第18話 正体 (奥田光治)
警察署を飛び出し、前橋と小田切は車で再びM市に向かっていた。運転するのは小田切。一方、前橋は助手席で携帯電話をかけ、何事かを聞いている。
「……そうか、わかった。すまんな」
前橋はそう言って電話を切った。小田切は運転しつつもチラリとそちらを見る。
「何かわかったんですか?」
「あぁ。本庁の昔の仲間に色々調べてもらっていた。おかげでいくつかわかった事がある」
「わかった事ですか?」
小田切の言葉に対し、前橋は頷くとこう言った。
「鷹野橋殺しの現場……つまり、志乃河霧音の自室に残されていた毛髪や皮膚片を科捜研に照合してもらった。結果、ちょっと厄介な事になった」
「厄介な事?」
「残されていた毛髪のDNA……それが十五年前に起こった資産家殺しの被害者の一人、各務霧人のものと一致したそうだ」
さらりと爆弾発言をされて、小田切は思わず目を丸くした。
「……は?」
「聞こえなかったのか? 志乃河霧音の正体は、十五年前の資産家殺しの被害者・各務霧人だって科学的に立証されたんだよ」
「そ、そんな……じゃあ、十五年前の死体は……」
「死体は激しく燃えていて、厳密には科学的な身元の特定がなされていない。他に該当者がいなかったから各務家の人間だろうと推察で判断されただけだ。だが、鷹野橋の正体は被害者の一人だった各務藤吉郎の可能性が高い。なら、他の面々も同じ命運をたどっている可能性があるとは思っていたが……案の定だった」
「で、では、志乃河霧音も鷹野橋と同じく……」
動く死体だったのかと小田切は言おうとしたが、前橋は首を振った。
「いや、室内に残った痕跡や彼女……否、彼と付き合いのある人間を調べたが、どうもその可能性は低そうだ。状況的に、藤吉郎と違ってこいつは『生きた人間』としてずっと今まで生活していたと考えるしかない。事件当時の霧人の年齢は十三歳。年齢的にも充分合致する」
「じゃあ、館で見つかった遺体は?」
「偽装だな。誰がどっからその遺体を持ってきたのはわからんがな」
それに、と前橋は付け加える。
「だとするなら、各務霧人改め志乃河霧音の女性としての性格の根幹が何なのかも説明がつくかもしれない」
「性格の根幹?」
「いただろう。例の資産家殺しの被害者の中に、名前に『音』がつく人間が」
そう言われて、小田切の顔が蒼ざめる。
「……各務音菜、ですか?」
「あぁ。四姉妹の末っ子だった人物だ。霧人の女性としての人格が、実はこの各務音菜の人格だったとすればどうだ?」
「どうだって、何でそんな事に……」
「本物の各務音菜がどうなったのかはわからん。ただ、資産家殺しの時に何かがあって、生き残った霧人に『音菜』の人格が現出し、霧人の人格を押しのけて主人格になってしまったとすればどうだ? そう考えれば『霧音』という名前にも説明はつくと思うが」
しかしそうなると、話はさらにとんでもない事になってしまう。
「待ってください。じゃあ、他の被害者も……」
「動く死体なのか、あるいは生きているのかはわからんが、別人に成り代わっている可能性はある」
「えっと、藤吉郎、霧人、音菜以外の被害者は……」
残っているのは藤吉郎の妻・秋菜と、四姉妹の姉三人である各務珠菜、各務瑛菜、各務柚菜である。
「このうち、各務珠菜だが……聞き込みの結果、事件の少し前に志乃河霧音の働く喫茶店にやって来て何かを語った女性客がいたって話だ。彼氏と思しき男が呼んだ彼女の名前が『環希』というらしい」
「環稀……」
霧人と音菜の傾向からして、「彼女たち」は意図的にかつての名前に酷似した名前を名乗っている可能性がある。だとすれば、この「環稀」という女性が実は各務珠菜だった可能性が出てくる。
「彼女はM市のカタコンベについての噂話……『入った女性が別人になって出てくる話』を志乃河霧音にしたそうだ。事がここに至ればそれが本当の話なのか嘘なのかはわからんが、もしこれが彼女をM市に誘い出すための仕掛けだったとすればどうだ?」
「……」
「そして、次女の各務瑛菜だが、志乃河創一郎の店でアルバイトをしていながら、一ヶ月前に行方がわからなくなった雨音晶の妹……これが『八辻栄子』という女だったはずだ」
「『栄子』、ですか」
漢字こそ違うが、読みは「えい」。環稀と同じパターンである。
「じゃあ、その親族だという雨音晶は……」
「名前からすれば……もしかしたら『各務秋菜』の可能性がある」
前橋はとんでもない事を言い始めた。
「で、でも雨音晶は男……」
しどろもどろに言う小田切に、前橋は呆れながら言った。
「お前、雨音晶失踪事件の報告書、読んでいないのか? 失踪した雨音晶は『女』だよ!」
小田桐は愕然とした。確かに、「晶」という名前は男女どちらでも通用する名前である。だが、そうだとすれば今までの状況が大きく一変してしまう。
「ちょっと待ってください! 少し整理させてください。仮に警部の言うように、雨音晶が各務秋菜、その妹だと主張していた八辻栄子が各務瑛菜、環稀という女が各務珠菜だったとしましょう。その場合、彼女たちは今度の事件にどんな関係があるんでしょうか?」
「そんなもの、行動を見れば一目瞭然だ。志乃河霧音……各務霧人に対する干渉だよ」
「干渉……」
「各務霧人は志乃河霧音として、志之河創一郎の保護のもとで生活していた。事がここに至れば、創一郎が十五年前の事件に何か関係していたと考えなければならん。そうしないと、その後霧人を霧音として引き取った事に説明がつかないからな」
「……」
「だが、秋菜たちはその状況を良しとはしなかった。状況から見て、彼女たち三人が手を組んでいたのは確実だ。秋菜と瑛菜は姉妹と偽っているし、珠菜が霧音に接触したタイミングもうますぎる。おそらく、三人は連帯して霧音に接触し、かつての記憶なりを取り戻させようとしていたんじゃないか?」
「……」
「だが、それを阻もうとする敵が存在した。その結果、秋菜こと雨音晶は失踪。看板娘と名乗った『謎の女』の紹介で邦楽川広重とかいうわけのわからん奴が後釜として『レイニーサウンド』に居座る事になり、直接バイトとして志乃河の元へ乗り込んだ瑛菜こと八辻栄子の行方も途絶えた。珠菜は今も行方がわからんし、無事である事を祈りたいが……」
「志乃河霧音に何かを思い出してほしくない陣営が、霧音に干渉しようとする彼女たちを排除したと?」
「生きているのか死んでいるのかまではわからんがな。確かなのは、志乃河創一郎は確実に敵方についているという事だ。奴は霧音を引き取り、霧音の記憶が蘇るのを阻止しようとしているように見えるからな」
つまり、この事件は霧音に接触しようとする雨音晶(各務秋菜)の陣営と、それを阻止しようとする陣営の二つに分かれている事になるのだ。
「誰がどちらの陣営の属しているのか……まずはそれを見極めるところから始めた方がいいかもしれん」
小田切は少し黙っていたが、やがておずおずとこう言った。
「あの……もう一人の各務柚菜は?」
「それはお前にも想像がついているんじゃないか?」
「……」
「須藤ユズル……さっきのマトリの女。あぁ見えて、実は特別公安課ともつながりがある女で、『楪』の名前で巫女もしている。だから昔から知っていたんだが……もし奴が『各務柚菜』だとすれば、裏社会から志乃河創一郎を調べるために潜り込んでいた可能性も高い」
「特別公安課……」
「知らないとは言わさねぇぞ。倉敷の奴のエスかなんかは知らんが、お前もご苦労なこった」
突然そんな事を言われて、小田切はギョッとする。
「……意味がわかりません」
「ま、そう言う事にしておいてやる。にしたって、あからさまなヒントを出してやったろうよ。できればそこで察してほしかったな」
「ヒント?」
「マトリ(麻薬取締官)は警察の管轄じゃなくて厚労省の管轄だ。なのに、俺はあいつの事を『刑事』と呼んだはずだ。つまり、あいつが裏で警察庁の公安課と繋がっていて、公安課と協力して非公式に刑事としての仕事もしていると暗に示したつもりだったんだが……」
「あ……」
小田切は一瞬目を見開き、そしてすぐにうなだれた。
「……でも警部、彼女が各務柚菜かもしれないと思っていたなら、どうしてあの時それを言わなかったんですか?」
「……ま、あいつの好きなようにやらせてみようと思ってな。長い付き合いだし、少なくともあいつが死体じゃ無ねぇことは俺がよく知っている。そして、おちゃらけているように見えて実は自分の仕事に対してはかなり真剣に取り組むやつだって事も」
「はぁ……」
「俺が思うに、今回のあいつは秋菜の陣営でも、まして敵方の陣営でもなく、第三勢力として独自に今回の一件に蹴りをつけようとしているようだ。だったら俺はそれを尊重し、いざという時に助けるだけだ」
「信頼しているんですね」
「何しろ、昔、相棒だった事もあるからな」
さりげなくとんでもない事を言われ、小田切は再度ギョッとしたように前橋を見たが、前橋は涼しい顔だった。
「それはそれとして……最後にもう一つ問題がある」
「もう一つの問題?」
「さっきも言ったように、志乃河霧音の正体は各務霧人で、その霧人には各務音菜の人格が同居している状態だ。だが、この各務音菜の人格はあくまで霧人の二重人格による仮想人格で、各務音菜本人の人格じゃない。そして、他の被害者の面々が何らかの形で生きていた現状、考えなければならない事がある」
「……」
前橋はその問題を重苦しい表情で告げた。
「霧人の二重人格ではない、正真正銘本物の各務音菜はどこで何をしているのかという問題だ」
……同日、都内某所。停車した救急車の車内で、二人の人間が睨み合っていた。そしてそのうちの一人……金髪の派手な格好をした女性……須藤ユズル改め各務柚菜は、さっきまでの軽薄な態度を潜めて、真剣な表情で告げた。
「こんな形で会う事になるなんてねぇ……久しぶりだね、おとーさん」
その言葉に、ストレッチャーの上にバラバラの状態で横たわる鷹野橋智也……否、各務藤吉郎の首は虚ろな視線を向ける。そして柚菜はそんな彼を一瞥すると、髪をかき上げながらその視線を運転席へと向けて告げた。
「それに、そっちも元気そうだね。会えて嬉しいかな……珠菜ねーさん」
そう呼ばれて、運転席から柚菜に拳銃を突き付けている迷彩服姿の女性……環稀こと各務珠菜は無言のまま厳しい表情を浮かべたのだった……。




