復讐
”復讐は何も生まないんだよ!
そんなことしたってなぁ、奥さんは喜ばねぇぞ! いい加減に目を覚ませよ。負の連鎖は、お前で断ち切るんだよ!”
──そう、奴は言った。
◇◆◇
俺には愛する妻がいた。岐林奈麻──旧姓、近藤奈麻。
気立てがよく元気で明るい彼女は、十三歳年下でかわいらしく自慢の妻──だった──。
だが先月のこと。
突然彼女の行方が分からなくなった。こんなことは今までになかった。メールも電話も通じない。俺は不安になり、必死になって彼女のことを探した。彼女の友人に話を聞いたり、事故に巻き込まれたのかもと警察に話をしにも行った。彼女の実家、友人宅、彼女の行きそうなところは手当たり次第に全て当たった。
だが全てが空振りに終わった。
後になってわかったことだが、俺が血眼になりながら探していたあの時──すでに彼女は殺されていたのだった。
俺は彼女の死を知った時、初めは何かの冗談だと思った。
彼女が死ぬわけがない。俺よりも一回り以上若いんだぞ? なんで先に死ぬんだ? 彼女が何をしたっていうんだ。
認めたくない事実が俺からあらゆるものを奪いさった。後に残ったのは、どうしようもない怒りと喪失感だけだった。
やり場の見つからない怒りに俺はどうにかなりそうだった。
そんな時に──奴が現れた。
どこかで見たことのあるような顔だった。
「やあ岐林」
奴は何の用か、俺の家に訪ねてきた。
「誰だよお前」
「俺だよ俺、坂崎柾登だよ。覚えてねぇか、小学生ん時同じクラスだっただろ」
記憶を探ってみるが、覚えがない。いや、そんなことよりも、なぜ今このタイミングでほぼ他人に近い知り合いが尋ねてきたのか。
「何の用か知らんが帰れ。失せろ」
「待てって、話を聞け。ニュース見て知ったぞ奥さんのこと」
「なら尚更消えろ。今は誰とも会いたくない」
「ほらそれだよ。相当荒んでるんだな。な、ちょっとだけでいい。中に入れてくれないか」
「うっせぇなあ、失せろってんだろッ‼︎」
しかし何故だか奴は引き下がらなかった。
当然俺はその時、奴の相手なんかしたくなかった。何をしたいのか分からないが俺の知ったことじゃない。俺は奴を追い払った。今となってはもっとしっかり追い払っていればこんなことにはならなかっただろうと後悔している。
奴はなかなかにしぶとく、次の日も、そのまた次の日も俺の家にやって来た。
「俺の話を聞いてくれよ」
奴は毎回そう言った。
ここで追い払ったって、どうせ明日も来るだろう。ああ面倒くせぇ⋯⋯ならば一掃のこと、コイツを殺ってしまおうか⋯⋯
その時の俺はそんなことを真面目に考えていた。正直言って誰でも良かった。今ではそれも後悔している。
ただ収まりがつかないこの気持ちを何かで発散したかっただけだったんだ。
「話ってなんだよ」
くだらない話なら殺る。そう思って、俺は奴を家に上げた。だが奴はせっかく機会を得たというのに、すぐには本題に入らず、「ちゃんと飯食ってるか? 食わないとダメだぞ」などとほざきながら、勝手に冷蔵庫を開け出した。
「何してんだよ。俺のことなんてどうでもいいから要件を早く言えよ」
「いや、どうでもよくない。俺はお前の心配をしてんだよ」
そして奴は扉を閉め、真剣な表情で俺を見据え、こう言った。
「──お前、復讐とか考えてねぇだろうな」
“復讐“
絶望に打ちひしがれた時、真っ先に思い浮かんだその二文字。やれるものならとっくにやっている。だが犯人は未だ見つからず、正体さえ掴めていない。
「図星だな。止めとけって。復讐したって虚しいだけだ」
「お前に何がわかるってんだよ! いい加減なことほざくな!」
「そう俺にはわかんねえ。でもこれだけはわかる。復讐するなんて時間の無駄、馬鹿のやることだ」
「おい、いい加減にしろよ」
──分かんねぇなら分からせてやろうか。
「うっせんだよ。部外者は黙ってろよ」
「俺はお前のためを思っていってんだよ」
「だったら、さっさと消えろよ! いい加減に俺に関わろうとすんなよ。なんなんだよ毎日毎日」
「だから俺は──」
「うるせぇ、目障りなんだよ。どっか行けよ本当に頼むからさぁ⋯⋯もう⋯⋯俺を一人にしてくれよ⋯⋯⋯⋯」
「なぁ岐林、俺の目を見ろ」
「⋯⋯⋯⋯」
「おい、ちゃんとこっちを見ろ!」
奴は俺の両肩を掴んで、俺の目線を自分の目に向けさせた。
「お前が辛いのはわかる。だけどなあ復讐は何も生まないんだよ! そんなことしたって奥さんは喜ばねぇぞ! あのな死んだらもう終わりなんだよ。死人は喜んだり悲しんだりしねぇ。だがな、お前は生きてる。生きてるんだよ。生きてるならちゃんと前を向け。お前にはまだ残された未来がある。死んだ奥さんのためにもちゃんと生きなきゃダメなんだよ。なぁいい加減に目を覚ませよ! 負の連鎖はお前で断ち切るんだよッ‼︎」
ああ、こいつ⋯⋯──
──その時俺は、ようやく奴を思い出した。
坂崎柾登──偽善の権化。
どうしようもないほどの偽善者。
小学生の頃、正義面してよく喧嘩の仲裁しているところを目撃していた。しかしそれはどれも教師の前でだけ。計算高く、得になると判断しなければ行動しない。故に他人の見えないところでは平気で悪事を働く。
権力に媚び、人を操ろうとする屑野郎。
俺は奴を生理的に嫌悪していた。
記憶から消していた男。
おおかた、事件の知名度を利用して被害者遺族に寄り添う人格者を演出したいのだろう。復讐に駆り立てられそうになった男を救った人徳者──
そんな肩書きが欲しいだけに違いない。
「⋯⋯ああ、わかったよ。復讐なんてしない」
「本当か?」
「ああ約束する。前に進むよ」
──嘘だ。犯人は必ず俺の手で殺す。
「そうか、⋯⋯はは、よかった」
坂崎はその場で脱力した。涙なんか流しているのは、さすがは本物の偽善者だ。
「立てよ。お前が気抜けてどうする」
「すまんな」
「ほら、手出せって。たく、そんなんじゃ危なっかしいな。お前んちまで送ってってやるよ」
「ありがとな」
そして俺は坂崎を家まで送り届けた。奴の家に着くと、坂崎の妻が出迎えてきた。
妻は若くて愛嬌のある顔だった。
俺が失った者をこいつは未だ持っている。だからその顔を見た時、俺は思った。
──よし、殺そう。
◇◆◇
その次の日の昼。俺は坂崎の家に向かった。奴は仕事で外出し、家には妻一人だけだった。俺は適当に理由を見繕い中へと上げてもらい、そして持ってきていた包丁で彼女を殺害した。
実にあっけなかった。
人はこうも簡単に命を散らせるのか。
彼女の人生はいったい何だったのだろう。
この世に生を享け、両親に愛され、様々な出会いと別れを繰り返し、坂崎と出会った。
そして俺に殺され命を落とす。
本当に何だったのだろう。
これから訪れただろう幸福や未来が、見ず知らずの男に一瞬にして奪われ、そして奪われたことにすら気づかずに一生を終える。
悲鳴をあげることなく絶命した彼女の亡骸を見て、俺は何故坂崎のことを嫌悪しているかのか、その理由を理解した。
◇◆◇
「ただいま」
夕刻、坂崎が何も知らずに帰ってきた。
「おーい、いないのか?」
不審な声を出しながら部屋の明かりをつけた奴は──硬直した。
血だまりの中に倒れている自身の妻。
乾いて光沢を失った血が、死後数時間経っていることを物語っていた。
「遅かったな坂崎」
「あ⋯⋯ぇ?⋯⋯」
「なんだどうしたんだよ。そんな顔して」
呆然と立ち尽くす坂崎。
「お前が⋯⋯、お前が殺したのか⋯⋯」
「ああそうだ。お前の顔が見たくてずっと待ってたんだよ」
立ちすくむ坂崎は、その場に持っていた鞄を落とした。そして自らも、糸が切れた操り人形のように膝から崩れ落ちた。
「どうした? 復讐しないのか? 目の前に愛する者を奪った男がいるんだぞ」
「⋯⋯⋯⋯」
「あ、そっか確かお前は復讐しないんだったな。なんだっけ、“負の連鎖はお前で断ち切れ“だったか? ふざけんなよっ! なんで俺が我慢なんかしなきゃなんねえんだよ。奈麻は殺された。殺した奴は今も呑気に暮らしたんだぞ。絶対に俺の手で犯人は殺す。そしてお前にも分からせてやる。何がお前の所で断ち切れだよ。冗談じゃねえ。当然お前は、お前の所でこの負の連鎖を断ち切れるよなぁッ‼︎‼︎」
反応はない。
坂崎はその場で項垂れるだけだった。
全く、拍子抜けにも程がある。
用が済んだ俺は家を後にしようとした。
その時──
「待てよ⋯⋯岐林」
背後で小さく坂崎の声が聞こえた。
だが俺は待たない。
直後、坂崎の狂った笑い声が響いてきた。
「ふ⋯⋯ふふ⋯⋯ふは、ふはは、あは、あははは、あははははははは、アーハハハハハハハハハハ、アヒャハハハハハハハ、ヒーヒャハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ⋯⋯⋯ハハハハハ⋯⋯⋯ははは⋯⋯はあぁぁ⋯⋯──ありがとう岐林」
【解説】
何らかの理由により妻を殺したかった坂崎は、しかし偽善者である為自らが手を下すようなことはしない。そこで岐林の復讐心を利用することを思いつき、どう言えば岐林が妻を殺すか計算し、妻を殺すようにけしかけたのだった。




