見破れなかった嘘
どんな理由があれば、そんなことができるのだろう。
どうして平然と俺の前に現れることができたのだろうか。
鷹橋は完全に社会病質者だ。
俺と会話していた時、あいつは何を思っていたのだろう。
わからないし、わかりたくもない――完全に狂っている。
何が何だかわからない。
だが後悔しても、もう遅い。
◇◆◇
九月三十日、昼休み。
俺が一人寂しく弁当を食べていると、クラスメイトの鷹橋が「賭けをしないか」と持ちかけてきた。
鷹橋禹柘――細身の男。頬は痩け、目はどこか虚ろ。なで肩でさらに猫背な奴は、近寄りがたい黒い雰囲気を常にその身の周囲に漂わせていた。
弁当を食べながら、俺は鷹橋に訊いた。
「どんなだ?」
興味を持ってくれたことが嬉しかったのか、鷹橋は少しその声を弾ませた。
「明日って四月一日の半年前だろ」
「知るか」
「計算しろアホ」
唐突なアホに苛ついたが、ここは大人の対応をみせる。キレたところでいいことはない。
「それで」
「そこで俺は明日、たった一つだけ嘘をつく」
「なんでだよ。エイプリルフールにやれよ」
「エイプリルフールに学校やってねーだろ。エイプリルフールの前借りだ」
都合の良いことを言い始めた鷹橋だが、言いたいことも分からなくもない。公然と嘘をついてもいい日に誰とも会わないのはつまらない。
俺は箸で続きを促した。
「それで」
「んで、その嘘をお前が見破れたら、お前の勝ち。見破れなかったら、俺の勝ち。実に単純明快。どうだ面白いだろう」
鷹橋は、にひひと目を細めて笑った。
「まあ、やってもいいけど」
俺は乗り気を見せてやった。乗ってやらんこともない。
「それでもし俺が勝ったら何してくれるんだ」
「なんでも言ってくれ。なんでも望みを叶えてやるよ。だが言っとくが、お前が勝つことはない」
「ずいぶんと自信があるんだな。じゃあ逆に、俺が負けたら何をすればいい」
「それなんだが、一週間昼飯をおごってくれ。金欠なんだよ」
「あっそう」
なんだそんなことか。
俺は鷹橋のその妙な自信だけが気になったが、その自信の理由を知ってみたいという好奇心と、賭けに負けた時のリスクを鑑みて、乗ってやることにした。
詳しいルールはその時に決めた。
⑴鷹橋がつく嘘は、俺と鷹橋との間に交わされた会話のみを対象とする。
⑵その時、学校の敷地外で交わされたものは除外する。
⑶鷹橋は嘘を一つしかついてはいけない。
◇◆◇
十月一日、朝。
昇降口で鷹橋を見つけた俺は声をかけた。
「よう」
「おっすッ!」
無駄に元気な声が返ってきた。
「なあなあ、聞いたかよ」
「なんだよ」
俺はさっそくきたかと、少し身構える。
「保健の渡辺先生、今度結婚するってよ」
「へぇ⋯⋯」
俺は興味ないようなふりをしながら、適当に相槌を打って受け流した。
が、頭ではその内容を吟味してみる。
さてさて、これは明らかに嘘っぽいぞ。渡辺先生は確かに見た目若くて美人だ。結婚するとして少しも不思議ではない。しかしそんな噂は聞いたことがないし、こいつの口からそんな話が出てくるのがいかにも嘘っぽい。恋愛関係の話に縁のなさそうな男だ。だが嘘だと決めつけるのもまた早すぎるだろう。なら行動は一つだ。本人に直接確認すればいい。
そう思った俺は、鷹橋と教室に向かう途中、適当に理由をつけて抜け出し、足を保健室へと向かわせた。
保健室の前まで行き、在室の札を確認し、コンコンと扉をノックする。
「はい、どうぞ」
聞こえてきたのは渡辺先生の声。俺は扉を開け、中へと入った。
「失礼します。二年三組の佐伯と言います」
「はい、佐伯君。どうしたの?」
「あの、少し熱っぽいので体温を測らせてください」
もちろんここへ来るための口実である。
「いいわよ、そこに座って」
そう指示され、椅子に座った。
「はいこれ体温計。それと、結果出るまでそこの用紙に名前とクラス、あと来た理由も書いといてね」
渡された体温計を脇に挟み、来室記録に必要事項を書き込む。
そして書きながら、まどろっこしいのは面倒くさいと思った俺は、単刀直入に訊いてみた。
「あの、先生って今度ご結婚なさるんですか?」
先生はほんのわずかな沈黙の後、
「え? ⋯⋯あ⋯⋯そ、そうよ」
と、肯定した。
だが先生の声は少し上ずっていて、顔もわずかに引きつらせていた。どうしてそんな反応をしたのかは、先生の次のセリフでわかった。
「どうして知ってるの⋯⋯まだ誰にも言ってないのに」
「あ、えっと、それは⋯⋯」
しまった。
意外な反応に俺は、どうしたものかと返答に困った。
正直に答えてもいいのだろうが、先生は俺が知っているということを知って戸惑っていた。誰にも言っていないという所からも、あまり他人に知られたくないことだったのだろう。普通こういうお祝いごとはみんなに知って欲しいのではないのだろうか。特に女性ならなおさらな事……。だがプライベートなことだし、生徒に祝われたところで、変に揶揄されるのがオチだと思って内緒にしていたのだろうか。そして俺が友人から聞いたと言えば、噂になっていると勘違いして先生を困らせてしまうかもしれない。どうしようか⋯⋯。
⋯⋯しょうがない、この手を使うか。
「それはですね先生、神様が教えてくれたんです」
秘技――『神のお告げ』
俺の言葉に先生は一瞬ぽかんとした顔をした。が、すぐにその意図に気づいたようで、あからさまなはぐらかしを受けた先生は眉を寄せて、「真面目に言ってくれる」と目で威圧してきた。
と、その時、ぴぴぴと体温計が鳴った。36.4℃――平熱だ。
「あ、もうそろそろ教室行かないと。それと先生――」
去り際、俺は鷹橋の言葉を思い出し、申し訳ないが言い訳させてもらった。
「この嘘はエイプリルフールの前借りですよ」
◇◆◇
俺が教室に戻った直後にホームルームが始まった。鷹橋とは席が離れているため会話はなかった。
一限目は数学。
静かで退屈な戸山先生の授業。大半の奴らは寝てるか別教科の課題に取り組んでいるかで、真面目に聞いている奴は少ない。
俺は鷹橋の方をちらっと見た。
奴はいびきをかいて寝ていた。
二限目は現代文、三限目は英語、と座学が続いたためその間も会話はなかった。
四限目は化学。今日は移動教室だった。
俺が化学室へと向かって廊下を歩いていると、鷹橋が後ろから声をかけてきた。
「なあ、知っているか。アインシュタインってマリリンモンローに言い寄られたことがあるんだってよ」
「へえー、あっそう」
それだけ言って、奴は先を行ってしまった。残された俺は、歩きながらまたその内容を吟味してみた。
さて、今度は雑学系か。
アインシュタインもマリリンモンローももちろん知っている。世界的に有名な科学者と、若くして亡くなった米国の女優だ。彼らに接点はあったのだろうか? そこまでのことは俺も知らない。どうだろう。次が化学の授業だから科学者の名前を出してきたのは、いかにもそれっぽい会話ではあったが。
だがまあ、これもなんてことはない。ネットで調べれば嘘かどうかも分かる。
俺は授業中、こっそりスマホを使って調べた。
◇◆◇
昼休み。
俺は今日も一人さびしく自席で弁当を食べていた。
さっき教室の後ろで鷹橋が誰かと話している姿を見た。話しかけてこないのは俺にとって好都合だ。嘘の候補は少ない方がいい。
そう思ったのも束の間。
鷹橋がぬっと背後から登場した。
奴は空いていた隣の席に座った。
「なあ、聞いてくれよ。俺昨日やっちまったんだよ」
「なにを」
俺は横目で鷹橋を見た。
奴はうつむき、わずかに口角を上げた笑みを浮かべていた。
そして俺の耳元へそっと近づき――囁いた。
「人殺し」
「――⁉︎」
馬鹿な⋯⋯明らかな嘘だ。人殺しなんてできるはずがない。何を言っているんだこいつは。
俺は横を向いて鷹橋をしっかりと見た。奴は何故だかにやっとしていた。その時、俺は気づいた。
そうか⋯⋯これは罠か。
「わかったぞ。どうせゲームの中でとかいう話だろ」
だが鷹橋は否定も肯定もせず、「さあね」と曖昧にぼかした。
五限目は体育。
当初グラウンドにてサッカーをする予定だったが、天気はあいにくの雨。体育館でバスケをすることになった。
女子と体育館を二分にし、授業の前半はパス回しの練習、後半は五人グループを作っての練習試合。試合をしていない男子は女子のバレボールを眺める奴と、駄弁る奴らとに大別された。ごく少数、真面目に応援している奴らもいるにはいた。
かく言う俺は体育館の隅に座って、試合をしている奴らを眺めていた。
(――暇だ。)
そう思っていると鷹橋が近づいてきた。
「よっ」
「おう」
「なあなあ、聞いてくれよ」
鷹橋はお決まりの台詞を吐いた。
「なんだ」
「先週の土曜にさ、家族で中華街に行ってきたんだよ」
「それで」
「そこではじめてフカヒレ食べたんだよ。いやあ美味かったな。やべ、思い出しただけでよだれ出てきた」
そして、それだけ言うと俺の元から去っていった。
六限目は世界史。
よって鷹橋との会話はなかった。
◇◆◇
――そして放課後。
ホームルームが終わり、帰る者、部活に行く者など、様々なやつが現れた。
俺も帰ろうと思ったが、その前に答え合わせしておこうと思い、教室の後ろの方にいた鷹橋をみた。
「おーい、鷹橋」
手招きして、呼びかける。
「なんだぁー」
「昨日の賭けの話だ。お前がついた嘘がわかったぞ」
それを聞いて、鷹橋はゆっくりと俺の方に向かった。
「お、そうか、で?」
鷹橋は空いた隣の席に座った。
そして俺は言った。
「お前がついた嘘、それは『渡辺先生が今度結婚する』ってのだな」
「ふーん、どうしてそう思った」
俺は、一つ一つ説明していく。
「まず嘘の候補は四つ。『渡辺先生が結婚する』『アインシュタインがマリリンモンローに言い寄られた』『お前が人を殺した』『お前が先週フカヒレを食べた』とりあえずこの中に嘘があることは確かだ」
「ほうほう」
「で、まず一つ目。渡辺先生の件だがこれは直接本人に聞いた」
「先生なんて言ってた」
「結婚するってさ」
その言葉に、鷹橋は首を傾げた。
「あれ? それおかしくないか。じゃあなんでお前は嘘だと思ったんだよ」
「まあまあ、それはおいおい説明するとしてだな」
理解しやすいよう順を追って説明する。
「二つ目、アインシュタインの件。これはスマホで調べて実話だとわかった。よってこれは嘘ではない」
「そうだな」
「次に、人殺しの件。当然だが本当に人を殺しているはずがないと俺は思った。あからさまな嘘だからこれを選ばせたかったんだろう。だがこれはお前が仕掛けた罠で、さっき言ったようにどうせFPSで殺ったとかそんな話だろう。ゲーム内での殺人だが、ある意味で嘘ではない。だからこれも違う」
鷹橋は黙って頷いた。
「最後にフカヒレの件。これは俺自身、嘘か本当か確かめようがない。だが嘘である可能性は低いと思った。なぜなら、もし嘘なら嘘で、お前がそれを嘘だと証明しなければならない。それはかなり難しい。それにお前はルール上嘘を一つしかつけない。フカヒレの話をしていたとき、お前は『思い出したらよだれが出てきた』と言ったが、もし食べに行ってないなら、思い出すことなんてできない。“食べに行った”という嘘と、“思い出した”という嘘を二つついたことになる。だからこれも嘘ではない。以上を考えると、この四つのなかに嘘はないように思える」
――だが、
「結婚の件、先生はその事をまだ誰にも言っていないと言っていた。だったらお前はどうやって結婚の件を知ったんだ? そこで俺は思った。お前がそれを事実だと知らずに賭けのためについた嘘が、実は嘘ではなかったとしたら。これなら色々とつじつまが合う」
よってここから導き出される結論、それは――
「お前が嘘だと思ってついた嘘は、渡辺先生の結婚の件だ」
全てを聴き終えた鷹橋は、俺の見事な推理に感服したのか、ふっと肩をすくめ、
「うん⋯⋯“正解だ”」
と一言だけ言った。
「よしッ」
俺はガッツポーズした。そして早速、お願いでもしようとした時、
「じゃあな」
と、鷹橋はそそくさと帰ってしまった。
(何だ、あいつ⋯⋯)
だがまあ、明日会った時にでも言えばいいと思った俺は、特に気にもしなかった。
そして俺も帰ることにした。校門をくぐり、学校の敷地内を完全に出た時、ポケットの中の携帯が鳴った。
取り出してみる。表示は『鷹橋』
「はっはー、俺の勝ちだ!」
たったそれだけ言って、ぶちッ――と、切れた。
「あ⋯⋯⋯⋯?」
なんだ? 訳がわからなかった。
だが、さして気になることもなく俺はそのまま帰宅することにした。
◇◆◇
「ただいま」
「おかえりー」
玄関の扉を開けると、母の間伸びした声が台所から聞こえてきた。
続いて、
“ぷるるるる、ぷるるるる”
と、固定電話のベルが鳴り響いてきた。
「ちょっと出てくれるー」
母は手が離せないらしい。
俺は着替えながら電話のところまで行き、受話器をあげ耳に当てた。聞こえてきたのは男の声。
『もしもし、そちら佐伯さんのお宅で間違いないでしょうか』
「はい、そうですが」
『こちら南松和署のものですが』
――警察?
『佐伯ヨリコさんはご在宅でしょうか』
「いや、一人暮らししてるのでうちにはいませんけど」
――夜里子は姉の名だ。
『実は今朝、篩津川沿いの空き地で身元不明の女性の死体が発見されまして』
――え?
『現場近くに落ちていた財布の中にあった保険証に記載されている住所から、そちらにお電話させていただきました』
あ⋯⋯
『それで、大変申し訳にくいのですが身元確認の方をお願いさせていただき⋯⋯⋯⋯』
俺はその時なんとなく全てを察した。姉と思しき死体の存在、鷹橋との会話、下校時の電話、賭けのルール⋯⋯そして――
鷹橋がついた“本当の嘘に”。
【解説】
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鷹橋は語り手が学校の敷地内を出た直後に電話をして勝利宣言している。勝利宣言が嘘ではないとすると、語り手が導き出した解答は間違いであったということであり、鷹橋が最後に言った『正解だ』と言うセリフは嘘ということになる。そしてそれが鷹橋がついた”たった一つの嘘”なら、あの四つの会話は全て本当だということになり、故に人殺しを実際にしたことになる。




