(Side)死にゆく者達の話
Side:???
ユーテル神聖国。世界随一の信者数を誇るラサ教会の総本山がある地上の国である。
聖都キヴェヤスクには神具が多数存在している。纏った者を死から遠ざける陽の聖骸布、神への謁見が叶う明神の鏡、最初に“輝ける陽光”を発動させ神格を得た暮れの陽杖。それら三大神具をはじめ、多くは総本山たる大教会に奉納されているが、いくつかの神具はその効力を最大限発揮させる為聖都内に点在していた。
その中の1つ、神より託宣を授かる為の神具“預言石”は、聖都の極南に建てられた塔の最上階に祀られていた。
日中、常に陽光に照らされるその石は普段は何の変哲もない一抱えの岩でしかない。しかし、一度神より託宣が下されると表面に古代文字が刻まれる。
文字は刻まれた後、陽が沈むまでの間しか現れない。故に預言を取りこぼすことがないように、神具を護る衛兵以外にも常に古代文字の学者が近くに控えている。
「……お、おぉっ!!」
そしてその日、預言石に数年ぶりともなる託宣が刻まれ始めた。
預言石の近くに控えていた彼は、自分の担当日に託宣が下った僥倖に打ち震え、それでも使命を忘れず羊皮紙を取り出し、預言を一言一句違わずに書き写していく。
「おいっ、非番の奴らを急いで呼べ!」
しかし、学者たる彼は焦ったように叫ぶ。そして傍に控えていた衛兵たちが1人を残してその指示に従い、非番の学者を慌てて呼び行く。
そして、その場に1人残るよう指示された衛兵は、何が起こっているのか理解した。
「長い———っ、長いぞ、いつまで続くんだ?!」
今まで下された託宣は長くても十数文字だった。現代語訳すると数十文字程度で終わる程度のものだ。
それが、終わらない。岩の端から端へ文字は続き、そこで終わらず反対側まで周り、そして続きが更に下へ続いていく。
古代文字は現代語のように他人への伝聞・交流を目的としたものではなく、知識得るに相応しい者への伝承及びそれ以外の者への秘匿が目的の文字である。故にその一字一句全てが煩雑な図形に等しく、1文字を書き写すのに数十秒はかかる。
その場に残った衛兵は預言石の向こう、塔の最上階から見渡す地平に刻一刻と迫っていく陽光を視界に収めて喉を鳴らす。
陽が沈むまで残り半刻ほど。学者たる彼は目の前の文字列を必死に書き写しながら、非番の仲間がいち早く駆けつけてくれるのを必死に祈る。
「待たせたっ、状況は!?」
「なんぞ、その預言。長すぎやせんか?」
そうして2人、偶然塔の階下に控えていた同僚達が階段を登ってきた。
学者たる彼は、望外の早期援軍到着に一瞬顔を緩ませ、そして指示を出した。
「ここまで書いた、今回の預言は長いです! 私はここから続きを、お前は後ろから書いていってくれ。所長は私の写しを読んで誤表記がないか先に確認をお願いします!」
「分かった!」
「相分かった」
既に預言石への記述は終わっていた。その文字数はざっと100文字前後。どこまで続くか分からなかった記述が終わりを迎え、また2人の手助けもあれば何とか陽が沈むまでの間に写し切ることが出来そうだ。
最悪の事態は脱せそうだと彼は安堵し、焦りを捨て精密に、しかし迅速に筆を動かし続けた。
「書き終わった!」
「っ、ふ~…何とか、間に合ったか…」
二人がかりで協力した結果、陽が沈むよりも前に預言を書き写し終えた。
あとはそれを持ち帰り、研究所内で意見を交わしながら翻訳の作業を進める。それが彼らの使命であった。
「……所長?」
しかし、先に預言の冒頭部分を渡しておいた所長の様子がおかしい。
わなわなと震え、塔の最上階から見える暮れなずむ地平と手元の羊皮紙を見比べ、愕然とした表情を浮かべていた。
「所長、どうし———」
「か、書き終わったのか!? 見せ、早う見せいっ!」
声をかけたところ、血走った眼で迫られ羊皮紙を奪い取られた。その拍子に、先に渡しておいた羊皮紙が足元に落ちてくる。
「どうしたんだ、所長?」
「さあ、よっぽどのことが書いてあったのか…」
羊皮紙を拾い上げながら彼らは疑問を投げかけあう。書き写した本人である彼も、写すのに必死で内容は把握していない。
彼らは訝し気に視線を交じらせ、好奇心に負けてその場で書き出しの翻訳を始めた。
「これは、陽の終わりと赤を意味するから———夕暮れか? あと、時間を指す象形も足されている」
「こっちは、崇拝すべき者と忌むべき者の複合形…? 訳すとしたら意味は―――」
そうして唸りながら、ようやくひねり出した冒頭の一説を彼らは口にした。
“この託宣下る暮れの頃、世界を終わりに導く災厄と共に【魔王】は覚醒し、蘇る。”
「………」
その場に沈黙が下りた。学者も衛兵も、皆一様に地平を見た。
陽はまだそこにあるが直に沈む、もうすぐ宵になる今の頃合いを彼らは“暮れ”と呼ぶ。
世界に嘆きの声が響き渡ったのはその直後。世界が揺れ、地が裂け、多くのヒトが地の底に飲み込まれていった。
その塔も揺れに耐えれず崩れ去った。預言石は落ちて砕けた。もう託宣が下ることはない。
預言を書き写した学者達も残らず死んだ。しかし、崩れた跡地から奇跡的に預言を書き写した羊皮紙が発見される。
預言は間もなく大教会に届けられ、そうして世界は運命の歯車に乗り、秘かに廻り始める。
世は滅亡の危機に瀕する。それを回避できるか否かは、羊皮紙に書き写された預言のみが知っている。
Side:アーデルセン
(———どうして、こうなったのだ)
地に埋もれ、自由に身体が動かない。陽に一時焼かれ、全身のあちこちを刃で貫かれたような痛みが返ってくる。
陽光の呪いで魔素も大半を失っている。吸血鬼最強の王と謳われた彼、アーデルセンの命は今や風前の灯火であった。
(———どうして、こんなことに、なってしまったのだ)
動けぬ彼は思考でしか生存を証明できない。閉じた瞼の裏で涙を滲ませ、彼は今に至るまでの後悔を渦巻かせた。
彼は先代の王の嫡男として生まれた。血に恵まれたおかげか、彼の伸びしろは他を圧倒的に凌駕し、30年もしない内に先代の王の力も上回り、力と血によって盤石な地位を築いた。
そして70歳になった頃、先代の王が未だ120の若さで崩御した際に一切の異論なく戴冠を受けた。
順風満帆たる第2の生であった。
彼にとって、前世の記憶は既に印象が薄い。最早90年以上も前の記憶であるし、辛く不条理で弱肉強食たるヒトの世を思い出しても良いことなど何もなかった。それであればと彼は今生の吸血鬼たち―――同族同士で切磋琢磨し、協力し、より良い生活を営めるよう心を砕くことに専念したのであった。
彼は武王でもありながら、政治にもよく口を出した。
弱い者が損をしないように、強い者が一方的に利益を貪らないように、しかし強者と弱者の間には敵愾心が生まれない範囲で区別を設ける。下の者は上を目指し、上の者は下を引っ張り上げる。そういう街作りの為に己が身を顧みずに職務に励んでいたのである。
そんな中、30も歳が離れているリリスフィーへ電撃的な恋に落ち、怒涛の合間に婚約、結婚を果たした。アーデルセンは当時、齢にして79歳であり、ヒトの身であれば老体である自分がそこまで恋に燃えるとは思いもよらず、様々な儀式やイベントを駆け抜けた後に大層なことをしたもんだと驚いた。
そして2年もしないうちに待望の子供が生まれた。吸血鬼の繁殖はヒトと比べて成りにくい。30代と若く結婚すれば生涯3~4人の出産は望めるだろうが、アーデルセンの歳では1人、ないしは2人生まれるか、あるいはまったく子宝に恵まれない可能性だってあった。そんな中で生まれてきた我が子を、珠の様に可愛らしいその娘を、たくさん愛そう、立派に育てよう、そう決意した。
そしていつの日か立派な淑女となったなら、政治や血の良し悪しを語りたい。いざ娘が結婚となった時、自分は平静を保っていられるだろうか。
あぁ、美しい顔の造形はリリスフィー譲りだが、目つきの悪さだけは自分に似てしまったな。そこがまた愛おしい。
そんな、それまで堅物であった自分を骨抜きにさせてしまう存在があることに、前世においても経験のなかった『家族』という幸せの枠組みを作ってくれたことに、妻と我が子へ感謝を捧げた。
―――それも今や、遠き昔の話である。
現実はどうだ。娘は血を飲めず、成人の儀が差し迫った時でさえ血が飲める兆候が見えてこない。食事に混ぜ込んでみたり、加工してみたり、薄めたり、寝ている間に無理やり飲ませようとしたこともあった。
しかし、どれも叶わなかった。ヒトの毛の色や年齢によっても味が変わるそれを、娘は全て吐き出した。
暗澹たる気持ちの中、何か手はないか、娘にヒトの血へ興味を持ってもらえないか。苦悩を極め、出てきた苦肉の策が自分の血―――吸血鬼の血を出してみることだった。
吸血鬼の血は異常な生臭さと醜悪な味を持ち、飲むのも嗅ぐのも堪えない。これと比較すれば、ヒトの血がいかに飲みやすいか、美味しいか分かってくれるはず。そう思っていた。
しかし、娘はそれを飲んだ。飲んでしまった。しかも、嬉しそうに、美味しそうに、歓喜に身体と唇を震わせながら飲み干した。
まさか飲めると思ってもいなかった。だから血を飲むことが出来て喜ぶ娘を見て思わず誉めてしまった。ますます、娘は喜んだ。
―――もしかすると、吸血鬼の血を飲むことで娘はヒトの血も飲めるようになるのではないかと思った。血が飲みたい、もっと飲みたいと強請る娘を嬉しく思い、そんな根拠のない妄想に取り憑かれていた。
しかし、そんな甘い夢想は最後まで自分を騙し続けてくれなかった。闘争の儀の日、儀式に出席した新成人たちの顔を見回し、娘が皆と同様しかと儀を果たすという覚悟を持った目をしているのを見て、これで血が飲めなくば彼女は再起できないのではないかと思い、震えた。
血呑みの儀に対し、何の覚悟もなしに望めば娘は動転し、回し飲み故に飲むふりをすれば良いということにも気づかず、血を飲み、吐き出すだろう。
それでは不味い、なれば事前に娘へお前はヒトの血を飲めないということを伝えなければならない―――伝えられるはずがなかった。それをする為には自分が何を飲ませていたのか、それを語るしかなかった。
言えるわけがない。お前は同族を―――親をも食い物に出来る者だと、伝えられるわけがなかった。
そうして何も出来ないまま、しかし事件が起こり娘が意識を取り戻さなくなった。このまま起きない方が、あるいは娘の幸せなのかもしれないと本気で思ったこともある。
しかし、娘は起きた。同い年である新成人の子らが甲斐甲斐しく見舞いや薬の調達を行なってくれたおかげで娘は快復した。どれだけ複雑な思いを持っていようが、娘が起きて話すのを見ると自然と涙が零れた。本当に良かった―――心から、そう思った。
だが、娘が起きると血呑みの儀は再開される。迫る血呑みの儀を前に、娘へは以前と同様ヒトの血を与え始めた。せめて、血呑みの儀を前に心構えだけはしておいて欲しかったからだ。
そして血呑みの儀、当日―――娘の『異端』扱いは、最悪の場合として覚悟はしていた。そもそも血統と同等、実力も重んじるグーネルが娘を許すはずもなかった。むしろ今までよく見逃してくれたと思う。やはり、衆目に晒される成人の儀が制限であったのだろう。それは―――仕方のないことであった。
そうして娘が『異端』とされたのなら、抵抗されようとも陽光のもとへ連れ出し、一緒に死のうと決意していた。あの子を追い詰め、あの子の心を腐らせてしまったのは自分だ。
許されるとは思っていない。だが、あの子をこれ以上今生へ縋らせる意味もない。こんな親のもとで生かされるより、きっと生まれ直した方が幸せであろう。そう思っていた。
だが、あの子は自分が語るよりも前に覚悟を決めていた。そして愕然とした。覚悟を決め切れていなかったのは、自分の方だったのだと気づかされた。
生きていて欲しい。どんな形であっても、あの子にはそこに居続けて欲しい。そう、残酷にも願ってしまった。心は、理性と願望で2つに裂かれてしまうことを初めて知った。
だがリリスフィーの嘆願で目が覚めた。あの子が生きていると、多くの者が苦しむ。自分はやはり、あの子と一緒に死ぬべきだと。あの子を地上へ連れていき、諸共自分は消えてなくなるべきだと思い直した。
そして———今。自分の行動は全て遅かったのだと後悔に圧し潰されている。
吸血鬼の血を飲めるのであれば、彼らを吸血してしまうことを危惧すべきであった。恐らく、地上で彼女に勝てる者はもういないだろう。
大地を破壊し、渓谷は深い地割れの中に飲み込まれた。恐らく、その更に地下にあるナトラサもただでは済んでいまい。むしろ、どれほどの吸血鬼が生き残れているだろうか。想像して、絶望的な結果しか思い浮かばない。
———全てが遅かった。気づくのも、行動するのも、後悔するのも、全てが。
最早自分には抗う力が残されていない。この身は失った右腕の先から血と魔素が流れ出ており、朽ちる時を待つばかり。
しかし———ああ、どうしても分からないことが1つだけある。どうして娘は陽光に焼かれなかったのか。
前世の記憶がない、ヒトの血が飲めない。そういったことであれば、全く前例はないが個人差として受け入れられるものだった。
だが陽光は違う。神が架した呪いである。吸血鬼であれば個体差なく身を焼いて当然のものである。
それが無いということはつまり、娘が純然たる吸血鬼ではないということか。
そしてそれが意味することは、自分かリリスフィーのどちらか、あるいは両方ともの血を———
「………」
アーデルセンは息を吐き、後悔しかない思考に蓋をした。
何にしても遅すぎたのである。彼は再び目を閉じ、思考と意識を手放した。
【Tips】魔王
世界滅亡を宿命づけられた魔の王。滅ぼされたとしても幾十年、幾百年の時を超えて復活を遂げる。
魔王となる者の人種、年齢は決まっていない。きっかけや時期も決まっていない。それまで普通に過ごしていた町人が魔王と化した例もある。
魔王は正しい手順を踏んで倒さなければならない。そうでなければ滅ぼした途端に転生し、人知れず復活を遂げるからだ。正しく滅ぼさなければ、世界の滅亡は止まらない。
そして正しい手順とはただ1つ。神に選ばれし英雄が倒すこと。そうすることで魔王の魂は鎮められ、幾十、あるいは幾百年の平和を得ることが出来る。
次話より第2章になります。少々投稿間隔あける予定です。




