受けた恩返し
物心つく前から、貧しい生活をしていた。食べるのも、飲むのも、大変だった。
それでも、母親は、俺を見捨てなかった。
「あなたは、尊い血なのよ。旦那様の子なの」
俺の父親は、どこかの貴族だという。だけど、母親は、ちょっと金のある商家の平民だという話だ。
俺を妊娠しても、父親には、不貞だと捨てられた。生家はちょっと金のある商家ではあったが、相手の貴族は、それなりの有力貴族であるため、俺の母親を受け入れられなかった。
時々、生家からのなけなしの仕送りで、どうにか食いつないでいた。それでも、平民のような生活は不可能だったから、俺を抱えて、貧民街で、息を潜めて生きていた。
貧民街でも、上と下がある。俺と母親は底辺だ。ちょっと息をしようものなら、有り金全て、暴力を受けて奪われたりするほど、弱い立場だ。
俺のようなガキなのに、貧民街にいるガキどもを引き連れている奴だっている。父親が、貧民街の支配者だという話だ。そのガキに手を出した大人は、次の日には貧民街からいなくなったという。そういうことを数度、繰り返して、もう、支配者の子どもには、大人でさえ、手を出さなくなった。
俺は、物陰で、母親に抱きしめられながら、太陽の下を歩いているガキどもを眺めるのが日常となっていた。
そんなある日、綺麗な子どもが、俺と母親が隠れている物陰に、ひょっこりとやってきた。
「兄貴、ここにもガキがいるよ!!」
「ルキエル、また、家から抜け出してきたのか!!」
「母ちゃんがさ、こいつら探してたんだよ」
「お前、また、適当なことを言って」
綺麗な子どもは、俺の目の前で、拳骨を食らった。
「母ちゃんが探してるのに、誰も連れて来ないから!!」
「俺は聞いてない」
「そりゃ、兄貴に頼んだって、見つけられないから」
「俺よりガキのお前が見つけられるわけがないだろう!!」
「痛いからやめろよ!! ほら、こいつら、母ちゃんのとこに連れていけよ」
「嘘だったら、拳骨だからな!!」
綺麗な子どもは涙目になりながら、俺の腕をつかんだ。
「ほら、一緒に行こう。兄貴、ゆっくり歩けよ、こいつら、弱ってるから」
「運ぶやつ呼んでくる」
「ほら、あんたたち、歩いて。行ける所まで行こう」
綺麗な子どもだ。警戒していた母親も、この子どもには警戒心が解けた。
途中までは、俺と母親は、綺麗な子どもと一緒に歩いていた。それも、誰かが呼んだ大人が、俺たちを抱き上げて、運んでくれた。
貧民街を出てすぐにある、大きな屋敷だった。母親は、恐怖に震えた。
綺麗な子どもは、当然のように、その屋敷に入っていく。俺たちは、屋敷の玄関に放り出され、そのまま、互いを抱きしめあいながら、待っていた。
しばらくして、綺麗な子どもに引っ張られて、綺麗な女が出てきた。
「もう、ルキエル、引っ張らないでください!!」
「ほら、母ちゃんが探してた奴らだ」
「本当ですか?」
綺麗な女は、座り込んで震える俺と母親を見ろした。
母親にとって、全ては敵ばかりだ。だから、俺を抱きしめて、俯く。
「お、お金、あり、ありませ、ん」
あるけど、嘘をついて、どうにか、逃げようという、浅はかな知恵だ。そう訴えたって、誰も信じない。俺と母親を殴って、有り金を奪うのだ。
それを聞いた綺麗な女は、目をまん丸にして、驚いた。
「えっと、たぶん、お金には困っていませんから」
自信なさそうにいう綺麗な女。
「実は、昔、お世話になった方から、あなたのことを頼まれまして、それで、探していました」
「わ、わたしに、そんな、人」
「生家は、ちょっとした商売をしているのですね」
「っ!!」
「わたくし、一か月程度ですが、昼は食堂、夜は飲み屋となるお店で、住み込みでお世話になっていました。そこの取引先の商家の娘さんが、可哀想なこととなっている、もし見かけたら食堂に連れて来てほしい、とお手紙で頼まれたんです」
「う、ううううううううう」
母親は、俺を抱きかかえて、泣き崩れた。
「あああああ!! ここで泣いたら、わたくしが泣かせてしまったように見えてしまいます!!! 中に入ってください!!!!」
「た、助けて、助けてくださいぃー」
「あの食堂には、たった一か月ですが、一生かけても返しきれない恩があります。わたくしに任せてくださいね。悪だくみは、得意ですから」
綺麗な女は、母の手をとって、あの大きくて綺麗な屋敷の奥へと導いてくれた。
屋敷に入ったら、まずは身を整えるために、風呂に放り込まれた。俺にとっては、初めての風呂だが、母親にとっては、数年ぶりの風呂で、泣いて、洗って、湯舟につかって、とした。
それから、古着ではあるが、きちんと洗濯された服に着替えさせられた。
「あら、ルキエルと同じ大きさですね。もしかして、ルキエルと同い年かしら」
俺の母親が、俺の年齢をいう。
「まあ、同い年ですね。では、あなたは、ルキエルと一緒に、赤ちゃんのお世話をしてください。大丈夫ですよ、赤ちゃんは、ルキエルのことが大大大好きですから、泣いたら、ルキエルに押し付ければいいです」
それから、俺は赤ん坊と、さっきの綺麗な子どもがいる部屋に閉じ込められた。
赤ん坊といっても、もう、立って歩いている。
「うーわー、また母ちゃん、面倒なことを俺に押し付けて」
「あー、にいちゃー」
赤ん坊は、綺麗な子どもにべったりとくっついて甘える。
「俺はルキエル。お前の名前は?」
「お、おれ?」
名前を名乗ろうにも、名乗れなかった。母親は、俺のことを名前で呼んだことがない。
会話らしい会話もない。ただ、母親の腕に抱かれて、日がな一日、息を潜めて生きていたのだ。世の中というものが、よくわかっていなかった。
ルキエルは、とても頭がいい子どもだった。何か悟ったように、俺を座らせ、綺麗な挿絵の絵本を取り出した。
「これは、鳥、蝶、空、雲、太陽」
挿絵を一つずつさして、それの名称を口にする。
「と、とりぃー、ちょー、そらー、くもー、た、た、たいよう?」
それを赤ん坊が舌っ足らずで復唱する。
そして、俺の番だとばかりに、ルキエルと赤ん坊が見る。
だけど、どうすればいいかわからない俺は、黙り込んだ。
「何か、話してみろよ」
「はな、す?」
「もうわかった。じゃあ、これから、しばらく、俺と勉強だ」
何故か、数日間、俺は、この閉鎖された部屋で、ルキエルと過ごすこととなった。
数日後、俺と母親は、この屋敷を出ることとなった。
「召喚状により、今日、あなたを捨てた貴族が神殿に来ます」
「だ、大丈夫、で、しょうか」
「これは、貴族の子が持つ、帝国が認めた権利です。相手が文句を言ったって、神殿で血縁関係を証明されたら、帝国の法により、あなたがた親子を保護する義務が発生します。貴族である以上、それは絶対です」
「私も?」
「親子は、一緒であるべきです。あなたが、頑張りなさい。親子で普通に暮らす権利を得るために、あなたは、戦わなければなりません」
「生家に、嫌がらせされたら」
「だから、あなたが戦うのです。女の武器を使いなさい。一度は、それで、子まで為したんです」
「は、はい」
「でも、失敗したら、お金持って、逃げていいんですよ。食堂の皆さんが、あなたを助けてくれます。もちろん、わたくしも」
「はい」
強く頷いて、母親は俺を連れて、神殿に行ったのだ。
神殿では、俺の父親だという男がいた。忌々しい、というように、俺と母親を睨んでいた。
「不貞をしておいて、それを俺の子だというのか!!」
「あ、あなたの、子です!!」
「そんなみすぼらしいガキがか」
数日、ルキエルの元で過ごしていたが、その程度で俺のみすぼらしさはなくならない。
見るからにガリガリのガキだった俺は、母親の腕の中で震えるしかない。
「まずは、血縁証明をするための、手続きをしましょう」
「やるなら、お前たちでやれ。ほら」
手続きは、片方がすればいいのだ。
だが、肝心の書く道具立てがなかった。震えて、縋るように神殿の神官を見たが、顔を背けられた。すでに、神殿の神官をこの貴族が買収していたのだ。
誰の助けもないまま、手続きが先に進められないでいた。
「あ、アクサ、こんなトコにいたのか!!」
そこに、あの大きな屋敷にいるはずのルキエルが、やってきた。その後ろを俺の父親よりも高位なのでは、と思われるほど身なりのいい男が歩いてやってきた。
「お前は、こんな所に来るなんて。ほら、邪魔になるだろう!!」
「おばさん、何やってるんだ?」
「このガキ、あっちに行ってろ!!」
俺の父親がルキエルを邪険に払おうとすると、ルキエルについてきた男が、その手をつかんだ。
「知り合いから預かってる子どもだ。怪我をしたら、私が叱られる」
「邪魔をするから」
「これ、俺が書いてやるよ!!」
俺の父親と男のやり取りなど気にせず、ルキエルは、手続きの紙に目を通して、持ち込んだ道具で、勝手に文字を書き込む。
ルキエルの味方をする男は、俺の父親よりも高位だ。だから、その場の誰も、ルキエルに手が出せない。男は、ルキエルの後ろから、手続きの紙を覗き込んだ。
「なんだ、貴様、避妊を失敗したのか。あちこちに種をばら撒くとはなー」
「そういう貴様は、どこのどいつだ!!」
「私か? 伯爵位は存命中の父が持っている。マクルスという名前は、それなりに有名だ」
「な、ま、マクルス、様」
「いやいや、爵位を引き継いでないから、男爵よりも下だよ」
「………」
俺の父親は黙り込んでしまう。このマクルスという男は、何かあるのだろう。
ちょっとした騒ぎとなったが、ルキエルが、勝手に手続きを進めてしまった。
「ほら、これで血縁証明? が出来る」
「このガキが書いたんだ。それは無効だ!!」
「いや、代筆は認められている。知らないのか?」
俺の父親は、どうにかこの場を誤魔化そうとするが、マクルスがルキエルの味方をするので、どうしても出来ない。
神殿側も、マクルス相手には、強く出られないようで、手続きの書類を受理することとなった。
そして、俺と、この貴族が、親子関係があることを神殿が証明した。
「えー、あれが、アクサの父ちゃんか。弱そうだな」
結果を聞いて、ルキエルは目の前にいる俺の父親を残念そうに見た。それに、俺の父親は怒りに震えるが、側にマクルスがいるので、耐えた。
「あ、アクサって」
俺は、何故か、ルキエルにずっと、アクサと呼ばれていた。
「お前の名前だ。ほら、ここにも、アクサって、書いた」
「あ、くさ?」
気づいたら、ルキエルに、そう呼ばれていたが、実感が湧かない。だから、首を傾げてしまう。
「お前の母ちゃんが、そう、名付けたんだよ。知らなかったのか?」
「し、ら、ない」
「そっか。じゃあ、覚えておけよ。お前の名前は、アクサだ」
「るき、える」
「なんだ?」
この時、目の前にいる綺麗な子どもがルキエルだと、やっと認識した。
俺の父親は、マクルスの監視の元、神殿から一通りの説明を受けた後、俺の元にやってきて、俺の腕を乱暴に引っ張った。
「こい!!」
「い、いたぃ」
痛みで涙が出た。母親を見れば、呆然と立ち尽くしている。手を伸ばしても、父親は、母親に見向きもしない。
「待て」
それを止めたのは、マクルスだ。
実際は、格は俺の父親が上なのだが、マクルスに呼び止められ、足を止める。
「この子を引き取る。それで十分だろう!!」
「その子の母親はどうする?」
「あれは、貴族の血なんか一滴も流れていない。それ以前に、成人前のガキでもない!!」
「お前の子をここまで大きく育てたんだ。それなのに、謝礼もないのか」
「俺の子だと知らなかった」
「じゃあ、私が証言を探してきてやろう。お前が彼女の訴えを無視したあげく、血縁証明を怠った、ということがはっきりするだろうな。血縁証明を貴族側が行うのは、自らの潔白を証明するためにも、するべきだろう。それをしなかったということは、身に覚えがあったということになる。さて、こういうことが表沙汰となった時、帝国はどちらの味方だろうな。帝国は、法律で、片親が貴族の子は成人まで保護対象としている。貴族の子であったかもしれない、この子を見捨てたあげく、貧民にまで落とし、死んだかもしれないんだ」
「別に、こいつは我が家の跡継ぎになるわけでもないのに」
「不幸な伯爵令嬢のこと、忘れたのか? 今も、帝国は、不幸な伯爵令嬢の事件を風化させず、二度と、同じことを起こさないように、様々な喧伝を行っている。そういうものを監視する機関が王都に発足されたな。監視の第一号は、お前の家に、私から申請してやろう」
「なっ」
「あの機関は、第三者からの訴えも受け入れることとなっている。関係ない、なんて言っても無駄だ。私から、あることないこと、証拠をそろえて訴えてやれば、帝国がお前の一族全てを監視するぞ」
「………」
「話はついた。さあ、あなたも一緒に行きなさい」
「は、はい」
俺の母親は、深く頭を下げて、引っ張られる俺の後ろについた。
忌々しい、と俺の父親は顔を歪め、だが、正論らしく、言い返せるはずもなく、再び、神殿から出ていこうと、俺を引きずるように引っ張った。
「おい、まだ、話は終わっていない」
「この女も面倒をみてやるんだ!! もう、文句はないだろう!!!」
「その親子を世話した者たちに謝礼もなしか」
「なっ!!」
「きちんと、礼をしたほうが、お前のためだぞ。この子は、その家の子どもだ。これから、送り届けるから、一緒に来るといい」
「っ!!!」
俺の父親は怒りで震えるも、マクルスには逆らえない。
マクルスは、ルキエルを片腕で軽く抱き上げ、俺の父親の隣りで立ち止まった。
「子どもの足では、ちょっと遠い場所だ。抱き上げろ」
「こんな、汚いガキ」
「この子の家で、毎日、綺麗にされている。もしかすると、お前よりも、綺麗かもしれないな。この子の父親は、妻にとんでもない金をかけている。その子が着ている服は、その家のお下がりだが、物がとてもいい。見てわからないのか?」
「っ!!」
「もっと目を養え。だから、騙されるんだ」
実際、そうなのだろう。嘲笑うマクルスに、俺の父親は怒りで声も出せなくなる。
「あ、あの、私が」
「この程度の子どもを抱き上げられないほど、非力ではあるまい」
俺の母親が手を出そうとするも、マクルスはそれを許さない。
結局、俺の父親は、俺を抱き上げた。ただ、マクルスのように片腕というわけではない。
そして、やっと、俺たちは、数日、世話になった屋敷へと行った。
俺の父親は、あまりに大きな屋敷に、驚いて、口をぽかんと開いたまま固まった。それをマクルスが背中を押して、前へと動かした。
マクルスが玄関のドアをノックしてしばらく、出てきたのは、ルキエルの父親だ。
とんでもな体躯な上、整った顔立ちの男に、俺の父親は驚いて、見惚れた。俺の母親も、ルキエルの父親を初めて見た時、同じように見惚れた。
「ここで数日、世話になったこの親子の家族が迎えに来たんだ」
「そうか。ほら、ルキエル、戻って来い」
ルキエルの父親は、話の一つとして聞き流し、それよりも、マクルスの腕からルキエルを取り戻そうと、手を伸ばした。
ところが、ルキエルがマクルスの腕にしがみついた。
「ほら、大人同士で話がある。帰りなさい」
「どうせ、ロイドの面倒を俺に押し付けるんだろう!!」
「………」
数日、俺もルキエルの側で過ごしていたが、ルキエルがいう通りだ。
ルキエルの弟ロイドは、ともかく、手がかかる赤ん坊である。母親よりも、ルキエルに懐いていた。
今頃、ルキエルが側にいないと、泣いているのだろう。
ルキエルは、マクルスの腕から離れるものか、としがみついているが、屋敷の奥から、ロイドを抱いた母親が出てきて、見つかってしまう。
「あああああーーーーーーーーー!!!」
ロイド、大泣きして、ルキエルに手を伸ばした。もう、こうなると、ロイドは手がつけられない。俺でも、両耳を塞いで、逃げる。
結局、ルキエルは諦めの境地のような顔をして、マクルスの腕から降りることとなった。




