アフロディーテ・プロジェクト
最初に動いたのはユリアだった。十字槍を頭上で振り回し、そこから幾本かの蔓と花びらが飛散する。早い。けれど、不意打ちでさえなければ対処出来ない速さでは無い。短刀で弾き、回避し、叩き落しを繰り返し、全ていなした。
再び同じ攻撃を繰り出すユリア。僕も同じ手順で打ち返す。
三度目は無かった。二度の攻防で、この攻め方では攻め切れないと察したのだろう。
次に動いたのはユリアの、さらに細かく言うなら僕の足元にあった植物達だった。
蠢いた植物が、僕の足を絡めと取ろうとしてくる。ここはユリアの世界だ。ある程度ユリアの思い通りに動くのは自然な事だし、なによりアプロディテは豊饒神でもある。豊饒神の力をもってすれば、植物程度ならば操れるのかもしれない。
僕は上に跳んで回避する。しかし植物は地面全体に張り巡らされていため、このまま着地すればすぐに捕まるだろう。
「黄金の矢アルファ装填」
早口に口ずさみながら短刀を逆手に持ち、下へ向けて弓を引く。矢が現れた時には既に発射可能。僕は足元へそれを放つと、矢は地面に突き刺さった。僕はその上に立つ。
「曲芸のようなバランス感覚だな」
ユリアが呟く。
「これでも、七年くらいは戦っているからね」
流石にこんなアウトローな状況は無かったけれど、手馴れたものだ。けれど、手馴れたとはいえハンデがあるのは確かだ。エロスの矢は、ひとつの世界でふたつ存在する事は出来ないのである。黄金の矢アルファ、ベータ、デルタ、鉛の矢アルファ、ベータ、デルタ。弾数はその六つのみ。
僕は意識を集中させるため、深呼吸する。
「黄金の矢ベータ装填」
矢の上に立ったまま、次の矢を出現させる。そのタイミングで、ユリアが僕へ向かって突撃してきた。
「黄金の矢デルタ装填」
僕は黄金の矢ベータを放ちながら次の矢を呼び起こす。
「鉛の矢ベータ装填」
黄金の矢デルタはユリアの槍によって弾かれた。出現させた鉛の矢ベータを掴んだ時には、ユリアの槍が届く場所にまで接近されていた。
弓を構えるより先に、ユリアの槍が目前に迫った。僕は後ろへ飛んで回避する。
ユリアが自在に操れる植物が張り巡らされた地面に着地するまで三秒と無い。左手には弓。右手には、逆手に短刀、順手に鉛の矢ベータ。
追撃の構えを取ったユリアの足元へ向けて、鉛の矢を投げつける。当たったところで大したダメージにはならないだろうが、鉛の矢には紛い物であろうと特殊能力が宿っている。ユリアはそれを警戒してか、追撃よりも回避を優先した。鉛の矢ベータは地面に突き刺さる。
その間に僕は着地する。着地と同時に大きく踏み込み、短刀をユリアへ走らせる。
だが、足が踏み込みきる手前で、植物によって絡め取られた。前へ進めない。短刀の刃は背を逸らしたユリアにはギリギリ届かず、空を突く。それでも矢の長さならばなんとか届く距離だ。手首のスナップで弓を上に放り、空いた左手で地面に突き刺さっていた黄金の矢アルファを引き抜いた。
突くために構え直す余裕は無い。下から救い上げるようにして黄金の矢アルファを振るう。
ユリアは後ろへ飛んで回避する。植物に足を取られている僕は、距離を詰める事が出来ない。
右手に握っていた短刀を、少し強めに真上へ投げた。代わりに落ちてきた弓を引っつかみ、左手に握ったままだった黄金の矢アルファを装填し、すぐさま弦を引いた。
ユリアが右方向へ向かって駆け出す。矢に限らず、銃などの遠距離攻撃を回避するための常套手段である。
僕はユリアの動きを先読みし、矢を放つ。矢はユリアが走りこんだ先へ向かって真っ直ぐ伸びる。そこで、ユリアを一瞬だけ怯ませてから槍によって弾かれた。
緊急防御だったためだろう、ユリアにいくらかの隙が生じる。
「鉛の矢アルファ、装填」
呟きながら弓を左手に持ち直す。落ちてきた短刀を右手で掴み、出現した鉛の矢を口に加える。
そうしている内に、気を持ち直したユリアが再び距離を詰めてきた。
槍と短刀ではリーチに違いがあり過ぎる。ユリアの槍による攻撃を短刀で弾く事は出来ても、反撃したところで僕の攻撃は届かない。足は植物に捕らえられたままだ。
植物を短刀で断ち切って動けるようになったところで、そうしているうちにユリアにやられるだろう。そうでなくても、動けるようになった瞬間、また次の植物に捕まるだけだ。ともすれば、植物を切って動けるようになった所で意味は無い。
ユリアの渾身の一撃が、短刀を握る僕の腕を大きく後ろへ仰け反らせた。足を捉えられたままの僕はバランスを崩して倒れかけるが、なんとか踏みとどまる。その時に、咥えていた鉛の矢アルファで自分の肩を軽く切った。そもそも、ささくれのように突き立ったシルエットの矢を咥えていたせいで、口の中は血の味でいっぱいだった。これは自業自得だ。
「ぐっ」
歯を食いしばる。痛みに耐えるためでは無い。この程度の傷は痛みにすらならない。今倒れては全身が植物に絡め取られ、完全に身動きが取れなくなって決着してしまうためだ。
体勢を立て直させまいとしてか、ユリアの突きが僕の顔面に襲い掛かる。
体勢を整える事を諦め、逸れていた背中をさらに逸らした。槍は僕の眼前を通過し、しかし咥えていた鉛の矢アルファを掠め、弾き飛ばされる。
このままでは倒れる。短刀を地面に突き刺して、それこそ曲芸のような体勢で踏みとどまった。
「勝負有だ」
僕のこの体勢を再起不能と見たのだろう、ユリアはこれで最後だと言わんばかりに、槍を掲げる。
それが振り下ろされる前に、
「鉛の矢デルタ装填!」
叫ぶように唱えながら、まだなんとか自由の利く左手、そこに握っていた弓を、ユリアの顔面にぶん投げた。
顔を逸らすだけで簡単に避けられる。そもそも、当たったところで大したダメージにはならない。一瞬でも時間を稼げればそれで良い。
出現したデルタを引っつかみ、すぐにそれを投げつけようと構えた。いや、投げた。だがそれはユリアとは全く関係ない方向へ飛んでいく。
そして。
「悪あがきを!」
ユリアの攻撃が、横薙ぎに振るわれた十字槍が僕の横腹を突き刺し、さらに僕を突き飛ばした。
短刀だけは離すまいとしっかりと握り、だが完全に支えを失った僕は致命傷を受けた上で地面に叩きつけられる。
仰向けに倒れた僕の身体に、植物達が纏わりついた。身動きは完全に取れなくなった。
「づっ!」
苦痛に悶える。
動けなくなった僕の上で、ユリアが立ちはだかった。
「今度こそ勝負有だ」
かちゃ、と、十字槍が僕の額に突きつけられる。
「…………」
僕は植物の上に頭を落とした。枕にしては少し硬いが、横腹の痛みがある関係上、頭を上げたままにしているよりはずっとラクだった。とはいえ、たった今植物が大嫌いになった僕としては、こうしているのも屈辱に思えた。
「決着の形式を取ろうよ。絵画世界では、死にさえしなければ死なない。致命傷程度ならすぐに治る。だから、死なない程度の留めを刺したら決着、でどう?」
口の中も切れているため舌が上手く回らなかった。けれど、聞き取ってくれたらしいユリアは、「そうだな」と頷き、突きつけていた十字槍を掲げる。
これで決着だ。
僕は全身の力を込めて上半身を起き上がらせて、そして、ユリアの腹部へ短刀を突き刺した。
「……かはっ!?」
「ごめんね、負けるわけには、いかないからさ」
左手で傷口を押さえながら、僕は告げる。
腹部に短刀を突き刺されたユリアは十字槍を落とし、数歩下がって蹲った。
「…………何故、動ける……?」
目を見開いて驚いている。それはそうだ。ユリアは完全に、僕を植物で絡め取ったと思っていたのだから。事実、僕は植物によって動きを封じられていた。
……少し前までは。
僕は痛みを堪えながら立ち上がり、苦笑した。
「僕は、植物に嫌われているからね。そりゃもう、捉えておきたくないくらい。触っていたくないくらい。まさに神が認めた犬猿の仲さ」
「なっ……!」
そしてユリアは、辺りを見回す。何を探したのかは察しが着いている。
ユリアは、鉛の矢がどうなっているかを確認したのだ。
鉛の矢アルファは、僕の口の中と肩を傷付けた上でユリアに弾き飛ばされ、植物の上に転がっている。
鉛の矢ベータは、今も植物に突き刺さっている。
そして、最後に僕が投げた鉛の矢は、今はもう地面に落ちているけれど、さっきまで、たった今さっきまでは、鉛の矢アルファとベータから放出されていた、植物の心と僕の心の集合体に刺さっていたのだ。
鉛の矢は互いを嫌悪させる力を持っている。
その力によって、植物と僕は犬猿の仲になった。
「植物にも心があって良かったよ。とはいえ、絵画世界にてユリアが作り出した植物だからこそ、心が宿ったのだろうけれど」
なにせ、こう見えてユリアはロマンチストだからね。ここ数日の付き合いだけで解ってしまうほど、はっきりとしたロマンチストだ。もしくは、広義の神を信じるユリアは、全ての物に神が宿るという、いわゆる日本の八百万の神も信じてくれたから、植物に心が生まれたのかもしれない。
「貴様は……、最初からこれを狙っていたのか……?」
「ばれないようにやるのは苦労したけどね」
ばれて対処されては勝ち目が無いのは明らかだった。短刀と槍というリーチのハンデもあったため、僕が植物に捕らえられていると思わせて、油断させた上で不意を突くしか、僕が勝つ方法は思いつかなかった。
ユリアは脱力して倒れこむ。
「あの戦いの中で、あんな短時間でこんな策略を練るとは……馬鹿げている」
と、ユリアは笑った。どこか虚しそうな、しかし清清しくもある笑いだった。
「まぁ、年季が違うってところかな」
僕も笑いながら、けれど脱力して膝を着く。
ともあれ。
「これで、勝負有だよ」
握っていた短刀を地面に落とす。もう掌に力が入らなかった。
ユリアは空を、空に浮かぶ海を見つめながら、答える。
「そうだな。貴様の勝利だ」
数秒の、余韻のような沈黙。
おおよそ十秒後、視界が、世界が、大きく傾いた。
今日は随分長く留まっていたけれど、ようやく元の世界へ戻れるようだ。




