69.呪いのヴァンパイア・ガーネット③
トレゲニス邸は、改築を何度も繰り返してきた大きな屋敷だった。半分は新しく日当たりがあり住みやすそうなのだが、北に面した古い部分は暗く、いかにも歴史を感じさせる。吸血鬼屋敷の異名を持つのはこちら側だろう。
エントランスは北側にあった。ノーマン・トレゲニスがかつていたという異国の品が飾られており、それが一層独特な雰囲気を放っている。
今はエドガーとエレーナ・着替えたユージーンが、使用人に案内されながら「劇の参考になりそうな部屋」を見学しに行っている。
アイスローズはお手洗いでメイク直しをさせてもらっていた。一人居間に戻れば、そこは天井が吹き抜けになっていて2階の廊下に面しており、壁際にはアップライトピアノが置かれていた。
「……ウェンズディ?」
背後からのアイスローズの呼びかけに、ピアノの前に立っていた彼女は、はっとして顔を拭う。
(泣いていた?)
ウェンズディは振り向きながら、不自然なまでに明るい笑顔で言った。
「小さい頃、マンディ兄さんがよく弾いてくれたのよ。私は弾けないんだけど合わせて歌ったりなんかして」
そう言って懐かしそうにピアノの蓋を開く。
ウエンズディがハミングしてくれたその曲自体は、アイスローズも知っていた。子供向けのピアノの練習曲だ。しかし、元々は異国のはるかなる河を歌い、故郷を思い起こさせる民謡だったらしい。
 
堪らず、アイスローズは提案した。
「あの、ウェンズディ! 私もその曲だったら弾けるわ。良かったら」
「本当!? いいの?」
ウェンズディは一転、パァッと顔を輝かせる。
(……あんな顔をしたウェンズディを放って置ける人はいないわ)
喜んだウェンズディはそのままピアノの脇に立ち、アイスローズの伴奏に合わせて歌ってくれた。
故郷は、父母がいて
幼い幸せな日々を過ごしたところ
今はもう名残もなき、
遠く、遠く、心が向かうところ
私はそこで生き、そこへ眠りたかった――
「やめるんだ、その曲は! 辛気臭い、気分が悪い!!」
「!?」
突然、吹き抜けから見える二階の扉がガチャンと開き、怒鳴り声が降って来た。声の主を確認し、アイスローズは目を細める。
(マンディ・トレゲニス……!)
黒いローブを羽織って立っていたのは、不健康なまでの白い肌、黒髪・黒い瞳をし赤い唇が際立つマンディ、その人だった。
マンディはアイスローズをきつく一瞥したかと思えば、舌打ちした。
「ウェンズディ、この屋敷に人を近づけるなと行っただろう。第一、私はお前が学生寮から戻ってくるのも反対だったんだ。母さんが勝手に許可を出したから」
ウェンズディは兄を見上げながら抗議した。
「そんな、ひどいわ! 三ヶ月ぶりに家族に会いにきたのよ、ここは私の屋敷でもあるわ。私は兄さんにだって会いたかった――」
「うるさい!! 用が済んだらさっさと帰ることだな!」
「待って、私の話を聞いて! ――兄さんってば!!」
マンディは部屋の中へ踵を返し、扉は乱暴に閉められた。振動が響く。
しん……と静まり返る室内。
ウェンズディはマンディの部屋のドアを見たまま、ピクリとも動かない。
凍ったような沈黙の中、アイスローズはピアノの椅子から彼女を見上げていたが、やがて言った。
「ごめんなさい、ウェンズディ。私がピアノを弾くと言ったから――」
「ヴァンパイア・ガーネットなんか、この家になければ良かったのよ」
「え」
ウェンズディは暖炉の上に掲げられている故ノーマン・トレゲニスの肖像画をキッと睨みながら言った。
「アイスローズ嬢なら知っているわね。トレゲニス家には、家宝のガーネットがあるの。それはかつて、亡き帝国の皇帝が所有していたと言われている。国が滅びた時に持ち出され、以降『持つ者に取り憑き、不幸にしてきた』と言われているわ」
それはもう、漫画で読んだからよく知っている。そのガーネットは血のように赤く、この宝石のために血で血を洗うような争いがあったことから、「呪いのヴァンパイア・ガーネット」と呼ばれているのだ。
アイスローズはゴクリと息をのんだ。
「いつも厳重に金庫に入れられていて、私は見たことがないの。マンディ兄さんは20歳になった日、父さんに見せられてガーネットに呪われたんじゃないかしら。その日を境に、人が変わったように別人になったから」
ウェンズディは自分自身を鼻で笑った。
「おかしなこと言うと思うでしょ? でも、ヴァンパイア・ガーネットのせいにでもしてないと、私はマンディ兄さんの変わりようから自分を保てなかった」
「ウェンズディ……」
「何度もあんなガーネット捨ててやろうって思った。だけど無理だった。金庫はずっと父さんの部屋に……亡くなってからはマンディ兄さんの部屋にあって、一つしかない鍵は兄さんが肌身離さず持ち歩いているわ。そもそも、あの金庫は父さんいわく、『今はもう作ることも、鍵職人も開けることすら出来ない、皇帝たち御用達だった金庫』らしいから。それくらい、用心深く保管されているわ」
ウェンズディはぎゅっと目を閉じて、スカートを握りしめた。その両手は小刻みに震えていて。
アイスローズはゆっくりと口を開いた。
「……ウェンズディ、あるわよ。それでも、ヴァンパイア・ガーネットをこの家からなくす方法が」
「え?」
顔を上げ、驚くウェンズディ。
アイスローズはそんな彼女を真っ直ぐに見据えた。
(もう、迷わない)
そしてその時、二階の柱の裏にエドガーが寄りかかって一部始終を見ていたことには――誰も、気づいていなかった。
✳︎✳︎✳︎
翌朝、トレゲニス邸に大きな足音が響いた。
「ウェンズディ、とんでもないことをしてくれたな!! 自分が何をしたかわかるか!?」
アイスローズはウェンズディと一緒に朝食をとっていた。すると、いきなり新聞をぐしゃぐしゃに握ったマンディ・トレゲニスが部屋に飛び込んで来たのだ。
アイスローズはウェンズディに強く希望され、引き続きトレゲニス邸に残っていた。ウェンズディはマンディをチラリと見るも、視線を戻し涼しい顔で紅茶を啜っている。
マンディが無理矢理ウェンズディの目前にかざした新聞には、大きな文字で次のように書かれていた。
『ウェンズディ・トレゲニス嬢の戦線布告! 「怪盗キツネ」へ家宝・ヴァンパイア・ガーネットを盗んでみなさいと挑発』
 




