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74.社交界デビュー③

 出番が終われば、他の令嬢たちの謁見が終了するまで王城の控え室で休憩だ。

 その後夕方から、王太子によるファーストダンスを皮切りに、今宵の舞踏会が始まる。


「わたくしたちは先にダンスホールで待っているわ。エドガー殿下とのダンス、楽しみにしているわよ。いつも言っているようにターンのクセに注意してね。わたくしの娘として、他の令嬢に負けることは絶対に許さない」

 アンナマリアはアイスローズを最終点検するよう上から下までぐるりと見ながら言った。


「アンナマリア、何もギリギリまでプレッシャーをかけなくても」

 苦笑いするレオナルド。

 アンナマリアはこの時、おそらくアイスローズが生まれてから初めてーー娘が、必要な誇りを持つ以上に自惚れ屋になっては困る、という心配を捨てた。


「ーー勿論、貴女が負けるなんて微塵も思っていないけどね」

「! お母様」


 この日のために、アンナマリアがどれだけ時間を割いてダンスの練習に付き合ってくれたか。10歳以降、一般的な令嬢の人生2回分くらいの練習量は詰んできた。努力は身を結ばないこともあると知っているが、そのことは確実にアイスローズの自信となっている。目を見開いていたアイスローズは、余裕の笑みを返した。


 保護者たちが退室した控え室では、今日デビューした令嬢たちがずらりと椅子にかけている。その中にウェンズディ・トレゲニスの姿はない。

 アイスローズは彼女から「今年社交界デビューはしない」との手紙をもらっていた。今、彼女は王城学園を休学し、トレゲニス家の事業の清算と家族との時間に全てを費やしている。本人いわく、元より令嬢生活は彼女の性に合ってなかったらしい。王城学園だけは兄の強い意向により、どれだけ時間をかけても卒業するつもりと。


 何とかウェンズディの意に沿った結果になったことに、アイスローズは息を吐く。


 しかし、直ぐに腕を組み直した。

 ヴァンパイア・ガーネットについて決着しないことには、どうにも落ち着かないのだ。

 エドガーは社交界デビューの日には、解決するだろうと言っていた。


(気になるのは、エドガーは「金庫の鍵を取り戻す」でもなく、「ヴァンパイア・ガーネットを取り戻す」でもなく、「解決する」と言ったこと)


(それにもう一つ、……ずっと前から、何かを思い出しそうな感じなのよね。エドガーに関して)


 アイスローズは額に手を当てる。

 1回目は期末テストの結果を見ながらイーサンと話をしていた時。あの時、イーサンはこう言った。


『エドガー殿下に苦手なものはあるんでしょうかね』


(そう、それが元でエレーナと「いちゃいちゃするシーン」があるところまで思い出して……)


 2回目は先日ダンス練習をしていて、エドガーの言葉を聞いた時。


『キラン王子の方が四つ上だから力では負けて、鬼ごっこの途中でよくワインの樽に落とされたりしていたな』


 アイスローズが唸るように悩んでいると、ふと脇に置かれた鏡が視界に入った。

 写るのは見慣れたプラチナシルバーの髪に、ワインレッドの瞳。ワインレッド……


 アイスローズの頭に、撃ち抜かれたような衝撃が走る。


(エドガーの苦手なものは……「赤ワイン」!!)



✳︎✳︎✳︎



 空が金色に染まりつつある夕方。

 王城に一番近いホテルは、一階に高級レストランが入っていた。室内は天井と柱が白く、壁紙と絨毯が赤い。金づくりの上品なシャンデリアがぶら下がる。窓に見せかけた鏡があちこち貼られているから、実物の部屋以上に広々して見えた。

 今日は王城での社交界デビューのため賑わっており、人の行き交いも激しかった。


 一人の男ーー……新聞記者をしているジェームス・クレイトンは外の見える窓際の席で、赤ワインを嗜んでいた。くすんだベージュ色の髪に青い瞳、シュッとした鼻筋が綺麗な30代くらいの男性だ。

 突然、彼の顔にかかる夕陽が遮られる。テーブルを挟んだ向かいの席に人が腰掛けたからだ。


 クレイトンが顔を向けると、意志の強い青緑色の瞳がこちらを見ていた。


「……おや! 貴方はエドガー殿下じゃありませんか。本日これから社交界デビューの舞踏会では? よく王城を抜けて来られましたね」

 大袈裟に反応するクレイトンに、マントを身に付けたエドガーは冷静なまま返す。

「人が多いから逆に目立たなかったとも言える。それより、そんな白々しい芝居は不要だ。『キツネ殿』」


 開目するクレイトン。エドガーは続けた。


「貴方がこのように礼儀正しく『待ち合わせ』に応じてくれたことに感謝する」

「……」

「相手が王太子わたしだったのは意外か?」


 クレイトンは用心したように返す。

「……なんのお話だか、僕にはさっぱり。殿下はわざわざ、この僕に会いにレストランに来たのですか? なんでまた」

「貴方が、マンディ・トレゲニスに張り付いていたフリーの新聞記者で、かつ金庫の鍵が盗まれたことをすっぱ抜いた記者だったからさ」

「!」


 エドガーは淡々と言う。

「少し遡って説明しよう。ウェンズディ・トレゲニスが貴方を挑発したのは、家庭内のある問題を解決したかったからだ。そしてそれは既に叶っている。ある意味、貴方のおかげで」


「挑発が新聞に掲載された日の午後、私はマンディ・トレゲニスに会いに行き、話をした。マンディは『怪盗キツネ』になら、ヴァンパイア・ガーネットを渡すと言った」

 エドガーはクレイトンを正面から見据えた。


「貴方に対する御礼の意味が一番だが……あのガーネットはマンディにしたら辛い思い出でしかなかったから」


 クレイトンは目を細めた。


「だから、新聞記事の取り下げはしなかった。また、あえてトレゲニス邸の警備は甘くした。ヴァンパイア・ガーネットの価値は高く、模倣犯に狙われてもおかしくないが、あの金庫はなにせ難攻不落だったからな。屋敷に侵入した模倣犯ものは必ず、解錠に手間取る。それを捕まえることで、ついでにこの国の治安を幾分か、よく出来た」


 何人かのコソ泥を捕まえることが出来たから、とエドガーは補足した。


「そして貴方は実際に、極めて短時間に……取材する記者たちに紛れて……あの金庫を開けた。さすがは『キツネ』、見事な手腕だ」

「……」

「しかし、いくら貴方でも『ないもの』は盗めなかった。だから、金庫の鍵を盗み、『ヴァンパイア・ガーネットは盗まれたも同然』と主張する新聞記事を出したんだ。こちらの出方を見るために。マンディのキーケースに残されたメッセージカードは、挑発に対する回答ではなく、『金庫内の手紙』に対する回答だった」


「エドガー殿下にお褒めいただけるなんて、名誉すぎて涙が出そうですね」

 クレイトンあらため、怪盗キツネは顎をツンと上げた。

「本当に! がっかりしましたよ。せっかくトレゲニス邸の金庫を開けてみれば、目当てのガーネットは入っておらず、『今日この待ち合わせを指示する手紙メッセージ』が入っているなんて」


「でも待ってください、エドガー殿下。矛盾してません? マンディ・トレゲニスは『キツネ』になら、ガーネットをあげて良いと言ったんでしょう?」

 眉間に皺を寄せ、不服そうに指を振るキツネ。


「だったらこんな回りくどいことしないで、ヴァンパイア・ガーネットを『金庫にそのまま置いておけば良かった』のでは? どうせ、僕にしか開けられない金庫だったんだから。挑発にのってあげて、更には待ち合わせにも応じる『素直でいい怪盗ひと』を、罠にでも嵌めたおつもりで? このレストラン程度の警備では、僕は捕まりませんよ」


 キツネはエドガーに渡すよう、テーブルに金庫の鍵を投げ出した。


「私は今回の件で貴方を捕らえたりしない。手紙に書いた通りだ、御礼にガーネットを渡すと」

 エドガーは言いながら、おもむろに羽織っていたマントを脱いだ。


「!」

 キツネは平静を保とうとしたが、その目はエドガーの胸元を捉え、鋭く光った。エドガーはそれを見逃さなかった。


 エドガーの胸には、カボションカットの緑色の宝石……が輝くブローチが鎮座していた。

 カボションカットとは、宝石を丸いドーム状に磨き上げる方法だ。滑らかでしっとりしたような光沢が、宝石そのものの色を引き立てている。


「バタフライピーのソーダ、だな」

「は?」

 脈絡のないエドガーの言葉に、怪訝な表情をするキツネ。


 エドガーはテーブルにあったマッチを擦り、自分のブローチに近づけた。すると驚くべきことに「緑」の宝石は「真っ赤」に色を変えたのだ。

 キツネはその煙ごしに目を細めた。


「『ヴァンパイヤ・ガーネット』は、『カラーチェンジガーネット』だったんだ」

「……カラーチェンジガーネット」

 マッチを振り消しながら言うエドガーに、キツネは繰り返した。


「光源によって色が変わるガーネットだから、太陽光では緑色、蝋燭の火のもとでは赤色になる。おそらくマンディたちは、用心深いノーマン・トレゲニスから『夜にしか』このガーネットを見せてもらっていなかったんだろう。だから、血のように赤いガーネットという話だけが、世間に出ていた」


 エドガーは胸からヴァンパイア・ガーネットを外し、キツネの前に差し出した。


「貴方と待ち合わせした理由は……せっかくの機会だ、直接ガーネットを手渡すことで、貴方の反応をこの目で確かめたかったから」

「確かめる?」

「カラーチェンジガーネットの数はこの近辺の国で僅かしかない。それを見抜けるだけの審美眼があるのは、実際に見たことがある極限られた宝石商か……あるいは目の肥えた『王族』くらいだ」

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