29.容疑者・王太子少年の再考③
「なっ――!?」
会場からどよめきが起きる。
アイスローズはワルツのステップを踏み出した。
一人で。
一人と言っても、ダンスの相手が目の前にいるかのような構えをとった。左手を相手の右肩に乗せるように腕を上げ、また右手は横に伸ばし、まるで相手の手を握っているように。
そのままアイスローズは、優雅にターンする。スカートが回転し絞られ、再びそれは綺麗に広がった。本来は相手の腕の下をくぐるシーンだが、一人で掲げた手を軸にし、くぐったかのような動きをした。
観客から声が聞こえる。
「……あのご令嬢、手が胸の高さから下がらない、パートナーの肩に置いたように、ずっと腕を浮かせたままだ」
「あんなにホールを広く使っているのに、誰にもぶつからない……、背中に目があるみたい」
このワルツはアイスローズが何度も踊ったことがある。そろそろ曲の山場がくることを知っていた。
(例えば、無敵の主人公ならどう踊るのかしら。エドガーが相手だったら私、きっとこうする)
「「わあ!?」」
どこからともなく歓声が上がった。
アイスローズは片足を後ろに引き、斜めに背中をそらしたのだ。これは男性が上に覆いかぶさるようにして、女性を美しく見せるよう背後に押し倒すポーズである。アイスローズはこれを一人で、誰の支えもなくやってのけた。一見優雅に見えるが、これはもの凄く筋肉を使う。
「なんか、パートナーが実際いるように見えてきたぞ。そんなはずないのに」
「ステップ、ターン、どれをとっても文句のつけようがないわ」
「――あ、見て! あのご令嬢、笑っている!」
アイスローズは優美に微笑んでいた。顔はやっぱり、いるはずのない相手に向けて。
いつしか、ダンスホール中がアイスローズを見ていた。それだけ、彼女の踊りの技術は頭ひとつ飛び出していたのだ。
――シャン!
音楽が鳴り止んだ。
無事、ぴたりとポーズをきめたアイスローズはダンス後のマナーとしてお辞儀をするが、周囲は誰も動かない。広いダンスホールのそこら中、誰も物音を立てなかった。
(あ、あれ……)
「水を打ったように静か」とは、こういう状況を言うのだろう。じわじわと時間が経過し、必死になりすぎていたアイスローズが正気に戻り、たじろぎ始めた時。
ふいに、拍手が湧き上がり、次第に喝采となった。
主催者席を見ると、キラン殿下――赤毛に紺色の瞳の美しい長身の男性――も立ち上がり拍手していた。
(よ、よかった……!! 元演劇部のお母様からパントマイムも習っていて、本当によかった……! これで予定通り、キラン殿下の注目を得ることができた!)
アイスローズはモルガナイト王国に着いてから初めて、安堵の息をついた。胸に両手を当てると、動悸は収まっていない。
気持ちを切り替え、讃えてくる人々に丁寧な礼をする。すると、人混みが割れ道が出来たかと思えば、キラン殿下が近づいてきた。
「先程のダンスは見事だったよ。エレミア王国のアイスローズ・ヴァレンタイン嬢。少し、君と二人で話がしたいけどよい?」
さすが王子だ、アイスローズの素性を掴んでいる。おそらくダンスの途中から、調べさせたのだろう。
「ご覧の通り、一人ですわ」
彼女の堂々とした態度に、キランはくしゃっと笑った。この美しい人は、笑うと印象が人懐っこくなる。
「それは失礼した」
(作戦通り。まさか向こうから声をかけてくるとは思わなかったけど。今夜は絶対に、失敗しない)
アイスローズはあらためて、気を引き締めた。
✳︎✳︎✳︎
キランに連れられ、二人は庭園へ出た。風はなく、ひんやりした空気に星空が映えている。ここは一般客が入れないエリアのようで人の気配はなかったが、不思議と怖さはなかった。
その庭は、アイスローズが王城病院の入院中に見た、エレミア王国王城の庭とは趣が違っていた。噴水に力を入れているようで、幅広い階段状になった噴水や、緑に覆われた壁一面から幾つもの水流が噴き出す噴水、人が中に入れる雨傘型の噴水、美しい金色の彫刻を取り囲んでいる噴水など、見応えがあった。水音が心地よい中、キランは親切に庭園内の説明をしてくれる。噴水は庭内に150もあるらしい。
ふと、金木犀の香りが漂うひらけた場所で、キランは立ち止まる。キランは、アイスローズをベンチに座らせたと思ったら、すくっと目の前で両手を広げ、歌い出した。アイスローズの聞き間違いではない、彼はミュージカル調で「歌い出した」のだ。
「こんな想い生まれて初めて♪ 星空が見守る二人♪ これがきっと恋なのかよと♪」
キランは、アイスローズに「さあ、君も」と言わんばかりに手を伸ばす。
「……」
呆気に取られ無言のアイスローズに対し、キランはムーンウォークで、長身の身体を彼女の前にスライドさせる。
「瞬きは眩しい♪ 息すら痛い♪ 君はプリンセスのステップ、出会った♪ 僕だけに見せて♪」
「……君はプリンセスのステップってなんですか」
「ノリが悪いなあ。アイスローズ嬢なら、応えてくれると思ったんだけど。僕の『婚約者候補の条件』を知っているだろう」
途端に素に戻るキラン、眉を上げおどけたように肩をすくめる。アイスローズは眉間に皺を寄せないよう、気をつけながら頷いた。
「はい、ミュージカルのように、『突然歌い出す殿下の歌にハモって合わせられるご令嬢』をご所望とか」
「わかってるじゃない。君は僕に出会いたくて来たのではないのかい? ダンスホールであんなことまでして」
キランは側にあった花を一輪折り、香りを嗅いだ。絵になっているが、アイスローズはため息をつきたくなった。これまで、何人のご令嬢がこの茶番に付き合わされたのかと思うと、何だかうんざりした。
「そもそも、アドリブでシナリオもなく息ぴったりにシンクロさせるなんて無理ですわ……」
「ん、何だい?」
「なんでもありません。でも、出来もしないことを女性たちにさせるなんて。慌てている姿を見て、お笑いになるご趣味なのですか?」
「まさか、そんな悪趣味に見える?」
キランは余裕ある微笑みをした。否定も肯定もしないアイスローズ。
「ふふ、誰にでも試しているわけでないのは本当だよ。不快にさせたならごめんね。お詫びに、後で始まる花火を見る特等席を案内しよう。ダンスホールのベランダだ。あそこは、僕の専用だから、ゆっくり見られるよ」
キランはベランダを指差した。アイスローズは慌てる。
(あそこはまずいわ! もっと会話で彼を引きつけて、ここに止まらせないと)
「で、殿下は、最初から婚約者を探す意思はないのではありませんか?」
「どういう意味だい? アイスローズ嬢」
キランは表情を動かさず、言った。
「既にお心に決めた方がいらっしゃるのですか? あるいは、何か他にやられたいことでも?」
「……何が言いたい?」
「……それは怪盗の『キツネ』に関係ありますか?」
キランの目から光が消える。彼の手元から、花の茎が折れた音がした。
アイスローズは勝負をした。彼女だけが知っている「王太子探偵という戯れ」で描かれていたキランの秘密。彼のキャラクターをよく知っていたからこそ、一人ダンスを踊ったり、今も口答えするなどの無茶ができていた。キランがこんな滑稽な条件を出すのは、「ご令嬢側から振られた」という実績が欲しいからだ。
キランは紺色の瞳で、アイスローズを面白そうに見つめた。夜風が赤毛をサラサラと揺らす。彼は立った状態でアイスローズは座っていたから、キランの長身が際立った。
「……それは、僕が『キツネ』を捕まえること、という意味でよいよね?」
「もちろんですわ。それ以外にどんな意味がありますか」
ふっと、キランは顔を緩ませた。
「君は本当に面白いね」
「僕がその『キツネ』なんだよ。怪盗と呼ばれるふざけたものになってまで、探したい人がいるんだ、お嬢様。さあ、それを聞いてどうするんだい?」
突然の本人からのカミングアウト。アイスローズは目を丸くした。まさか、話し始めて数分で本人からネタバレされるなんて。




