曇天の下で
中郎将の鹿室翔成は宮城から下がると、重い気持ちのまま左肩羽区にある自分の邸に戻った。
明枝宮を後にする際に何人かの重役にある官吏たちとすれ違ったが、誰一人翔成に話しかける者はいなかった。いずれもまるで罪人を盗み見るかのようにちらりちらりと翔成を見て、他の官吏たちと囁き合うだけだ。
漏れ聞こえる言葉の端々から、既に翔成の罷免が決まったものであるかのように、遠慮のない嘲笑や侮蔑が滲み出ていた。翔成がじろりと見返すと、いずれもそそくさと明後日の方を見て、 素知らぬ顔をする。
その中には、ついこの間まで親しげに話しかけてきた顔もあった。あまりに素早い手の返しように、翔成は呆れて失笑を漏らした。この四年間ですっかり顔ぶれの変わった、今の宮中の人間関係に執着する気はない。しかし、これほどあからさまに態度を変えられれば、どうにも虚しくなる。
(失態を犯したのは確かだ。だが何故俺ばかりが冷遇されなければならぬのだ。あやつらが俺と同じ場面に遭遇したら、迷わずにいられるとでもいうのか)
心の内で悪態を吐いてみても、苦い感情が晴れることはなかった。深いため息をひとつして、翔成がどかどかと乱暴に縁側を渡っていると庭先から声がした。
「翔成、話がある」
呼ばれた方を振り向くと、植木の間に口をへの字に曲げ、怜悧な顔に不機嫌であることを顕にした中書侍郎の呉永佑才が立っていた。翔成は佑才に向かって力なく笑って見せる。明枝宮の一件に居合わせても態度を変えることのない佑才の声を聞いて、ふっと気持ちが落ち着くのを感じた。
佑才は官服である直衣から、外城に住む庶民が着るような小袖と羽織に既に着替えを済ませていた。翔成が気がついた時には明枝宮から姿を消しており、顔を合わせることはなかったが、翔成よりも先に退廷していたためだったのだろう。
翔成と佑才は同い年で邸も近かったため、幼い頃から共に過ごしてきた。翔成にとって、家族同然の付き合いをする佑才は、腹の内の知れない魍魎の蔓延る宮中での唯一の友である。お互いの家を行き来しているため、佑才は勝手知った風である。
「丁度良かった。俺も佑才に相談したいことがあったんだ」
「さっさと着替えろ。外城に行くぞ」
褐衣のままの翔成をじろりと見て、佑才が渋面を作ったまま急かす。誰かに聞かれるのを憚られるようなことが話したいということなのだろう。内城では、何処に耳目があるか分かったものではない。
翔成は慌てて小袖に着替えて腰に太刀を差すと、草履を突っ掛けて先を歩く佑才の背中を小走りで追った。脱ぎ散らかした褐衣を見つけたらしく、後ろから翔成を非難する妹の声が聞こえてきたが、気がつかなかったことにした。年の離れた気が強くて口煩い妹が、翔成は少々苦手だったのだ。
黙りの佑才に並んで城壁東側に位置する嘴左門を潜り外城に出ると、辺りに官吏らしき者がいないのを注意深く確認しながら、細い路地をいくつも縫うようにしばらく歩く。子どもの頃、厳しい家の者の目から逃れるために翔成が考え出した手口だが、今でも佑才と二人で密談に出るのに使える。
何度か道を折れ、市井に混ざるようにしながら、二人は一軒のあまり綺麗とはいえない小さな居酒屋に入った。土間の上に酒樽を転がしてその上に木の板を渡した卓に、やはり空の酒樽を椅子にした雑多な飲み屋だが、その奥に小さな個室の座敷席があることを翔成は知っていた。
まだ日が高いというのに騒がしい店内に声をかけると、給仕をしている娘がやってきた。翔成は娘に部屋が空いていることを確かめ座敷に上がると、娘に酒とつまみをいくつか注文した。娘がぱたぱたと去っていく足音を聞きながら、ようやく翔成は口を開いた。
「さっきは何故狐共の機嫌を損ねかねないことを言ったのだ。肝が冷えたぞ」
内城でなくても、六前寺氏の名を口に出すことには抵抗がある。だから二人の間で内密に話をするときは『狐』と呼ぶことにしている。
翔成は、気に入らない者を冤罪で罷免にする六前寺氏のやり方を、面と向かって佑才が批判したことを気にかけていた。幸い、六前寺嘉門は佑才の言葉を都合の良いように受け取ったが、悪い方に取られていたらと思うとぞっとする。
「俺は思ったことを言ったまでだ。お前が心配するようなことではないさ」
佑才はふんと鼻を鳴らして嘯いた。翔成は時々現れる佑才の反骨精神を理解しているつもりであった。だが今回は勝手が違いすぎる。佑才がそれを理解していないはずはない。
「・・・今の俺は不興を買っている。万が一のことがあったとき、お前まで一緒に罷免になったらどうする気だ」
「どうするもこうするもない。俺の代わりに誰かが中書侍郎になる。それだけだ」
冷淡に佑才が吐き捨てた。あまりに投げやりな物言いに翔成は驚いた。怒りを顕わにすることを恥と考える佑才が、ここまであからさまな態度に出すのは珍しい。余程虫の居所が悪いのだろうか。
「お前にだって守るものがあるだろう。それに中書省は腐敗が進みすぎて、お前でなんとか保っているという話だぞ」
中書省は八省の中で最も鵬皇に近い省で、鵬皇に近侍し詔勅の作成や宣下に携わる。その役割の重さと巨大な権力故に、長官である中書令が空位なのを良いことに、六前寺氏から官位を購った者の多くは中書省に集中している。彼らのほとんどは長きに渡り積み上げられてきた伝統や手続きを知らぬため、勝手な振る舞いをして仕事に支障を来すのだという。それを佑才を始めとする古参が埋め合わせして、なんとか間に合わせているようだ。
宮城と鵬皇を守護する中郎府も雲客であり鵬皇に近いといえど、所詮は武官である。中書省と比べれば人の入れ替わりはずっと少なく、大きな混乱はまだない。将になりたがる者は多少いるものの、汗臭い郎官に志願する者などほとんどいないのだ。
「俺にだって我慢のならないこともある。狐の言うことなど誰が素直に聞くものか」
佑才が六前寺氏に対して不信感が募らせているのは知っているが、一体何に憤っているのか。翔成は首を傾げる。
「お前までいなくなってこれ以上腐敗が進んだら、いよいよ狐が国を簒奪しそうだ」
佑才を宥めるように、翔成は冗談交じりに口を開いた。しかし、佑才は冗談とは取らなかったようだ。
「今だってそう変わらんだろう。陛下の名の下にやりたい放題やっているのだから。そんな朝廷に忠義を尽くす意味などあるのか」
腐る佑才を見て、翔成は悲しくなった。中書省に仕官が決まった日、翔成を訪ねてきた佑才の誇らしげな顔を、まるで昨日のことのように思い出す。
中書省の官吏はその役柄故に、鵬皇に接する機会が多い。中書侍郎である佑才も例外ではないだろう。山吹が即位して以来、若すぎるという理由で執柄に何もかもを取り上げられ、不遇だった鵬皇の立場を見て、佑才はひっそりと心を痛めていた。もしかしたら、重い期待を背負い藻掻いていた、幼い日の佑才自身の姿を重ね合わせていたのかもしれない。
だが生憎佑才は何を感じようと、誰かにわざわざ告げる性格ではない。私事は仕事に持ち込むべきではないと、宮中では私情に繋がるもの一切を締め出すのだ。それは幼なじみの翔成とて例に漏れない。故に隙がないことはもちろん、妬みからくる根拠のない中傷を浴びてもなお六前寺氏の信頼を得て中書侍郎の地位を守っている。しかし一方で、冷たさを感じさせる佑才の顔に相まって、まるで感情がないかのような振る舞いが、まだ子どもの鵬皇を怯えさせていた。
不意に翔成が目配せして、二人は口を噤んだ。娘が酒と肴を運んできたからだ。からりとふすまを開けて、娘は酒と肴の乗った膳を二人の間に置くと、ごゆっくりと完爾と笑って去っていった。
「それで、玄冥伯どのを探す手がかりはあるのか」
娘が行ったことを確かめて翔成が再び目で合図すると、運ばれてきた肴に手を着けながら佑才が静かに本題を切り出した。
賊が持っていた手形に鵬尾門門衛と書かれていたことを知り、翔成に門衛を束ねる監門府に確認を取るよう助言をしたのも佑才だ。佑才自身、麟台寮に調べさせていたようだが何も見つからなかったため、実際に門の守護を務める監門府の記録になら何か残っているのではと考えたらしい。
「いや、まだ何もない。どうしたものか、まさに考えているところだ」
だろうな、と相槌を打ってから、佑才は懐から小さく折りたたまれた紙を取り出した。
「初代玄冥伯どのが封蒙翼であるのかはまだ確かではないが、一応、建国前の封蒙翼について調べてみた」
「なんだ、もう調べていたのか」
六前寺氏に奉台国建国前のことを調べよと命じられたのは、つい先刻のことだ。あれから麟台寮に寄る時間などなかったはず。つまり、佑才は明枝宮に呼ばれるよりも以前に調査をしていたということになる。
「見くびるな。あれぐらいのこと、俺だって思いつくさ」
佑才は鼻で嗤った。しかし逆に、そこまで調べても何も分からなかったからこそ、玄冥殿の捜索に踏み切ったのだろう。
玄冥殿は乾政官と並ぶ官、玄冥官のものだ。ただでさえ玄冥殿は玄冥伯以外の出入りを禁じられている。八省のひとつに過ぎない中書省が勝手に床板を外して調べたとなれば、その責任の追及は中書省だけではなく乾政官にまで及ぶかもしれない。そうなれば、佑才の処分は罷免では済まない可能性もある。
翔成は難しい顔をして、佑才の話に耳を傾けた。
「封蒙翼は、太祖が石州の小さな郡の太守だった頃に突然ふらりと現れたらしい」
これは伝え聞いている話と同じだ。身元も定かではない牢人同然の封蒙翼は、押しかけさながらに太祖を訪ねてきたという。
「縁者はいたのか」
「どこの戦でどんな戦功を立てたかは記されていたが、人間関係についてはさっぱりだ。妻帯者だったかどうかさえ分からん」
「そうか」
予想していたとはいえ落胆を隠せない翔成を見て、佑才が眉間に皺を寄せた。
「これでもな、史書だけではなく、お前の先祖の鹿室厳達や俺の家の呉永聞明の手記、果ては太祖の日記まで探したのだぞ」
翔成の邸に突然佑才が押しかけてきて、倉の中をひっくり返していったと妹から聞いていたが、まさか厳達の手記を探していたとは。それに太祖の日記など厳重に保管されていて、そう簡単に見られるものではないだろう。翔成はひそかに舌を巻いた。
「太祖の日記など、よく閲覧の許可が下りたな」
「中書令の不在の今、中書省を束ねているのは俺だ。いかようにも隠し仰せるさ」
不良官吏、と喉まで出かかった言葉を翔成は飲み込んだ。そんな言葉で気を悪くする佑才ではないが、あとで何と言い返されるか、分かったものではない。
「太祖が封蒙翼に出会ったのは石州だ。太祖は天下取りの拠点を双陽に移すまでは、ずっと石州にいた。今も石州の刺史は太祖に所縁のある者だろう」
山吹の母で永安鵬皇の正妃だった荷葉の生家、葛左家も皇家の遠戚にあたるはずだ。
太祖はもともと石州の以北郡を治める郡司の長官、太守であった。奉台国になった今でも変わらないが、郡を治める太守の多くは、奉台国の前の王朝、雍竜国が天下統一を果たすより以前に存在した数多の小国の王侯たちだ。太祖も例に漏れず、小国のひとつ奉国の王の末裔だった。
三百五十年ほど昔の雍竜国末期のことだ。圧政と飢饉によって国が荒れ、それまで雍竜王朝の下で雌伏していた古い王侯の子孫たちがこぞって国を盗ろうと蜂起し、群雄割拠が始まった。太祖もまたかつての奉国の王、奉王として旗揚げを考えていた。丁度その頃に、浮浪者候の封蒙翼が太祖の邸に転がり込んできたのだという。
太祖が何処の馬の骨とも知れぬ封蒙翼を受け入れた懐の大きさも驚きだが、封蒙翼もまた尋常ではなかったらしい。鬼神の如き強さと、戦に於いて神懸かり的な先見の明を持っていたという。
猛将の封蒙翼に並び、智将と称された鹿室厳達、内政を握り内側から国を支えた呉永聞明を従えて、奉国は周りの小国をじわりじわりと併合していった。やがて奉国は雍竜国と比肩するほどになり、ついに雍竜国を下して天下統一を成し遂げ奉台国を建国した。
何年にも及ぶ戦国時代の間、太祖は石州から出るのを好まず、雍竜国の皇都だった吉昌を攻めるための拠点として、当時ほぼ廃墟の小さな砦だった双陽を封蒙翼が陥落させるまで、以北郡にいたという。
「つまり、太祖に従っていた封蒙翼もまた、石州が長かったということか」
「そういうことだ。だから封蒙翼の痕跡が残っているとすれば、石州だろう」
「丁度石州の葛左どのの邸に派遣する郎官を考えていたところだ。何人か多めに送って、理由を付けて探らせてみる」
以北郡は葛左林如の邸のある以南郡のすぐ北隣でそれほど離れてはいない。この際、葛左氏の監視の増員は渡りに船だ。
「それがいいだろう。流石に石州までは俺も行けないからな」
中書侍郎の佑才に、突然の崩御で少なからず混乱している中書省を放って、石州まで行って帰ってくるような時間はない。宮城の警備を預かる翔成も同じく、自ら双陽の外に赴くことはできない。
「四年前、お前は玄冥伯どのを見たか?」
ふと、翔成は佑才に尋ねてみた。皇太后の御前で耳にした、件の人物を見たことのある者たちの囁きを合わせてみても、黒い袍を着た偉丈夫ということぐらいしか分からない。
佑才は困ったようにゆっくりと首を横に振った。
「いや。俺はまだ判官の中書舎人だった。階に行けるのは長官の中書令と通判官の中書侍郎だけだ。なんだ、お前も見たことがないのか」
「式典の日は、衛府は宮城だけじゃなく、都の警備にまで駆り出される。大事な日に何かあっては困るからな」
「忙しい奴だ」
即位式は宮城で催される数々の式典の中でも最も盛大で、国の威信がかかった重要なものだ。新しい鵬皇の最初の一日を穢すわけにはいかない。普段から厳しい宮城の警備は一層厳しくなり、双陽全体に厳戒態勢が敷かれる。式が行われる日、中郎府、監門府、武衛府の長官は重い緊張感と戦いながら、終日警備を指揮するのだ。お祭り気分とは程遠い。
「狐の尾を踏まぬよう、頭を下げてばかりの鬱屈した日々よりはずっとましだ」
「違いないな」
苦々しく言い放った翔成に、佑才が笑って肯いた。
話すことが尽きて二人の間に沈黙が訪れる。ふすまの向こうから流れてくる楽しげな喧騒を聞きながら、翔成は手酌で杯を満たした。
その反対側で佑才は何かを逡巡するかのように、手の中で揺らめく小さな水面を見つめていた。
「何故陛下を逃がした」
突然の切り込むような質問に、一瞬翔成はたじろいた。じっと切れ長の眼で佑才が翔成を捉えている。
「それは賊が・・・」
「お前なら、松露殿で終わらせることだって可能だったろう。迷いがあったのではないか」
翔成が槍の名手であることを、佑才は知っている。いくら室内では柱や壁、設えられた調度品に阻まれて槍が扱いにくいとはいえ、武道の嗜みもない鵬皇に奇襲をかけておき、一太刀も浴びせられないまま失敗するなど考えられない。
「誤魔化せんな」
確信があるかのようにはっきりと告げられた言葉に、翔成は観念して小さくため息を吐いた。
「最早俺には、何が正しいのか分からない。任務は任務だ。だが、中郎府は国と陛下をお守りするのが本来の役目のはず」
ぽつり、ぽつりと話し始めた翔成の言葉を、佑才は相槌ひとつ打たずにじっと黙ったまま聞いている。
「国が在っての鵬皇である。鵬皇を守って、国が滅びたら元も子もない。陛下は鵬皇にふさわしくない、国のために亡き者にせよと、狐共は言う。だが、俺にはどうしても得心が行かなかった。賊が陛下を連れ去ってくれて、ほっとしたのは確かだ。陛下を手にかけたくはなかった」
中郎府は鵬皇の直属であり、鵬皇を守るため、国を守るためにあるはずだ。その二つが相反する場合、どうすればよいのだろう。
六前寺氏の言うことが正しいとは思えない。しかし内政に関わらない翔成が、勝手に判断して良いことではない。疑問を六前寺氏にぶつけたところで答が返ってくるとは思えず、むしろ反逆者として立場を危うくするだけだろう。
執柄が鵬皇の全権を奪った今、六前寺氏の息のかかった侍中が見張る中、中郎将であろうと鵬皇に謁見して確かめることも叶わない。
結局六前寺氏に逆らうこともできず、翔成は迷いを払拭できないまま松露殿に踏み込むことになった。難なく見つかった間近で見た若い鵬皇は、真っ直ぐに槍を手にした翔成を見つめていた。
(大きくおなりあそばされた)
山吹を見て最初に頭に浮かんだのはそれだ。しかしやはり、まだほんの少年にしか見えない。
(鵬皇を、子どもを斬れというのか)
翔成は槍の穂先を山吹に向けたまま、足が凍りついたかのように動けなかった。その隙に山吹は松露殿から逃げだし、あとは明枝宮で申し開きした通りだ。
恐怖で見開いた、あどけなさを残す山吹の鳶色の双眸が、今でも脳裏に焼き付いて離れない。杯を手にすると、嫌な記憶を追いやるように、翔成は一息に酒を胃の中に流し込んだ。
「畢竟、俺は己の情を任務より優先したのだ。もし陛下を逃したことで、国が滅んだら俺のせいだろうか。俺は国に対する謀反人ということになるのだろうか」
鹿室厳達以来、鹿室家は代々国に忠誠を誓い、国のためと務めを果たしてきた。それを翔成は穢したことになるのだろうか。吐露された翔成の暗い胸の内を聞いて、佑才はじっと考えた末に重々しく口を開いた。
「お前は陛下をお守りするという中郎将の役目を果たしただけだ。お前みたいな奴を使って弑逆が上手く運ぶと思った狐が愚かだったに過ぎない」
黙って目を落とす翔成を見ずに、それに、と佑才は言葉を重ねる。
「そんなに重要な役目なら、他人になど預けずに、狐共が自分の手を汚せば良かったのだ。さすればお前は狐共を斬って役目を全うできるし、宮城も一掃される」
「そうだな」
佑才の揶揄するような口調に、覇気は失せたままではあったが翔成はようやくうっすらと笑った。
明枝宮に集められた者のうち、人を斬ったことはおろか、剣を握ったことがあるのは翔成一人であろう。翔成の代わりに六前寺氏に剣が振れるとは思えないが、佑才はそう言わずにはいられなかったのだ。
「それに、万が一国が滅んだとしても、お前だけのせいではないさ。たったの一度や二度の失態で、国の行く末が左右されるような状況になるまで放置していた奴も悪い。俺も含めてな」
ただの慰めではない。思うように行動に移せない苛立ちと、六前寺氏に屈することしかできない無念さの入り交じった佑才の感情が、翔成にははっきりと見て取れた。
「終わってしまったことは仕方がない。これからどうすればいいのかを考えるべきだ」
ついに六前寺氏が鵬皇にまで手をかけようとしたことを知って、佑才の中で何かが変わったのだろう。決意を秘めた強い光が、目に宿っているように翔成は感じた。
「玄冥伯どのを探し出して解決だとは、到底思えん」
「同感だ」
山吹たちよりも先に玄冥伯を見つけ宮城に連れてきたとして、それからどうするというのだ。六前寺氏たちの専横は変わらないだろうし、折角逃れた山吹の命も諦められるとは思えない。
佑才は思いを巡らせるように杯に映る自分の姿をしばらく眺めた後、ふと言葉を発した。
「重職に就きながら、四年もの間姿を暗ませて平気でいられる玄冥伯どのが、そう易々と狐共に膝を折るだろうか」
「何を企んでいる」
「企んでなどおらん。純粋に疑問だっただけだ。玄冥官自体、大した役目もない廃してしまっても良さそうな官だ。なのに玄冥官は鵬皇の即位式と大喪には鯤紋旗を掲げ、玄冥伯は階に立つべし、なんて何故わざわざ記す必要があったのだろうとな」
今回の大喪も、このまま何事もなければ一年後に控えた即位式も、佑才にとって中書侍郎として関わるのは初めてのことだ。取り仕切るのは礼部省の喪儀寮だが、鵬皇に近侍する中書省の通判官が何も知らないでは済まないだろう。すべてが恙なく行われるように、玄冥殿のことを調べる傍ら、佑才は寝る時間を惜しんで手続きを見直しているらしい。
礼部省から借りた建国より伝来する書の写しの中に、旗と共に階に立つよう、乾政官と八省を意味する一官八省とは別に、玄冥官の礼について書かれていたのを見つけたようだ。二官八省とまとめて書けば済むにも関わらずだ。
妙に思った佑才は、麟台寮に出向いて大礼について書かれた史書を読み漁ったらしい。時を経る毎にその存在感は薄れていたものの、いずれも玄冥官は一官八省と分けて記述されていたという。
「そこまで書かなければならなかったほど初代の素行が悪かったのか、別にしなければならない理由があるのかだろうな」
少し考えてからぽつりと翔成が呟くと、佑才が肯いた。
「もし、大喪と即位式に玄冥伯どのが現れなかった場合、どうなるのだろうな」
そう言って佑才はにやりと人の悪そうな笑顔を浮かべた。昔から散々知恵の回る佑才に振り回された挙げ句、叱られる役ばかりだった翔成は嫌な予感しかしない。
「・・・俺は謀の心得はないし、腹の探り合いは苦手だ」
誰かを謀ろうと思うと、どうにも心がむずむずして、居心地の悪さが顔に出てしまうらしい。それに、探られて痛む腹ではないが、疑われるのは気持ちの良いものではない。逆に、職務でもないのに人の隠しておきたい秘め事をわざわざ暴こうとするのも気が引ける。
「向いているようにも見えん。お前は愚直なままでいい」
「貶されているのだか、誉められているのだか分からん」
佑才は憮然とする翔成を見て、微かに頬を緩めた。
「お前がお前のまま変わっていなくて良かった。俺にはそれだけ分かれば十分だ」
まるで独り言のように佑才は呟いた。異様な雰囲気に、翔成は首を傾げる。
「どういうことだ」
何でもない、と笑って佑才は杯に酒を注ぐ。急に佑才が遠い存在になってしまったかのように感じられて、翔成はそれ以上何も聞けなかった。
「玄冥殿の調べ物の件は俺に預けてくれ。必ず何か見つけ出してやる」
口を噤んだ翔成に、佑才はそうはっきりと告げた。
「すまないな。だが、気をつけろよ」
「お前よりは上手く立ち回るさ」
不敵に口角を吊り上げて佑才がぐいと杯を干したのを見て、翔成も杯に満たされた酒を呷った。
* 奉台国の律令制はこうなっています。
鵬皇 ― 乾政官 ― 八省(中書省、礼部省)
― 玄冥官
― 衛府(中郎府、監門府、武衛府)、典厩寮
四等官
長官/かみ ― 通判官/すけ ― 判官/じょう ― 主典/さかん
** 簡易年表
小国 ― 雍竜国による天下統一 ― 雍竜国滅亡奉台国建国 ― 350年 ― 現在




