34.大切な人②
エプロンを取りすっかり身支度を整え、応接室のソファーに座る。グリーンアップル邸のアフタヌーンティーには、先程みんなで料理したものも並び、どれも素晴らしく美味しくて、楽しい時間があっという間に過ぎていった。
今は一段落し、エレーナはお手洗いに行っている。
「ありがとうね、アイスローズ嬢。エレーナさんのようないいお嬢さんにも会えて、嬉しいわ」
バーサは微笑みながら言う。
「いえ、本日はこちらこそお招きいただき、本当にありがとうございます。おかげ様で、素敵な一日を過ごしています」
「それだけじゃないの」
「?」
バーサはお茶のおかわりを勧めてくれた。そして、改めてアイスローズに向き合う。
「ありがとう、エドガーの側にいてくれて。オーガストから手紙が来たわ」
アイスローズは息を呑む。
「オーガスト国王陛下からですか」
その親しみやすさから忘れがちだが、バーサはオーガスト陛下の又従姉妹にあたる。手紙のやり取りがあっておかしくない。オーガスト陛下は言うまでもなくエドガーの父親だ。
「エドガーはね、ロザラインが亡くなってからオーガストと距離が出来てしまって。ロザラインがいなくなった後のオーガストは見るに堪えないほど憔悴して、エドガーがいなければ、今にも消えてしまうんじゃないかって心配していたわ」
バーサは俯いた。いつも陽気な彼女のこんな表情は初めてだった。
「『仕事の代わりはいても、親の代わりはいない』というけれど、オーガストに限って仕事の代わりはいなかった。オーガストが公務をおざなりにすることは、ロザラインとの宝物であるエドガーの将来を不利にするわ。そんなこと、間違っても出来やしない。頭がおかしくなりそうな悲しみを押し殺して、オーガストはエドガーと向き合う余裕がなかったんだと思う」
「それでも、幼いエドガーとコミュニケーションを取らずにいて良いわけがないわ。それがオーガストもよく分かっていたから、時間が経つほどに自分のしてきたことが後ろめたくて、エドガーと今更どう接すれば良いか、分からなかったのよ」
オーガストは、別名「賢王」と呼ばれている。漫画でも今の現実でも、エドガーやアイスローズが自由に動き回れているのは、オーガストが国を守り繁栄させているからこそだ。
バーサはいたずらっぽい笑顔になる。
「最近、エドガーの表情が豊かになったんですって。アイスローズ嬢が、あの子と一緒にいてくれるようになってからよ」
「そんな、恐れ多いです」
「特に、モルガナイト王国からの帰国後、何か大きなわだかまりが解けたようなの。詳しくは分からないけど。諸国外遊には一部、アイスローズ嬢も同行してくれたと聞いているわ」
きっと、エドガーはエドモンドから無事「あの手紙」の真相を聞くことができたのだろう。それを聞いて、アイスローズは嬉しさのあまり泣きそうになった。
「お願いするわ。出来るだけこの先も、エドガーといてあげて欲しいの。もちろん、貴方が嫌でなければだけど」
「バーサ様……」
「実際、アイスローズ嬢はエドガーのことをどう思っているの?」
「えっ!?」
アイスローズはお茶を噴き出しそうになったのを、既の所で止めた。
バーサは目をキラキラさせており、両手を胸の前で組み、まるで恋愛バナシを聞きたがる少女のようだ。詰め寄られ、アイスローズは動揺する。
「ふざけている訳ではないの。アイスローズ嬢は公爵令嬢だし、エドガーとの将来は現実的にあり得るわよ」
「ええと……」
バーサに熱く見つめられ、アイスローズは少し考えた。慎重に、しかし思うままに答えた。
「……エドガー様は一言では語れません。色々な側面をお持ちですから」
バーサはぱっと目を見開き、それからヘーゼルナッツ色の瞳で、優しくアイスローズを見つめた。
「いつもエドガーのことを見てくれているのね」
「そうなんでしょうか」
「そうよ、長く生きている私が言うんだから、間違いないわ。私、人生の先輩ですからね」
バーサはティーカップを持ちながらウインクする。それが何だか可愛らしくて、アイスローズは微笑む。
「今、エドガーが何しているか気になる?」
「? 言われればそうですね」
「また会いたいと思う?」
「まあ、そうですかね」
「顔を見て嬉しいと感じる?」
「まあ……ご立派な方ですし」
「それは好きということかしら?」
「えええっ!?」
(どうして、そうなる!?)
「冗談よ、ごめんなさい。そうでなくても、エドガーは貴方にとっても、大切な存在になったのね。それだけで私は満足よ」
バーサはカラカラと笑い、アイスローズは揶揄われていたことに気づく。
「……もう、勘弁してくださいませ」
アイスローズは自分の顔が赤くなっていることを確信した。
「人の恋路を邪魔するやつは馬に蹴られてしまうわね、この話はエドガーには秘密にしてね」
バーサは満足そうに、人差し指を立てた。
間もなくエレーナが戻ってきて、お開きギリギリまで、賑やかな時間を過ごした。
✳︎✳︎✳︎
そんな話をしたからだろうか。
その夜、アイスローズは「王太子少年の事件日和」を読んでいる夢を見た。アイスローズはアイスローズのままでヴァレンタイン家にいて、手元に漫画本だけある。
主人公エドガーはいつも無敵だ。深い青緑色の目はいつだって隙がない。
エドガーはいつも優しい。心配させまいと怪我を隠していた。アイスローズとパトラを追いかけて来てくれた。涙を見ないようにしてくれた。その優しさの根底には、繊細さがあると知った。
エドガーは素直だったりする。アイスローズが言ったから? ずっと捲れたスカートのことを気にしてくれていた。かと思えば、意地っ張りで、守れなかった悔しさからアイスローズを避けたりも。
陽気なところもある。ジョシュとのやり取りは見ていて楽しくなる。モルガナイト王国でのダンスはエドガーの方が意外とノリノリで、何枚も上手だったな。
漫画を読むだけではわからない、いろんなエドガーに会うことができた。
(……? ここはどこ)
視界に入るアイスローズの髪は黒く、脇にある鏡を見れば、何故か自分がエレーナになっていることがわかった。みるみるうちにエレーナの、つまり自分の身体が血まみれになっていく。
「え、なんで……!?」
素直でかわいいエレーナが、どうしてこんな目に。今すぐどうにかしなければ。
身体はどこも痛くないが、動かすこともできない。頭は嫌に、はっきりしているのに。
なすすべなく倒れ込むと、どこからともなく現れたエドガーが支える。彼はエレーナの肩に顔を埋めながら、掠れた声を出す。耳にひどく響いた。
「エレーナ、どこにも行くな……」
彼はエレーナを抱きしめながら震えていた。
(そうよ、そうよね! 愛するエレーナがこんな状況になれば、さすがのエドガーも冷静ではいられないわ。待ってて、エレーナ、エドガー! 私に出来ることは――)
「アイスローズ様は、王城学園で何を学ばれるのですか?」
「え?」
いつの間にか、また場面が変わったようだ。
今度はエレーナに話しかけられていた。身体はアイスローズに戻っていて、王城病院のベッドの上にいる。目の前のエレーナが、再び問いかける。
「アイスローズ様の夢はなんですか?」
「私の夢は……」
アイスローズはカラカラな喉から、搾り出した。
「――生きていたい」
生きて、事件を防いで、エドガーと大切な人たち……それはアイスローズの大切な人たちでもある――を守りたい。
アイスローズはどうしたってエレーナになれない。だけど、「王太子少年の事件日和」「王太子探偵という戯れ」を知る自分がいたら、役に立てるはず。
それにきっと、間違いなく、あのエドガーならアイスローズがいなくなったとしても悲しんでくれる確信があるから。
死ぬわけにはいかない。
(ああ、そういうことか)
腹にスッと落ち、納得する。
(そうか、バーサ様の言う通り、私にとってエドガーは大切な人だったんだな)
意識は急速に、夢から浮上した。
✳︎✳︎✳︎
あれは……初冬の星座が浮かぶ、満月の日だった。
目が覚めたアイスローズは、ぼんやりと天井を見ながら【悪役令嬢殺人事件】の詳細な記憶が蘇ってくるのを感じた。
顔を傾けると、カーテンの隙間から差し込んだ朝日を浴び輝く、サイドテーブルに置いてあったガラスの薔薇が目に入る。
口からこぼれた言葉は、自分でも意外なほどしっくり、心に染みた。
「こんなのもう、大好きってことじゃない」
ここまでお読みいただき、本当にありがとうございます! 心から嬉しいです。
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