68.まぶしい人②
「もしかして、いやもしかしなくても……このひまわり畑って迷路?」
何度目かの行き止まりにアイスローズは驚愕した。アイスローズを囲むひまわりは背が高く、アイスローズは勿論、エドガーの背丈すらゆうに超えるだろう。
(トレゲニス家のひまわりだわ、何十万本を誇っていたっけ)
ピクニックティーの後、アイスローズは食べ過ぎたと言って一人待機させてもらっていた。本当は少しだけ、自分の世界へ浸りたかったのだ。みんなは今ボートに乗りに行っているはず。エレーナが何かを言いたげにしていたのは、少し気になったけども。
そうして辺りを見回しているうちにひまわり畑を見つけ、何気なく入ったところーー見事に迷ったわけである。残念すぎる。
さわ……
風に花びらの黄色が揺れる。
視界は見渡す限り、ひまわりと青い空だ。
『私は、王城学園にいる間は婚約しないつもりだ』
エレーナがこの先エドガーと結婚するためには、貴族の身分が必要になる。その場合、一時的に貴族の養子になって花嫁修行をしてから嫁ぐことになるだろう。丁度二年くらいか。その時間を考えるなら婚約発表は確かに、学園卒業後になるだろう。
(とはいえ、エドガーの口から直接「婚約」のワードを聞くのは、なかなかダメージが深いわ)
こうして歩いていると、世界に一人だけのような気持ちになる。この感覚は、幼い子供の頃にやっていた「隠れんぼ」にも似ている。鬼になればみんなが逃げて隠れてしまうから、たった一人置いて行かれたような気分になった。
蝉しぐれがうるさいほど響き、太陽が肌をじとりと灼く。
(暑い……)
俯きながら、べとべとした額の汗を拭う。なんだか今日は、暑さが身体に与えるダメージがいつもより早いような。
(そういえば、ここ数日【呪いのヴァンパイア・ガーネット】事件が気にかかり、まともに眠れていなかったっけ)
アイスローズはまだこの事件に対する策の、最後の決断が出来ずにいた。
(なんだか空に吸い込まれそうーー)
「アイスローズ?」
「!」
いきなりの声に振り向けば、太陽に輝くひまわりよりもまぶしい金髪。青緑色の瞳がこちらを見ていて。
「エドガー様、何故ここに、!?」
「それはこちらが聞きたい」
「いや、先に質問したのはわたしーー、……って私たちこのやり取りするの何回目ですか……?」
エドガーも同じことを思っていたのだろう。どちらともなく小さく笑い出す。
エドガーいわく、みんなでボートを楽しんでいたが、調子に乗ったユージーンが湖へ転落してしまったという。彼の着替えのため、全員でトレゲニス邸に向っていたところ、高い丘からひまわり畑にいるアイスローズが見え、エドガーが迎えに来たわけだ。
「それにしても凄い迷路ですね。来ていただいたところ申し訳ないですが、私もさっきから同じところをぐるぐるして。エドガー様はどれくらい迷われて?」
「私は迷っていない」
「え、そうなんですか?」
意外そうにするアイスローズを見て、エドガーは不服そうだ。どうやら強がっているわけではないようだ。エドガーは勿体ぶって言った。
「右手法だ」
言うには、「右手」を迷路の「右壁に」常につけて進めば、必ずゴールに辿り着くらしい。確かにエドガーはずっと右掌を右側のひまわり畑に向けていた。
彼が編み出した理論ではないそうで、世の中には面白い研究があるのだと感心する。左手を左壁につけても同じ効果が得られるそうだ。
「もう少し、一人で迷路を楽しんで行く? それとも、私についてトレゲニス邸へ向かう?」
「その二択なら勿論エドガー様を選びます……」
なんせこの日差しだ。あと1時間でもここにいたら、間違いなく日干しになる。
エドガーはふっと笑った。
「アイスローズに頼られるのは悪くないな。あの踊る亡霊事件以来だ」
(え、そうだっけ?)
エドガーは使っていない「左手」をこちらに差し出した。見れば、アイスローズの足元はひまわりの根っこが出っぱっていて、ひどくボコボコとしていた。エドガーは紳士として手を差し伸べてくれているのだろう。
これは、ここで拒否する方が不自然だ。
(顔に熱が集まるのは、夏の暑さのせい)
アイスローズはここぞとばかりに令嬢スキルを発揮して、すました顔で手を出した。
ーーのだが、エドガーにそのまま手を引かれ、顔を覗き込まれた。
「何を企んでいる?」
いきなり言い出したエドガーにアイスローズは目を大きく見張る。エドガーはそのままアイスローズを覗き込みながら言った。
「目の下にクマがある。化粧で隠していたんだろうが……というか、ご令嬢にこんなこと言うのは不適切だろうが……今は汗で化粧が取れている」
「ええっ、それは失礼いたしました!?」
焦るアイスローズ。顔を隠したいのに、エドガーは手を離してくれない。
そればかりかアイスローズの手を、腕を確認するよう持ち上げた。
「それに、君の両腕の前腕にはアザがある。長い時間ずっと机に向かっていたのだろう。アイスローズはひどく集中すると、机のヘリにかかる部分の腕に体重をかけるクセがある」
「学園入試時や試験期間中も同じようになっていた。だが、今は夏休みだ、追い込み勉強の必要はない。美術部ではイーゼルを使うこともあろうから、部活だけではここまでならないだろう」
「! ……」
まさか、試験期間のガリ勉までバレていたとは。
そう、アイスローズについている腕のアザは、ギリギリまで【呪いのヴァンパイア・ガーネット】について、机でノートに向き合っていたことによる。
「極め付けは、ウェンズディ嬢の好きなお菓子を知っていたことだ。占い? ーー違うな。今、アイスローズはウェンズディ・トレゲニスについて何かを『知っている』だろう。何を考えている?」
(凄い、色々お見通し……!)
ぐうの音も出ない。
『アイスローズに頼られるのは悪くないな』
ついさっきのエドガーのセリフが頭の中でリフレインした。
見上げれば、いつもの青緑色の瞳が、ぶれることなくアイスローズを待っていた。
(ーーいつか、全てを見通しそうな目)
そう思えば、言葉が自然と口から落ちていた。
「エドガー様は」
動きを止めるエドガー。
「エドガー様は……人の上に立たれる立場ですよね。自分の発言が、他人の行動や考えに影響を与えるのは、怖くないですか?」
アイスローズは視線を下にそらす。それから何かが溢れ出したかのように、一息に言った。
「よかれと思って言ったことが、結果的にその人を傷つけるかもしれない。善意だと思ってやったことが、回り回って彼女に悪い影響を与えるかもしれない。自分のせいで、大切な人たちが辛い思いをすることになったら、私ーー」
「それでも伝えてみるかな」
アイスローズが顔を上げると、エドガーの金髪はサラサラと風に揺れて、対照的にその目はアイスローズを見つめたまま、微塵もぶれなかった。
「無意識の言動すら、思ってもみない形で他人に影響を与えることがあるんだ。誰もが」
「! それは……」
「より良い未来になる可能性があると思っていて、知らせずになかったことにするほうが、その人にマイナスになるんじゃないか?」
エドガーは続けた。
「相手が大切なら、尚更」
『自分の正解が相手の正解かなんて、誰にもわからないよ。でも想いを伝えないわけにはいかなかったのさ』
ーー大切な相手だから。
いつかの、屋根裏部屋でのレオナルドとの会話が頭をよぎる。アンナマリアもあの日、そんな気持ちだったのか。
結局、エドガーとアイスローズがひまわり畑から出ることが出来たのは、それから10分後だった。
(エドガーは【王城学園謎解き事件】で謎解きに前のめりだったから、きっと迷路も好きなんだわ。ちょっと似たような感じだし)
(だから、夢中になりすぎて)
ゴールを目指して歩いている間、エドガーの右手はずっとひまわりの壁に沿っていた。
(「離す」タイミングを忘れているだけ)
エドガーの左手もまた、アイスローズを離さなかった。




