鬼が棲みついた。僕は毎日、鬼に監視され、時々乗っ取られた…」


 マナブが囁くのを、咲良は逃げるチャンスを窺いながら、じっと聞いていた。


「…去年の夏頃、初めて子供を殺した…。鬼に命令されて、死体を食べたんだ…。僕は警察に捕まって…、東京の病院に入院させられた…。先月、そこから逃げてきたんだけど…」

 彼は夏の思い出を、感情なしに淡々と語った。


「入院って…、どこが悪いの?」

「…どこも悪くない。僕が悪いんじゃない。世界中が狂ってしまったんだ…」

 と、マナブは真剣に答えた。


「子供の頃から、影の中に蠢く異質なものを感じてきた。それは僕の内側にもあった…。僕はそのお陰で、他人にはわからないことを察知することが出来た。未来を予知することもあったんだ…。鬼は僕の特殊な能力に目を付けた…。僕はとうとう、鬼に体を乗っ取られてしまった。もう僕なのか、鬼なのか、はっきりしない…」

 彼は直刀を持つ、自分の手を見詰めた。


「空っぽになった僕の内側を、鬼が埋めていく。僕の内側は醜い鬼で、外見(おもて)だけが人間だ。僕は毎日、頭の中で鬼と会話する。…鬼の命令に従って、行動してるんだ…」

 彼は独白した。


「葵祭の時に声をかけてた、小さい男の子とママはどうなったの?」

 咲良が尋ねた。


「知らない…。鬼は強いし、特殊な力を持ってるから逆らえない。僕が殺したいと思ってるわけじゃないんだ…。でも、…ほら、聞こえるだろ? 鬼が咲良を殺して、早く喰えと言ってる…」

 マナブが咲良の肩を切りつけた。


「やめて…!! 痛い…!」

 咲良が恐怖に引きつった。


「鬼とは何ぞや?」

 彼は咲良に問うた。


「…君だ。…鬼を敵に引き渡し、結果として君が殺したようなもんだ。君は…鬼より鬼…みたいな女だ…」

 マナブはまた、咲良を切り付けた。


「咲良、泣き叫んでいいよ。ここで死ね。僕が見送ってあげる。鬼は今宵こそ、君を喰らう…」

 マナブは植物の蔓を呼び寄せると、咲良の片手に絡め、近くの木の枝に繋いだ。


 いや、マナブは片目が悪い為に、咲良が暗さに紛れて縦笛を袖から出し、右手を引っ込めたことに気付かなかった。

 マナブが何も疑わず、彼女の手首だと思って蔓を巻いたのは、ケースに包まれた縦笛だ。

 咲良は繋がれたふりをして、機会を待つ。



「私はただの中学生なんだよ、マナブ。目を覚まして。私を食べても、何もいいことないよ」

 咲良が必死に言った。

「君で、鬼への生贄は充分だよ。お釣りが来る」

 マナブは咲良の鎖骨を切りつけた。


「い、痛い…」

 咲良は身を二つに折った。

 血が数滴、舞い散った。

「朱い花びらだ。花見をしよう、咲良。季節外れだけど」

 マナブが次は咲良の顏めがけて、直刀を振り下ろした。


「マナブ、もうやめようよ!」

 咲良は蔓に縦笛を残し、右手を一気に振り解いた。

 マナブに体当たりし、脇を擦り抜ける。

 全力で走って逃げる。



「待て…」

 マナブは慌てて、咲良を追った。

 咲良を引っ掴んで地面に組み伏せ、馬乗りになった。

 そして、彼女の肩に歯を立ててかぶりついた。


「ふぁ、ぐわぁううるぅ…」

 獣のような、温かい息が漏れる。

「痛い…!! マナブ、やめて!!」

 咲良は恐怖で、体が硬直してしまった。



 鬼が咲良の肩を()む。

 鬼のおもてに、無数の鬼火が浮かび、渦巻いて燃える。


 マナブの顏はそのままに、大きく開けた口から、ギザギザに尖った歯が見えた。

 彼の黒髪は鬼火に赤々と照らされて、獅子のたてがみのよう。

 彼の痩せた腕と、長く伸びた爪が、咲良を押さえ込んだ。


 これは夢か?

 咲良は悲鳴を上げた。

「ああ、あ…」


 鬼とは何ぞや?


 間近に見る鬼のおもてに、無数の細かな小鬼がびっしり張り付き、蠢いている。

 小鬼の大きさは、咲良の小指ぐらい。

 どの顔も、怖れ、不満、猜疑心、憤怒などの表情を表している。


 禍々しく、汚らわしい。


 彼の内にいた無数の鬼が這い出して、彼のおもてを覆った。

 彼のおもては夜の藍色。

 目と口と鼻息から、青い炎が零れていく。

 鬼の口が咲良の血で汚れ、赤く毒々しかった。



 咲良は歌川国芳の絵を見ている気分だった。

 これは紅葉に見せてもらった画集の続き。


 鬼が咲良を噛み裂き、直刀で彼女の首を斬り落とそうとする。

 直刀を握る手の爪先からも、青い炎が溢れ出した。


「咲良、見て…。僕の命の火が迸り出る…」

 うわ言のように囁くマナブ。

 彼の魂が、風船の空気が抜けるように青い炎となって漏れ出て、外気に触れて消えた。


「はぁ…はぁ…」

 咲良は痛みと恐怖で、気絶寸前だった。

 ただ成り行きを見詰めていた。



 鬼はゆっくりと、直刀を咲良の首の真上に持っていった。

「この山にかつて、鬼と呼ばれた男の(みささぎ)があった…。酒呑童子なんて名前じゃない…」

 彼は咲良の首筋に、狙いを定めた。


 彼は空気を嗅ぎ、鼻をピクピクさせた。

「…嫌な奴が来た。鬼の存在を消したい奴がいて、僕を追いかけてきて、殺そうとしてる…。…早く君の首を落として、この山に眠る鬼に捧げよう…」


 刃が咲良の首の真上で、鋭い切れ味を示す光を放つ。

 刃は血で濡れているが、もっともっと血を望んでいる。


 誰かが石段を飛ぶように駆け上ってくる。

 鬼は急いで直刀を振り下ろした。



 殺られる!

 刹那、咲良は固く目を閉じた。

「誰か、助けて!!」

 咲良が心の中で叫んだ。



 ごうっと風が吹いた。

 木々や草が突風に煽られた。

 空が波立ち、暗い海のようだった。

 龍のように雷が走った。


 咲良は落雷の轟きを耳にした。

 バリバリッと空が裂けた。

 閃光が目を灼く。

 ドーン。



 咲良の額に、短い角が二本生えていた。

 彼女は一瞬で、鬼と化していた。


 彼女は金色の眸を開き、信じられない光景を見詰めた。

 護り刀から強烈なエネルギーが溢れ出し、磁石のように咲良の両手を引き寄せている。

 彼女はいつの間にか、その護り刀でマナブの左胸を刺し貫いていた。


 護り刀からマナブの左胸へ、大きな力が電流のように走った。

「うぉ…、お…、おお…」

 彼は感電して痺れるように、呻き声を上げた。

 彼の右手は、咲良の首を斬る一瞬手前で停止している。



 しかし、護り刀の一突きは、鬼に致命的ではなかった。

 マナブの心臓は溶けてなくなり、既に左胸が空洞だった。

 彼は抜け殻のように、人としては空っぽで、鬼として満ちた状態だった。



「え…!? 何が起きてんの…!?」

 咲良は咄嗟に理解出来なかった。

 突然鬼と化した咲良は、全身が白い光に包まれていた。



 マナブの体中を衝撃が突き抜けて、天空の雷と共鳴し合った。

 数秒、眩い雷光が彼の内から閃き、表面の鬼達が焼け焦げた。

 彼から白い煙が上がった。


 焦げ臭い匂いが立ち込め、

「…ふ…ぎゃ…、ぎゃあっ…!!」

 彼は深手を負い、恐竜のように鳴いた。


「咲良…、鬼は正義でも悪でもナイ…。悪とは…シャーマンの方だぞ…!!」

 マナブは舌をだらりと出し、血…ならぬ、青い光を吐いた。



 彼は全身の力を振り絞り、地を強く蹴って跳び上がった。

「マナブ…!?」

 咲良は彼が崖から飛び降り、自殺したのかと思った。


 鬼が月に向かって、躍り上った。

「咲良…。鬼の目を射た冠者(かじゃ)源次(げんじ)が来たぞ…」

 鬼の咆哮を響かせた。

 黒い旋毛(つむじ)風が巻き起こり、彼を包み込んだ。



 咲良は、石段の方から人が走りくる足音を聞いた。

 鞘から滑り出る金属音がした。

 誰かが長い刀を抜き、構えた気配があった。


「源次…って誰…?」

 咲良は地面に倒れたまま、薄目を開いた。



 黒い居合道着を着た、雨音が参道に居た。

 彼は三尺近い太刀を低い姿勢で構え、足を大きく開き、黒雲流れる空を見上げていた。

「マナブさん…!! オレのこと、わかりますか!? 覚えてますか、…マナブさん…!!」

 と、鬼に呼びかけていた。


「源次……、その刀は何だ…? 人間の分際で…、本気で(オレ)を斬ろうって言うのか…?」

 鬼がはるか上空から嘲笑った。


 雷鳴が轟き、稲妻が閃いた。


 鬼は風を蹴り、雲を蹴散らし、青い流星となって空を翔けた。

 鬼が老ノ坂と大枝山(おおえやま)を返り見る。

 あとは軽々と跳ねる。

 鬼は風に乗り、霊峰・愛宕山(あたごやま)まで一気に翔けて行った。





 咲良は血だらけで、放心していた。


 鬼と化した時に、体に満ちた力によって、マナブに切られた傷が塞がりかけた。

 けれど、彼女の中の鬼が引いていき、痛みが戻ってきた。

 それからは、体力が消耗されて動けなくなった。



 雨音はすぐ、木の根元に倒れている咲良に気付いた。

 彼は驚いて太刀を地面に置き、彼女を抱き起した。

「咲良ちゃん!! 大変だ、怪我したんだ!? 血が出てるよ」


「怖かった…。マ…、マナブに喰われた…」

 咲良の眸から、大粒の涙が溢れた。


「遅くなってごめん。咲良ちゃんを捜してた。酒井さんの車で来たんだよ」

 雨音は居合道着の上を脱ぎ、ズタズタに裂けた彼女の服の上に掛けた。

「大丈夫。歯型付いてるけど、傷も深くないし…。すぐ病院行こうね」

 彼は咲良の髪を撫で、慰めた。

 護り刀を鞘に納め、彼女の鞄に入れた。

 それから、葵祭の時のように、彼女をおんぶした。


「僕が咲良ちゃんを守るよ。もう大丈夫だから…」

 雨音が石段を、ゆっくり降りて行った。



 石段を降りた鳥居の外に、酒井の黒いワンボックスが停車している。

 酒井はウィンドーを下げた運転席から片腕を窓に掛け、二人を眺めてニヤニヤした。


「ほんまに首塚神社にいるとはなぁー。咲良ちゃん、びっくりさせるよ…。ギリ、間に合ったかな?」

 酒井が後部席のドアを開いた。

 雨音が咲良を後部席に降ろす。


 奥の席に、誰かが寝ている。

 斎王代が毛布に包まれていた。


「鬼の岩屋。この近くの洞窟で、斎王代が気絶してた。…寝かしといたげて。今頃、マナブは斎王代がいなくなったことに気付いて、激怒してるやろな。なぁ、雨音…」

 酒井が雨音を振り返った。


「そうですね…」

 雨音は大きめの居合刀ケースを、車に積み直していた…。





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