第九話 夜会
アンジェリカは辺境伯家の養女になったことと新たな婚約者を披露するため、夜会への参加を決めた。祖父とラッセルと共に夜会会場へと現れたアンジェリカは、目ざとく彼女の姿を見つけた父たちに呼び止められて、婚約者を紹介させられた。
「お父さま、彼が婚約者のラッセルです」
「君がアンジェリカの……。娘のことをよろしく頼むよ」
「はいっ」
アンジェリカの家族に引き合わされたラッセルは、ガッチガチに緊張していた。
「これがアンジェリカの……」
「ふふ。妹のことをよろしくね」
「お兄さま、お姉さま。ラッセルと仲良くしてあげてね」
笑顔で圧をかける兄と姉に、アンジェリカはくぎを刺した。
「それは分かっているよ、アンジェリカ。お前の表情を見ていれば、彼がどれだけ大切な存在かわかるから」
「お父さまってば。もう揶揄わないでくださいな」
「おっ。アンジェリカは養子にしたから、儂の娘だぞ?」
「お義父さま、アンジェリカを養子にやっても私の娘であることには変わりません」
相変わらずの祖父と父のやり取りを見て、アンジェリカはふふふと笑った。
「私たちは挨拶まわりしてくるよ」
「お供します」
父がアンジェリカに向かって言うのを聞いて、ラッセルが口を開いた。
「オレは社交界なんて不慣れなので……ご指導、お願いします」
「それなら私も鍛えてあげよう」
「わたくしも協力しますわ」
「もう、お兄さま。お姉さま。お人が悪くてよ。あまりラッセルをいじめないでね」
兄と姉が調子に乗って何かやらかさないように、アンジェリカはたしなめた。
「分かっているよ、アンジェリカ。ラッセルは私たちの大事な義弟だ」
兄は笑うとラッセルを連れて行ってしまい、その場には苦笑いするアンジェリカだけが残された。皆に揶揄われて体が熱くなったアンジェリカは開け放たれた扉を抜けてバルコニーへと出た。
(色々あったけど、丸く収まるみたい。わたしは運がいい)
そんな風に思いながら、闇に沈んだ風景を眺める。そこに聞き覚えのある声が響いた。
「アンジェリカッ!」
リッキーの声にアンジェリカが振り向くと、そこには彼とロジータの姿があった。なぜかふたりとも怒っていた。
「お前、騙したなっ」
「リッキーさま。いきなり何の話かしら?」
アンジェリカは不思議に思いながらも不躾な彼のふるまいに腹を立てていた。
「すっとぼけないで、アンジェリカさま」
「ロジータさまも。一体なんの話ですか?」
「お前、辺境伯家の養子になったそうじゃないかっ」
「ええ。そうだけど……それが何か?」
アンジェリカはポカンとして答えると、リッキーは更に苛立つ。
「僕は、お前が辺境伯家の養子なるなんて聞いてないっ」
「なぜ知る必要があるの? 婚約を解消してから決まった話なのに」
アンジェリカはリッキーの言い分にイラつきながら答えた。
「鈍いわね、アンジェリカさま。アンジェリカさまが辺境伯家の養子になるのなら、リッキーさまは辺境伯になれたでしょ?」
「は?」
ロジータの言い分に、アンジェリカは唖然とした。
「そうだ。アンジェリカなんかが辺境伯家に入るなんておかしい。僕とアンジェリカが結婚して、僕が辺境伯になるのが前提だったんじゃないのか?」
「は?」
そんなわけがない、とアンジェリカは否定しようとした。
「そうよ、リッキーさまが辺境伯になれるのなら、わたくしは甘んじて愛人の座を受け入れるわ」
「は?」
自分に酔っているようなロジータの物言いに、アンジェリカは呆れて言葉が出てこない。なのに空気を読めないリッキーは、得意げに言う。
「ほら、アンジェリカと違って、ロジータは謙虚だろう?」
「わたしには何のことかさっぱり分からないわ」
「勘が悪いな、アンジェリカは。ロジータは愛人でもいい、と言ってくれているんだ。僕と婚約を結びなおそう。そうすれば僕が辺境伯だ」
(何を言っているの、この男は⁉)
アンジェリカはリッキーが悪い冗談を言っているのだと思い、叱るように言う。
「そんなバカなこと言わないでっ」
だがふたりは本気で言っているようだ。
「バカなのはあなたよ、アンジェリカさま。辺境伯に相応しいのは、リッキーさまよ。今の婚約者は騎士でしょ? 子爵令息であるリッキーさまのほうが、辺境伯に相応しいわ。そしてわたくしは愛人として、リッキーさまを支えるのよ」
「ああ、ロジータ。君は素晴らしい」
(なんてバカなの! このふたり、ある意味お似合いよね)
アンジェリカは勝手に盛り上がっているリッキーとロジータを呆れた表情を浮かべて眺めた。
「あー……何か、揉め事?」
そこに挨拶回りから帰ってきたラッセルが、躊躇いながらバルコニーへとやってきた。
「えーとね、ラッセル。この人たちが変なことを……」
「お前がアンジェリカの新しい婚約者か」
リッキーとロジータは、ラッセルの姿を上から下まで不躾にジロジロと眺めた。
「ん、やっぱり騎士なんて大したことないわね。これならリッキーさまのほうが辺境伯に相応しいわ」
「そうだよな、ロジータ。おい、お前。図々しく辺境伯家の養子と婚約するな。さっさと解消しろ」
「え? 何を言って……」
事情が掴めず困惑するラッセルに、ロジータは馬鹿にするような視線を向けた。
「察しが悪いわね。ホントに騎士なんて間抜けだわ。さっさと婚約を解消して、どっかに行っちゃいなさいよ」
「えっ? えっ?」
戸惑うラッセルをかばうように、アンジェリカは彼の前に立った。
「ちょっ……バカなことはやめてちょうだい、ふたりとも」
「お前は口を出すな。アンジェリカの癖に生意気な」
「そうよ。バカなのはアンジェリカさまのほうよ」
「なっ⁉ アンジェリカさまになんてことをっ」
ラッセルはアンジェリカから遠ざけようと、ふたりに向かって腕を伸ばした。
「ちょっと! わたくしたちは貴族よ! 騎士ごときが何をする気⁉」
「そうだっ。僕は子爵家の息子だぞ」
「わたくしは男爵家の娘よ」
爵位を持たない騎士であるラッセルは一瞬だけ躊躇った。そのすきを突くように、ふたりはラッセルの体を押した。
「なっ?」
ふたりに押されたラッセルの体が、バルコニーの手すり近くでグラリと揺れた。慣れない夜会に緊張したラッセルは、飲みなれない酒に手を付けていた。いつもなら踏ん張れる程度の力でも、踏ん張りがきかない状態では難しい。
「あっ⁉」
リッキーとロジータに押されて、ラッセルの大きな体はバルコニーの手すりの向こうへと吸い込まれるように落ちていった。
「ラッセル⁉」
アンジェリカは慌てて手すりから下を覗き込んだ。
「大丈夫です、アンジェリカ。オレは無事ですよ」
木の枝に引っ掛かったラッセルが、無事をアピールするためにアンジェリカへ笑みを向けた。
その力ない笑みを見て、アンジェリカはホッとするのと同時に頭に血が上った。気付けば衛兵から剣を奪い、リッキーとロジータに向けていた。
「な、何するんだ」
慌てたリッキーは後ずさると、ラッセルと同じようにバルコニーから落ちた。
「キャー! リッキー、リッキー⁉」
ロジータは悲鳴を上げて手すりから下を覗き込む。アンジェリカが横目でチロッとみると、リッキーは木の枝に引っ掛かって気を失っていた。
「ちょっとアンジェリカ! なんてことをするのよっ⁉」
手すりから身を起こしてアンジェリカを振り返った瞬間、ロジータのドレスは真ん中が叩き切られた。
「うふ、失礼。ドレスに虫がついていたから。虫は飛んで行ったみたいだから、安心して?」
アンジェリカの微笑む先で、縦に切られたロジータのドレスは左右にゆらりと落ちていく。
「キャー⁉」
ロジータは慌ててドレスをおさえる。衛兵があわてて彼女を隠す布を探しているが、それを待てるほどロジータに余裕はなかった。動揺したロジータは、左右に落ちていくドレスを両手で抱えるようにおさえて、夜会会場の真ん中を突っ切って走り去っていった。
ロジータと入れ替わりに戻ってきたラッセルは、彼女の後ろ姿を見送りながら苦笑いを浮かべた。
「あらら……なんだか、凄いことに」
「ラッセルっ! 無事? 怪我はしてない?」
アンジェリカは慌てて愛しい人の側に駆け寄り、彼の体を上から下まで確認した。
「ああ。大丈夫だよ。あちらは……。大丈夫そうではないみたいだけど」
ラッセルが視線で指し示した場所には、リッキーがまだ気を失ったまま引っ掛かっている。その足元では衛兵たちが梯子をかけて大騒ぎしていた。
「いい気味よ。自分たちが悪いのに、まるでわたしに非があるように理不尽な言いがかりをつけてくるから」
「はは。オレは大丈夫。アンジェリカが無事でよかった」
「ラッセル……」
アンジェリカは安堵した笑みを浮かべたラッセルに手を握られて頬を赤く染めた。その光景を開け放たれた扉の向こうから家族たちがニヤニヤしながら眺めていたことに気付いたアンジェリカは、更に頬を赤く染めたのだった。
噂ば流行り病のように広がっていく。リッキーとロジータのかいた恥の噂は、貴族の間にあっという間に広がった。結果としてロジータは修道院送りとなり、リッキーは子爵家の持つ辺境の領地へと送られた。やがて貴族の間には、ロジータは狂い、リッキーは見る影もなくやつれ果てたという真偽不明の噂が流れたが、アンジェリカには全く興味の持てない、ささやかな噂話のひとつにすぎなかった。




