33.大切な人
モルガナイト王国から帰国して数週間が経過した。
王国での舞踏会の噂はアンナマリアの耳にも入ったが、同時にキランと二人で途中抜け出したことも知られており、またキラン本人から丁寧にも御礼状が届いたことから、「貴方も隅には置けないわね、安心したわ」と何とかお咎めなしだった。
騎士団訓練場にも定期的に顔を出すようになり、エレーナの他に、色紙の件から話をするようになったカルヴァンとハリー・ジュニアという騎士見習いにも稽古をつけてもらっている。【クレオとパトラ事件】の反省を活かし、身体の大きな男性を相手にすることに慣れたかったから、大変有り難い。
エドガーは国内のまとまった仕事を片付けているようで、城内で会ったのは数回だ。
アイスローズの模試の成績は落ち着き、余裕を持ちながら合格圏内を維持している。
「もしかして私、何だかんだ充実した日々を送っているのでは……?」
アイスローズは、ヴァレンタイン家の自室でお茶を飲みながら呟く。もう永らく「王太子少年の事件日和」の新しい事件について、思い出すこともない。
(……【悪役令嬢殺人事件】回も、いつ記憶が蘇ってもおかしくないと思うのに)
「アイスローズお嬢様、お手紙が来ています」
「うわあ!? 熱っ!」
一瞬ナイーブになったところに、いきなり真後ろからパトラに話しかけられ、ティーカップを落としそうになる。何なら少しこぼれた。あれこれ手を出しているうちに、本業の令嬢スキルが錆び付いてきては困る。気を引き締めなければ。
「ありがとう、パトラ。誰からかしら」
何事もなかったように手を拭き、怪訝そうな目のパトラから手紙を受け取った。厚地の上質な封筒を見れば、差出人はバーサ・グリーンアップルだった。
もう【最初の事件】から半年が経過している。ということは、前世を思い出してからも半年経つ。
バーサがあのガーデンパーティー以来、事件に巻き込まれることなく穏やかに生活していることに、嬉しくなる。手紙を読み進めると、グリーンアップル領のリンゴ園がちょうど実りの時期で、遊びに来てほしいとのお誘いだった。追伸には、友達を連れてきてもよいと書かれている。
そういえば、ガーデンパーティーではリンゴの花が見事だった。あの畑が実ったのであれば、それはきっと見事だろう。
「リンゴ園かあ、純粋に行って見たいわね。事件には明らかに関係なさそうだし……」
バーサは「王太子少年の事件日和」連載初回で事件に巻き込まれており、故人になった。その後にグリーンアップル領がどうなったか、漫画に記載はなかったと思う。
(友達か……。無事元気に回復したパトラは、このところは結婚準備で忙しいし……そうだわ、彼女を誘ってみようかしら)
アイスローズは低いチェストの上に宝石箱と並べて置いてある、平たいハーブ軟膏の缶を見つめた。
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当日、空気は澄み切って、抜けるような青空だった。見事な秋晴れだ。
アイスローズは、エレーナとヴァレンタイン家の使用人数名とともにグリーンアップル邸を訪れていた。バーサは相変わらず明るく快活で、最初は緊張していたエレーナも直ぐに打ち解けていった。
「アイスローズ嬢は博識なのね、リンゴにつく害虫について、詳しく知っていてびっくりしちゃった」
バーサは関心したように言う。
「いえ、たまたま、私に付いている家庭教師……が虫に詳しく、話を聞いていただけで」
エレーナは「ご令嬢は虫についても学ぶのですね」と、穢れのない尊敬の目で見てくるが、多分ヴァレンタイン家だけだから誤解である。
収穫期の、それは見事なリンゴ畑を一通り散策後、三人はグリーンアップル邸のキッチンにいる。バーサはリンゴ収穫の体験もさせてくれ、これから目の前にある、良い匂いをさせているリンゴの料理をするのだ。バーサは生まれながらの貴族だが、持ち前の好奇心からか料理上手でも知られており、アイスローズが是非教えてほしいと申し出ると、一つ返事で了承してくれた。
折り込み式のパイ生地からアップルパイを作ったり、長期保存ができるリンゴのプリザーブを作ったりした。リンゴの芯や皮も無駄にせず瓶にいれておき、ビネガー(酢)を仕込むのは勉強になった。皮は、草木染にもできるそうだ。染め上がりはピンクオレンジ色になるというから、奥深い世界である。
エレーナはアイスローズの隣で、アメジストの瞳を嬉しそうに輝かせている。エレーナはアイスローズがお誘いした時から、この日をとても楽しみにしてくれていた。
今日のエレーナは淡いグレーに小花柄のシンプルなドレスだ。その上に持参したエプロンをしている。そういえば、彼女が訓練着以外を着ているのを、初めて見た。艶やかな黒髪はアップにし、胸元にはエレミアン・ガラスで出来たクローバー型のネックレスをしている。鎖部分とヘッドパーツであるクローバーの中心がゴールドで、そのゴールドの小さな芯を、クリアガラスの4枚の葉が囲っている。
アイスローズと同じことを思っていたのか、バーサがエレーナに声をかけた。
「エレーナさん、ネックレスがすごく似合っていて、素敵だわ」
「ありがとうございます。これは祖母が亡くなったとき、落ち込んでいる私にエドガー殿下がくださったんです。『ここぞという時』に身につけるようにしていて」
エレーナは赤くなりながらアイスローズを見つめ、はにかんだ。
エドガーのことを思い出したのだろう、とアイスローズは思う。バーサは何故か、そんな二人を温かく見つめてくる。
(今世ではエレーナのエドガーへの想いは、漫画と違ってあまり進展してないと思っていたけど……、いつの間にかちゃんとストーリーは進んでいたのね。良かったわね、エドガー)
チク。
(ん……?)
なんだろう、今の擬音は。胸のあたりからしたような気がする。
(というかそれより、あのネックレスはどこかで見たような)
アイスローズは首を傾げるも、エレーナが可愛いということ以外、なにも考えが出ない。
「他にも、リンゴの花を蒸留してアロマ水を作ることもできるわよ。また、春にもいらっしゃい」
「あ、はい、もちろんです」
バーサに話しかけられ、我に返る。
「エレーナさんもよ」
「はい! もしそう出来たら大変光栄です」
エレーナもアイスローズも、料理は得意だから、バーサは教えがいがあるとご機嫌だ。
アイスローズが見ていると、エレーナとバーサは気が合いそうだと思う。エレーナがこの先エドガーと結婚するためには、貴族の身分が必要になる。その場合、一時的に貴族の養子になって花嫁修行をしてから嫁ぐことになるだろう。エレーナが養子になるなら、バーサ・グリーンアップル家が良いかもしれない。
そんなことを考えているうちに作業は終了し、これからアフタヌーンティーとなった。




