第12話:告解
※ ※ ※ 昼 都の教会 ※ ※ ※
「なみだーせよー、なみだーせよー、贄ーとなりーしーすくーいぬしーにー。」
聖歌隊が神を讃える歌を歌っている。
この子達の歌を聞けることは教会が神の存在を身近に感じる場所となった理由の1つだ。
「なみだーせよー、なみだーせよー、なおつーづくーこのー世にー。」
マデリーンは市井の人々と同じように聖歌に魅了されていた。
今、歌われている『混じりし涙』は何百年も歌われている聖涙教で最もポピュラーな聖歌の1つだ。唯一の友であるソルゼを失った神の流した涙と世界が救われたことで流した人々の涙。悲喜の入り混じった涙が大地で混じり合い、神と人が心を共有した唯一無二の瞬間を讃えて作られた聖歌である。
「う…。」
マデリーンの額から冷や汗が流れ出した。
音楽は記憶を呼び起こす。美しい記憶も、そして忌まわしい記憶も。
「司祭様、発作ですか?ここは私が取り繕うので、新鮮な空気を吸いにお外へ。」
「ええ。気分が優れないようです。不躾ですが外させていただきます。後の事はよろしくお願いします。」
「はい。ご自愛を。」
理解ある助祭の好意でマデリーンは教会から逃げ出した。
教会の庭でマデリーンは心が乱れた原因を探っていた。ここ半年は発作を起こすことなく、聖歌を聴けていたというのに。
しかし、昨日長らく顔を合わせていなかったバルマンが突如やって来た。
おまけにロレインが持ってきたとんでもない代物、謎の金属片にあてられている。
今まで送ってきた日常が一瞬で崩壊してしまい、心が乱れたために発作を起こしてしまった。なんともあっけないことか。
それにしもて全てのきっかけたるあの便利屋は一体、何者なのだろう。
冷静な態度を崩すことはないが、温もりに満ちた雰囲気。
そしてなによりも美しい。
「あら?」
気づけば乱れていた心中が随分と穏やかになっていることにマデリーンは気づいた。
あの便利屋の美しさは思い返すだけで、心を落ち着けてくれるようだ。
あれほどの美貌をマデリーンは見たことがない。
だが、生あるものでないなら毎日のように見ている。
そう、その姿はまるで…。
「まさか…ね。」
疲れているのだろう、こんな考えが頭をよぎるとは。
馬鹿げた勘繰りを独り言で締めくくると、教会から多くの人が出てきた。
聖歌隊の合唱が終わったようだ。
多くの人が満ち足りた顔、中には涙を流している人もいる。
我が都の誇る合唱団の面目躍如といったところだ。
「皆さま、ごきげんよう。神のご加護があらんことを。」
聖歌を聞き終えた人々を見送っているのは教会で育てている孤児たちだ。
良き教育者のお陰で、あの子たちの目は輝きに満ちている。
彼らの瞳は都の人々にとっての希望だ。
伯爵の乱心、危険地帯といった問題を抱えていてもなお、子供たちの笑顔は生きる力をくれる。
「みーんなー!ご飯だよー!」
市井の人々が皆、日常へと戻り終えた頃に子供たちを呼ぶ元気な声が聞こえた。
声の主はこの都を含む広大な領地の支配者である伯爵の娘、ロレインだ。
大きな声を出し、元気いっぱいに駆けてくる姿から彼女が良家の娘とは想像がつかない。しかし、都の大人も子供も彼女のそんな姿が大好きだ。
「お嬢様ー、今日のご飯は何!?」
「クラウチャウダー。貝とジャガイモがいっぱい入ってるわよ。」
「やったー!」
先ほどとは打って変わって美味しいご飯ではしゃぐ姿は年相応の子供そのままだ。
「食堂まで競走しようぜ!」
「ちょっと待ってよー!」
子供たちはご飯の元へ駆けて行き、残されたロレインの元へマデリーンは近寄った。
「ごめんなさい。領主の娘であるあなたに家事手伝いなんて真似をさせてしまって。」
「とんでもありません。教会の方々が力を貸してくれるのに何もしないなんてそれこそアリアンナ家令嬢の名折れです。今日のチャウダーはとても美味しくできたので司祭様も楽しみにしててくださいね。」
ロレインは貴族の娘とは思えぬほどに家事がうまい。料理も上手だ。おそらくは母親に似たのだろう。
「では、私めもお嬢様のチャウダーをいただきましょうかね。」
老人の声が2人の耳に入った。その声は紳士的で礼儀正しく、穏やかだ。
「爺や…!」
振り返ったロレインは堪らずに声の主のフィリップの胸に飛び込んだ。
「大変でしたね。お嬢様。」
彼女の震えからフィリップは多くのことがロレインにあったであろうことを察した。
今のロレインには話すべきではないだろう。父親のあの言葉を。
「ごめんね、爺や。密偵の真似事をさせてしまって。この都まで来るのも疲れるでしょ。」
「平気ですよ。お嬢様の様子を見に行くと言えば、疑われることもありません。」
今、こうして都に赴いているのは伯爵やチンピラたちの動向を報告するためだ。
表向きにはロレインを様子を見に行くと言うことで疑いの目を反らしている。
そしてフィリップは今練られている計画の一端を担う者である旧友と顔を合わせた。
「老け込みましたね、フィリップ。苦労を掛けました。」
「あなたが変わらないだけですよ、マデリーン。」
「そんな、私は便利屋殿に許可を出しただけのことにそのような意図など無いのに…。」
ベンチで3人で腰かけ、先ほどの酒場で行われた便利屋と騎士団団長の決闘のいきさつを話した。
「気に病む必要などありません。男の意地などにあなたが気に掛ける余裕などなかったでしょう。それにお互いに傷を負うこともなく決闘は終わりました。団長様の心の傷は別ですがね。」
戦いにおいて不敗であった団長が築き上げた誇りがものの数秒の決闘で打ち砕かれた。その事実を受け入れるには一朝一夕では済みそうにない。
「信じられない。あの小さな便利屋が強くて大きい団長さんを負かすなんて。」
「それにしてもお嬢様。あの便利屋様とはどのような経緯で出会ったのですか?」
「えーっと、それがね…。最初はお爺さんお婆さんの所で出会って相談に乗ってもらうだけのはずだったんだけど…。」
今は冬から春への変わり目。
便利屋は畑の土作りを手伝っていた。
アリアンナ邸に行く途中で、老夫婦の家に寄ったロレインは彼と出会った。
老夫婦は年が近い便利屋はロレインにとって良い話し相手になるだろうと紹介したのだ。
「で、彼は悩みを聞いてくれて…、一通り話し終えたの。そしたら彼は『作戦を立てよう』って言い始めたの。それで彼に乗せられてこんなことに…。今思えばどうかしてたのかも。」
便利屋は実に良い話し相手だった。
父親の乱心という問題を反論することなく黙って聞き続けていた。
ロレインが気持ちを全て吐き出した後に便利屋は根本的な解決策を提案した結果が今回の依頼なのだ。
気が付けば老夫婦までもが乗り気になってしまい、今に至る。
「きっかけは気の迷いかもしれませんが、始まった以上はもう止まることはできません。教会も騎士団もあなたの依頼に協力します。任せておきなさい。」
「ありがとうございます。司祭様。」
最初はただの思いつきだった依頼が今では司祭までも動かしている。
伯爵を除けば、マデリーンは都で一番の発言権がある。彼女の言葉のなんと頼もしいことか。
「便利屋様が来てからというもの、止まっていた時間が動き始めたかのようですね。こうやって再び、バルマンやマデリーンと力を合わせる日が来るとは。」
便利屋の来訪、それは神による前進の合図だとフィリップは確信していた。
フィリップは伯爵やチンピラ達の世話。
マデリーンは司祭としての激務。
バルマンは危険地帯の調査。
ロレインは都に遠ざけられ、思い悩むことしか出来なかった。
長かった彼らの隔たりを便利屋は数日で埋めてしまったのだ。運命を動かしたといっても過言ではない。自分はまさに運命の岐路に遭遇したのだと。
だが、その高揚感はロレインの次の質問によって崩された。
「そういえば爺やに司祭様。教授とは50年来の親友なんでしょ。どうして50年前に教授を魔術師狩りからかくまったの?すごく危険だったんでしょ。」
フィリップとマデリーンは押し黙った。ロレインにとっては意外な反応だった。
2人は過去の勇気ある行動を誇らしく語ってくれると思っていたからだ。
「あの時は・・・、信じているものが全て砕け散ってしまった後でしたからね。もうどうにでもなれ、そう思って半ばやけになってバルマンを助けたんです。」
言葉に詰まりながら、当時を語るマデリーンに誇らしさなどない。
まるで自分の罪を告白してるかのようだ。
「私もそうでした。当時は何かもがどうでもよかったんです。しかし、絶望していた時に彼の生気に満ちた瞳が私の心を震わせました。それに感化されて思いがけない行動をとったのでしょう。後は当時の自分にしか分かりません。」
フィリップの顔からも誇らしさどころか罪深ささえ滲み出ていた。
どうしてなのだろう。彼らは尊い命を強大な権力から救い出したというのに。
「ごめんなさい。爺や、司祭様。話は終わりにして食堂へ向かいましょう。とびっきり美味しいチャウダーを味見して。」
ロレインは陰鬱な空気を吹き払うため、自信の料理を早くマデリーンとフィリップに振る舞うためにベンチから立ち上がった。ロレインの後を2人の老人はゆっくりと追いかけた。
「奥様が生きてさえいれば旦那様は…。お嬢様にもあんな無理をさせることなく…。」
「過去を振り返ってはいけません、フィリップ。無駄なことです。過去を振り返るのであれば私に生きる資格などすでにありません。例え、今後の人生でどれほどの善行を積もうとも。」
マデリーンは過去を振り返るわけにはいかない。
そうすれば途端に自分が正気を失いかけないからだ。
「あなただけではありません、マデリーン。私の過去も罪にまみれています。50年前のこの都で罪にまみれなかった者はいなかったでしょう。」
「そうですね、もう50年前。今はただ、正気を保ってなすべき事をなしましょう。子供たちの笑顔を見て、美味しいご飯でも食べれば、それも難しくない。」
マデリーンの微笑ましい提案をフィリップは快諾した。
はしゃぐ子供たちの面倒を見るというのも悪くない。
今回のマデリーンとフィリップの罪ですが後に過酷なシーンとして描写されます。
その際は前書きで注意喚起を行います。
では次回。




