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迷穀抄  作者: 雨森かえる
第二章 玄冥伯の行方
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宮城の主

 宮城、明枝宮めいしぐう松露殿しょうろでん鵬心殿ほうしんでんを持つ鵬身宮ほうしんぐうの西に置かれた、鵬皇ほうおうの皇妃や宮女のための宮である。

 しかし山吹が未だ皇妃を迎えていないために、永安えいあん鵬皇の正妃であり、今は皇太后の銀竹ぎんちくが明枝宮を取り仕切っている。


 永安鵬皇の正妃だった荷葉かようが若くしてこうじた後、皇子、かしわの君を産んだ側妃の銀竹がその座に納まった。それも束の間のこと。つい五年前、荷葉の後を追うように永安鵬皇までもが崩じてしまった。

 皇太后となった銀竹は自らの子である柏を次の鵬皇にと強く推した。だが当時柏はわずか三歳である。その上、荷葉の子である山吹は聡明と前評判も良かった。

 結局、柏を推す声もあったものの、銀竹の願いも虚しく、山吹の践祚せんそが決まってしまった。しかし、銀竹は諦めなかった。


 まず標的に定めたのは、荷葉の叔父で山吹の後見でもある執柄しっぺい葛左かずさ林如りんじょである。新しく鵬皇に即位した山吹は、弱冠十一歳と若すぎることを理由に政から遠ざけられていた。その山吹に代わって、宮中で絶大な権力を振るっていたのが林如だったのだ。しかも林如は、銀竹や柏の後見である銀竹の生家、六前寺ろくぜんじ氏を目の敵にしていた。林如を排除しない限り、銀竹の思うようには動けないだろう。


 手始めに、銀竹は乾政官けんせいかん長官かみ奉台国ほうたいこくの政の中枢を握る太師たいしを陣営に引き入れた。鵬皇の名の下に政に口を挟む葛左氏を、太師も快く思っていなかったのだ。

 されど、いくら太師でも若い鵬皇の代理である執柄を一存で退かせることはできない。どうしても、鵬皇の意志が必要だった。

 新しい鵬皇の山吹はいくらさといといっても、所詮しょせん子どもである。林如について不穏な噂を流すと、やがて山吹は耳に入った噂をまんまと信じ込んで葛左氏に不信感をつのらせた。不安に駆られた山吹に、林如を罷免ひめんを認めさせるのは容易だった。


 林如が官を辞した後、後任に銀竹の兄で泉州せんしゅう北東部にある亜岳あたけ郡の太守たいしゅだった六前寺ろくぜんじ嘉門かもんを迎え入れた。嘉門は鵬皇の権限をほしいままにし、次々と泉州の親族を宮中の重役に就かせていった。

 太師は、銀竹と嘉門を所詮石州の田舎者と甘く見ていた。太師が気がついたときには巨大な州閥しゅうばつが出来上がっており、既に朝廷の大半が六前寺氏派という有様であった。


 太師とその一派が嘉門を筆頭とする六前寺氏の専横を嫌いたもとを分かつと、嘉門は冤罪をでっち上げて彼らを更迭した。嘉門の横暴を快く思っていない者も少なくはなかったが、宮中の人間の多くは六前寺氏の息のかかった者である。彼らの反感を買ってまで、嘉門が独裁権を振るうのを止めようとする者はいなかった。

 見せしめは狙い以上に効果があった。今や自分たちの生殺与奪は嘉門の気分次第であると、はっきりと目の当たりにした官吏たちは震え上がった。それまで太師側とどっちつかずであった官吏たちが、太師の更迭を期に一斉に六前寺氏にかしずくようになった。


 あとは銀竹の悲願である、山吹から柏に鵬皇をすげ替えれば、六前寺氏の専横は盤石となる。丁度、政治に口を出したがるようになった小賢しい山吹が煙たくなってきたところだった。

 それに、渋々と膝を折った連中の忠誠心を試す良い機会でもあった。山吹と六前寺氏のどちらに従うのか。六前寺氏に従えば良し、山吹の側に付くのなら太師と同じように冤罪を被せて葬ってしまえばいい。


 嘉門の思惑通り、宮城に山吹をかばう者はなく、事は問題なく運ぶと思われた。しかし、玄冥殿げんめいでんでいよいよ山吹を追い詰めたところで、思わぬ邪魔が入った。風露族ふうろぞくの賊が現れて郎官ろうかんを叩きのめした挙げ句、山吹を連れ去ってしまったのだ。


 風露族など、奉台国最北の牟州ぼうしゅうでも山脈を隔てた北の果てに隠れるように暮らしている蛮族ばんぞくに過ぎない。今でこそ牟州の支配下に置かれているが、つい二百年ほど前まで奉台国に抗って自治権を保っていた、いわば異国のようなものである。

 風露族は、奉台国の国教では穢れた死神とされる、彼らがあがめる地神が治めているという北の地から出ることを嫌う。そのため、啓殷けいいん鵬皇が勅令で人の売買を禁じるより以前に、奴隷として売られてきた者の子孫以外、双陽では滅多に見ることはない。


 さらに件の風露族は、短く切られた髪と薄墨色の衣から墓守の賤民せんみんであることが確かだ。罪を犯した奴隷の子孫であるのか、もしくは風露族の集落から追放されたのか。いずれにせよ野蛮な風露族にすら身を置けないはみ出し者なのだろう。大体、宮城に忍び込む愚行を犯すような者だ。ろくな者ではないに決まっている。


 ただ厄介なことに、賊は暗い道に通じているらしい。市井しせいに身をやつして如何物いかものの手形を使い、山吹を双陽から連れ出してしまった。すぐに街道に追っ手をかけたものの、二人は街道から外れたらしく足取りはようとして知れなかった。

 二人を取り逃したと知った嘉門は、すぐに全国に人相書きを手配させた。山吹が小作人として振る舞っているのは、この際都合がよい。連れの賊の白い髪もよく目立つ。いずれ誰かの目に留まり捕らえられるのも時間の問題だろう。どうせ双陽から離れれば宮城の目は届かないだろうと、気の弛みから隙を見せる。大喪たいそうまでに山吹の死体が届けば言うことはない。


中郎将ちゅうろうじょうともあろう者が、目の前にいる賊を二度も取り逃がすとは何事じゃ」


 日中でも薄暗い正殿の中、御簾の奥で重い口を開いたのは皇太后の銀竹だ。

 一堂に集められた太師を始め乾政官と八省はっしょうの重臣たちの冷ややかな視線を一身に受けながら、宮城と鵬皇の警護を司る中郎府ちゅうろうふの長官、中郎将の鹿室かむろ翔成しょうせいは階の下で平伏した。

 八省とは国政を統括する乾政官の下に置かれた、乾政官によって決められた政策を実際に執行する八つの省である。中郎府ちゅうろうふ監門府かんもんふ武衛府ぶえいふを合わせた衛府えふ糾政台きゅうせいだい典厩寮てんきゅうりょうが鵬皇の直属であるのに対して、侍中職じちゅうじきが属する中書省ちゅうしょしょうが八省に含まれる。

  代々中郎将を務める鹿室家も太師更迭を見て六前寺氏に膝を折った家の一つだ。ここで銀竹や嘉門の機嫌を損なえば、鹿室家も前の太師と同じ道を辿りかねない。今や鹿室家の命運は翔成の双肩にかかっている。


「誠に申し訳ございません。しかしながら、山吹様を連れ去った賊が思わぬ手練れでして」


 一度目は玄冥殿の中だった。小刀と箒しか持たない丸腰同然の一人に対して、槍を武装した郎官は四人であった。油断があったことは否定しない。

 山吹が助けを求めた風露族の墓守の動きは、華奢な見た目からは予想もできないほど鋭かった。箒の柄で強かに顎を打たれ、翔成は少しの間起き上がることさえできなかったほどだ。

 次は、西池門せいちもんを潜ったすぐ外である。山吹たちを追って門に向かうと、丁度二人が双陽を出て街道を西に歩いているのを見つけた。

 馬の足に勝てる人間などいない。しかも、いくら墓守が手練れでも、翔成たちは馬上である。利はこちらにあるはずだった。

 今度こそ追い詰めたと思った。しかし突如現れた馬に似た白い獣に怯え、馬が全く言うことを聞かなかったために、追うのを断念せざるを得なかったのだ。


「言い訳なぞ、聞きとうない」


 銀竹がぴしゃりと言い放つと、翔成は申し開きのために上げかけた頭を再び床にこすりつけた。


「山吹は西池門の門衛もんえいには魯州ろしゅうに向かうと言うたのじゃろう」

 

「はい、門衛には小作人の萌黄と名乗っていたそうです。しかし確かに山吹様でした」


 西池門まで追ってきた翔成たちを振り返った顔は、身なりこそ粗末なものであったが間違いなく山吹だった。ただし、と翔成は付け加える。


「向かう先が魯州とは限りません。夜盗やとう崩れのなにがしが、魯州司ろしゅうのつかさの手形の偽造したと吐きました。手形に合わせるための虚言でしょう」


 山吹が刑人に連れられて宮城から逃げ去った少し後のことだ。嘴右門しゆうもんから内城へ入ろうとしていた外城の南西にむという薄汚い夜盗崩れを、警戒中だった郎官が捕らえた。男のだらしなく開いた懐から、山吹が着ていた筈の禁色きんじきほうがちらりとのぞいていたのだ。


 男は冷たくて暗い石牢に放り込まれた時点で拙いと悟ったのか。翔成が締め上げるまでもなく、自分から山吹と刑人のことをぺらぺらと話しだした。

 萌黄と名乗る少年のために如何物の手形が欲しいと、若い風露族の牢人が取引を持ちかけてきた。男は萌黄が持っていた値打ち物の絹の袍と交換で、魯州司の名が入った手形をくれてやった。手に入れた絹の袍の色が、禁色である深蘇芳ふかきすおうだとは知らなかった。

 知っていることは全部話したから助けてくれ。男は泣きながらそう懇願したが、山吹のことを知られてしまった以上、生かしてはおけまい。翔成は男の首をね、部下の郎官たちに命じて嘴右門しゆうもんの前に梟首さらしくびにしてしまった。


「魯州が手形に合わせるための虚言なら、二人はどこに向かう気じゃろう」


 扇を手に小首を傾げたのは筆頭侍中である千畳せんじょう伯磨はくまだ。

 四人が置かれる侍中には、鵬皇に近くに侍り身の回りの世話や書記を務めるために、鵬皇に近づきたがる輩がこぞっておもねる。故に侍中に長く留まった者や、鵬皇の寵愛を受けた者の中には、鵬皇を盾に朝廷で強い発言力を持つ者もあったという。小物臭くはあるが、伯磨もまた鵬皇と取り次ぐ見返りを求めて、私腹を肥やしていると噂を耳にしている。

 また、千畳家は元は泉州せんしゅうの出だが、何代か前に侍中を輩出して以来、まるで古くから代々続く名家のような顔をして都を闊歩かっぽしている。利にさとく、嘉門が州閥を作り始めた頃に太師派から寝返り、今では昔から六前寺氏派だったように幅を利かせている。

 太祖の腹心の一人、鹿室かむろ厳達げんたつの子孫であることが誇りである翔成は、調子の良いことばかりを言う伯磨が好きになれなかった。


「西池門の門衛には、玄冥伯げんめいはくどのの招集と申していたそうです」


 嫌悪感を押し殺して翔成はうっそりと口を開いた。

 意外な名に、御簾の奥でふんと銀竹が鼻を鳴らす。影の薄い玄冥官げんめいかんは権力争いから蚊帳の外にあったため、銀竹も嘉門もすっかり失念していた。

 玄冥官は乾政官と並ぶ官であるはずなのだが、存在の意義さえ疑わしく、とても重職とは見えないのだ。何かに働きかけたり動く様子もなく、その正体も役割も何ひとつ分からない。嘉門と銀竹に群がる者たちでさえ、玄冥伯のような閑職に就きたがる者はいない。


「玄冥伯どのはどちらに」


 翔成は周りの顔をぐるりと見回してみた。正殿の中には、皆見知った顔ばかりだ。その中に玄冥伯に就いたと聞く者はいない。


「存じません。四年前の即位式の折に現れたきり、行方知れずになっております」


 答えたのは太師の石墨いわすみ阜水ふすいだ。泉州の裕福な豪族の出で、嘉門が執柄に就く以前よりの腹心の一人だと聞く。六前寺氏の意のままに動くこともあり、国政を動かす乾政官を牛耳るために嘉門が伯磨を太師に取りたてたのだ。


 御簾の奥から不機嫌そうなため息が聞こえて、階の下に居並ぶ諸官は震え上がった。

 銀竹は嘉門よりも、さらに恐ろしい。嘉門はまだ理性的に判断を下すため、まだ申し開きを聞く余地がある。しかし銀竹は聞く耳というものを一切持たないのだ。何が逆鱗に触れるか分からない上に、一度機嫌を損ねると、取り付く島もなく嘉門の持つ執柄の力を使って首を飛ばす。


「玄冥伯など、何の力も持たない名誉職ではありませんか。彼らが見つけたとしても、玄冥伯が彼らに付くとは限りませんし、万が一そうなっても何も行動など起こせますまい」


 肥えた顔に汗を浮かべて慌てて伯磨が取り繕う。口先三寸のおべっか使いと侮っていた翔成だが、このときばかりは助かったと思った。


「存在するだけの役職でも、一官の長官には違いないのです。あの二人が玄冥伯どのを見つけ、後見となれば山吹は鵬紋旗を掲げるでしょう。二皇が立てば、国内に混乱が起きるのは必至。さすれば争いが起き、国は荒れ果て、その隙を突いた簒奪者に亡ぼされる可能性だってあるのです。不安の芽は早めに摘んでおくべきです」


 これまで黙って成り行きを見守っていた嘉門が釘を刺すように告げた。ぎくりと諸官が身じろいた。


「しかも、あの刑人、玄冥官に属す鵬尾門ほうびもんの門衛と名乗っていたとか」


 嘉門が言葉を続けながら、ねっとりとした視線を翔成に向けた。


「確かに、門衛にはそう告げたそうです」


 ごくりと唾を飲み込んで翔成が答えた。

 下等な風露族が、高貴な家柄の者しか就けないはずの宮城の門衛など、なれるはずがない。大方如何物だろう。

 元より、開かずの鵬尾門の門衛など存在しないのだ。西池門の門衛から、賊の手形には監門府の羽紋うもんが押してあったと聞いて、翔成直々に監門府に調べさせた。しかし、鵬尾門に門衛が置かれたという事実さえ見つからなかった。

 太祖が双陽に都を置いた時より存在する鵬尾門は、その当時から開かなかったという。砲弾を受けても傷一つ付かない開かない門など、城壁と同じである。門衛を置く必要が何処にあるのだ。


 しかし、その開かずの鵬尾門をあの賊は易々と開けてしまった。どのような絡繰からくりを使ったのかは定かではないが、宮城の人間ですら開けることができない鵬尾門を賊に開けられてしまったとあれば、由々しき問題である。

 疑問はまだある。宮城の者しか知らないはずの玄冥官の鯤紋こんもんが、賊の持つ手形に押されていたというのだ。鯤紋が上がるのは、鵬皇の即位式と大喪の日の、松露殿から鵬心殿へ登る階のみである。最後に鯤紋が掲げられたのは四年前の山吹の即位式のことだ。その時にもあの賊は、誰に気どられることもなく宮城に忍び込んでいたというのか。


「あの二人よりも先に、玄冥伯どのを見つけなさい」


 翔成は玉のような汗で褐衣の襟を濡らしながら、御簾に向かって平伏した。

 次はないという、最後通牒だ。二度も不覚をとりながら、救済の機会が得られたのは嘉門の恩情からだろうか。

 宮中でさえ誰も知らぬ玄冥伯の行方を、山吹や賊が知っているとは到底思えない。玄冥伯は大喪と鵬皇の即位式に現れる。山吹と賊はその前に玄冥伯を探し出そうとするだろう。

 

「玄冥伯どのは何者なのでしょう」


 官吏たちは顔を見合わせる。この四年間で多くの古参が去った今、玄冥伯の姿を見たことはおろか、その存在を知る者さえ減っている。

 玄冥伯が現れるのも、鯤紋旗こんもんきが掲げられるのと同じく即位式と大喪のみ。それも、いつの間にか現れたと思ったら、次の瞬間には消え去っていたという具合だ。数少ない玄冥伯の姿を知る者ですら口に上るのは一様に黒い巨漢という印象のみで、その風貌をはっきりと証言できる者は一人もいなかった。


麟台寮りんだいりょうに調べさせましたところ、初代玄冥伯は彼の封蒙翼ふうもうよくだという伝聞が残っておりました」


 さわさわとさざめく殿中の小声を静めたのは中書省の通判官すけ中書侍郎ちゅうしょじろう呉永くれなが佑才ゆうさいだった。

 中書省は鵬皇の補佐というその役柄故に、中書省の長官である中書令ちゅうしょれいは親王が務める。しかし今は空位のため、実質佑才が中書省を束ねているのだ。

 呉永家もまた、奉台国建国より続く名門中の名門である。佑才は幼い頃より才気煥発で、呉永家の始祖、呉永くれなが聞明ぶんめい以来の麒麟児と呼ばれている。永安鵬皇が崩御する少し前に若くして家督を継ぎ、仕官して以来、今は中書省で辣腕を振るっている。

 侍中職と並んで中書省に配される麟台寮は、国中の書物を集め、史書の編纂や保存を行っている部署だ。麟台寮には、奉台国建国以来の記録が残されている。


「伝聞とはまた不確かな」


「玄冥官については由緒さえ史書に記述がありませんでした。数多の史料から見つけたのが、伝聞を集めたその書なのです」


「西池門の門衛によると、刑人が初代玄冥伯の書状を持っていたそうです。署名は封蒙翼となっていたと申しておりました。あの書状を信じるのなら、あながち間違いではないのかもしれません」


 翔成が佑才の言葉に付け足すように口を挟むと、辺りからむう、と苦い声が上がった。

 誰も知らなかった玄冥伯の正体が記されていたことから、偽物とは考え難い。賊は玄冥殿にいたという。そこで初代玄冥伯の書状を手に入れたのだろう。尤も、封蒙翼は知らぬ者はいないほど、大衆にも受け入れられている名だから、書状を偽造する際に適当に選んだという可能性も否定できないが。


「その伝聞とやらには他になんと書いてあったのじゃ」


「書かれていたのはたったの一文、それだけでした」


「分かっているのは大昔の伝聞一つですか。随分大層なことですね」


 銀竹の代わりに嫌味を口にしながら、嘉門が大仰にため息を吐いた。佑才が矢面に立っているが、何も分からないのは殿内にいる者皆同じである。


「今、玄冥殿の床板を外して何か残されていないか探させています」


 何でも良い、玄冥殿の資料が欲しい。慎重な質の佑才が思い切った行動に出たということは、麟台寮の史書を調べ尽くしても何も見つからなかったということなのだろう。

 玄冥殿の中を捜索しようにも、あるのは八畳ほどの広さしかない、板張りのがらんどうの一間だけだ。何かを隠すとすれば、天井裏か床下ぐらいしか思いつかない。


「封蒙翼の子孫が玄冥伯を継いでいるかもしれません。封蒙翼の縁者を捜しなさい。建国前からの記録ならば、何かしら出てくるでしょう」


 執柄に嘉門が就く前は、重臣のほとんどが建国以来続く名家出身の者に占められていた。家柄が重要視されるこの国では、世襲して一族が代々同じ役職に就くことが多い。中郎将の鹿室家と中書侍郎の呉永家がそうだ。玄冥伯も同じなのかもしれないが、何せ記録がない。

 建国後、ふっつりと姿を消したことになっている封蒙翼だが、前王朝である雍竜国ようりゅうこく末期、太祖推明鵬皇に旗揚げから付き従い、その活躍は演舞にもされるほどである。ただし、民間に伝わる武勇伝の多くは後世に作られた創作だろう。麟台寮になら、封蒙翼の真の姿が記載された正史も納められているはずだ。

 佑才が御意と言ってゆるやかに礼を執るのを満足そうに見て、嘉門はそれからと付け加えた。


「石州の葛左どのの邸の見張りを増やしましょう」


「何故でしょう」


 翔成は唐突に出てきた名に首を傾げた。林如を始めとする葛左氏は都を追われて久しい。山吹の訃報を聞いたとしても、今更何の手出しもできないだろう。


「元執柄の葛左林如どのは荷葉の叔父で、山吹の外戚です。玄冥伯がはったりだった場合、頼りにするのは山吹の後見を務めていた葛左どのでしょう」


 宮城を追われた後、前執柄の林如は石州せきしゅう伊南いなん郡の自宅に蟄居ちっきょしている。妙な動きをしないか見張りを何人か付けているが、それだけでは心許ない。

 山吹の連れは相当な手練れの上に、荒っぽい手を使うのもやぶさかではない様子。今の少ない見張りだけでは、力に物を言わせて強引に林如を引っ張り出してくる可能性もある。葛左氏を後ろ盾に、鵬紋ほうもんを掲げられたら厄介なのだ。


「葛左どのを始末してはいかがですか」


 生かしておくことで危険があるのなら、わざわざ派兵して守りを固めるよりも亡き者にした方が安心でしょうと、佑才が冷ややかに口を開いた。ありもしない罪をでっち上げて、刑に処すのは簡単だ。

 敵と見なした者に冤罪を着せて次々と消してきた六前寺氏への当てつけかと、翔成は肝を潰して思わず佑才を見た。


「生きているから使えるのです。死んでしまっては意味がない」


 嘉門はにんまりと唇の端を吊り上げただけだった。幸い、嘉門は佑才の言葉を好意的に解釈したらしい。

 もし山吹たちが林如を目指しているとすれば、石州への街道で捕らえることができるだろう。しかしそれも林如が生きていてこそ。危険を冒してまで死人に誰が会いに行くというのだ。むしろ、林如を冤罪で亡き者をすれば、察しの良い山吹たちはますます警戒を強めるだろう。


「仰せのままに」


 翔成がそう口にして平伏すると、御簾の奥で人が出ていく気配がした。それを合図に、嘉門も御簾の奥へゆっくりと消えていった。

 銀竹と嘉門の気配がすっかりなくなった途端、張り詰めていた殿内の空気が和らいだ。緊張していたのは、糾弾されていた翔成ばかりではないのだ。誰もが下手に口を開いて六前寺氏の不興を買うことを怖れている。失言一つで折角手に入れた地位を失うことになりかねない。


 ほっとため息を一つ落とすと、翔成はゆっくりと立ち上がった。重い疲労感が体にのしかかる。

 今日の所はなんとか首の皮一枚で繋がったが、この先いつ嘉門や銀竹の気分が変わるか分からない。

 玄冥伯の捜索を命じられたものの、佑才が見つけた伝聞以外、彼の者について正確なことは何一つ分からないのだ。どこを探して良いのかさえ、翔成には見当も付かなかった。それでもどうにかしなければ、鹿室家は路頭に迷い、翔成の代で潰えることになる。それだけはなんとしても避けたい。

 とりあえず今は、宮城に詰めている郎官の中から何人か強者を選り抜いて石州の林如の邸へ送るよう、翔成は重く晴れない頭の中で算段を始めていた。

しばらく宮城の話が続きます。

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